第2回:とても偏った読書案内(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 9月、急に秋が来たような…。今年は、何もしないうちに夏が終わったなあ。
 この夏、ほとんどどこへも出かけずに、家にこもっていました。それなりの理由はあるけれど、出歩く気になれなかったのです。だから本をたくさん読みました。時間だけはたっぷりあったから。
 今回は、そんな本のお話を…。

ものすごく面白い少年たちの物語

『キジムナーkids』(上原正三/現代書館 1700円+税)

  とにかくお薦め、面白いことはぼくが保証する(まあ、何の保証にもならないけれど…)。
 舞台は敗戦直後の沖縄の小さな村。あの凄まじい戦争をなんとか生き延びた少年たちの物語。ボク(洟たらしだから、あだ名はハナー)、ハブジロー、ポーポー、ベーグァー、そしてサンデーの5人(時々はボクの弟クンも加わる)の必死の、でも底抜けに明るい毎日を描く。
 沖縄にはキジムナーという妖怪(妖精?)が、ガジュマルの木に住むという。少年たちはキジムナーに憧れ、ガジュマルの樹上に「キジムナーハウス」を作ってしまう。そこへ、「アメリカーからの戦果」と称して米軍の援助品の缶詰などをかっぱらって運び込む。とにかくたくましいkidsである。
 しかし、彼らの背景には確実に戦争が影を落としている。爆撃で腕を失った少年、家族全員が自決してたったひとりだけ残されてしまった少年、好きだった少女カナコォのガマ(自然の壕)での死、疎開で辛酸をなめた少年。さらには否応なくパンパン(これはもう死語だろうなあ)になってしまった少女…。挟み込まれるエピソードの悲惨は、この小説が単なる子どもたちの成長譚であることを拒否する。
 少年たちは、知恵とすばしっこさを武器に、その悲惨を生き抜く。キラキラと輝く沖縄の太陽が、少年たちの姿をくっきりと映し出すような、すてきな小説である。
 しかし時は残酷。大風によってキジムナーハウスは壊れ、仲間の少年たちは次々に去って行く…。
 著者は1937年、沖縄生まれの80歳。だからこれは、沖縄の焼け跡を生き延びた著者の体験に根差した物語だろう。しかし、その年齢とは思えない躍動する文体が、効果的に使われるウチナーグチ(沖縄方言)とあいまって、なんとも若々しい。
 ちなみに著者は、TVドラマ『ウルトラQ』『ウルトラマン』シリーズなどの脚本家として有名。この小説の会話が跳ね飛んでいるのは、その脚本家としての経験が生きているからか。

ものすごく引き込まれてしまう巨きな小説

『永遠の道は曲りくねる』(宮内勝典/河出書房新社 1850円+税)

 実は、この小説もメインの舞台は沖縄である。前述の『キジムナーkids』は敗戦直後の焼け野原の話だったけれど、本書はいまの沖縄だ。
 出てくる人物たちが尋常じゃない。
 語り手である有馬次郎(ジロー)は世界を放浪した後で沖縄へたどり着き「精神科 うるま病院」の職員として働いている。この病院の院長の霧山は、かつて「60年安保闘争」の際、全学連を率いて30万人もの人間を動かし、国会を包囲した人物。霧山は闘争の後、沖縄へ移り住む。沖縄戦で傷つき心を病んだ人たちが多い沖縄でこそ精神医療が必要だという信念で、数十年間にわたって治療を続けてきた。
 しかし彼は今、末期がんに侵されている。
 霧山の周辺には、乙姫さまと呼ばれる「医者半分、ユタ半分」の不思議な老女や、かつてセックス教団と呼ばれた新興宗教に関わった副院長の田島など、実にさまざまな個性の人間たちが出没する。
 話は沖縄にとどまらない。ジローは、人工衛星の乗組員で友人のジムと交信している。宇宙から見える地球、地上のほんの小さなアジアの片隅の島で、駐留米軍の精神科医や、アメラジアンの青年たち、戦争PTSDを抱える患者などが必死に自分の道を探して生きようとする。
 かつて「全体小説という文学」ジャンルが野間宏氏らによって提唱されたことがあったと記憶するが、本書はまさに、地球全体を包含するような小説である。
 読者は、いったいどこへ連れていかれるのか分からない。だから引きずり込まれる小説の快感を味わう。読者の予想や想像をまったく寄せ付けない流れは、真の意味での「読書の快感」なのだ。
 やがて「GRANDMOTHERS COUNSEL」という老齢女性(国際的おばあたち)集団が現れ、沖縄での「平和の祭典」開催が図られる。ここからの急展開も、読者の先読みを許さない。
 そして、静謐な終幕。
 少し前のツイッターで、ぼくは早々と「これは今年のNO.1だ」と書いてしまったが、その感想は再度ページをめくってみても変わらない。「この小説は今年のNO.1である」と、改めて断言したいと思う。
 ここでもひとつ付け加えておこう。著者は高名な小説家だが、現在73歳である。この年齢でこれだけの想像力(創造力でもある)を自分のものとしている精神の若さには驚かされる。

