第449回:漫画喫茶での出産、そして子どもの虐待死事件。の巻(雨宮処凛)

 また起きてしまったか…。

 思わずそう呻きたくなるような事件が立て続けに報道された。

 ひとつめは、6月、25歳の女性が乳児の遺体をコインロッカーに遺棄したとして逮捕された事件。女性は漫画喫茶の個室で出産し、赤ちゃんが声を出したため、周囲にバレると思って殺害したという。

 逮捕された女性は、1年にわたって漫画喫茶で寝泊まりしているという「ホームレス状態」だった。この10年を振り返っても「ネットカフェ・漫画喫茶での孤独な出産」事件は何件も起きていて、乳児が殺害されたケースもあれば、母子ともに無事で保護されたケースもある。

 住む場所もなく、どんどん大きくなっていくお腹を抱え、誰にも相談できずに一人、漫画喫茶の個室で激痛に耐えながら出産した女性の胸の内を思うと、ただただ言葉を失う。彼女を救えていれば、赤ちゃんの命が奪われることはなかった。例えば「飛び込み出産」などでネット検索すれば、母子支援施設や妊娠SOSの相談窓口など、多くの情報がヒットする。女性に情報が届かなかったのか、届いたとしても、どこかに頼ることを渋る何かがあったのか。大きな課題も残った。

 もうひとつ、「またか」と呻いた事件は、目黒区の虐待死事件だ。

 「もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします」「これまでどれだけあほみたいにあそんでいたか あそぶってあほみたいなことやめるので もうぜったいやらないからね ぜったいぜったいやくそくします」

 5歳の女の子が残したこれらの言葉は、子を持つ親でなくとも胸を掻きむしられるような痛みを呼び起こす。両親は保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕。女の子は十分な食事を与えられず、体重は5歳児の平均を大きく下回る12キロ。自力でトイレに行けないほど衰弱し、おむつをつけ、また、その遺体は免疫にかかわる臓器の重さが同世代の5分の1にも萎縮していたという。

 この家族が香川県にいた頃、女の子は2回、児童相談所に保護されていたこと、しかし、東京に引っ越してからは品川の児童相談所は一度も会えておらず、緊急性も伝わっていなかったことなどから、児童相談所に対する批判の声も上がっている。

 そんな事件を受け、手に取ったのが『ルポ児童相談所』(朝日新書 大久保真紀)だ。この本の帯には、以下のような言葉がある。

 「人手、施設、予算すべてが足りない。東奔西走する児童相談所の職員たち」「年間10万件を超え、急増する『虐待通告』。時に親から包丁を向けられ、児童福祉司は幼い命をどう救い出すか…」

 著者の大久保氏は、朝日新聞の記者として、20年ほど前から虐待問題の取材を続けてきた。

 虐待事件が起きるたび、「なぜ、未然に防げなかったのか」などと非難の矢面に立たされる児童相談所。特にすでに虐待通告があり、児童相談所が介入していたり、また一度は保護されていたにもかかわらず、親元に返した果てに子どもの命が奪われたケースなどではなおさらだ。

 2016年には、神奈川県で児童相談所に通所していた中学生が自殺をはかり、その後、死亡したことが明らかになった。中学生は養父に暴力を受けていることを訴え、「家に帰りたくない」と訴えていたという。しかし、失われてしまった命。やはりこの時にも、「なぜ、命を救えなかったのか」という声が多く上がった。

 しかし、本書を読み進めていくと、圧倒的に人手がない現場の悲鳴が聞こえてくる。

 例えば、本書に登場する中堅ワーカーが担当しているのは一人で約70ケース。担当ケースが一人あたり100を超えることも珍しくないという。その中には、一刻を争う乳幼児への虐待もあれば、対応が難しい親や精神疾患を抱える親が子どもの一時保護を頑なに拒むケースなどもある。というか、そもそもすべてのケースが一筋縄ではいかないというのが児童相談所の特徴だろう。それが100ケース。とても一人で対応できる数ではない。

 だからこそ、現場は職員たちの「犠牲的」とも言える働きでなんとか回っている状態だ。緊急対応に追われ、深夜まで続く仕事。時に親に暴言を吐かれ、包丁を向けられながらも幼い命を守るために奔走する。家庭訪問もあれば、一時保護した子どもとの面接などもある。家庭裁判所に提出する資料も作らなければならない。その間にも、緊急対応が必要な事態が次々と発生する。

