第445回: 止まらない「#MeToo」ムーブメント。「#私は黙らない」!! の巻(雨宮処凛)

 少し前、近所の安い焼肉屋で友人と食事をしていた時のこと。

 近くの席には大学生くらいの男子とその祖父らしき人がいて、楽しそうに食事していた。漏れ聞こえてくる会話から孫の方は大学に入ったばかりのようで、おじいちゃんとのお祝いの食事っぽかった。彼女はいるのかとか将来は何なりたいのかとか、おじいちゃんは孫を心配するように聞いていて、孫ははにかむように笑っては「うーん」などと答えあぐねていて、その光景は微笑ましいものだった。

 そんな食事の最中、おじいちゃんは店員を呼び止め、写真撮影をお願いした。自分と孫の写真を撮ってほしいという。快く応じる、大学生くらいの女子店員。撮影が終わると、おじいちゃんは店員に、次は自分と一緒に写ってほしいとお願いし、孫にカメラを渡した。やはり快く応じて、椅子に座ったおじいちゃんの隣で腰をかがめる女子店員。するとおじいちゃんは突然、野獣に変身。店員の腰に手を回して自分の方に引き寄せ、顔をうんと近づけると、「いいか、女はこうやって誘うんだよ! 女にはこうすればいいんだよ!」とカメラを構える孫に叫んだのだった。

 慌てて手を振り払うように身体を離す女子店員。店内を漂う、「爺さんやっちまった…」という空気。近くにいた男性客が、女子店員をフォローしようとしたのか「いやー、大人気ですね…」と声をかけると、彼女は爺さんには見えないように思い切り顔をしかめ、「最悪」と呟いた。顔を真っ赤にして俯く孫。しかし、爺さんだけは場の空気の変化にちっとも気づかず、「女を誘う時は、ああいうふうに強引にしてやるもんだ」などと言って悦に入っている。こんなふうに孫に大恥をかかせた上に、「貧しいことこの上ない女性とのコミュニケーション方法の伝授という名のハラスメント」を撒き散らす「昭和の忘れ物」を久々に目撃し、「まだ絶滅していなかったのか…」とため息をついた。

 それまで、なんとなく微笑ましい光景としてみていた二人の姿だっただけに、ただただ「おじいちゃんの変貌ぶり」が怖かった。これが道端で、その辺を歩いてる女性に対してだったら爺さんだって絶対にやらないだろう。普通に通報案件だ。が、自分は客で相手は店員という立場だからやるのだ。客だから、多少のことは許されると思っているのだ。

 かように、セクハラ男はいついかなる時も自分が1ミリでも上に立てる「段差」(客という立場とか、仕事上の上下関係とか)を探している。おそらく爺さんには「セクハラ」という意識などかけらもなく、ただ「孫にいいところを見せたかった」のだろう。理想としては、「キャ、何するんですかやめてくださいよー(嫌なんだけど仕方なく笑顔)」「ハッハッハッ、ほーら見ろ、女はこういうことしたら喜ぶだろ?」という光景を出現させたかったのだろう。今までの「成功体験」もあるのだろう。が、爺さんの手は振り払われ、孫と同世代の女性店員は去っていった。その後、二人の食事の席が以前の盛り上がりを取り戻すことはなかった。孫が明らかに不機嫌になっていたからだ。祈るのは、その後、爺さんが「せっかくの食事の席なのに女性店員の態度が悪くて盛り下がった」などとクレームを入れたりしていないことだ。セクハラの加害者が「客」だった場合、この手の「復讐」は少なくない。

 冒頭から不快なエピソードを書いてしまったが、私は不快さを剥き出しにして爺さんの手を振り払った店員女性の姿に、心の中で拍手を送っていた。その瞬発力。愛想笑いで誤魔化したりしない毅然とした態度。自分が彼女くらいの歳の頃には、決してできなかったことだ。バイト中だし、お客さんだし、あとで店長とかに怒られるかもしれないし、自意識過剰って言われるかもしれないし…。バイト中にセクハラに遭遇しようとも、一度だって毅然とした態度を取れずに「えー、ハハ…」と曖昧に笑っていただけの過去の自分。しかし、時代はやっぱり少しずつ変わっているのだとしみじみ思った出来事だった。