ものすごく大切なルポルタージュ

『ルポ沖縄 国家の暴力――現場記者が見た「高江165日」の真実』(阿部岳/朝日新聞出版 1400円+税)

 サブタイトルに「現場記者が見た『高江165日』の真実」とあるように、本書は、高江のヘリパッド建設反対闘争の現場に通い詰めた沖縄タイムス記者が、痛みを自ら引き受けて、歯ぎしりするような思いで書き綴った迫真のルポルタージュである。
 著者の阿部さんには、実はぼくも辺野古の浜で何度かお会いしている。それに、ぼくも出演している市民ネットTV「デモクラシータイムス・新沖縄通信」にも、たびたび電話出演していただいている方でもある。
 いつも明るい笑顔で理路整然と話す人だけれど、現場取材では、胸のうちが煮えたぎっていたのだろう。本書の激しい筆致は、本心からの怒りに満ちている。ぼくの拙い紹介では、うまくその怒りを伝えられない。だから、各章のタイトルを列挙してみる。

「プロローグ 民意と敵意」
「第1章 暴力と抵抗」
「第2章 弾圧と人権」
「第3章 断絶と罵倒」
「第4章 無法と葛藤」
「第5章 破局と隷従」
「エピローグ 絶望と希望」

 ふたつの言葉の対比から、著者の怒りがフツフツと湧き上がるのが見える。ことに第2~4章では、権力が暴力の歯止めを失っていく状況が、これでもかというほどに列挙される。その暴力の前で立ちすくみながらも、ジャーナリストとしての矜持をかけて闘いの報道を続けようとする地元紙の記者たち。読む側が辛くなる。
 記者たちの闘いに冷水を浴びせるような、ネット上の右翼たちの跋扈。それにまるで鼓舞されるように変質していく権力側の堕落。それでもなお続く本土の無関心。
 ぼくが「歯ぎしりするような」と形容したのは、そういうことだ。エピローグの「希望」の2文字には、作家・目取真俊の「単独者の勇気」が投影される。
 本書は、現場を踏むところからしか生まれない、まことに稀有な闘うルポルタージュである。
 でも、こういう本には「大宅壮一ノンフィクション賞」は与えられないだろうなあ…。

ものすごく大事な「旅行案内書」

『沖縄の戦争遺跡 〈記憶〉を未来につなげる』(吉浜忍/吉川弘文館 2400円+税)

