第107回:死闘! 江東区vs杉並区〜東京ゴミ戦争に続け!(松本哉)

第107回:死闘! 江東区vs杉並区〜東京ゴミ戦争に続け!(松本哉)

 リサイクルショップの店番をしていると、お客さんから引き取ったものの中からいろんなものが出て来るが、古いタンスの中に敷いてある黄ばんだ古新聞が意外と面白い。大事件などのニュースは今も歴史に残ってて知ってたりするんだけど、小さいニュースなんかはネットにも出てないような全く知らない話があって面白い。あるいは広告やら三面記事やらは今とは全くセンスもノリも違うから、それも面白い。

 さて、この間もたまたま買い取った古いタンスの隙間から出てきた新聞をめくってみると「『ゴミ戦争』再び火の手」のやたら血なまぐさい見出しが! なんだなんだ! 読めば1970年代ごろに勃発したゴミをめぐっての江東区と杉並区の戦争! これはすごい! 自分としては、出身は江東区で、いまは杉並区に根を張ってるので、これは聞き捨てならない戦争。
 どうやら事の次第はこんな感じ。当時、高度成長期で増えまくったゴミがもう行き場もなくなり、東京中から埋立地のある江東区に運ばれて来るんだけど、それが未処理のまま送られて来るもんだから、江東区は悪臭やら害虫が発生したり埋められた有害物質が土から出てきたり、散々な目に遭った。で、江東区としては「もう勘弁してくれ」となり、「各区のゴミは各区で処理しましょう」ということになって、都内各地にゴミ処理場を作りそれぞれで処理することになった。ところが、今度は各地でゴミ処理場建設反対運動が起こったりして大混乱に。でもなんだかんだいって最終的には各区で処理場を作っていったものの、杉並区だけは「なんでここにゴミ処理場作んなきゃいけないんだ」と猛反対し最後まで抵抗。なまじ市民運動とか盛んな地域だけに一回火が付いたら絶対に負けない。さらには住民たちが工事着工の現場に乗り込んで実力阻止したりと、いよいよ大パニックに。すると江東区もついに堪忍袋の尾が切れて「コノヤロー、山の手の金持ちのやつら、俺たちがスラム街だと思って、なんでも金で解決しようと思いやがって~」と、怒って(←これは俺の予想)立ち上がり、戦争状態に突入した事件。う~ん、どっちにも身を置いたことがある自分としては、両方の雰囲気がよくわかる! しかし双方ともに、今では考えられないようなテンションの高さ。

 …って言うか、よく考えたら知ってるよ、この事件! 小学校の社会の時間に先生が「杉並(当時は杉並区なんてはるか遠くの世界は知らない)の方からゴミを持って来て江東区は大変だったんだよ」などと熱弁振るってたし、実際にその当時も江東区ではまだハエや公害がよく大発生したり、近所の小学校の校庭から有害物質が出てきて突然校庭が立ち入り禁止になったりもしてた。通学路の商店街にあったコインランドリーのおばちゃんなんかも「山の手の方のやつらはこっちが貧乏人だと思って、なんでも金で解決しようとするんだよ!」などと教えてくれたが、それは多分ゴミ戦争が念頭にあったのかもしれない。あるいは、「江東区でハエが大量発生」みたいなニュースが流れると、近所のジジイが「またか! どうせ杉並のせいだろ!」と一人道端の石に座りながら憤慨していた。その頃はもう80年代前半ごろだったが、まだ戦争の名残はあって、江東区役所の建物には「各区のゴミは各区で処理せよ」とか「江東区はゴミ捨て場じゃない」みたいな巨大な横断幕もまだ張ってあった。
 そうか、あれか~。と言っても、その小学生当時は事情はよくわからないので江東区側(しかも近所のおばちゃんやジジイ)の言い分しか知らず「山の手の方の悪いお金持ちたちが、お金の力で俺たち貧乏人を苦しめている」という印象しかなかったが、久々にその新聞を目の当たりにして、面白かった。

 で、その記事がこれ。

 やばい。最高にテンション高い。
 記事冒頭の「もうがまんできない。杉並区民にもゴミ公害の苦しみを味わってもらおう」って、怒り心頭の粗暴な勢い全開のこの意見、これ別に怒った住民のコメントじゃなくて江東区議会での満場一致での決議。しかも、新聞の「こりゃ、もう手がつけられねえ」みたいな論調がまたいいね。

 さらに同じ日の新聞では別の記事も。

 記事がまたやばい。江東区議会で、まず「『討議する前にまず結論から言う』と立ち上がり」っていう議会とは思えない発言がいきなりメチャクチャでやばい上に、「杉並区に好き勝手なことを言わせる時期は過ぎた!」と、完全に革命前夜みたいなコメント。

 たぶん、この時の江東区のテンションはこんな感じに違いない。
 倒れてる屍は、悪臭で弱り切った主婦のおばちゃんや、ハエに苦しめられた八百屋とか魚屋とか。旗持ってるのが江東区議会のオッサン、もしくはコインランドリーのおばちゃん。そして後ろに続くのが他の議員や、江東区の商店主や住民たち。う〜ん、だんだんこの絵が江東区に見えてきた!

