第428回:「この国を、守り抜く」に、後藤健二さん、湯川遥菜さん殺害事件を思う。の巻(雨宮処凛)

「この国を、守り抜く」に、後藤健二さん、湯川遥菜さん殺害事件を思う(雨宮処凛)

 「高齢者と障害者をどう扱うかに、市民と国民の性格が表れます」

 この言葉は、相模原障害者施設殺傷事件の追悼集会に、インドから寄せられた言葉だ。

 この言葉はそのまま、政治にもあてはまる。高齢者や障害者のみならず、子どもや生活困窮者、病気の人など弱い立場にある人にどのようなまなざしを持っているか、その国の政治がもっとも表れる部分だろう。そしてそのような弱い立場の人々にどのような目線で接するか、政治家がもっとも問われる部分でもある。

 先週の原稿で、私は安倍政権の5年間を、生活実感を巡る数字から振り返った。

 一言で言うと、弱者が切り捨てられてきた5年間だったと言える。

 第二次安倍政権が始まってすぐに引き下げが決まった生活保護基準。最大で10%カットという削減の影響をもっとも受けたのは、子どものいる世帯だった。「子どもの貧困対策法」が成立した影で、生活保護世帯の子どもは切り捨てるような政策が同時進行で行なわれていたことはあまり知られていない。現在、この引下げを違憲として千人近い人が裁判を起こしている。削られているのは生活保護費だけではない。医療、介護などの分野では自己負担増が続いている。

 弱者にどんなまなざしを向けているか。今回の選挙をそんな視点から見てみると、また違った側面が見えてくる。例えば「希望の党」の小池都知事は、8日の党首討論で以下のように述べた。

 「シニアの方々、65歳になってもみんな元気ですよ。大学でもう一度学び直しはどうですかということを申し上げている。シルバーパスを使うよりも学割を使った方が、皆さんプライドが保てるではないですか。そして社会の一員だという帰属意識ができるじゃないですか。こういうことによって病院に行くより大学に行きましょうということで、社会保障の費用を下げる」

 一瞬、何を言っているのかさっぱりわからなかった。が、小池氏の言わんとしていることが理解できるにつれ、彼女の「高齢者観」にゾッとした。もちろん、大学に行って学びたい高齢者がいるならそうすればいいだろう。が、なぜ、シルバーパスを使うことが「プライド」にかかわることなのか。なぜ、「病院に行くより大学」という極論を持ち出してくるのか。もしかしてこの人、高齢者が意味もなくシルバーパスを使い、暇つぶしで病院に行っているとでも思っているのではないだろうか? そしてそんな高齢者を「社会の一員」と見なしていないのは、他ならぬ彼女自身ではないのだろうか?

 病院に行くより大学に。この言葉の背景にちらつくのは、病人より学生の方が価値があり、生産性の高い人間や学ぶ気のある人間の方が上であり、高齢者を「社会保障費を食いつぶす存在」と見なす価値観ではないだろうか。しかし、高齢になれば身体のあちこちに不調が起きるのは当然だ。誰も好きで病気になるわけじゃないし、好きで病院通いをしているわけじゃない。「排除」「選別」という言葉を当たり前に使う小池氏からは、時にゾッとするような冷酷さを感じるのだ。

 「だけど小池さんは女性だから応援したい」

 そんな声も聞く。が、彼女はこの国で一番の「勝ち組女性」である。衆議院解散からの流れを今一度思い出してみてほしい。小池百合子というただ一人の女性に、この国の政治が根底から振り回されまくった。これほどの権力を行使できる女性が他に存在するだろうか。彼女に、普通に暮らす女性の代弁などできるはずはないし、そんな気もさらさらないだろう。

 もう一人、「弱者」へのまなざしについてぜひ書いておきたいのが、日本維新の会から立候補している長谷川豊氏だ。「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ! 無理だと泣くならそのまま殺せ!」というブログで話題となったあの人である。

 氏はこのような暴言以外にも、「死刑にするなら、もっと残酷に殺すべき」「8割がたの女ってのは、私はほとんど『ハエ』と変わらないと思っています」などの持論をおぬかしになっているのであるが、このような人物を公認して立候補させているのが日本維新の会だということはよくよく覚えておいてほしい。

