第419回:バニラ・エア問題から考える。の巻(雨宮処凛)

 都議会選挙が終わった。

 蓋を開けてみれば、誰が誰だかさっぱりわからない都民ファーストの会の候補者が大量当選。自民党は大幅に議席を減らすという結果に。そして選挙翌日、小池都知事は都民ファーストの会の代表を辞任するという意味不明の展開となっている。

 そんな選挙期間中、重大な数字が発表された。それはこの国の貧困率。

 これまで言われていた、「6人に1人が貧困」という数字は、2012年の国民生活基礎調査の16.1%という数字を根拠にしていたわけだが、16年の国民生活基礎調査では、貧困率は15.6%と、0.5ポイント改善されたことがわかった。

 貧困率が下がるのは喜ばしいことだ。が、下がったと言っても、15.6%というと、1982万人。これだけの人が、月に10万円以下の収入で暮らしているのである。

 また、「生活意識の状況」を見ていくと、「生活が苦しい」と感じている世帯は56.5%と半数以上。その数値は母子世帯では更に跳ね上がり、なんと82.7%が「生活が苦しい」と回答。まだまだ貧困は深刻な状況にあることが改めてわかった。

 さて、貧困率が発表された頃、またまたとても嫌なことが起きた。それはバニラ・エアの飛行機に乗ろうとした車椅子の男性が、同行した人に車椅子ごと担いでもらってタラップを上ろうとしたところ空港スタッフに止められ、腕の力を使って自力で階段を上らされたという件だ。

 えーっと、「障害者差別解消法」が制定・施行されたことって、知られてますよね…?

 思わず遠い目になってしまったのだが、それにも増してげんなりしたのが、車椅子の男性を「クレーマー」呼ばわりしたり「プロ障害者」などとバッシングしたりする人々がいたことだ。

 報道によると、車椅子の男性・木島英登さんはこれまで158カ国を訪れてきたが、歩けないことを理由に搭乗を拒否されたことはなかったという。そんな木島さんは、世界のバリアフリー事情を知る第一人者として、バリアフリー研究所代表として講演なども行なっているそうだ。ラグビーの練習中の怪我で車椅子生活となった木島さんには『空飛ぶ車イス 元ラガーマン、世界39カ国の旅』(IMS出版)などの著書があり、これまでの旅のほとんどが一人旅だという。

 車椅子でも、一人旅ができる。そんな事実を身をもって伝え続け、バリアフリー事情を広める。素晴らしい活動だと思う。当事者だからこそ、できることがある。そんな姿勢は多くの車椅子ユーザーを力づけているはずだ。
 
 しかし、そんな彼に対して沸き起こったバッシング。バニラ・エア側は謝罪しているにもかかわらずだ。
 
 そしてこんな光景は、この国では残念ながら「おなじみ」のものでもある。「障害者」が「すみません、すみません」と頭を下げまくり、「ダメ」と言われたら大人しく引き下がって泣き寝入りでもしていれば「世間」は同情してくれる(そして同情するだけで何もしない)。しかし、いったん権利を主張しだすと、たちまち袋叩きにされる。何も障害者に限った話ではない。貧困当事者に対して、そして原発事故の避難者に対して、どれほど同じような袋叩きを見てきただろう。もう、この現象に名前をつけたいくらいだ。

 どうしてこれほど「まっとうな主張をしても叩かれる」という現象が多いのか。特に今回は、「ルール違反」というものがひとつのキーワードになっている。それは、木島さんが前もって車椅子での搭乗をバニラ・エアに連絡していなかったというもの。バニラ・エアでは車椅子の人は事前に連絡するよう求めていたのだ。が、バニラ・エアは毎日新聞に「関空〜奄美間では、自力で歩けない車椅子のお客さまから事前に連絡があった際には搭乗をお断りしていた」と答えている。ルールに従って連絡していたとしても、断られていたのだ。

 ルール違反云々の前に、私は「車椅子の人は乗れない」というルールがそもそも間違っていると思う。実際、車椅子でも木島さんは158カ国を旅してきたのだ。そのことが、このルールのおかしさを証明している。

