第14回:「私は被害者Aではありません」(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 あまり触れたくはないことだけれど、やはり書いておかなければならないこともある。伊藤詩織さんの「事件」である。
 普通ならば隠しておきたい性的暴行事件を、自分の顔をテレビカメラの前に晒してまで告発しなければならなかったこと。その心情を察すると、男であるぼくでさえ、なんともいたたまれない気持ちになる。
 しかも、相手は著名なジャーナリストで、安倍首相とも親しい間柄だといわれている人物だ。そうとうな勇気が必要だっただろう。そこへ踏み切ったことだけでも、ぼくは彼女を尊敬する。

被害者へのバッシング

 詩織さんの「私は、被害者Aではありません。伊藤詩織です」と会見で語った言葉には、ぼくは強い衝撃を受けた。ひとりの自立した女性として、受けた被害は個人として受け止め、それを与えた加害者を告発する。そのことは、詩織さん個人の意思とは別のところで、被害に遭いながらも泣き寝入りせざるを得なかった女性たちへの大きなエールになっている。
 これに対し、彼女の勇気を讃え、その行動を支持する人たちが圧倒的多数なのは当然のことだが、一方で凄まじいほどのバッシングが詩織さんを襲った。ネット上での彼女に関する情報のある部分は、ほとんど推測と憶測、さらには悪意ある捏造に満ちている。
 「ハニートラップ」だとか「売名」などはまだいいほうで、ここには書くこともはばかられるような罵詈雑言まで散見される。いったい誰が、なぜそんな被害女性への差別的偏見をまき散らしているのだろう。
 ぼくも何度かツイートで、この「事件」に触れた。ことに、一方の当事者である山口敬之・元TBSニューヨーク支局長は強く批判した。すると、それへの反論じみたリプもかなり飛んできた。
 ほとんどが「警察は逮捕状を執行しなかったし、検察審査会も起訴には値しないと結論づけているではないか。無罪の人を貶めるお前が間違っている」という趣旨である。
 だが、逮捕令状が用意され、空港での逮捕寸前に、上のほうからある意図をもってそれが取り消されたのは、もはや誰もが知っている「事実」ではないか。では「上のほう」とはなにか?
 中村格(いたる)氏という警察官僚、かつては菅官房長官の秘書官を勤めていたという人物。安倍官邸とは今でも深いつながりがあると言われている。その中村氏が警視庁刑事部長だったときに、山口氏の逮捕令状の執行を取りやめさせたといわれている。つまり、絵柄は単純明快だ。安倍首相お気に入りの御用ジャーナリストを、官邸が手を回して救ってあげた、というのがこの「事件」の本質なのだ。

権力の司法への介入

 福島瑞穂参院議員は予算委員会で、安倍首相に「『総理』という本をお書きになったジャーナリストを知っていますか」と質問した。すると会議室は突然ざわつき、異常な雰囲気。そして、安倍首相は相変わらず木で鼻をくくったような返答をした。
 「取材対象としてなら知っている」
 この言い方もおかしい。「取材対象」は自分であり、山口氏は取材対象ではない。まあ、デタラメな「安倍言葉」を云々(でんでん)しても、もはや何の意味もないことは誰でも知っている。
 この「事件」が取り上げられること自体が、安倍官邸にとっては避けたいことなのだ。あの加計学園問題と同じく、安倍個人の親しい人間が関わった事例に便宜を図った、という図式になるからだ。とくに親しい人間の逮捕令状まで破棄させたとなると、これは「権力の司法介入」という由々しき問題に発展してしまう。どうしても闇に葬りたい…。

卑劣な行為を弁護する理由?

