第474回:麻生失言から振り返るロスジェネ論壇、そして現在。の巻(雨宮処凛)

 「年を取ったやつが悪いみたいなことを言っている変なのがいっぱいいるが、それは間違い。子どもを産まなかったほうが問題なんじゃないか」

 おなじみの失言担当大臣・麻生太郎氏の発言である。2月3日、地元・福岡の国政報告会で発言。批判を受けてのちに撤回した。

 40代女・独り身・子なしである私に、この手の言葉はそれなりの破壊力を持って突き刺さる。同時に、「出産年齢」の壁に今まさに向き合っている同世代のロスジェネ女性の胸の内を思うと、「本当に黙っててくれよ…」とため息が出る。

 そんな麻生発言を聞く前日、「現代思想」2019年2月号を読んでいて、思わず涙ぐむという出来事があった。

 それは「『男性学』の現在」という特集の中の、「生きづらい女性と非モテ男性をつなぐ」(貴戸理恵)を読んでいた時のこと。自身の経験から不登校などをはじめとしてさまざまな社会問題を論じる貴戸氏は私と同じロスジェネ世代の40代。そんな彼女は原稿の最後、自分たちの世代について「非正規雇用率が高く、未婚率が高く、子どもを持つことも少なかった世代である」と書く。

 そうして、文章は以下のように続くのだ。

 「いちばん働きたかったとき、働くことから遠ざけられた。いちばん結婚したかったとき、異性とつがうことに向けて一歩を踏み出すにはあまりにも傷つき疲れていた。いちばん子どもを産むことに適していたとき、妊娠したら生活が破綻すると怯えた」

 思わずそこでページを閉じて、声を上げておいおいと泣きたくなった。それは私が初めて目にした、「過去形で語られた」ロスジェネだった。その描写に、「もう取り返しがつかないことなんだ」と、改めて、取り返しのつかなさを痛感した。同時に、同世代の、いろんな人の顔が浮かんだ。結婚を諦めた人。産むことを諦めた人。少しでもマシな生活のためにあがくことを諦めた人。生きることそのものを諦めた人。そして、私たちの、あり得たかもしれないもうひとつの人生に思いを馳せた。生まれた年が少し違っていれば、あったかもしれない選択肢の数々。

 文章は、以下のように続く。

 「働いて自活し家族を持つことが、男性になり女性になることだ、とすり込まれて育ったのに、それができず苦しかった。20代の頃、私たちの痛みは、『女性/男性であること』にもまして『女性/男性であれないこと』の痛みだった。男だからリードしなければならない、弱音を吐いてはならないと言われ、稼得責任を負わされ人生の自由度を狭められること。女性だから、愛の美名のもとに無償労働を期待され、母・妻役割に閉じ込められて経済的自立から遠ざけられること。そうした先行世代の女性学や男性学が扱ってきた『女性/男性であること』の痛みは、まるで贅沢品のようだった。正社員として会社に縛り付けられることさえかなわず、結婚も出産も経験しないまま年齢を重ねていく自分というものは、『型にはまった男性/女性』でさえあれず、そのような自分を抱えて生きるしんどさは言葉にならず、言葉にならないものは誰とも共有できず、孤独はらせん状に深まった」

 わかる、すごいすごい痛いほどわかる、と共感しつつ読みながら、あることに気づいた。それは私自身、フェミニズムやジェンダーの問題にアラフォーになるまで「目覚めなかった」理由は、まさにここにあるのではないかという気づきだ。

 女性ならではの生きづらさ云々の前に、「一人前」にさえなれない自分や周りの人々。だけど、「非正規じゃなく正社員にさせろ」「このままでは結婚、出産もできない」なんて主張をすると、「昭和の猛烈サラリーマンになりたいのか」「働く女性ではなく専業主婦になることを求めてるのか」「出産しても夫は長時間労働で孤独な育児に決まってるのに子ども産みたいのか」なんて、少し上の世代から意地悪な質問をされた。そうじゃない。そうじゃないけど、でも「男なら、女ならこうあるべき」という規範は自分の中にもみんなの中にも強烈にあって、とにかくみんな「人並み」になろうともがいていて、「女らしさ」や「男らしさ」に文句を言う人は、貴戸氏が指摘する通り、「贅沢」にしか見えなかった。

 さて、そんなロスジェネの多くはもう40代なわけだが、最近、「ロスジェネの苦境」が再び注目されているのを感じる。少子化や雇用といった分野だけでなく、意外なところでもこの世代の苦しみに思いを寄せるような発言に出くわすのだ。

 現在30代なかばから40代なかばの私たちが「ロスジェネ」と名付けられたのは、10年ちょっと前。10年ほど前、メディアなどには、私たちの世代の苦悩を語る言葉が溢れていた。そのような場は「ロスジェネ論壇」などと呼ばれ、まだアラサーだった論客たちは大いに自分たちの生きづらさを語っていた。私もその一人で、今回、貴戸氏の原稿を読んだことをきっかけに、当時の自分の原稿やインタビューなんかを引っ張り出して読んでみた。

