『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む 日本の大学生は何を感じたのか』(ヨーラン・スバネリッド 鈴木賢志+明治大学国際日本学部鈴木ゼミ 編訳/新評論)

 タイトルのとおり、メインになっているのはスウェーデンの小学校高学年(に当たる学年)で使用されている社会科教科書の翻訳(抜粋)。合間合間に、それを読んだ日本の大学生らの感想や意見が挟まる。社会科学者で、スウェーデンでの大学で教鞭を執った経験も持つ鈴木賢志・明治大学教授のゼミ授業がもとになっているという。 
 「はじめに」にある鈴木教授の解説によれば、スウェーデンでは国政選挙の投票率が85.8パーセント。30歳未満に限っても81.3パーセントという高投票率だという。それほど多くの若者が投票所に足を運ぶ理由を、鈴木教授は「自分の行動が政府の決定に影響を与えることができるという可能性に対する期待感」の高さに見出す。
 各国の若者を対象にした内閣府の調査では、「『私個人の力では政府の決定に影響を与えられない』と思いますか」という質問に「そう思う」「どちらかといえばそう思う」と答えた割合が、日本では7割以上。一方スウェーデンでは4割程度にとどまっているのだという。言い換えれば、「どうせ何をやったって政治や社会は変わらない」といった「あきらめ」が、日本の若者には高く、スウェーデンの若者では低い、ということになるだろう。
 では、そうした違いはどこから生まれてくるのか。続く1章から紹介されている「小学校社会科の教科書」の内容を読み進めるうちに、さもありなん、とため息が漏れそうになった。地理や歴史は別途独立の教科となっているため、含まれる内容は日本でいえば中学・高校の「現代社会」や「政治経済」に近いのだけれど、それにしても! 読んでいる間、大学生たちと一緒になって「こんなことまで?」「えっ、こういう書き方をするの」と驚かされっぱなしだった。
 たとえば「法律、規則、規範」について書かれた部分。「私たちは、法律、規則、規範に従います」と述べたすぐ後に、「社会は変化するので、法律や規則も変わるものだ」と指摘する。「家族」についての部分では、「両親は、結婚していることもあればしていないこともある」「二人のお父さん、もしくは二人のお母さんと暮らしている子どももいる」といった説明が続く。
 「経済」についての章では、同時に税金や社会サービスの仕組みについても詳しく解説され、「失業が社会に引き起こす問題とは」「貧困は子どもにどんな影響をもたらすか」「環境に優しいけれど高い製品、環境に優しくないけれど安い製品、どっちを選ぶ?」といった問いかけが並ぶ。「政治」の項では、国会で何がどのように決定されるのか、民主的な決定とは何か、独裁政治とは何か……の解説が続き、「法律と権利」の項では「なぜ、私たちは犯罪者に刑罰を科すのか」「人はなぜ犯罪を起こすのか」を考えるよう促される。
 「生きるというのは素晴らしいことですが、時には辛いこともあります」として、いじめや虐待、家族との不和なので苦しんでいる子どもが相談できる場所(電話番号も)が列挙されていたのも驚きだった。

 とにかく、すべてにおいて「なぜ」が重視され、「自分だったらどうするか」を考えさせる内容。国や社会がどんな仕組みで動いているかを学ぶとともに、自分もまたその一員であると、当たり前のように感じさせられる。こうした学びを重ねた後では、「何をしたって社会は変わらない」なんていうあきらめは、たしかになかなか生まれてこないのではないか。
 「社会科教科書」なのだけれど、むしろ私の脳裏に幾度となく浮かんだのは、今年から日本の小学校で「正式の教科」となった「道徳」の教科書だ。何度か読んでみたことがあるけれど、権利は義務とセットのように描かれ、とにかく「集団を乱さない」「指示に従う」ことが徹底して美徳とされる内容だった(こちらのインタビューなど参照)。
 子どもに、何を身に付けさせようとしているのか。どんな子どもを、ひいてはどんな大人を育てようとしているのか。二つの国の教科書の間の、あまりにも深い溝を覗き込みながら、少しばかり絶望的な気持ちになってしまったのだった。

(西村リユ)

『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む 日本の大学生は何を感じたのか』(ヨーラン・スバネリッド 鈴木賢志+明治大学国際日本学部鈴木ゼミ 編訳/新評論)
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