第74回:泣くなチビチリガマよ~クリスタルナハトにはさせない~(三上智恵)

第74回:泣くなチビチリガマよ~クリスタルナハトにはさせない~

 9月12日の昼前、携帯が鳴った。近所に住む反戦彫刻家・金城実さんだった。いつも少し酒が入る夜にしか連絡して来ないのに、ちょっと胸騒ぎがして電話をとる。

 「チビチリガマが荒らされた。すぐ記録して欲しい」

 鏡も見ないでビデオカメラをひったくって車に飛び乗った。沖縄戦最大の悲劇「集団自決」があったその洞窟は、家から数分のところにある。72年前、沖縄戦で米軍が続々と上陸してきたのが、この読谷村と北谷町。139人が逃げ込んでいた「チビチリ」と呼ばれる自然壕では、敵兵の姿を間近に見てパニックが起きた。

 日本軍の「軍民共生共死」、「生きて虜囚の辱めを受けず」という徹底した教育と、米兵は男を八つ裂きにし、女を強姦するという脅しが浸透していたために、住民は、家族同士お互いに手をかける集団死に追い込まれた。ここ一ケ所だけで、82人の命が切り裂かれてしまった。あまりのことで、遺族も戦後長い間、語るに語れなかった壮絶な出来事だ。

 そんな場所を「荒らす」とはどういうことなのか。何のつもりなのか。私でさえ、胸の奥にある大事で壊れやすいものを土足で粉々に砕かれたような痛みを覚えた。遺族は、波平の人たちはどんな気持ちでいるだろうと思うとハンドルが重かった。

 「中まで荒らされたよ。骨のあるところ、あの奥まで」

 第一発見者である地元・読谷村波平の知花昌一さんが、チビチリの入り口に呆然と立っていた。波平の若者としてこの惨劇にがっぷり四つに向き合い、丁寧に証言を集めて、平和学習の場にするまで大変な道のりを歩んできたのが知花さんだった。間もなく遺族会会長の与那覇徳雄さんが駆け付けた。様相が一変した現場を見て、絶句していた。

 まず目に飛び込んできたのは、引き抜かれて「平和の像」に叩きつけられた歌碑。金城実さんの作詞で小室等さんが歌った「チビチリガマの歌」の歌詞が書かれていた。そして侵入を防ぐように壕の入り口に置かれていた「墓地だから入らないで下さい」という趣旨の遺族会が書いた看板は、一部の千羽鶴と共に川向こうまですごいエネルギーでぶん投げられたのか、変形していた。

 犯人は腰をかがめ、死者たちの聖域にまで入っていた。そして洞窟内の遺品・遺骨が置かれた場所、奥の一角に残されていた瓶や甕を割ったのだろう。犠牲者の歯などが散乱していた。与那覇さんは「なぜ何度も殺されなければならないのか」と唇を噛んだ。暗い中で入れ歯や歯などを踏まれたくないから元の位置に戻したかったが、現場検証までは現状を保存しなければならないから、そっと踏まないように後ずさりして出てきた。冷静に撮影したかったが、映像にはかなりの動揺が現れている。

 チビチリガマというのは、ただの戦跡とは違う。戦後、「集団死」に追い込まれた人々の絶叫を、勇気を振り絞って聞き取った知花さんや金城さんのような人々がいて、徐々に開かれていった場所である。決して過去になっていかない出来事に向き合い、歯を食いしばって自分たちの世代で引き受けることで、それでようやく嘆き狂う魂を鎮める方向が見えてきたのであった。かろうじて語れるようになり、祈れるようになり、ずいぶんたってから修学旅行生も迎えられる場所になった。平和を考える聖地になっていくことをみんなが願っていて、たくさんの折り鶴とともに浄化の道をたどる途上にあった空間である。