 深夜に呼び出されることもたびたびある女性ワーカーは、「ほとんどうちがネグレクトです」と言う。自身も3人の子どもの母親だ。自らの生活や子育てを犠牲にしないと回らない「子どもを守る」ための仕事。

 今回のように虐待事件が大きく報じられると、「なんとかしなければ」という意識は一時的に、高まる。その中には、以前から「虐待では」と気になっていたケースについて通報してみたり、普段から意識して周りの子どもの様子を見るようになった人などもいるだろう。重要なことだと思うが、個人でできることには限界がある。まず前提として知るべきは、子どもを虐待から守るための予算が、この国では圧倒的に不足しているということだ。『ルポ児童相談所』のまえがきには、以下のような記述がある。

 「花園大学の和田一郎准教授は、『日本は他国に比べて子どもの虐待対応にかけるお金が少なすぎる』と指摘している。和田准教授の研究では、日本が児童相談所や児童養護施設などに直接かけている費用は年約1千億円で、人口が日本の2.5倍の米国の30分の1、人口が日本の5分の1の豪州の3分の1という」

 まずもって、予算が圧倒的に足りていないのだ。こうなると、当然人手不足となる。先に、日本でのワーカーの担当数が100を超えることも珍しくないことを書いたが、イギリスやアメリカ、カナダなどでは一人あたりの担当ケースは20件前後だという。日本は一人あたり、その5倍を担当しているのである。「なぜ、虐待死を防げなかったのか」という非難に対する答えははっきりしている。いくら「やる気」や「熱意」があっても、時間や体力には限界があるのだ。

 また、本書のまえがきでは、虐待を社会が放置することによって発生するコストの試算についても触れられている。

 「虐待を受けた子どもは、虐待の影響によって、その後の人生の中で精神疾患にかかったり、自殺したり、学力が低下したりすることも少なくない。その結果、生涯収入の減少や生活保護の受給、医療費なども発生する。また、犯罪など反社会的な行為に及ぶこともあり、それらに対応するコストなどを含めると虐待による社会的損失は年間で1兆5千億円にのぼると試算されている。いまのままでは毎年1兆5千億円の社会的損失を積み重ねていくことになる。虐待は、虐待を受けた子ども個人の問題にとどまらず、社会全体に大きく影響する問題であることを私たちは認識しなくてはならない」

 目黒区の事件を受け、東京都は児童相談所に、児童福祉司や児童心理司などを増やし、夜間や休日の相談体制を強化する方針を打ち出した。また、国も職員の増員や専門性強化を「骨太の方針」に盛り込んでいる。

 もちろん、大切なことだが、もっと大胆に予算を増やすなどしないと人手不足は変わらず続くだろう。なぜ、他国と比較してこれほど虐待対応予算が少ないのかと思う時に浮かぶのは、「虐待家庭」や「貧困家庭」に対するうっすらとした差別意識だ。

 例えば国は「子どもの貧困対策法」を成立させながら、しかし同時に生活保護費を削減してきた。その中でもっとも影響を受けるのは子どものいる世帯。一般の貧しい子どもをなんとかしようという姿勢がありながらも、生活保護世帯の子はより貧しくなるような政策が同時に行われているという矛盾。

 一方で、少子化の中「とにかく子どもを産め」というプレッシャーをかけながらも、産まれた子どもを虐待から守り、社会で大切に育てようという気概は今の政治からはなかなか感じられない。そこに「虐待をするような親」への強い偏見がちらつく。「正しい家族像」から漏れるような人々への冷たいまなざし。

 もちろん、私自身も、虐待事件が起きた時、その親への強い怒りを持つ。が、「親へのバッシング」で話が終わってしまっては元も子もない。どうしたらより迅速に子どもの命を守れるのか、まずそこを起点に議論をしたい。同時に、今の制度では、親に子育て支援プログラムを受けてもらう強制力もないのだという。ここも変えなければならないだろう。

 もう二度と、「また起きてしまった…」なんて思いたくない。そのために、できることはたくさんあるのだ。

最近、千葉で講演した時の写真です

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。