第41回:「じゃあオンナはどうすりゃいいのよ」と彼女は言った(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

これが「女性が輝く社会」か

 最近、何がひどいかって言ったって、あの杉田水脈とかいう議員の「生産性」発言には、怒りを通り越して呆れるしかない。
 安倍首相の得意な話法のひとつを借りれば「まさに、アタクシの考えと同じであると、こう思うわけでございます」ということだろうけれど、冗談じゃない、そんな“考え”は自民党とそのシンパたちに特有なものであって、決してこの国の多くの人たちと共有できるものじゃない。
 安倍首相がはっきりと杉田議員を叱責せず、辞任も求めないのだから「安倍と杉田は同根である」との指摘が出てくるのは当然だ。もし、そうではないというのなら、杉田議員を厳しく叱責し、党籍剥奪くらいの処分を下すのが、自民党総裁としての安倍晋三氏の責任というものだろう。
 だいたい、「女性活躍社会」とか「女性が輝く社会」とかいう自民党のご立派なスローガンは、どこへ消え失せたのか。

源流は慎太郎だった…

 杉田水脈は「新潮45」という雑誌で、次のように書いているという。こんな雑誌を買うのは嫌だから、東京新聞(8月3日)からの孫引きである。

◎LGBTだからといって、実際そんなに差別されているものでしょうか。
◎「生きづらさ」を行政が解決してあげることが悪いとは言いません。しかし、行政が動くということは税金を使うということです。例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うのであれば、少子化対策のためにお金を使う大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。
◎「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません。

 書き写しているだけで、吐き気がする。何だ、コイツ!
 多くの人が指摘、批判しているように、ここに見えるのはLGBTだけではなく、障碍者や高齢者、低所得者などの弱者への冷たい眼差しだ。何も生み出すことのないものは死ね、ということだ。あの「やまゆり園」での植松容疑者の大量殺人に通底する恐るべき考え方なのだ。
 かつて、あの石原慎太郎元東京都知事が、「子どもを産めなくなったババアは生きていても無駄」とか、障碍者施設を視察に訪れ、寝たきりの人に対し「こんな人にも人格があるのだろうか」との凄まじい人権無視の大暴言を吐いたのと同じだ。
 杉田水脈本人は深い考えなどなく、適当に安倍支持者たちに受けそうな言葉を並べてみたに過ぎないのだろう。慎太郎サンが大した問題にならなかったのだからアタシだって…とでも思ったか。
 だが、こんな最低の考えでも、ある層へ沁みていけば、また「やまゆり園」のような犯罪を誘発しかねない、ということまで思いは及ばなかった。徹底的にあさはか、こんな言葉は使いたくないが、最悪のバカ、愚者である。
 しかも、自民党最高幹部の二階俊博幹事長は「人の考えはそれぞれだから」などと、まるで他人事、あまり問題にする必要はないとの考えを示し、なんとか幕引きを図ろうとした。さらに、谷川とむとかいう愚か者議員が「同性愛は趣味みたいなもの」と、バカの上塗り、アホの二の舞。自民党は、ほんとうにこんな議員しかいないのか!

「新潮45」はなぜ語らない?

 この件でもうひとつ問題だと思うのは、こんな愚劣な文章を掲載した雑誌「新潮45」の編集部が黙して語らないことである。
 朝日新聞の取材に対して「個別の記事に関して編集部の見解を示すことは差し控えさせて頂きます」とのコメントを出したという。まるで答える気などないようだ。
 老舗文芸出版社として長い歴史を持つ新潮社が、まるでダンマリを決め込むのは、自社の輝かしい歴史に泥を塗ることだ、とは思わないのだろうか? 少なくとも編集部か社の見解を示すことは、新潮社で本を出しているすべての作家やライターたち、それを購読している読者への責任ではないかと思うのだ。
 どんな文章を載せようと、それは当該編集部の判断である。それをとやかく言うつもりはない。
 しかしこれほどの大問題の基になった文章を掲載したのだから、そのことに対する最低限の「編集部の見解」くらいは、示すべきだろうと、ぼくは思う。それが、不特定多数の読者を相手にして営利事業を行っている出版社の責務であるはずだ。
 例えば「言論思想の自由を守るために、左右いずれの意見をも、小誌は排除いたしません」というものであってもかまわない。なぜ、それをも頑なに拒むのだろう?
 頭を低くして、風が通り過ぎるのを待っているだけのことか?