 そうして最近、本当に、心の底から「変わりつつある」ことを感じた。

 それは4月28日、東京・新宿アルタ前で開催された「#私は黙らない0428」。財務省のセクハラ問題をきっかけに開催された街宣だ。


#私は黙らない0428

 集まった人々が手にするプラカードには、「#MeToo」「どんな仕事にも『人権』がある」「STOP GENDERING ME」「年齢はただの数字です」「セクハラ許さん」などなど。ゴールデンウィーク初日のこの日、多くの人が行き交うアルタ前で、世代や性別、背景や職業など多様な人々がそれぞれの思いをスピーチした。

 最初にスピーチした大学院生のカリンさんは、ある映画監督のインタビュー記事を読んだ時の違和感について、語った。プロデューサーから映画監督が言われたという「バカな女子高生、バカな女子大生、バカなOLでもわかる映画を作らなきゃダメなんだよ」という言葉。

 「なぜ、バカな大学生じゃなくバカな女子大生なんですか。なぜ、バカなサラリーマンじゃなくバカなOLなんですか。なぜ、女性はバカが標準設定とされているんでしょうか」

 そして自身がこれまで投げかけられてきた言葉について、語る。

 「高校生の時、『そんなんじゃ良いお嫁さんになれないよ』『元気な赤ちゃんを産みたいなら、そんな短いスカートはいちゃだめ』と言われ、驚愕しました。なぜ私の将来はお嫁さんなのか、私の身体なのに赤ちゃんを産む身体だと決めつけられなければならないのか。大学院に進学した時も、『勉強ばっかしてると結婚できなくなるよ、幸せになれないよ』と言われました。ものすごく余計なお世話だし、うるせえとしか思えません」

 ゲイの男性も登壇し、中学生の時、部活の顧問に一年間にわたって受けた性暴力についてスピーチする。高校生になってから、自分は男性が好きかもしれないと気づき、その時に思い出したのは性暴力の記憶。自分もあの顧問のようになってしまうのか、そのような経験があるから男性を意識するようになったのかと悩んだ日々。現在は自らのセクシャリティはオープンにしているものの、性暴力被害を話していいものか悩んでいた時期に起きたMeToo運動。

 「MeToo運動について、自分はそんなことしてないから大丈夫、女性たち、告発頑張って、と思っている男性が多数いると思います。しかし、MeToo運動が告発しているのは単純に個人ではなく、そのような人物、行いを見過ごし、隠蔽し、さらには促進さえするような文化と行動であり、そこからは誰一人、たとえ女性であっても自由ではありません。明らかにこれはだめだという行為と、習慣になってしまって意識にさえ上らないような性差別を助長する行為は繋がっています」

 京都から駆けつけてくれたという元セックスワーカーの女性・げいまきまきさんもスピーチした。彼女は普段、セックスワーカーの安全や健康を目指すグループ「SWASH」で活動しているという。彼女は自らがセックスワークをしている時によく言われた「そんな」という言葉を引き合いにして、言った。

 「『そんなん仕事じゃない』『そんな仕事をしてるからそんなひどい目に遭う』『そんな仕事してる人かわいそう』『その仕事辞めれないの』。『そんな仕事をしてるんやったらもう来ないでくれ』って病院から言われたこともあります。でもね、こういうことを言う人みんなが悪人か、悪意で言っているのかと言ったら、そうじゃないんですよ。みんなね、そんなことから助けてあげたい一心なんです。善意です。『そんなこと』ってなんやと思います。大体はね、『そんなこと』っていう人たちは、セックスワークのお仕事のことを、モノになるお仕事とか、自分の心身を他人に好き勝手にさせることがお仕事だと思っているんですよ。そういう人が多いです。でもさっきも言ったようにね、性的なコミュニケーションのサービスを商品にしているんです。自分で、いろんなことを仕事をしているうちに考えて。セックスワーカーは、私はモノではありません」

 「だからこれからは、『そんな』を『どんな』に変えて、どんなことが変わったら、このお仕事は安全になるんやろう。どんなとき、このお仕事でも楽しいと思える?私もみんなに聞きたい。どう?」

