第60回:真剣になっても深刻にならない心(想田和弘)

 元旦、妻から「今年の抱負は?」と聞かれて何かを答えた。

 ところがその数日後、恐ろしいことに何て答えたのかもう忘れていた。最近の忘却力はすごい。そこで別の抱負を考えた。

 「真剣になっても、深刻にならない」である。

 物事に真剣になることは、基本的には良いことだ。少なくとも、真剣にならないとやっていても楽しくない場合が多い。

 たとえば、映画を撮るのもそうだ。

 映画を撮るのに、肩の力を抜きまくって「どうでもいいけどまあ撮るか」という感じでダラダラと撮るのも、まあ、それなりに楽しいことではあるだろう。だけど、やっぱり頭と感性と肉体をフル活用して真剣に撮ることの楽しさや充実感には、どうしても及ばないのではないだろうか。

 しかし真剣になりすぎると、どうしても「執着心」というやっかいな感情が頭をもたげてくるのも人間の性というものである。

 あれほど真剣に力を入れて撮った映画なのだから、ぜひともみんなに観て欲しい。映画祭や批評家にも高く評価してほしい。いや、そうでなければ世の中おかしい。

 そんな風に、自分勝手な欲が出てきてしまう。

 でも、そんな欲が満たされることは、実際には稀である。なぜなら、そもそも真剣に映画を撮らない映画監督なんて、世の中にはたぶんほとんどいないから。つまり真剣に映画を撮っている人ばかりが映画界にはひしめいているわけで、そんな中で作品が評価されたりヒットしたりするのは、奇跡に近いことなのである。

 ところが執着心が強いと、その奇跡に近いことが起きないだけで、ずどーんと落ち込んでしまう。そして「深刻」に悩み、心が折れてしまうのである。

 では、どうしたら「真剣になっても、深刻にならない」ようになれるのか。

 きっと、執着心を持たないことが重要であろう。

 では、どうしたら執着心を持たずにすむのか。

 残念ながら、それは僕にもよくわからない。わからないから、僕もしばしば深刻になってしまうのであろう。だからこそ、今年の抱負として掲げたのである。

 いずれにせよ、「真剣」と「深刻」の差を認識し、忘れないでおくだけでも、「深刻」になるのをずいぶんと防げるのではないか?

 そんなことを考えていたら、元旦に妻へ答えた抱負をようやく思い出した。

 「一喜一憂しない」である。

 よく考えると、「真剣になっても、深刻にならない」も、「一喜一憂しない」もよく似ている。いずれも「結果に心をいちいち左右されない」ということである。元旦に言った抱負を忘れてしまったとはいえ、結局、同じことを考え続けていたようだ。

 2018年、世界もアメリカも日本も、多難な年になることが予想される。

 その「難」に真剣に立ち向かったとしても、たぶん私たちは負け続けることになるだろう。いや、ときには勝つこともあるだろうが、負けることの方が多いように思う。

 であるならば、負けても折れない、真剣になっても深刻にならない、弾力性のある心を鍛えていきたい。

 そう、新しい年に思う。

想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。