本田由紀さんに聞いた(その1):国家による「家庭への介入」がはじまっている

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今年4月、政府は戦前・戦中の道徳の基本方針であり、戦後に国会で否定されたはずの「教育勅語」について、「教材として使うことまでは否定しない」という閣議決定を出しました。その他にも、中学校の武道の授業に「銃剣道」が追加されたり、まもなく道徳の教科化もスタートするなど、「教育」をめぐる不安な動きが続いています。そんな中、6月に閉会した先の通常国会で成立が懸念されていたのが「家庭教育支援法案」。「家庭教育を支援するための法律」と聞けば、なんとなく「いいこと」のようにも思えるのですが、法律家や研究者からは、危険性を指摘する声も多くあがっていました。教育の場に、家庭に、いったい何が起ころうとしているのか。社会学者の本田由紀さんに、くわしく解説いただきました。

「家庭教育支援法」の問題点とは

――まず、今年の通常国会に自民党が提出・成立を狙っているといわれていた「家庭教育支援法案」についてお聞きしたいと思います。多くの法律家や研究者からその危険性を指摘する声があがっていましたが、どういったところが問題だったのでしょうか。

本田 実は、この法案は現状での条文案も公開されていないので、非常に議論がしにくいのですが…報道などから明らかになっている内容をもとにお話をしたいと思います。

――こちらなどに掲載されている内容を見ると、最初の「目的」には「家庭教育支援に関する施策を総合的に推進する」とありますね。そう聞くと「いいんじゃないの」とも思ってしまいそうですが…。

第一条 この法律は、同一の世帯に属する家族の構成員の数が減少したこと、家族が共に過ごす時間が短くなったこと、家庭と地域社会との関係が希薄になったこと等の家庭をめぐる環境の変化に伴い、家庭教育を支援することが緊要な課題となっていることに鑑み、教育基本法(平成十八年法律第一二〇号)の精神にのっとり、家庭教育支援に関し、基本理念を定め、及び国、地方公共団体等の責務を明らかにするとともに、家庭教育支援に関する必要な事項を定めることにより、家庭教育支援に関する施策を総合的に推進することを目的とする。

本田 問題点はいくつもあるのですが、まず指摘しておきたいのは、具体的な家族のあり方を「こうあるべきだ」と法律で規定しようとしていることです。
 本来、個別の家族における関係性のあり方は多様であって、どういう家族のあり方が「望ましい」のか、一概にはいえません。病気や貧困など、さまざまな困難や葛藤、事情を抱えている家族もあります。それに対して、保護者に「子に生活のために必要な習慣を身に付けさせ」「子に社会との関わりを自覚させ、子の人格形成の基礎を培」うことを要求するなど、特定の「望ましい家族像」を法律で定めようとしていることが、まず問題だと思います。

――親が子に「必要な習慣を身に付けさせる」とか「人格形成の基礎を培う」こと自体はもちろん悪いことではないと思いますが、法律で義務として規定するとなると、まったく違ってきますね。

本田 内容に科学的根拠がなく、問題点と対策が合致していないことも問題です。たとえば、法案の冒頭にこの法律をつくる背景として「家族の構成員の数が減少したこと、家族が共に過ごす時間が短くなったこと」などの「家庭をめぐる環境の変化」が挙げられていますが、前者は少子高齢化に伴う現象ですし、後者の原因になっているのは長時間労働の蔓延でしょう。これらの「環境の変化」がそもそも問題なのか、問題だとしても「家庭教育支援」が本当にその対処策になるのかは非常に疑問です。
 さらに、後でお話しするように、保護者だけではなく学校や地域住民、専門職や企業など、地域コミュニティの諸機関を「総動員」する内容になっていることも気になります。そうした形で施策が進められていけば、「支援」の内容に違和感をもつ人も、完全に包囲されて「逃げ場」がなくなってしまうでしょう。
 その他、今年3月に弁護士団体の自由法曹団が「家庭教育支援法案の提出に反対する」と題する文書を発表していますが、ここで挙げられている問題点にもおおむね同意します。

