第1回:すばらしい教科書を読んだ(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 しばらく「マガジン9」の連載をお休みしていました。身辺にいろいろな出来事が重なり、あまり文章を書く気が起きなかった。でも、いつまでも地の底に沈みこんでいるわけにもいかない。考えることはそれなりにある。
 というわけで、また新連載でコラムを始めることにします。よろしければ、またおつき合いください。

ぼくが言葉にこだわる理由

 ぼくはずいぶん長い間、出版社で雑誌や書籍の編集という仕事をしてきた。最初は雑誌部門で、自分で取材し自ら原稿を書いた。それから編集長になって、スタッフの原稿を読んでチェックするのが主となった。
 さらに、単行本や文庫のセクションに移り、最後は新書編集部の責任者となった。そうなると、ほとんど毎日、他人の原稿を読むのが仕事になる。いったい、どれくらいの原稿を読んだことだろう? 特に新書編集部では、毎日(400字詰め原稿用紙に換算して)数百枚の生原稿を読んでいたと思う。
 玉石混交。いちおう名の通った学者や教授の原稿でも、まあ、ひどいのもありましたねえ。むろん、その方の名は墓まで持っていきます(なんて大げさなものでもないけれど)。
 自分で書きたくなる。他人の原稿を読みながら「オレなら、ここはこう書くのになあ」と思い続ける。そこで、なんとなく、発表の当てもない原稿を書き始めた…。
 会社を辞めてから、主に書く場を与えてくれたのは「マガジン9」だった。
 というわけで、長い間、言葉にかかわって来た老編集者として、さまざまな分野の「言葉」をめぐってのコラムを書こうと思った。また「マガ9」に場をいただいた。

右派の標的になった教科書

 「学び舎(まなびしゃ)」というあまり聞きなれない出版社がある。ある特別な本を除いては、まったく一般書を発行していないのだから聞きなれなくて当然。ここは教科書を発行している会社なのだ。
 『ともに学ぶ 人間の歴史』(中学社会 歴史的分野)という教科書。
 奥付に「<執筆 編集>子どもと学ぶ歴史教科書の会」とあって、その会員たちの氏名が記してある。ほとんどが元と現役の中学及び高校の教員たちである。つまり、教育現場の先生たちが「ほんとうに生徒が学びたい教科書とはどんなものか」を、研究・討論をしながら作り上げた教科書だ。これがとても素晴らしい言葉に満ちている。
 さて、ぼくがこんな「教科書」という本を、なぜコラム連載第1回目に取り上げたか。それは、ある新聞記事(その記事以前に、一部ネット上では話題になっていたが)を目にしたからだ。見出しだけを引用する。

「反日教科書」執拗抗議
慰安婦言及本採択で 神戸・灘中など11校に

毎日新聞(8月9日付)

慰安婦記述の教科書 採択中学へ抗議 波紋
「圧力感じた」灘中校長の文 ネット拡散

朝日新聞(8月19日付)

 要するに、いわゆるネット右翼系の人たちが極めて嫌う「日本の負の歴史」に、この教科書が触れているのが気に入らない、というわけだ。この教科書は、国・私立中学38校が採択し、5300冊が授業で使われているという。
 この教科書採用校に対し、なぜか同じ文面をワープロ印刷した抗議ハガキが、灘中にはこの半年間で200通も寄せられたという。組織的な抗議活動だったようで、日本会議系の某ジャーナリストがその発信源だったともいわれている。
 いわゆる「日本大好き」アイコンを掲げる人たちが同調して、抗議ハガキを送ったものと思われるが、同じ消印のものも多数あり、それほど多数の人がかかわった様子はない。
 中には自民党議員からの問い合わせと称する脅しめいた詰問や、「私は卒業生だが、もしこの教科書を撤回しなければ、寄付金も同窓会費も納付しない」などと書かれたものもあったという。
 だが、和田孫博灘中校長は「謂れのない圧力の中で」と題する文章を発表、これが毅然としてカッコいいとして、ネット上で有名になり、むしろ逆に採択中学を応援するツイートが多くなった。
 以上が、大まかな経緯である。

近現代史が学べない

 では、この教科書はどんなものか?
 ぼくは入手できたので、克明に読んでみた。これがビックリ、大人が読んでも本気で面白いのだ。他の教科書とのいちばんの違いは、近現代史がとても詳しいことだ。
 高校入試では、近現代史からの問題があまり出題されないという。その理由はこうだ。

①膨大な歴史を人類発生から説き起こすために、近現代史に行き着く前に授業時間が終わってしまう。
②近現代史に触れると、戦争の意味や日本の侵略等にも触れざるを得ず、教師が圧力を恐れて、その部分を避ける傾向にある。
③特にアジア諸国との関連においては、さまざまな問題が未解決のままになっており、それを教えるには教師自身が学ぶ必要がある。
④戦後のアメリカとの同盟関係や憲法論争などについては、政治的な意見表明とみなされかねない。
⑤教育委員会の干渉が年々強まっており、教師個人の自由な発想が阻害される傾向にある。
⑥保護者からのクレームが、授業内容に関しても増えており、それを斟酌する教師が増えている。