産まなきゃ叩かれ、産んでも子育てが難しい

 「じゃあオンナはどうすりゃいいのよ…」と、ぼくの知り合いの女性が悲しい目をして呟いた。
 「子どもを産まなければ『生産性がない』とバッシングされる。頑張って医者になろうとすると、医大の受験では、女子の点数を一律に切り下げて、男子に下駄をはかせる。理由は女性医師が増えると、出産や子育てですぐに休んだり病院を辞めたりして、病院の経営に悪影響を及ぼすからだ、という。産まなきゃ批判され、産んでも産休を批判され、子育てもままならない。じゃあ、オンナはどうすりゃいいのよ」
 まったくその通りだ。どうすりゃいいのか、誰か答えてくれ。
 オンナは黙って子どもをたくさん産んで、家庭で子育てに専念すればいい、というのが自民党の本音らしい。だが、家庭で子育てに専念できるような経済状態にある夫婦がどれだけいると思っているのか。ふたりとも働かなきゃ食えない夫婦がほとんどだろう。その上、待機児童問題は深刻化する一方だ。

 しかもその結果が、東京医大の文科省高級官僚の息子の不正入学につながるのだから、この国は根元から腐っているとしか言いようがない。
 問題になっている東京医大には、国庫から8000万円もの補助金が支出されていたという。補助金は各大学に出されているものだから、そこに文句をつけるつもりはないけれど、この名目がなんと「女性活躍支援の一端」ということなのだというから、開いた口が塞がらない。
 繰り返すが、この国は根っこから腐っている。
 タレントで文筆家の小島慶子さんが、ご自身のツイッターで、こんなふうに書いておられた。

 こないだ中学生の娘さんを連れた女性が「うちの子、女の子だし、日本では差別があるから、やっぱり外国に出そうかと思って」と真顔で話していました。ほんとにね、女子は日本で学ぶのも働くのも産むのも地獄だよね。女性活躍どころじゃないよ。

 安倍政権は、この女性の娘さんに、それでも「日本に残れ、そして子どもを産め」と言うつもりなのだろうか。
 伊藤詩織さんに対するレイプ事件をもみ消し、それどころかセカンドレイプともいえるバッシングを詩織さんに浴びせ、ついに日本から追い出すような仕打ちをした連中もいる。
 いまの日本は、とても「女性活躍社会」とか「女性が輝く社会」などといえるような国じゃない。

 優秀な若手研究者が日本から逃げ出しているという。
 いまの日本では、すぐに産業などに役立つような実利的研究には政府補助金がつくが、本来はそれを支えるはずの基礎研究にはほとんど研究費がでないのだという。だから、基礎科学の若手研究者はいくら優秀であっても、大学ではまともに生活できず、結局、海外へ研究の場を求めて出ていく。
 中国などでは、基礎研究への補助金が潤沢で、生活の心配なしに研究に没頭できるのだという。日本の科学技術の将来は絶望的だと、TV番組で高名な大学教授が嘆いていた。
 同じように、日本の優秀な女性たちの海外流出も、これからは多くなるのだろう。そうでなくとも、伊藤詩織さんや辛淑玉さんを日本から放逐したような国なのだ。国力が落ちていくのは当たり前だろう。

 アベノミクスだ、科学立国だ、女性活躍社会だ……などという安倍政権のスローガンは、口先だけの空の煙。
 この国を再生させるには、ほんとうにもう、安倍晋三首相の退陣しかないところまで来ていると思う。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。