第21回:寒さの中の「ちょっといい話」(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

「鳥団子」と野鳥たち

 寒い。北国育ちのぼくでさえ、寒い。
 でも楽しみもある。外へ出る必要のない日は、居間からぼんやりと小さな庭を見ている。
 実りの秋が終わると、野鳥たちには厳しい冬。餌がなくなるのだ。我が家では、そんな鳥たちへちょっとしたプレゼント。
 リンゴやミカンを半分に切って、木の枝に刺しておく。枝から吊るしたザルには「鳥団子」をのせておく。これはカミさんの特製で、小麦粉を古くなったオリーブオイルなんかで練り、少々の砂糖で甘みをつける。これが、鳥たちの大好物。寒さの冬は、やはりエネルギーが大事なのだ。

庭にやって来るワカケホンセイインコ。食欲はすごい

 すぐに鳥たちがやって来る。いちばん早いのがメジロ。すぐにシジュウカラやツグミが来る。ムクドリ、スズメ、カワラヒワ、ヒヨドリ、オナガなど、けっこういろんな種類の野鳥観察ができる。メジロはいつも2羽だ。多分、つがいなのだろう。
 珍しいのは、ワカケホンセイインコ。緑色のきれいな鳥。むろん、日本の鳥でも渡り鳥でもない。ペットとして輸入された南国の鳥が逃げ出し、いつの間にか日本で繁殖したものらしい。少し離れた近所のお寺の境内のサイカチの大木に、集団で棲んでいる。それが時折、ここまで遠征して来るのだ。

ヒヨドリも来たよ

 ほんとうはもう少し大きな鳥だったようだが、日本の気候に合わせて、少しずつ小型化しているらしい。たくましいものだ。難点は、やや悪声であること。ギャーギャーと、オナガの鳴き声に似ている。
 寒さの中の、ささやかなぼくの楽しみ…。

我が家の半野良猫の話

 我が家の半野良猫のドットとナゴも、なんとか元気だ。朝いちばんにやって来て餌をねだる。吐く息が白い。餌をあげたのににゃあにゃあ鳴き止まないのでどうしたのかと思ったら、お皿の水が凍っていて飲めない!と文句を言っているのだった。お湯で溶かしてあげたら、すぐに飲み始めた。この寒さ、ドットとナゴにも辛いらしい。
 家に入るように、何度も捕まえて入れてみたのだが、イヤだイヤだ、外へ出せ! と怒るのだ。やはり半野良猫だ。
 きちんと数えてみたら、ドットはもう12年、ナゴだって9年も餌をやっている。避妊手術は済ませたし、毎年の予防注射代だってバカにならない。寒かろうと、小さな猫小屋(犬用だけど)まで用意してやったのに、なんとも恩知らずな猫たちである。
 それでも寒さはこたえるらしく、珍しく2匹がベッタリとくっついて温め合っている様子が可愛い。

寄り添って温め合っているドットとナゴ

 12年前のある日、庭でニャオニャオと猫が鳴いていた。痩せて貧相な、どこから見ても野良猫。なんだか可哀想で、魚の残りやミルクなどをあげた。するとそれから毎日のように、我が家の庭に現れるようになった。毎回、餌をやった。「ウメちゃん」と名付けた。「梅干しばあさん」みたいだったからだ。でも突然、姿を見せなくなった。あ、やっぱり野良だな。
 ところがしばらくして、また庭でニャオニャオ。おや、また来たか…。見てビックリ! なんと、ウメちゃんの後ろに、子猫が3匹ちょろちょろ。うわっ、どこかで出産休暇をとっていたんだな。
 これは、家に入れてやるしかないなと、まず子猫を捕まえて家にいれたら、ウメちゃんが猛り狂ったように牙をむいた。アタシの子どもをどーすんだよ! というわけだ。それなら家族一緒にと、ウメちゃんを捕まえようとするが、ものすごい抵抗。ご飯はきっちり貰うくせに、野生の血は健在。
 そんなわけで、毎日庭に現れては餌だけ食べていなくなる。子猫には、ジェーピー、ドット、コム、と名付けたが、家の中には入れられなかった。
 子猫の中では、ドットがいちばんおっとりしていた。ウメちゃんが「ほかの子はすばっしこいけど、お前はのんびりしてるから、この家でご飯をもらいなさい。アタシたちは大丈夫だから…」とでも思ったか、しばらくして、一匹ずつ姿を消して、ドットだけが残った。
 その名残か、ドットは今でも家の中には入ってこない。入れると、外へ出せーっ! と怒るのだ。あとから加わったナゴも、ドットの真似か家には入りたがらない。路地を隔てたお向かいには農家の納屋があり、そこにはいつもわらが積んである。どうもその中に潜り込んで寝ているらしい。
 ま、それはそれでいいか。今日も、ドットとナゴは身を寄せ合って寒さをしのいでいる…。