 このような状況から、教師たちは自己規制に走る。したがって、近現代史は教育現場ではあまり触れられないことが多いのだという。
 だから、現在の中学生たちが(いや、中学生に限ったことではないが)「日本がアメリカと戦争したという事実を知らない」「日本が中国やアジア諸国を侵略した事実を知らない」「8月6日、9日、15日が何の日であるかを知らない」「沖縄に多くの米軍基地があることを知らない」などという現象が起きてくるのは、当然といえば当然なのだ。
 ところが、この「学び舎教科書」は、その近現代史が実に面白い。ほんとうに、ぼくもこれで学びたかったなあ…と思えるほどだ。
 「第7章 近代国家へと歩む日本」から始まる世界と日本の近現代史は、171〜293頁と計122頁に及ぶ。しかも、その記述がまことに明快かつ詳細なのだ。まさに写真や資料入りの歴史絵巻を堪能できる仕掛けだ。
 明治維新から、学校の誕生と徴兵制、富岡製糸工場と殖産興業、第一次世界大戦、自由民権運動、帝国主義時代の世界、日清日露戦争、世界不況と革命の時代、女性運動、関東大震災、デモクラシーの波…。
 そして、第二次世界大戦と日本のアジア進出、ヨーロッパ戦争とアンネ・フランク、ナチスの強制収容所、戦時下の日本人の生活、のびる戦線と餓死、玉砕、特攻隊、本土空襲、沖縄戦、原爆、そして敗戦。
 しかも、ここからが出色なのだ。
 新憲法、朝鮮戦争と冷戦、原爆と絡めて「ゴジラの怒り」が登場、日米安保、高度成長、ベトナム戦争、沖縄の米軍基地、パレスチナ、中東危機、むろん、大震災と原発事故にもきちんと触れている。
 我々も、もう一度これを読み直し、世界とは何か、その中の日本とは何かを、じっくり考える素晴らしいテキストになっていると思う。

ある談話

 こんな面白い教科書(しかも検定合格)のどこが右翼の逆鱗に触れたのか? 新聞記事にもあるように「慰安婦」である。
 しかし、この教科書独自の記述としての「慰安婦」は、出てこない。コラムに「河野洋平官房長官談話」が掲載されているのが、それにあたるということなのだろう。この教科書は河野談話を囲みで紹介している。

河野洋平官房長官談話(1993年)
  • 調査の結果、長期に、広い地域に、慰安所が設けられ、数多くの慰安婦が存在したことが認められる。
  • 朝鮮半島からの慰安婦の募集、移送などは、総じて本人たちの意思に反して行われた。
  • 軍の関与の下で、多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた。政府は、苦痛を受け、心身に癒すことのできない傷を負ったすべての方々に対し、心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。
  • 歴史の真実を直視し、歴史研究・歴史教育を通じてこの問題を記憶にとどめ、過ちを繰り返さない決意を表明する」(一部要約)

※現在、日本政府は「慰安婦」問題について「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような資料は発見されていない」との見解を表明している。

 これは当時の官房長官が正式に発表した談話である。注(※)にあるように「現政府の見解」も、きちんと併記してある。
 しかし、自国の「負の歴史」を絶対に認めたくない人々にとっては、許し難いことだったのだろう。集中的に狙い撃ちにした。

世界の中で生きるためには

 「歴史修正主義」という言葉がある。英語では「REVISIONISM」という。一般的には、それまでの歴史を、自己(自国)の都合のいいように改竄(かいざん)するというように、あまりいい意味では使われない。しかし「修正」という言葉は、正しいものに直す、という語感もあることから、最近では「歴史改竄主義」と言い換えたほうがいいとの意見もある。
 なぜこんなことが起きるか。
 そこがまさに現在の歴史教育の欠陥であると、ぼくは思う。
 最初に述べたように、日本の中学の歴史教育では、近現代史をあまり詳しく教えない。その理由も前述したとおりだ。だから、自国の歴史さえ知らない人たちが多くなる。
 歴史的知識のあまりないところへ、SNSなどによる刷り込みが始まる。ナショナリズムの大煽動。誰だって、自分の国が批判されるのは気持ちのいいものではないし、できれば自国は常に正しくあってほしいと思う。すると、以下のような言葉が砂漠の水のように吸い込まれていく。

「我々は日本人だ」
「日本が好きだ」
「日本はエライ」
「日本文化は世界一」
「日本は悪くない」
「日本が悪いことをしたという歴史はウソだ」
「日本はアジアを侵略していない」
「日本を批判するのは反日だ」
「日本の悪口は許さない」
「日本が嫌いなら出ていけ」……

 TV番組も加担して、とにかく「日本スバラシイ」の大洪水。少しでも日本の「負の部分」に触れれば、非国民、反日、売国奴などとヘイトまがいの罵声汚語が飛んでくる。かくして、他国に非寛容で自国第一、という人たちの声が大きくなる。小池百合子氏をバックにする政治団体も「日本ファースト」とのこと。なんだか危ない臭いがする。
 日本は世界の中の小さな一国。それを認めて他国(または他民族)と共生していく方法は、やはり歴史をきちんと学ぶことからしか始まらない。
 多分、この教科書を作った先生たちは、子どもたちへの深い理解を持っているのだろう。未来を生きる子どもたちに、日本とは何か、世界とは何か、共生の意味を得るための最良の糧を提供したい。ほんとうに心の底からそう思ったのだと…。

 もう有名になった言葉だから、いまさら引用する必要もないと思うけれど、最後に掲げておく。言葉のほんとうの意味での素晴らしさ、強さが感じられるだろう。
 

過去に目を閉ざすものは、現在にも盲目になる

 これは「ナチスドイツの犯罪をドイツ人全員が負う責任がある」と強調した故ワイツゼッカー元独大統領が残した言葉である。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。