 だけど、「ルール違反だ」と叫ぶ人がこの国に一定数いることも理解できる。なぜなら、私たちは教育課程で「どんなにおかしいルールでも、とにかくルールなんだから何も考えずに従ってろ」と刷り込まれているからだ。

 私にも身に覚えがある。それは学生時代。意味不明な上に細かすぎる校則が嫌で嫌で仕方なかったものの、それに異議を唱える生徒たちがことごとく「とにかくルールなんだ! 何も考えずに言うこと聞いてればいいんだ!」と怒鳴られ、時にはブン殴られるのを目の当たりにしているうちに、次第に思考停止していった。とにかくルールなんだから靴下はこの色でなきゃいけなくて、髪の毛はこれ以上長くしたらいけなくて、なんて日常的な作法のすべてに「ルール」が入り込んでくるので、それにいちいち疑問を持つことを自主的にやめていく。疲れるから。そうして「理不尽なルール」に従うことが当たり前になった心と身体は、「ルールから逸脱している人」を見ると、猛烈な攻撃欲に支配されるようになる。

 この国で教育を受けた多くの人が思春期にそんな目に遭うわけだ。が、「そんな不条理ルールへの従属と思考停止、やめてもいいんだよ」ということを、人生のどの場面でも誰も教えてはくれない。それどころか、社会に出れば不条理ルールはより複雑怪奇になり、更に思考停止を求められる人も多くなる。そして思考停止のみが、「生き延びるための知恵」になっていたりする。そんな人たちにとって、「このルールはおかしいから変えろ」と声を上げる人は、恐ろしく異端に見えるのだろう。ルールを変えた方がみんなが生きやすい社会になる、なんてことよりも、「秩序を乱した」ことへの「罰」を与えなければ、と思うのかもしれない。なぜなら、自分が逸脱した場合、手酷い罰を与えられてきたから。

 だけど、そういうことはやめた方がいい。主張する人にイラつくのは、意味のないルールに縛られ、苦しめられてきた者の条件反射なのだから。そして条件反射で動くと大抵ロクなことにならない。

 さて、そんなバニラ・エア事件を巡って、ある本の一節を思い出した。それは杉田俊介氏の『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』(集英社新書)。障害者ヘルパーに従事し、障害者運動に詳しい杉田氏は、本の後半で障害者問題や「弱さ」に触れている。そこに、私たちがいかに障害者運動から恩恵を受けているかを示すこんな一節がある。

 たとえば、世のお母さんお父さんたちがベビーカーを押して、駅のスロープやエレベーターを何気なく使うことができるのは、あるいは電車やバスに自由に乗ることができるのは、かつて、車椅子に乗った障害者たちが、行政や民間企業と地道に交渉を続け、要求運動を続けてきたからである。
 地域や社会で生きるために、彼らが、そうした環境を作り出し、押し広げてきたのである。
 ほんの数十年前までは、ベビーカーや車椅子は公共の場には入れなかったり、車椅子の脳性マヒ者の乗車をバスの運転手が拒否したことから、一九七〇年代には、障害者団体「全国青い芝の会」(脳性マヒ者の当事者団体)による有名な「バスジャック」が起こったりもした。杖を持った老人が「他のお客さんが危険だから」という奇妙な理由で美術館に入れなかった時代すらあったのだ。
 僕たちもまた、知らず知らずのうちに、彼らからの恩恵を受けている。受けてしまっているのだ。
 そういうことが、実は、僕たちの日常のいろいろな場面にあるのだ。

 ほんの数十年前、この社会は赤ちゃん連れの人や身体が不自由な人に、もっともっと優しくなかった。だけど障害者たちが本当に、命懸けといっていいほどの闘いをしてきたからこそ、様々な社会インフラが変わった。

 さて、ここまで読んだ上で、バニラ・エア問題を考えてほしい。

 当事者が主張し、動く。それはクレーマーでもなんでもなく、そのことによって、社会はみんなにとっていい方向に変わってきたし、変わっていくのである。

6月27日、熊谷の集会にて。舞台袖。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。