第70回:過激派リーダーの素顔 ヒロジさん石垣へ(三上智恵)

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 3月末、映画公開のプロモーションで各地を飛び回っていた私が那覇空港についた途端、携帯が鳴った。電話の主はこう言った。

 「三上さん? おかえりー。到着遅れたね。空港のA&Wにいます」

 聞き慣れた声だった。5ヶ月の勾留から解放されて間もない反基地闘争のリーダー、山城博治その人だ。空港に来ているって、なんでこの便で帰るとわかったのだろう? それより、解放を今か今かと待ちわびながらも半年近く実物と会ってないのだから、3月18日以降は自分の方から飛んでいきたい気持ちでいっぱいだったところを、ヒロジさんの方から迎えに来てくれたとは。ご家族と一緒に那覇に出るついでがあったからなのだが、思わぬサプライズに飛び上がってハンバーガー店に急いだ。

 一回り小さくなった顔、日焼けと髭というトレードマークがなくて、すっきりとした公務員時代のような若々しい表情のヒロジさんにちょっと戸惑った。ニコニコと目じりを下げて握手を求め、「相変わらず忙しいね。目が真っ赤だね」といつものように気遣ってくれる。

 本当に、解放されたんだ。映画の編集と仕上げの怒涛の日々に、主人公が投獄されていること、どんなに胸が張り裂ける思いで編集をしたか。完成後も不当勾留が続き、どうやったらヒロジさんを救えるのかを考えて、「短編・不死鳥山城博治」という未公開特典映像を製作し、前作『戦場ぬ止み』のDVDと同時に世に出したこと、それこそ泣きながら編集したこと、前の映画も公開の時には入院していて舞台挨拶もお願いできなかったけど、また今回もそうなってしまった無念さとか、もういっぱいいっぱいこっちの思いを訴えたかったけど、ご夫婦でニコニコ笑って座っている姿を見たらもう、言葉が出てこなかった。胸の奥にあった大きなしこりが溶解していく瞬間だった。

 その席でヒロジさんは意外な話を切り出した。

 「僕は拘置所でもたくさんの本を読みなおしたりして、ますます宮古・石垣の自衛隊配備の問題、これは大変なことになるんじゃないかと危惧している。辺野古の現場に行けないという制約が付けられた。それならこのチャンスに先島に行きたい」

 すでに宮古島と石垣島の上映は終わっていた。でも、4月末には石垣市民会館での自主上映がある。その時に軍事ジャーナリストの小西誠さんも石垣、宮古と回るので私も行くつもりだと伝えると、「よし、一泊二日なら裁判所も許可するのでそれで行こう」と即決。二泊以上だと逃亡の恐れありということで裁判所から認められないそうだ。

 早速その場で石垣島の山里節子さんに電話。彼女は素っ頓狂な声を上げて、電話口で泣きながら喜んでいた。節子さんはヒロジさんが勾留中に名護署の下でマイクを握って応援演説したり、辺野古座り込みの現場で「ヒロジさんの解放を求めるとぅばらーま」を歌ったことは、このコラムの第65回でも紹介した通りだ。今回の動画でも、最後に本人を前にしてその「綱解きとぅばらーま」を歌うシーンがあるのでぜひ最後まで見てほしい。

 そうして、一泊二日で石垣と宮古を回るヒロジさんとの旅が決行された。今回はその石垣編を編集したのだが『標的の島 風かたか』をご覧いただいた皆様には、あの映画の番外編としてお楽しみいただけると思う。ヒロジさんのほか、山里節子さん、小西誠さん、そして自衛隊建設予定地に近い於茂登地区の嶺井善さんなど、映画の重要人物が石垣で顔を合わせているからだ。そして今回の映像は、これまで私の映像作品でもあまりお伝えできていなかった、素のヒロジさんの姿が捉えられていると思う。彼が闘争の現場以外でどんな顔を見せる人なのか、私たちはよく知ってるけど、きっと全国の皆さんには意外な姿なのかもしれない。

 私は長いお付き合いなので、山城博治さんという県の職員が平和運動センターの中心人物になって、「ミスター・シュプレヒコール」と呼ばれ、現場になくてはならない存在として人気者になっていく過程を、15年ほどずっと面白く見つめてきた。しかし普段は腰の低い、気遣いの細やかな、公務員らしい常識人として過ごしているのも当然知っている。しかし私は反省すべきなのかもしれない。私が切り取って世に出してきた場面といえば、タオルを挟んで帽子をかぶり、機動隊相手に拳を上げて現場を指揮する雄々しい姿。怒りで激高、慟哭し、国と対峙する沖縄のリーダー像として迫力ある彼の姿ばかりを選びすぎたのかもしれない。