がんばる人たち

 寒さの中でも、がんばる人たちは多い。
 例えば、新宿西口で安倍政治にNO! をいい、沖縄や原発を考えようと、毎週土曜日の夕方、思い思いのプラカードを掲げて「スタンディング」をしている大木晴子さんたち。この運動も息が長い。
 毎週金曜日、首相官邸前では、反原発を訴える「反原連」の運動が続いているし、国会前でも紫野明日香さんや土肥二朗さんたちの「希望のエリア」が寒さなんか吹き飛ばして原発NO! の声を響かせている。このところの体調不良で、ぼくはややご無沙汰だけれど、暖かくなったらまた、官邸前や国会前へ出かけようと思っている。
 ぼくの地元にだって声を挙げ続ける人たちはいるんだ。
 隔月(奇数月)の最終土曜日の午後、「原発イヤだ! 府中」というグループが、定例デモを行っている。夏には「夕涼み水撒きデモ」、クリスマスには「電飾デモ」など、意匠を凝らして府中市の繁華街を歩く。近いので、ぼくもなるべく参加している。
 今回は1月27日。なにしろ寒い。インフルエンザも大流行中だし、水道が凍っちゃって困った、なんて人もいて、いつもよりは参加者が少なかった。それでも元気なリーダーにゃお子さんのシュプレヒコールに合わせて、再稼働するな! 原発なくても電気は足りてる! 原発輸出反対! 福島を忘れないぞー! と声をそろえた。

地元の「原発イヤだ! 府中」デモは、寒さの中でも元気に。このあと、少年とちょっと話をした。楽しかった。

少年との5分間の会話

 デモの解散地点の小さな公園で、ちょっとステキなことがあった。
 旗や横断幕なんかを片付けていたら、サッカーボールを蹴っていた少年がふたり近づいてきた。
 「なにやってんですか?」
 「原発反対って訴えてきたんだよ」
 「原発って?」
 「原子力発電所のこと。ほら、福島で大地震の時、原発が爆発しちゃったこと、知らないかな?」
 「あ、ちょっとだけ知ってる」
 「きみは何歳?」
 「12歳、6年生だよ」
 「じゃあ、きみが赤ちゃんの時のことだね。お父さんやお母さんに話を聞いたことはないかな?」
 「うん、ちょっとだけね。先生も、なんかそんなこと言ってた。でも、爆発するからダメなの?」
 「そうだね。原発ってね、事故を起こせば人間や生物にガンなんかを引き起こす恐れのある放射能を出すんだ。それはとても危ないからね」
 「ふう~ん」……。

 という感じで、ぼくは少年と5分間ぐらい話をしたのだ。
 もうひとりの少年はあまりこの話には興味がなさそうで、サッカーボールを蹴りながら離れていったので、この少年も「ありがとう」とぼくに礼を言ってサッカーへ戻っていった。もう少し話したかったけれど、でも、少年にとっては何かのきっかけになったのかもしれない。それでいいのだと思うと、少しぼくの体が温まった気がした。
 「言葉」はつながるのだ。

 ちょっとステキなデモの話。
 続けていれば、いいこともあるんだ。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。