 これは、実際に手に取ってみてもらうしかない本だ。「沖縄戦の〈記憶〉を風化させないために」と帯にあるように、日本で地上戦が行われた沖縄に、いまも生々しく残る数千件の戦争遺跡から厳選して掲載、そこに解説文を記した「もうひとつの旅行案内書」なのである。
 豊富な写真によって戦跡を辿る。ぼくも、沖縄戦跡のかなりの場所は訪れているつもりだったが、本書をひも解くと100分の1も知らなかったなあ。
 そんなぼくがことに興味をもったのは、「Ⅲ 沖縄戦の戦争遺跡」の中の「飛行場」である。ここには読谷村座喜味や沖縄市白川などに現存する「掩体壕(えんたいごう)」(飛行機を爆撃から守るためのコンクリート製の建造物)が掲載されている。ぼくは東京都府中市に住んでいるが、実は近所の旧関東村という米軍基地跡にも同じような掩体壕が3つ残され保存されている。散歩途中でよく見るのだが、まさにそれだ。
 意外に小さい。悲しいくらいにちゃちな代物。そこに虎の子の飛行機を隠し、反撃に備えたというのだが、反撃どころか、逆に敗戦を予感させるような建造物。沖縄にも、こんなものが残されていたんだなあ…と、ぼくはしみじみ思ったのだ。
 ともあれ、司令部壕、砲台やトーチカ、それに多くの住民が隠れ、最後には死に場所となったガマ(自然の壕)などなど、戦争の悲惨を今に伝える「戦争遺跡」の数々が、いまもこんなに残っていることに驚くばかりだ。
 ぼくは、次に沖縄へ行くときには、この本を必ず持っていく。

ものすごく淋しくてつらい遺著

『沖縄 鉄血勤皇隊』(大田昌秀編著/高文研 2000円+税)

 ここまで読んでくれた方たちはもうお気づきだろうけれど、ぼくは意図的に沖縄関連本ばかりを選んだのだ。
 だから最後は、大田昌秀元沖縄県知事がご自身の経験も含めて、絶対に残しておかなければならないと心に定めた遺著ともいえるこの本を挙げておこう。
 副題が切ない。「人生の蕾(つぼみ)のまま戦場に散った学徒兵」とある。大田さん自身が組み入れられた鉄血勤皇隊。名前は凄まじいほど勇ましいが、実態はほとんど武器も与えられずに戦場に放り込まれた少年たち。15歳から18歳ほどの子どもたちが、ほんとうに蕾のまま、花開くこともなく死んでいったのだ。
 ひめゆり部隊など、女子看護隊は映画でも有名になったけれど、男子学徒隊は沖縄の全12校から招集されながら、実態はあまり明らかにはならなかった。多くの学友を失った大田さんにとって、少年兵たちへの鎮魂は、どうしても果たさなければならない義務だったのだろう。
 沖縄師範学校男子部本科2年生だった大田さんは、1945年2月、鉄血勤皇師範隊に二等兵として招集され、そこで情報宣伝隊の千早隊に組み入れられた。それがどういう任務だったのかは、本書を読んでほしい。戦争というものが、結局は人間の使い捨てに過ぎないということが、よく分かる。
 埋もれていた鉄血勤皇隊の歴史を、大田さんは克明に掘り起こした。それは「Ⅱ章 沖縄男子中学校12校 鉄血勤皇隊の編成と活動」に詳しい。証言と記録によって、ようやく蘇った少年たち。きっと「平和の礎(いしじ)」から、大田さんに感謝の気持ちを伝えているだろう。
 最後に、大田さんが掘り起こした12の中等学校の名前をここに記しておこう。せめてもの大田さんへの鎮魂歌として。
 沖縄師範学校男子部、沖縄県立第一中学校、沖縄県立第二中学校、沖縄県立第三中学校、沖縄県立農林学校、沖縄県立水産学校、沖縄県立工業学校、沖縄県立商工学校、私立開南中学校、沖縄県立宮古中学校、沖縄県立八重山中学校、沖縄県立八重山農学校。

 これで、今回のぼくなりの読書案内はおしまい。
 ほんとうは、もっとたくさんの本を読んだのだけれど、どうしても沖縄に関心を持ってほしかったから、ぼくの偏愛読書日記です。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。