 ここで一部を紹介しよう。引用するのは、2007年11月5日の毎日新聞に私が書いた「フリーター論壇」という原稿である。フリーター論壇は、ロスジェネ論壇とほぼイコールだと思ってもらえばいい。一読して驚いたのは、12年前、フリーター問題はまだまだ「労働問題」という認識すら薄かったということだ。以下、引用だ。

 「これまで、フリーター問題は、当事者以外から『個人の心の問題』として分析され、批評されてきた。『やる気がない』『自由でいたい若者』といった一方的なイメージと、『夢追い系』『モラトリアム系』などという分類。しかし、当事者によるフリーター論壇の大きな特徴は、この問題を『心の問題』に矮小化せず、『労働の問題』『雇用の変化の問題』『産業構造の問題』『経済のグローバル化の名のもとに進められる新自由主義の問題』、そして『生存』そのものを巡る問題としてとらえ返されていることだ」

 「私たちは知っている。夜勤明けのボロ雑巾のような身体を引きずる帰り道。しょぼしょぽする目に差し込んでくる眩しすぎる朝日の恨めしさ。『労働』の後なのに充実感などはなく、強烈に湧き上がる『フリーターをしている』ことへの『罪悪感』。働いても働いても一向に生活は楽にならず安定せず、職場の同僚はアジアや貧しい国の人々で、自分が『国際競争の最底辺』で捨て駒にされていることを身を持って感じる日々。それなのに世間からは『やる気がない』『働く気がない』とバッシングされる。では正社員が楽をしているのかと問えば、どうやらそうではない。連日18時間労働を続けて痩せこけていく友人。過重なノルマに押しつぶされるように心を病んでいく過去の同級生たち。どうしてこんなに苦しいんだ? どうしてこんなに生きることが大変なんだ? どうして『普通に働いて生きていく』ことがこんなにも難しいんだ? 私たちは果てしない徒労感の末に、この状況が作られた原因を知ることを渇望した。そして探った。何よりも、自分自身のために。そうして文字通り血の滲む思いで、自らの『尊厳』をかけて作られてきたのが『フリーター論壇』だ」

 ここには、まっすぐな怒りがある。他の原稿やインタビューを読んでも、怒りとともに、眩しいくらいの「希望」がある。今、なんとかすればまだ間に合う。私たちは「人並み」になれる。そんな思いがあって、私たちは多くの「可能性」を手にしていた。今、職業訓練をすれば、正社員として活躍できる人がたくさんいる。結婚、出産を望んでいる人たちができるようになる。私を含め、10年前、論客の多くは「政治」を信じていた気がする。少なくとも、高度経済成長時代に子ども時代を過ごした私は、「まさか自分たちを見捨てることはないだろう」くらいの、この国に対する信頼を持っていた。

 しかし、この原稿を書いてから今に至るまでの12年で、その信頼は粉々に打ち砕かれた。みんなは12年分、年をとった。そうしてきっと、いろんなことがもう「手遅れ」となり、手にしていたはずの可能性は、気がつけば多くが消えていた。政治は遅々として変わらないどころか、入管法を改正して外国人労働者を受け入れることが昨年末の国会で決まり、今年4月から施行される。まともな賃金を払って人々の生活を底上げするより、海外から労働力を受け入れる。この国のワーキングプアのみならず、外国人研修生の人権侵害がまかり通る働き方がこれほど問題になっているというのに、「働く者を保護し、権利を拡大する」方向ではなく、賃金も待遇も地盤沈下に向かうような政策が大手を振って国会で通ってしまう。

 「いちばん働きたかったとき、働くことから遠ざけられた」世代。

 「いちばん結婚したかったとき、異性とつがうことに向けて一歩を踏み出すにはあまりにも傷つき疲れていた」私たち。

 「いちばん子どもを産むことに適していたとき、妊娠したら生活が破綻すると怯えた」ロスジェネ女性たち。

 そんな気持ちは、絶対に麻生氏にはわからないだろう。

 そうして今、悔やむのは、私たちはなぜこの12年間騒ぎ続けなかったのだろうということだ。ロスジェネの多くが30代後半となり、「若者じゃなくなった」頃、明らかに運動はトーンダウンした。すでに「若者」にくくられる年齢でもないのに…と言われることもあったし、そんな反応に、どこか「萎縮」してしまう自分もいた。今、私はそのことを猛烈に悔いている。若くないから助けられる価値・資格がないなんて、そんなこと、絶対にあってはならないからだ。年齢によって人間の価値が目減りしたり増えたりするなんて、おかしいからだ。だけど私は、どこか「空気」を読んだのだと思う。自分たちを堂々と「若者」と言えなくなった時こそ、「ロスジェネ」という言葉をもっと使えばよかったのに。

 さて、「取り返しのつかなさ」を抱えたまま、ロスジェネの人生は続く。この世代の一人として、様々な反省も含め、私はずっと、このことを書き続けていくつもりだ。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。