 沖縄バッシングが大きくなると同時に、「過激すぎる反対運動」とレッテルを貼りたい人たちが、ヒロジさんの人物像を捻じ曲げていく。過激派リーダー、テロ行為、県民も迷惑している云々。そのイメージ操作に利用されかねない場面を私たちが提供してきたとしたら、それは多大な迷惑をかけてしまっているとしか言いようがない。

 この2ケ月、実はあちこちでヒロジさんと一緒に移動したり、イベントに出たりしてきた。もちろん、私が全国公開の映画という形で世に示した山城博治像がファンを増やしただけではなく、実際に辺野古に足を運んだ人たちが彼を支持していることが根底にあるのだが、各地の熱狂的ともいえる人気ぶり、とくに5ヶ月の勾留を経て解放を待っていた人々の涙とハグの嵐に、ご本人も戸惑っていた。「三上さんの映画のせいで、こりゃ大変なことになってるなあ」。苦笑いもしながら、声援にこたえ、沖縄への連帯を呼びかけて精力的に県内外を行脚していた。

 そんな移動続きで疲れているであろう飛行機の中でも、シートベルト着用サインが消えるとニコニコと私の隣の席に移動してきて遠足のように楽しんでいる。本当は眠りたいのに気を遣ってくれているのか、根っから人なつっこいのか。現場から引き離されてしまったからこそ、穏やかでいたずらっぽくて笑顔を絶やさない元来のお人柄に改めて接する時間があって、「ああ、こういう面こそ伝えないといけないんだなあ」と痛感した。だからこそ、今回の石垣編の動画を見てほしいのだ。

 石垣島は、彼の思い入れの強い場所だった。八重山支庁に2、3年勤務していた時に待望の子宝を授かった、家族の思い出の地なのだそうだ。ヒロジさんが税金の徴収の仕事をしていた頃、まさに今自衛隊基地建設が予定されている於茂登岳のふもとの開墾地に入ったときの話を、空港で私に打ち明けてくれた。

 「そこには税金の話をしに行ったんだけれどもね、家畜小屋と家族の生活が一緒になっていて、どの農家もかなり苦しい様子が見てとれてね。話を聞くと沖縄本島から米軍に土地を奪われてきた人たちが、必死に土地にしがみついて踏ん張っていた。とても税金の話なんてできずに市街地に戻った。すると娘さんが追いかけてきてね、『あなたはもしかして税のことでいらっしゃったのでは。払わないというつもりではないんです』、と悲しそうに話されて、いえ大丈夫ですよと言った。胸が詰まる思いだった。あの地域の人たちが、また今度は自衛隊の基地で居づらくなるなんてことは、あってはならないよね」

 当時彼が訪ねた集落が、いま現在全員が自衛隊基地建設に反対している於茂登集落かどうかは記憶があいまいだそうだが、そのあたりに行ってみたいというので、元公民館長の嶺井さんの畑を訪ねた。お互いを映画で見ました、というぎこちないあいさつの後、二人の話が訥々と続き、心が通い合って行く様子がよく分かった。ヒロジさんも農家の生まれだからこそ、土地に向き合って生きる人々の肌合いがよくわかるのだろう。

 「安全保障について真剣に話し合うというならやる価値はある。でも推進派は、商店が儲かるとかそんな話ばかり。目の前の小銭のために、子孫に笑われ先人の方々に馬鹿にされるようなことはできない」。きっぱりとそう言う嶺井さん。同じ娘を持つ父親同士、那覇の大学に進学した娘さんの話になり、「寂しくなったでしょう」というヒロジさんに対して、嶺井さんは照れながらも「いつでも帰ってこられるよう、こちらはいい環境を残しておきたい」と話した。

 素朴な、ごく当たり前の父親の思い。農地を磨き上げてきた農民の、先祖から子孫へ渡す大切で確かな証。それがこの土地をこのままで守り抜くことなのだ。「国防」の名のもとに、かけがえのない暮らしが切断されるかもしれないという恐怖が、突如ここに舞い降りてきたことを私は呪う。

