『ある明治人の記録──会津人柴五郎の遺書』(石光真人/中公新書)

 本書の初版は1971年。2016年まで57版を重ね、昨年末に改版が発行された。
 本書に登場する柴五郎は会津藩上級武士の五男として生まれるも、会津戦争で官軍に敗れ、祖母や母親、姉妹らは自刃。男たちは下北半島へと追放され、炊いたお粥がすぐに凍るような厳寒の地で犬の肉を食らう、凍死や餓死と隣り合わせの日々を過ごした。
 廃藩置県後、青森での給仕を経て同地の野田大参事の家僕として働くなか、陸軍幼年生徒隊入隊の機会を得て、藩閥の外にありながら陸軍大将、軍事参議官にまで上りつめる。その生涯を本人が半紙に細字の筆で綴ったものを、石光真人が編著者としてリライトした。
 今年のNHK大河ドラマの主人公は西郷隆盛。これまで繰り返し描かれ、語られてきた人物にどのような新しい光が当てられるのか。注目されるところだが、本書にかかれば、幕末の偉人も「薩長の下郎ども」の一人であり、「はからずも兄弟四名、薩摩打ち懲らしてくれんと東京にあつまる。(中略)薩軍の退路を断ち、敗残の薩軍を日向路に追い込めたり。かくして同郷、同藩、苦境をともにせるもの相あつまりて雪辱の戦いに赴く、まことに快挙なり」と、西郷率いる薩摩軍が西南戦争に敗れることに快哉が叫ばれる。
 はたして明治維新は近代日本の夜明けだったのか。晩年の柴五郎は石光に対してこう語る。
 「公武合体か、各藩連合の連邦制か、絶対君主国家か。論議を尽くさぬまま武力革命へ暴走したのである。市民革命とは異なり、武士によるクーデターの形式をとった強引な明治維新は、いわば未熟児ともいうべき、ひ弱な新体制を生んだ」
 また、日露戦争までは規律のとれていた軍が徐々にそれを失っていく様を「武士道の廃頽」と表し、第2次世界大戦時の日中戦争について、「中国人は信用と面子を貴びます。それなのに、あなたの御尊父もよく言っておられたように、日本は彼等の信用をいくたびも裏切ったし面子も汚しました。こんなことで大東亜共栄圏など口で唱えても、彼らはついてこないでしょう」と喝破している。
 ちなみに「あなたの御尊父」とは石光真清のことだ。真清は20世紀初頭ロシア極東各地やハルビンで現地情勢を探る任務を負っていた。同じころ、柴五郎は陸軍中佐として北京の駐在武官として義和団事件に遭遇している。2人は大陸の南北で活動していたのである。
 第一部で柴五郎の記録を編集し、第二部で彼との交流を中心に綴る、この改版を読むと、戦後70年間、国民の多くが不自由に感じていない憲法を改定しようとする行為はクーデターではないかと思えてくる。その背景に米国の影響があるとすれば、南米チリにおいて世界で初めて自由選挙により合法的に選出された社会主義政権を、米国の後押しを得たピノチェト将軍率いるチリ軍が武力で覆した事件も想起してしまう。
 私たちは民主主義を失う瀬戸際に立たされている──そんな危機感を抱かせる書でもあった。

(芳地隆之)

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