 彼女はずっと満面の笑顔でスピーチしながら、最後にみんなでコールした。

 「どんな仕事にも人権がある」「セックスワークはお仕事です」

 女子高生や主婦、男性も次々とスピーチし、最後に登壇したフェミニストの和香子さんは、自身のレイプ被害について、触れた。

 「自分の叫びも身体の痛みも、身体の震えも全部しっかり覚えてる。壊れてしまったお気に入りだった金の時計も、すぐそこにあるホテルの部屋のドアが遥か遠くにあるかのように見えていたことも、全部全部覚えてる。被害に遭った直後に言われたこと。『あんたがそんな格好しているからそういうことが起こるんだよ』って。その言葉は私を殺した。私はしばらく死んでいた。そして私はこの国を離れる決意をした。その時私が必要としていた言葉を、私はついに聞くことはできなかった」

 涙を拭いながら、彼女は絞り出すように続けた。

 「私はおそらくそしてこれからもずっと、社会の求めるいい女になんかなれない。だから私は今日、ここに立つことを決めた。
 自分が聞くことのできなかった言葉を、どこかで必要としているであろう女たちに届けるために。
 私の痛みは、あなたの消費のためにあるわけではない。
 私の選ぶ洋服は、あなたへの招待状でもなければ許可証でもない。
 私は棚に陳列された商品ではなく、笑顔を貼り付けられた人形でもなく、自分を定義するということを覚えた私は、お前の、お前みたいなやつの一時的な欲求とシステムにコントロールされた物言いに負けることはない!」

 集まった聴衆から、地鳴りのような拍手と歓声が沸き起こった。

 気がつけば周りの女性たちはみんな目頭を拭っていて、私の目からも涙が溢れていた。

 「必ず覚えておいてほしい。立ち上がること、言葉にすること、怒りを恐れないこと。自分とその未来の持つ可能性に目を背けないこと。そして、そこにいない人について、いつも考え続けること。あなたが自分の可能性に向き合うことを、それを諦めなければ、あなたはきっと呪いに打ち勝つことができる」

 大拍手の中、「#私は黙らない」は終わった。みんな、泣きながら笑っていた。あちこちで女たちが抱き合っていた。「#MeToo」の動きは、もう止められないことを確信した。

 あの日、語られたすべての言葉を、私はずっと忘れないと思う。街宣では、伊藤詩織さんからのメッセージが読み上げられた。

 「敬意と愛があれば、暴力は生まれない。想像してください、これがあなたの愛する人に起きたら。もし、あなたの娘だったら。もちろん、あなたも彼女たちが傷つくところは見たくないと思います。私たちはこれを止められる。今、この瞬間から」

 そう、今この瞬間から、変えられる。だから、私も声を上げていくのだ。改めて、誓った。

自由と生存のメーデー2018にて

『「女子」という呪い』刊行記念トークセッションを開催します!

5月22日(火)19時~21時(18時半開場)@神楽坂モノガタリ
雨宮処凛(作家・活動家)
ゲスト:北原みのり(作家)、田房永子(漫画家)
問い合わせ先:03-3266-0517 (月曜定休 11:30~20:30)
入場料:1500円(ワンドリンク込)

●この国で、「女子」でいることはかなりしんどい。私たちに向けられる「呪いの言葉」について、みんなで考えてみませんか?
「女のくせに」「女はいいよな」「男以上に成功するな」「男の浮気は笑って許せ」「早く結婚しろ」「早く産め」「家事も育児も女の仕事」「若くて可愛いが女の価値」……多くの女性は、幼い頃からこんな呪いの言葉を投げかけられてきた。言葉だけでなく、日常のあちこちにも紛れ込んでいる。保育園を落ちて泣く泣く仕事を辞める妻は多くいても、そんな夫はほとんどいない。男が子育てや介護をすれば「イクメン」「ケアメン」と名付けられ持ち上げられるのに、女が仕事して子育てして家事をしてその上介護までしても誰も褒めてもくれない。これって、なんだか、もやもやしますよね? 
ところが最近では、世界中で、#MeToo運動が席巻し始めた。なんだ、みんなおかしいと思ってたんじゃない?! 日本の私たちだって、呪いをはねのけていいんじゃない?! ……と雨宮処凛さんは、新刊『「女子」という呪い』で訴えています。
今回のトークセッションは、作家の北原みのりさんと、話題の漫画家・田房永子さんをお迎えして、雨宮さんと3人で、こうした現状について語り合います。ぜひみなさんも、ご参加ください。男性もどうぞ!(主催者告知文より)

雨宮処凛
あまみや・かりん:1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)、『自己責任社会の歩き方 生きるに値する世界のために』(七つ森書館)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。