黄胤毓(コウ・インイク)さんに聞いた:八重山の台湾移民を訪ねて

多くの観光客で賑わう沖縄・八重山諸島の石垣島。パイナップル畑が広がるこの島には1930年代、日本統治時代の台湾から農民たちが移り住んだ歴史があります。その存在に関心を持ち、今も島に暮らす台湾移民の一家を主人公にしたドキュメンタリー映画『海の彼方』を撮影したのが、台湾出身の黄胤毓(コウ・インイク)監督。本作を皮切りにした「八重山の台湾人」三部作の制作を目指し、クラウドファンディングにも挑戦中です。八重山に興味を持ったきっかけ、作品に込めた思いなどをうかがいました。

「八重山の台湾人」との出会い

──現在東京などで公開中の映画『海の彼方』は、石垣島に暮らす台湾移民の「玉木一家」が主人公のドキュメンタリーです。石垣島に戦前、台湾から移り住んできた人たちがたくさんいるというのは、日本ではあまり知られていないと思うのですが、黄監督がこのテーマと出会われたきっかけからお聞かせください。

 台湾の大学で学んでいたときに、たまたま受けた民族学の授業で、日本人の教授から「沖縄には戦前からたくさんの台湾人が暮らしている」という話を聞いて「面白いな」と思ったのがきっかけです。
 その後、日本の大学院で映画制作を学んでいたときに、日本の記者が書いた『八重山の台湾人』という本の中国語訳が出版されて。それを読んでいるうちに、彼らの「今」を知りたくなって、石垣島を初めて訪れたのが2013年です。そこから1年半くらいは撮影というよりもフィールドワークという感じで、いろいろな人の話を聞いて回ったりしていました。

──「八重山の台湾人」という存在の、どこに興味を持たれたのでしょう?

 戦前に台湾から日本へ移民した人といえば、医師などお金持ちの知識人というイメージなんです。農民が集団で、しかも沖縄に移民していたというのがとても珍しくて、気になりました。
 あと、非常に興味深いと思ったのが言葉の問題です。八重山の台湾移民たちは、戦後に中国政府が来てからの教育を受けていないので、中国語を知らない。台湾語と日本語しか話せないんですね。そういう人は、今の台湾にはほぼいないので、非常に珍しい存在なんです。

──戦前生まれの方でも、台湾にずっと暮らしていれば中国語も分かるわけですね。

 そうです。今の台湾はほぼ中国語社会で、私くらいの世代だとほとんどの人が台湾語には馴染みがありません。親世代は年配者には台湾語で話すけれど、その年配者も、ほとんどが中国語も解します。話すのは苦手でも、聞けば意味は分かるという人が大半なんです。ですから、本当の意味で「日本語と台湾語しかできない」という人は台湾にはほぼいなくて、八重山のほうが残っているわけです。

──ちなみに、監督は台湾語は話されるんですか?

 もともとは下手だったのですが、八重山でのインタビュー取材を通じて、かなりうまくなりました(笑)。彼らが喋ってる日本語も沖縄訛りが強かったし、中国語も通じないので、台湾語を勉強するしかなくて。台湾語で話している取材映像を台湾の両親に送って「何て言ってるのか教えてくれ」と聞いたりもしました。後になって、十数年前にやはり八重山での調査をした台湾の研究者に会ったら、「私も台湾語はあっちで勉強したよ」と笑っていましたね。

(c) 2016 Moolin Films, Ltd.

主人公の一家と「一緒につくった映画」

──今回の作品では、台湾移民の一世である玉木玉代さんと、その子どもたち、孫たちが主人公となっています。たくさんの方たちに取材されたと思うのですが、その中で玉木一家を主人公に、と思われた決め手は何でしょうか。

 一番重要だったのは、ちょうど撮影をしようとしていた2015年が、一家にとって「動く年」になりそうだったということです。映画の中にも出てくるように、玉代さんがこの年、米寿を迎えるというので、家族・親族があちこちから集まってのお祝いが予定されていましたし、台湾に玉代さんを連れて行こうという計画もあった。それを中心にストーリーが展開できるかな、と考えたことが大きいです。

──ナレーションは玉代さんの孫で、東京在住のミュージシャンの慎吾さんが務めていますね。

 単なる歴史ドキュメンタリーではなくて家族の物語を撮りたいというイメージだったので、私自身や第三者ではなくて家族の誰かにナレーションをお願いしようというのは早い段階で考えていました。ただ、家族の中の誰に、というのはかなり悩みましたね。
 最終的に、三世でまだ20代の慎吾さんにお願いすることにしたのは、八重山の台湾人たちが今直面している「一世の人たちがいなくなっていく」という現実を見つめたいと考えたからです。私が八重山に通い出してからの数年の間にも、本当に毎年のように一世の方が亡くなっている。そのときに、残された二世、そして三世の人たちは、自分たちは日本人なのか、それともそうではない何かが残っていくのかという問題と直面せざるを得ない。その視点を入れ込むためには、若い世代の視点のほうがいいと思ったんです。未来は彼らのものなわけですから。
 お願いしようと決めた後は、ナレーションの内容も慎吾さんと相談しながら一緒につくっていきました。