 さて、ここまで弱者へのまなざしについて触れてきたわけだが、安倍政権の5年間は、「人々の声が無視され、踏みにじられまくった」5年間だと私は思う。

 2013年には特定秘密保護法を強行採決。14年には集団的自衛権の行使容認を閣議決定。15年には安保法を強行採決。これを受けて、16年12月には「駆けつけ警護」の任務を背負った自衛隊員が南スーダンへと送り出された。稲田元防衛大臣は、現地の治安の安定を強調していたが、隊員は家族にLINEで「道に死体がゴロゴロ転がっているのが普通だ」「目の前で銃撃戦があってひやっとした」などと送っていた(朝日新聞4月20日)。

 また、16年末の国会ではカジノ法も強行採決され、同年、日印原子力協定に調印。福島第一原発事故収束の目処すら立っていないのにインドに原発を輸出しようというのである。

 その翌年の17年3月には、原発事故の自主避難者への住宅無償提供を打ち切り、6月には「共謀罪」を強行採決。また、派遣法を改悪し、武器輸出を解禁し、沖縄や福島の声を踏みにじり、唯一の被爆国であるにもかかわらず、核兵器禁止条約に反対、参加しなかった。

 そんな安倍政権を露骨に表す数字がある。それは「報道の自由度ランキング」と「ジェンダーギャップ指数」だ。

 10年には180カ国中11位とトップクラスだったのが、13年には53位、14年には59位、15年61位、16年72位、17年同じく72位と恐ろしいほどのスピードで下がり続けている。主要先進国7カ国中、最下位だ。

 また、男女平等の度合いを示す「ジェンダーギャップ指数」も下がり続け、10年には144カ国中94位だったのが、13年には105位、14年には104位、15年には101位、16年には111位とやはり下落の一途を辿っている。

 報道の自由と性差別。5年間でこのふたつが悪化したことは、安倍政権の本質を突いている気がする。

 さて、そんな安倍首相は、「この国を、守り抜く」というスローガンを掲げている。

 が、安倍首相が「脅威」だとかその手の言葉を口にするたび思い出すのは、15年、IS(イスラム国)によって殺害された後藤健二さんと湯川遥菜さんのことだ。

 中東を訪れ、よりによってイスラエル国旗の前で「テロとの戦い」を事実上宣言し、2億ドルを出すと表明した安倍首相。ISはこれに強く反発し、人質となっていた二人の命は危険に晒されただけでなく、無残にも奪われてしまった。

 国際情勢をまったく把握していないような無神経すぎる言動をする人が、どうやったら「この国を、守り抜く」ことができるのか。それどころか、ISはこのような声明を出している。

 「アベよ、勝ち目のない戦いに参加するというおまえの無謀な決断のために、このナイフはケンジを殺すだけでなく、おまえの国民を、場所を問わずに殺戮するだろう。日本の悪夢が始まる」

 そうして16年7月、バングラデシュのレストランで起きたテロ事件では、JICA関連のプロジェクトに参加していた日本人7人が犠牲になっている。報道によると、武装集団は日本人を狙って殺していたという。また、事件後ISが出した声明文には「我々は日本人の殺害に成功した。このような攻撃を今後も継続する」という一文がある。

 謎の多い事件だが、殺害された中には、「私は日本人だ!」「どうか撃たないで!」と英語で懇願していた人もいたという。「戦争しない国」「軍隊がない国」「イスラムに敵視されない国」。日本にそんなイメージがあるからこそ、彼らはそう口にしたのだろう。そして多くの海外NGO関係者からも、そんな日本のイメージに救われたという話を幾度も耳にしたことがある。

 が、そのような日本の「戦争しない国」というもっとも誇るべきイメージをぶち壊し、この国の人々を脅威に晒し続けているのは一体誰なのか。安倍首相、その人ではないのか。

 そのような人が、今回の選挙で勝てば、「国民の信を得た」と言って憲法を変えるのである。「戦争しない国」という日本のイメージがあっさりと過去のものになった時、どのようなことが起こりえるのか。

 よくよく考えて、投票してほしいと思っている。

「この国を、守り抜く」に、後藤健二さん、湯川遥菜さん殺害事件を思う(雨宮処凛)
あるメディアの撮影にて、ライヴハウスの楽屋
雨宮処凛
あまみや・かりん:1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)、『自己責任社会の歩き方 生きるに値する世界のために』(七つ森書館)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。