第423回:精神論系パワハラオッサンに殺されないために~インパール作戦と現代~の巻(雨宮処凛)

 戦争が終わって72年が経つ日に放送された「NHKスペシャル 戦慄の記録 インパール」を観た。

 インパール作戦。太平洋戦争で、もっとも無謀と言われる作戦。ちなみに20年ほど前に右翼団体に入っていた私の周りには、「真珠湾攻撃の話はするけど、ミッドウェー海戦とインパール作戦の話はしない」という「右翼ギャグ」があった。それくらい、右翼も語りたくないインパール作戦。

 同番組を観て、「NHK戦争証言アーカイブス」の「ドキュメント太平洋戦争 責任なき戦場~ビルマ・インパール~」も観た。1993年に放映された、やはりインパール作戦についての番組である。

 それでは、インパール作戦とはどのようなものだったのか。

 ものすごくざっくり言うと、「気合い一発」みたいな感じで10万人の兵士をインパールに向かわせ(その間に幅600メートルの川を渡ったり、ジャングルみたいな山を越えたりする)、その後も食料などを補給せずに2万人以上を餓死・病死させたというメチャクチャな作戦である。

 その作戦の責任者が、牟田口廉也司令官。ふたつの番組とも、「なぜ、インパール作戦は強行されたのか」を追っていくのだが、そこに浮かび上がるのがこの牟田口司令官の脈略のない強引さである。一言で言うと、声のデカい精神論系パワハラオッサンだ。

 両番組とも、インパール作戦について、最初は反対意見が多かったことを指摘する。食料などの補給ができないからだ。が、牟田口司令官は反対する者には「卑怯者! 大和魂がないのか!」などと怒鳴りつけ、食料補給を心配する声には、「補給を心配することは誤りである」などと寝言を抜かし、「日本人はもともと草食だからジャングルの野草を食べる研究をすればいい」などと言い出し、現地で牛や羊を1万頭以上調達し、荷物運びと食料にするという「ジンギスカン作戦」を思いつき、4月29日の「天長節」(天皇誕生日)までにはインパールを攻略するのだ、と勝手に意気込み、1944年3月に10万人の兵士をインパールに向かわせたのだった。

 が、食料はすぐに底を尽き、牛は600メートル幅の川を渡る際に半分が溺れ死に、生き残った牛も崖などから谷底に落ちて途中で全滅。牟田口司令官が「攻略目標」の日とした天皇誕生日の頃には兵士は飢え始め、現場から食料の補給を求める声が届いても「飲まず食わず、弾がなくても戦うのが皇軍。それなのに泣き言を言うとは」などとキレて放置。その間にも兵士は弱り果て、次々と飢えやマラリア、赤痢、そして手榴弾による自決などで命を落とし、インパールに続く道は「白骨街道」と呼ばれるほどになる。

 そんな状況に耐えきれずに、ある師団は師団長の独断で撤退(戦時中、初めてのことだったらしい)。その後、他ふたつの師団長も解任されるのだが、まだ作戦は中止されずに続くのだ。

 結局、死者を膨大に生み出しただけのインパール作戦は7月にやっと中止されるのだが、その後、牟田口司令官はトンデモないことを言っている。彼自身、4月終わり頃には作戦の失敗がわかっていたというのだ。しかし、どうしても「やめる」と言えなかった。自分がゴリ押しして始めた作戦。それを「途中でやめる」だなんて、「男の沽券」にかかわるとでも思ったのだろうか。そのことについて、牟田口司令官は「顔色で察してほしかった」と甘え腐ったことを抜かしている。「忖度しろ」ってことか? 4月の時点で中止を決めていさえすれば、救われた命はどれほどあっただろう。