子育て家庭に土足で踏み込む「全戸訪問」の怖さ

――自由法曹団の文書では〈あるべき「家庭教育」を定め、国が家庭に介入していく構造〉 が、戦中の1942年に文部省が発表した、「大東亜戦争の目的を完遂」するための家庭教育を規定した「戦時家庭教育指導要項」に酷似しているという重要な指摘もされていますね。今回の国会では幸い成立には至りませんでしたが、次回以降の国会で、再び法案提出の動きがあるのではないかといわれています。

本田 おそらくそうなるでしょう。同時に、知っておくべきなのはこの法律ができるかどうかにかかわらず、すでに国による「家庭への介入」は粛々と進められているということです。この法律ができることで介入が始まるのではなく、すでに進んでいるさまざまな動きが、法的な根拠のもとでより表だって進められるようになる、と考えるべきだと思います。

――どういうことでしょうか。

本田 たとえば、今年1月に文部科学省が出した、平成28年度家庭教育支援の推進方策に関する検討委員会の報告書には、具体的な家庭教育支援の推進策として、「家庭教育支援チーム」による「全戸訪問」が挙げられています。
 この「家庭教育支援チーム」というのは、すでに活動している地域も一部あるのですが、教員OBやPTA、民生委員、保健師や臨床心理士といった専門家など、地域のさまざまな人たちによって構成されるもの。その「支援チーム」による、乳幼児や学齢期のお子さんのいる家庭への全戸訪問が、家庭教育支援の「推進方策」の柱として挙げられているんです。私は、これは非常に怖いことだと考えています。

――全戸訪問ですか。新生児のいる家庭を保健師や助産師が訪問する制度は、今でも多くの自治体が設けていますが…。

本田 あれは、本当に出産直後の1回だけですし、指導の内容も沐浴のさせ方とか母乳についての相談といった育児手法に限定されていますよね。ところが、こちらは子どもが大きくなるまでずっと続く上に、内容も限定されていない。ずかずかと家庭に踏み込んで「どうなの、ちゃんと子どもを見てるの」と聞いて回るわけですよ。
 一応「それぞれの家庭の事情に配慮して」とは言っていますが、そんな「配慮」が、全国津々浦々でさまざまな人から構成されたチームのすべてに行き渡るとはちょっと思えません。部屋にまで入ってこられて「散らかってますね」なんて言われたら、どうですか? あるいは、文科省が「早寝早起き朝ごはん」を「国民運動」として推奨しているように、食事や起床時間などについて指導されるかもしれないですね。
 家庭の外にある拠点で相談に乗るというのならまだ家庭の構成員にとって自由度がありますが、全戸訪問ですから…。プライバシーも何もなく、子どもをもつ国民全員が絡め取られていくことになります。ただでさえ家庭のことを担うのは女性、という意識の強い日本ですから、女性への負担もさらに大きくなって、ますます「女性の活躍」なんて難しくなるんじゃないでしょうか。

――食事や起床時間についてなど、自分が「ちゃんとやれて」いなければいないほど、圧力を感じそうですね。ただ、「地域ぐるみで子育て」自体は子育て中の家庭を孤立させないための有効な支援策として受け取られそうですし、虐待やネグレクトから子どもを守るために家庭訪問を、という声も聞きます。

本田 「地域ぐるみ」イコール全戸訪問ではないし、虐待やネグレクトなどの問題が起こっている家庭であればなおさら、「全戸訪問」による指導が効果的だとは思えません。現状でも、問題のある家庭に児童相談所などが介入しようとしたときの親の反発は非常に大きい。それは家庭教育支援チームでも同じでしょう。
 かつて、不登校気味の子どもの家庭を学校の教員が訪問したところ、食生活について指導されたことで逆上した親が子どもを一切学校に行かせなくなり、最終的には子どもを死に至らしめてしまったという事件がありましたが、「訪問」が必ずしも問題の解決にはつながらないということを示していると思います。