 長年手塩にかけて整備され、今はすっかり豊かな農地になった「自衛隊予定地」を前にして、ヒロジさんはこう言った。

 「僕が石垣にいた頃に市長だった大浜長照さんは、こんなことを言ってた。国家が国境の海に緊張をもたらしても、我々国境の島々は、緊張の海を平和の海にしなければ生きていけない。国はどうあれ、私たちの島は戦争のトゲは用意いたしません、限りなく友好を求めて平和を願うものです。我々のリーダーがそう発信すれば、それは対岸の国に届く。こちらが構えれば、あっちも構える。緊張の海を作り出してはいけない」

 だからこそ、今沖縄県のリーダーは、一大出撃基地になってしまう辺野古の新基地建設には反対をしている。県土を軍事要塞化されたらあとがない。そうであれば、辺野古だけではない。宮古島・石垣島のミサイル基地建設は国境の緊張を強いるもので、沖縄県としては友好と平和の観点からこれ以上の基地強化は望まないのだというメッセージを発し続けてほしい。ヒロジさんはそう語った。

 翁長知事は目下、強権的に辺野古の基地建設を進めようとする国と真っ向から対立し、苦境を踏ん張っている。あれも反対これも反対では物事は進まないから、今のところ先島への新たな自衛隊配備について明確に反対はしていない。日米安保体制を支持してきた政治家であるし、自衛隊そのものに反対するはずもない。それはそれでいいとしても、沖縄県の理想、国境を抱える地域の立ち位置というものは、もっと多様に掲げてもいいと思う。

 国家対国家の論理の中で、外交上の不安材料というものは流動的に変化していくだろうが、その都度「威嚇のトゲ」を国境の島に設置されたら、島々はたまらない。我々島嶼県としては、限りなく平和を愛するものです。平和の海を維持するために最大限の努力を対岸の国の人々とともに重ねていきたいと望んでいます。そういうメッセージを発信し続けることは、既存のどのイデオロギーともぶつからず、また沖縄県民全体の理想と一致するものだと思う。

 すでに国防上の負担は応分以上に負っているし、普天間以外の基地についても今後も引き受けるスタンスだ。しかし、これ以上周辺国を唸らせるような要塞の島に変貌し、緊張を発信していくことは沖縄県の本意ではない。アジアの懸け橋になりたいと平和の海を駆け回った沖縄の先人たちの気概にこそ、我々沖縄県民は希望と理想の照準を合わせていきたいと願っているのです。そんなビジョンをことあるごとにリーダーが語り続けること、それを常に耳にすることは、わたしたち県民自身も陰謀論におびえない強さや誇りを獲得することに繋がる。ヒロジさんと訪ねた石垣島で、私は大切なヒントをもらった気がした。


*第69回までのバックナンバーはこちら*

三上智恵監督・継続した取材を行うために製作協力金カンパのお願い

 皆さまのご支援により『標的の島 風かたか』を製作することが出来ました。三上智恵監督をはじめ製作者一同、心より御礼申し上げます。
 『標的の島 風かたか』の完成につき、エンドロール及びHPへの掲載での製作協力金カンパの募集は終了させていただきます。ただ、今後も沖縄・先島諸島の継続した取材を行うために、製作協力金については、引き続きご協力をお願いします。取材費確保のため、皆様のお力を貸してください。
 次回作については、すでに撮影を継続しつつ準備に入っています。引き続きみなさまからの応援を得ながら制作にあたり、今回と同様に次回作のエンドロールへの掲載などを行うようにしていきたいと考えております。しかし完成時期の目処につきましても詳細はまだ決まっておりませんので、お名前掲載の確約は今の時点では出来ないことをあらかじめご了承下さい。

■振込先
郵便振替口座:00190-4-673027
加入者名:沖縄記録映画製作を応援する会

◎銀行からの振込の場合は、
銀行名:ゆうちょ銀行
金融機関コード:9900
店番 :019
預金種目:当座
店名:〇一九 店(ゼロイチキユウ店)
口座番号:0673027
加入者名:沖縄記録映画製作を応援する会

◎詳しくは、こちらをご確認下さい。

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三上 智恵
三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。大学卒業後の1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移り住む。夕方のローカルワイドニュース「ステーションQ」のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年には、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。現在も全国での自主上映会が続く。15年には辺野古新基地建設に反対する人々の闘いを追った映画『戦場ぬ止み』を公開。ジャーナリスト、映画監督として活動するほか、沖縄国際大学で非常勤講師として沖縄民俗学を講じる。『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)を上梓。 (プロフィール写真/吉崎貴幸)