 こんな「史上最悪の作戦」のあと、牟田口司令官の責任は問われることなく、氏は予科士官学校の校長になり、1966年、77歳で死去。他の責任ある立場の人々も多くが出世。一方、独断でインパール作戦からの撤退を決めた勇気ある師団長は、軍法会議にかけられたらインパール作戦の無謀さを告発しようと思っていたものの、軍は自分たちの組織を守るため、師団長を「心神喪失」として不起訴としたのだった。こうして、軍法会議でインパール作戦の愚かさが公にされる機会も奪われたのである。

 あまりにも、あまりにもひどい話である。牟田口司令官という一人の人間の勝手すぎる「男のロマン」によって、膨大な命が奪われた。天皇誕生日までにインパールを攻略、という一人よがりな熱意。現実を無視したなんの計画もない作戦。成功したら、勲章でも貰えて出世できるという思惑があったのだろう。そうして途中で失敗だと気づいても、自分が言い出した手前、「メンツ」が潰れるから言い出せなかったのだろう。が、このようなあまりにも無鉄砲な作戦が通ってしまった背景には、当時の軍の教育もあったという。士官学校で教えられる「作戦要務令」には、「補給をあてにせず、精神力で難局を打開することが必要」などの記述があったというのだ。

 現実を無視して精神力で乗り切れるとうそぶき、飲まず食わずで戦えるはずだと主張する。できないのは「気合い」が足りないからで、そこに「大和魂」なんてキーワードを入れ込んでくる。そんな上司にものを言う人間は「卑怯者」とされどこかに飛ばされ、次第にみんなが思考停止し、空気を読み、「忖度」するようになっていく。そうして多大な犠牲者が出ても誰も責任を取らず、自己保身と組織を守ることだけが優先される。

 何かに似ていると思ったら、今のこの国だ。

 戦争が終わっても、インパール作戦的なメンタリティはちっとも変わらずに、人々は経済戦争を戦う「企業戦士」に生まれ変わり、常に空気を読み、思考停止し、そうして戦争が終わって72年、この国にはブラック企業が蔓延り、日々、多くの犠牲者を生み出している。

 「今の日本と変わんないじゃん」と思った人が多くいたのだろう、8月15日のNHK「戦慄の記録 インパール」が放送されたあとには、Twitterで「あなたの周りのインパール作戦」なるハッシュタグが生まれ、自らが経験したブラックな職場のエピソードなどが書き込まれている。

 戦争に反対する理由はいろいろあるが、私がもっとも嫌なのは、「牟田口みたいな無能なオッサンのロマンに付き合わされる」ことである。何も考えてないオッサンの口からでまかせみたいなことで餓死するとか、自分の失敗を言い出せないオッサンの自己保身によって、雨期で土砂降りのジャングルに数ヶ月放置されるとか、戦争って、そういうことが往々にしてある。しかもそういうオッサンに限って、自分の立場が悪くなると「大和魂が!」とか「天皇陛下が!」とか「この非国民!」とかデカい声で言い出すからタチが悪い。だいたい、人が「大義」系のこと言い出す時って、自分の立場がマズくてみんなを撹乱したい時だ。パワハラ系の人間は、そのあたりのことをよーくわかっている。だから私は「大声でデカいことを言う人間」を信用しないようにしている。

 さて、「大義」が一見ないように見えるこの国でも、「国際競争に勝ち抜くため」とか「競合他社を出し抜くため」とか、そんな「大義」のもとで人の命が日々軽んじられている。最近では、「オリンピック」という新たな大義も加わった。国民一丸となって盛り上げるのだ、という空気と熱気は今後どんどん強まっていくだろう。そんな中、新国立競技場建設において、23歳の若者が過労自殺に追い込まれていることは皆さんご存知の通りだ。

 NHKの番組を受けて、「インパール企業」なんて言葉も生まれているという。インパール上司とか、インパール社長とかそんな言葉も流行りそうだ。戦争は、社会全体の究極のブラック企業化だ。無能な権力者の思いつきで殺されないための方法を、改めて考えている。

8月7日、さいたまスーパーアリーナで話しました。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。