――訪問が有効なケースもあるのでしょうが、少なくとも「訪問ありき」ではないということですね。

本田 そのとおりです。もちろん、家庭への「支援」すべてを否定するわけではありません。ただ、支援というものは、そのあり方によっては支援の名を借りた「支配」になりかねない。家庭教育支援法や全戸訪問の方向性はまさにそうで、親の子に対する関係性やふるまい方を「このようでなくてはならない」と手を突っ込んで変えようとするもの。人が一番他人にさらけ出したくない部分に、ずかずかと土足で踏み込むようなものだと思います。
 たとえば、虐待やネグレクトなどの問題を改善しようとするのなら、「家庭教育支援」よりも、親がゆっくり子どもと過ごす時間を取れるように労働環境を改善するとか、親が大変なときに家族の機能を肩代わりするような場所──これは民間の取り組みですが、たとえば子ども食堂のような──を設けるとか、そうした取り組みのほうが、子どもの命を救うためにはずっと重要なのではないでしょうか。

従来の「家族」像そのものが崩壊しつつある

――「望ましい家族像」を押しつけているという家庭教育支援法案ですが、そもそも想定されている「望ましい家族像」自体が、今の社会にはあまり合致していない、非常に固定化されたもののように思えます。たとえば単身親とか、子どものいない夫婦や独身者などはまったく想定されていないというか…。

本田 現実を見れば、今の日本では従来の「家族」という存在そのものが崩壊しつつあるといえます。非正規雇用の拡大などもあって、若い世代には「家族をつくる」こと自体が困難になっているし、あえて非婚を選ぶ人もいる。どこの家にもお父さんお母さんがいて、子どもがいてという、かつての一般的な「家族」のあり方はもう成り立たなくなっているんですよね。
 にもかかわらず、政府はそれに逆行するように、さまざまなことを「家族」に押しつけようとしています。生活保護基準の引き下げと扶養義務の強化、介護保険報酬の切り捨て…。これまで国が責任を持っていたことを「家族」に丸投げして、国は責務を負いませんよ、と言っているわけです。

――しかもそれが、「家族の絆」といった言葉で美化される傾向にあるように思います。

本田 社会意識調査の結果を見ると、社会全体でも「家族が一番大事」と考える人の割合は、近年非常に高くなっているんですよ。実態としての家族は壊れているのに、「家族はすばらしい」というイメージはむしろ強化されている。反実仮想としての家族の美化ですね。
 同時に、その「すばらしい」家族像に自分が当てはまらないことについては、すべて自分に責任があるとして抱え込む人が増えているように思います。「結婚できないのは自分に稼ぎがないからだ」「正社員になれないのは自分がダメだからだ」というように。

――それは苦しいですね…。

本田 本来なら、そうして従来の「家族」が崩壊しつつある今、かろうじてでもこの社会を維持していくためにやるべきことは、「家族」に対する「こうあるべき」という重荷をできるだけ軽くすること。同性カップル、婚外子や養子、単身親など、これまで「変わっている」と言われてきたような家族も、そして個人も、当たり前の存在として生きていける、のびのびと可能性を発揮できるようにしていくことだと思います。そのための基盤整備や多様性を尊重する価値観の浸透こそが重要なのに、今の政府がやっていることはそのまったく逆なんですよね。
 私が研究している若者の労働事情などについてもそうですが、今の政府のやっていることを見ていると、現状をまったく見ず、すでに壊れてしまったかつての「古きよき日本」の姿を妄想しているとしか思えません。私はもともとノンポリなのですが、そうして「社会の壊れ」に対していっこうに有効な策を打とうとしない姿勢が許せなくて、政府批判をせざるを得なくなっているんですよね。

その2につづきます

(構成/仲藤里美 写真/マガジン9編集部)

本田由紀(ほんだ・ゆき)1964年生まれ。東京大学大学院教育学研究科教授。専攻は教育社会学。著書に『社会を結びなおす――教育・仕事・家族の連携へ』(岩波ブックレット)、『もじれる社会 戦後日本型循環モデルを超えて』『教育の職業的意義――若者、学校、社会をつなぐ』(ともにちくま新書)、『軋む社会――教育・仕事・若者の現在』(河出文庫)、『「家庭教育」の隘路』(勁草書房)、編著に『現代社会論』(有斐閣)など。ツイッター @hahaguma

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