──ナレーション原稿を読んでもらうだけではなく、ということですか。

 私が慎吾さんにインタビューをして、そこで出てきた言葉を使ったり、台湾旅行の部分は、彼がブログに書いていた内容を使わせてもらったりしました。これは、ドキュメンタリー映画としてはなかなかないやり方だと思います。
 映画の中で、玉木さん一家が過去に撮影したホームビデオの映像を使わせてもらっていますが、これも玉代さんの息子の茂治さんに、「ここの部分を使っていいですか」と相談しながら選んでいったんです。そもそも、そこまでの段階で信頼関係を築けていなければ、あのようなプライベートな映像は見せてもらえなかったでしょうし、その意味でも一家とコミュニケーションを重ねながら、一緒につくった映画、という気がしています。

三部作の完成に向けて

──今回の作品は、「狂山之海(くるいやまのうみ)」と題する「八重山の台湾人」三部作の第一部、という位置づけなんですね。

 そうです。最初から、三部作として構想していました。
 二部のテーマは、やはり戦前に台湾から移住してきた、西表島の炭鉱労働者たちです。西表島には大規模な炭鉱があって、朝鮮や九州、そして台湾からの労働者がたくさん働いていたんですね。ただ、石垣島では台湾移民の子孫が今もたくさん暮らしていますが、西表島には非常に少ない。炭鉱での労働があまりに過酷だったので、亡くなった人や戦後に台湾へ戻った人が多かったようなんです。その中で、炭鉱労働者の父親とともに、11歳のときに移住してきた90代のおばあがいて、その人を主人公にしています。
 三部は、実は最初に取材をはじめたテーマなのですが、石垣島の三世、四世たちが結成した、台湾の伝統舞踊である「龍の舞」のパフォーマンスグループを主人公にしています。台湾の文化をそのまま守るというのではなく、石垣の「台湾系」文化を新たに生み出そうとしているところに興味を持ちました。

──三部作の完成に向けて、拠点も沖縄に移されたそうですね。

 それまでは東京にいたのですが、この「八重山の台湾人」は長いプロジェクトになるし、それが終わった後も、沖縄を拠点に「台湾と日本」を考えていきたいと思って、一作目が完成した後、昨年3月に那覇に事務所を構えました。台北にも事務所があるので、1〜2カ月に1回は台湾に帰るような生活ですが、沖縄からだととても近いんです。
 距離的なことだけではなく、感覚的にもそうですね。東京にいると「日本にいる」という感じで、台湾は遠い気がするのですが、沖縄だとそうでもない。最近は台湾からの観光客も多いし、台湾の食材もすぐ手に入るし…。初めて八重山を訪れたときには、光景が台湾の中南部の農村によく似ていて懐かしい気がしました。

──制作費を集めるためのクラウドファンディングもはじまっていますが、制作は順調ですか。

 今回完成した一作目も含めて、三作同時進行で進めています。一作撮るには何年もかかるし、人生は短いですから(笑)、撮りたいものを撮るには同時進行でやらないと間に合わない。
 私が関心を持っているのは、社会や政治が大きく変化する中で、そこで生きている人たちの生き方や考え方、記憶がどう変化していくのか、あるいはしないのか、ということなんだと思います。たとえば、八重山と台湾の間にはもともと国境なんてなくて、単なる「近い島」だった。それが、やがて国境ができて、台湾が日本統治下に置かれたり、離れたりと、いろんな変化が起こってきた。その中でも変化しないものはおそらくあって。人間の本質といえばいいのでしょうか、映画づくりを通じて、その「変わらないもの」を見つめたいと思うんです。

(構成/仲藤里美 写真/マガジン9編集部)

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黄胤毓(コウ・インイク/Huang Yin-Yu)台湾・台東市生まれ、台湾政治大学テレビ放送学科卒業、東京造形大学大学院映画専攻修士を取得。2010年、台湾の出稼ぎタイ人労働者をテーマとした『五谷王北街から台北へ』でドキュメンタリー監督としてデビュー。2013年『夜の温度』で台北映画祭最優秀ドキュメンタリー賞にノミネートされる。2014年、河瀬直美監督がプロデュースを担当した、奈良国際映画祭とスイスジュネーブ芸術大学の共同映画制作プロジェクト「Grand Voyage:壮大な航海」に参加し、短編ドキュメンタリー『杣人』を制作。2015年、映画制作会社「木林映画」を台湾に設立。沖縄を拠点に活動中。