 それを、誰かが破った。血を吸った土から祈りの言葉は引き抜かれ、平和の像に叩きつけられた。かさぶたを取れば血が流れ出すように、封印は解かれ、本来は鎮まりようもないのに子や孫の祈りに免じて留めていた悲しみや怒りが叩き起こされてしまった。嗚咽をあげながら、再び地中の奥からマグマのように湧き上がって溢れ出して来たのを目の当たりにしたような錯覚を覚えた。とてもじゃないが受け止められない。地場の波動を受けて動揺は止まらなかった。

 沖縄が受けた衝撃は大きい。全国でも多くの人がこの蛮行を嘆きながら何故? という疑問を持て余しているだろう。誰が? 何のために充分苦しんだ犠牲者を冒涜できるのか? TBSの金平茂紀さんが、「クリスタルナハトだ」とつぶやいた。それは不謹慎だ、と私は一瞬顔をしかめた。クリスタルナハトというのは、ユダヤ人迫害がドイツ全土に拡がる契機になった1938年の暴動をさす。でも実は、なにか社会の膿のようなものが沸点を超えて雪崩のように押し寄せてくる、そのきっかけになりはしないかという恐怖を私も感じていた。動揺が収まらない理由はそこにもあった。

 10年前にはなかった「沖縄バッシング」は、今年々顕在化している。確実に増殖している。中国が怖い、北朝鮮が怖いと騒ぐ大衆は米軍という頼もしい存在にすがっていく。強い国を夢想するあまり、国防に「いちゃもん」を付ける沖縄の基地反対運動を疎むようになってきた。沖縄戦からの歴史的な告発は、勇ましく国を守った日本軍のイメージを著しく傷つける行為だとしてあからさまに憎むようになった。

 「北朝鮮の脅威が迫っているんだ。これから強い国になろうって時に、沖縄はいつまでもグダグダ言うな。お前らスパイか?」。こんな考えがネットにあふれている。これこそが戦前戦中の集団狂気の再来ではないか。強いものに巻かれたい。強い力に守られたい。その強くて頼もしいものにみんなで陶酔して不安を払しょくしたいのに、沖縄の言説はそれを邪魔する。人をしょんぼりさせる。

「日本軍は住民を守らなかった」
「軍隊の論理が集団死を強制した」
「軍隊には慰安婦制度を生み出すような闇がある」
「少なくても数百人が友軍の手で殺された」……

 沖縄という、唯一地上戦を体験した地域にいたからこそ、住民は輝かしい皇軍の進駐からそのなれの果てまで、非軍人の目でその落差を目撃し、戦争の実態を体に焼き付けた。私たちは、そこからしか証言できない大事な戦争の狂気をとことん学び取り、知らせることでしか次の悲劇を止められないと信じて報道に邁進して来たわけだが、そんな仕事は今の日本には邪魔になってきているのかもしれない。しかし、文科省が教科書から削除するよりも、大衆の「不都合な言説を圧殺する」力が暴走する段階の方がもっと恐ろしい。そんな地平にまでこの社会は急速に進んでしまったのか?

 しかし数日後、チビチリガマを荒らした犯人は地元の少年らで、理由は肝試しだという報道があった。私が心配した外部からの沖縄バッシングのようなものでなかったことに少しホッとした。しかしながら心は晴れない。もちろん、少年らに破壊行為を指示した別の存在がいないかどうかも、まだ考えないといけないと思う。そうではないとしたら、もっと深くこの島の中に沈殿したもの、澱のように溜まってきたもの、つまり、今の若年層が抱える閉塞感のようなものに目を向けなければならないのではないか。

 大人たちが目の色変えて頑張っても実らない基地反対運動への苛立ち。そこからくる無力感。反戦平和活動への冷めた目線、弱者ぶることへの拒否感。今の若い人たちは、過酷ないじめ社会の中でどうやったら標的にならないか、勝ち馬に乗る側にいられるかに、かなりのエネルギーを使っている。自分を守るためにも日本の中の嫌われ者になるのは避けたい。「反戦沖縄」という看板をしょっていては明るい未来が見えてこないじゃないか。負けてばかりの沖縄とは決別したいという願望が醸成されてきても、不思議ではないのだろう。最近、基地反対運動の話を始めると、若い人たちが瞬時に見せる冷めた態度が気になっている。平和教育はどうなっているんだ、と叫ぶ視点だけでは救い上げられない地割れが起きているのかもしれない。