 酒に酔って(デートレイプドラッグの使用も疑われている)意識もうろうとしている女性をホテルに連れ込み、女性の意思確認もせずに性交渉に及ぶ。これを、普通の日本語では暴行とか強姦という。
 しかし、ネット上ではこの男を弁護し、詩織さんを貶める言説が跋扈している。どうしてそんなことができるのだろう? ぼくはそれが不思議でたまらないのだ。
 で、その理由を考えてみた。

① 山口氏と極めて親しい友人だから、何があっても彼を弁護する
② 安倍政権に歯向かうものは、すべて非難する
③ とにかく、自分を主張するオンナは嫌い
④ 機会があればオレもやってみたかったなあ、と実は思っている

 まず、①の一群は、確かに存在するようだ。なるほど、親しい友人らしきグループが、ここへきて山口氏復権に向けて蠢きだした。
 例えば、類は友を呼ぶのか「月刊Hanada」の花田紀凱編集長は山口氏の友人なのだろう。その1月号は、相変わらずヘイトスピーチじみた見出しの大安売りだが、その中でも目を引くのが「伊藤詩織問題 独占スクープ第2弾 金平茂紀・望月衣塑子の正体」という山口氏本人の記事だ。
 まず「伊藤詩織問題」というタイトルにあきれる。事件を起こしたのは、少なくとも詩織さんではない。ホテルに連れ込んだのは山口氏だ。ならば「山口敬之問題」とするのが当然だろう。
 訴追を免れたと安堵したのか、自分の卑劣な行為を弁解し、悪いのは伊藤詩織さんであり、それを支持する金平氏や望月氏はジャーナリストと呼ぶに値しない、と威丈高に吠えたてている。さらには「友人たち」に囲まれ、右派テレビにも出演して憂さ晴らし、もう復権を果たしたかのようだ。
 だが、山口氏の親しい友人がネット上で大騒ぎできるほどたくさんいるとも思えない。そこで考えられるのが②だ。
 ツイッターで山口弁護に走り、詩織バッシングを展開している人たちが、他にどんなことツイートしているかを見てみると、ほぼ100%近くが「安倍支持者」であることが分かる。いわゆる「ネット右翼」に近いメンタリティの持ち主が多い。なるほど、山口氏は安倍首相の親しいジャーナリストであり、彼を非難することは安倍批判につながる。したがって、山口氏に強姦されたと主張する詩織さんは形を変えた安倍批判だ、という単純な思考回路。
 なんだかバカバカしいけれど、この説はかなり当たっていると思う。
 さらに③である。マッチョ愛の男たちは「女は黙って男に従え」という感覚をどうしても捨てきれない。だから、安倍政策の「女性が輝く社会」などというのは「男の命令に従って女は一生懸命に男に尽くすことで輝け」と読み替えて満足しているのに違いない。だから、はっきりと意見を言い、自立した考えを表明する女性はバッシングの対象になる。
 とまあ、ここまでは一般的な思考で導き出された理由だ。しかし、誰も表立っては言わないけれど、実は、ぼくは④が山口擁護のかなり大きな要因だと思っている。
 詩織さんは美しい。あんな女性を酔わせて自分の思うがままにしてみたい。それを実際にやってしまった山口氏は、オレの思いを実現してくれたヒーローなのかもしれない…そんな倒錯した欲求を、いくらツイッターという匿名世界でもさすがに言えないから、さまざまなヘリクツを見つけては、山口擁護、詩織バッシングに走るのではないか。
 実は、ここが今回の問題の奥深い闇なのだと思う。はっきり言えば、山口氏の行為は、そんな人間(男)の薄汚い隠された思いに、どこかでシンクロしたのだ。

闇をえぐり出せ!

 この事件は、とてもイヤな感じがする。
 男が力で女を蹂躙したこと。その男が元マスメディアの海外特派員というたいそうな肩書を持っていたこと。そして最高権力者と極めて近しい関係を持っていたこと。それが逮捕を免れた理由ではないかと疑われること。そしてネット空間で、隠れていたはずの欲望が、被害者へのバッシングという形で露呈したこと……。
 もし「この程度のことをしても、逮捕は免れる」などと、卑しい欲望を持った連中に思われたとしたら、この事件の持つ意味は重大だ。
 だから、この事件は決してウヤムヤに終らせてはならない。徹底的に解明して、闇をえぐり出す必要があると思うのだ。

千葉県佐倉市の「歴博」へ行ってきた。「1968年-無数の問いの噴出の時代-」という展覧会を見に行ったのだ。あらゆる場面で異議申し立てが行われた、あの熱い時代へ、束の間のタイムスリップ…


展覧会の会場前……

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。