 で、記事にもあるけど、その勢いで「杉並のゴミ搬入車を実力で阻止する以外ない!」「今こそ立ち上がるべきだ!」と、本当に杉並区から来るゴミ搬入車を道路で実力で止め始める。で、さらに東京都の清掃の労働組合が江東区側について、杉並区内のゴミ収集をボイコットしたので、今度は杉並区がゴミの山になってハエが発生し、それを見て「ザマーミロ! 俺たちの苦しみがわかったか」と叫ぶ江東区。…それだけ聞くと小学生のケンカみたいだけど、当時はそれどころじゃなく深刻だから、大の大人たちが戦争状態に! いや〜、いいね〜!!

 と、こんな感じ。結局、最終的には杉並区にも処分場を作ることになり、なんとか事は収まったようだが、しかしあまりにテンションが高い。
 「ゴミまみれになった下町の貧乏人が怒っている」といういかにも同情しやすい状況の上に、自分自身江東区で育ったので、近所の石の上に座ったジジイとかの話ばかり聞いていたこともあり、いまだにどうも江東区に同情しがちだけど、まあ杉並区にも言い分はあるんだろうから、真相はどちらに分があるのかは、まあ謎のままだ。

 さて、今回思わず紹介してしまったゴミ戦争。どっちが正しいかとかはどうでもよく、言いたいのは、このテンションの高さと景気の良さ。いやー、最高。行儀がよすぎる現代日本社会からしたら「なんと粗暴な!」と感じるかもしれないけど、よくよく考えたらそう粗暴でもない。もちろんこれが度を越して火をつけ始めたり、殴り合いになって死人が出たりしたら、もう暴力の域に入ってしまい、笑えない状態になるけど、この実力行使はそれとはまた違う。車道に立ちはだかってゴミの車を止めたり、工事現場になだれ込んでてんやわんやになったり、という言論と暴力の中間。この中間がまたいいんだよね、知恵の絞りがいもあって。言論だけだと煮詰まるし、暴力だと怖いしいい結果にならない。その点、この中間だと謎の奇策とか続々と登場するからハタから見てても面白い。それに何より本気さを示せるので結構説得力があったりもする。
 そういえば、昔はこの中間な感じのことを「非暴力直接行動」とか言った。この字面をみるといかにもしち面倒臭そうな言論好きの人の考えそうなネーミングだが、ともかくこの中間っぽい暴力未満の実力行使のこと。そう、最近忘れられがちだけど、実はその中間カテゴリーはちゃんとあるのだ。ま、そもそも世の中全部グラデーションでできてるので、中間がない方がおかしいんだけどね。
 ちなみに、よくよく考えてみると国や行政だって言論ばかりではない。税金の取り立てで差し押さえたり、駅前の放置自転車を問答無用で持って行っちゃったり、逮捕や懲役なんかもその一種かもしれない。言って聞かない場合は実力行使に出て来る。よく巷では「暴力はよくない、言論で」とはよく言うけど、ずるいずるい、政府や行政は3択なのに、なんでこっちだけ2択なんだ。俺たちもやらせろ、中間のやつ。
 ただ、その実力行使、中間なだけになかなかセンスが問われて来る。限りなく暴力に近い「そりゃ、さすがにやっちゃダメでしょ〜」っていう大ひんしゅくのものから、誰が見ても「それは仕方ない、気持ちはわかる!」と同情や賛同を呼ぶものまでいろいろだ。ただめちゃくちゃやればいいと言うものではないので、色々試行錯誤してトライしてもらいたい。
 行儀いいの、もう飽きた! よし、江東区、杉並区に続け!!!

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松本哉
まつもと はじめ:「素人の乱」5号店店主。1974年東京生まれ。1994年に法政大学入学後、「法政の貧乏くささを守る会」を結成し、学費値上げやキャンパス再開発への反対運動として、キャンパスの一角にコタツを出しての「鍋集会」などのパフォーマンスを展開。2005年、東京・高円寺にリサイクルショップ「素人の乱」をオープン。「おれの自転車を返せデモ」「PSE法反対デモ」「家賃をタダにしろデモ」などの運動を展開してきた。2007年には杉並区議選に出馬した。著書に『貧乏人の逆襲!タダで生きる方法』(筑摩書房)、『貧乏人大反乱』(アスペクト)、『世界マヌケ反乱の手引書:ふざけた場所の作り方』(筑摩書房)編著に『素人の乱』(河出書房新社)。