 そうだとしても、残念ながら私たちは、彼らに届く新たな言葉をすぐに編み出せるわけではない。戦争体験者と遺族の苦しみを請け負った知花昌一さんたちの世代を見ていながら、その下の私たち世代が不甲斐ないから、さらに下の今の若者たちに、この島が命と引き換えに得た教訓さえ伝えきれていないのだ。その私たちにできることは、やはり先輩たちの足跡を見つめなおし、それをさらにまた引き受けていくためにジタバタしている姿を後輩たちに見せる。そんな地道なことでしかないのだとあらためて思う。

 チビチリガマの歌。あの板に書かれていた歌詞は、遺族の話を聞き、寄り添いながらともに平和の彫刻を作り上げるという時間を過ごしてきた金城実さんたちの編み出した言葉だ。歌詞というより、この場所で、戦争という惨禍に向き合うことから逃げずに生きる覚悟と祈りを文字にして置いた、そんな言霊たちなのだと思う。まずは投げ捨てられた板に書かれていたこの言葉を、私たちは噛みしめたい(訳は三上流ですので参考までに)。

「チビチリガマの歌」 作曲 小室等/作詞 金城実

イクサユヌアワリ
ムヌガタティタボリ
(戦争の悲劇を 語って聞かせて下さい)

ワラビウマガユーニ
カタティタボリ
(子や孫の世代まで どうか 語り継いで下さい)

ハンザチビチリヤ
ワシタウチナーユヌ
(波平のチビチリガマは 私たちの沖縄に生きる者の)

ククルチムヤマチ
ナチュサウチナー
(心肝を苦しめています 沖縄は泣いています)

ナチュナチビチリヨ
ミルクユニガティ
(泣くなチビチリよ 弥勒の世 平和の世を願って)

ムヌシラシドゥクル
チビチリガマ
(戦争の哀れを世に知らせる 聖地になってください チビチリガマよ)

三上智恵監督・継続した取材を行うために製作協力金カンパのお願い

 皆さまのご支援により『標的の島 風かたか』を製作することが出来ました。三上智恵監督をはじめ製作者一同、心より御礼申し上げます。
 『標的の島 風かたか』の完成につき、エンドロール及びHPへの掲載での製作協力金カンパの募集は終了させていただきます。ただ、今後も沖縄・先島諸島の継続した取材を行うために、製作協力金については、引き続きご協力をお願いします。取材費確保のため、皆様のお力を貸してください。
 次回作については、すでに撮影を継続しつつ準備に入っています。引き続きみなさまからの応援を得ながら制作にあたり、今回と同様に次回作のエンドロールへの掲載などを行うようにしていきたいと考えております。しかし完成時期の目処につきましても詳細はまだ決まっておりませんので、お名前掲載の確約は今の時点では出来ないことをあらかじめご了承下さい。

■振込先
郵便振替口座:00190-4-673027
加入者名:沖縄記録映画製作を応援する会

◎銀行からの振込の場合は、
銀行名:ゆうちょ銀行
金融機関コード:9900
店番 :019
預金種目:当座
店名:〇一九 店(ゼロイチキユウ店)
口座番号:0673027
加入者名:沖縄記録映画製作を応援する会

◎詳しくは、こちらをご確認下さい。

三上 智恵
三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。大学卒業後の1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移り住む。夕方のローカルワイドニュース「ステーションQ」のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年には、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。現在も全国での自主上映会が続く。15年には辺野古新基地建設に反対する人々の闘いを追った映画『戦場ぬ止み』を公開。ジャーナリスト、映画監督として活動するほか、沖縄国際大学で非常勤講師として沖縄民俗学を講じる。『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)を上梓。 (プロフィール写真/吉崎貴幸)