第76回:弾薬庫・十五夜・選挙~宮古自衛隊問題続報~(三上智恵)

第76回:弾薬庫・十五夜・選挙~宮古自衛隊問題続報~

 9月頭、弾薬庫の場所が絞られたという情報が入った。宮古島の人々が最も懸念している、陸上自衛隊ミサイル基地部隊の核ともいえる弾薬庫。有事には真っ先に標的になり、事故があれば死傷者がでて、そして将来的には核兵器さえ持ち込まれかねない弾薬庫だ。

 それは、宮古島の中心街から最も遠い南東の保良集落にある採石場「保良鉱山」だった。場所は、宮古島観光に来た人の大半が訪れる景勝地「東平安名崎」の付け根にあるといえばわかるだろうか。今回はドローンを使って場所を説明しているので動画を見てほしい。なんせ、水脈から外れているし、過疎地だし、地権者が絞られていて、しかも鉱山の所有者の一族には自衛隊協力会のメンバーがいるということで、これはどうやら詰まれてしまった感がある。

 さっそく、現地に撮影に行く。案内は、ミサイル基地に反対する元県議会議員で市長候補でもあった奥平一夫さん。10月22日の宮古島市議会議員選挙では自衛隊反対派を何人通せるかが勝負。そんな選挙を控えた超多忙の中、快諾してくださった。現場で、保良出身で市議選の候補者である下地博盛さんと合流。静かで穏やかな物腰の紳士だが、瞳の奥にやり場のない怒りと深い憂いを湛えていた。それはそうだろう。彼が生まれ育った静かな集落のすぐ横に、自衛隊の弾薬庫が来る。彼の家からはなんと150mほどしか離れていないというから、それは生活環境が激変する一大事だ。

 「立候補は前から決めていたが、地元が自衛隊候補地になってしまって自分の選挙どころではなくなった。これで余計に負けるわけにはいかなくなった」と苦しい表情を浮かべた。

 現地に立ってみて、山ひとつ分下くらいにえぐられている地形と、そのスケールに圧倒された。すでに掘り込まれているわけだから、地下施設を作るにはもってこいだ。しかも琉球石灰岩で掘削しやすいという。平坦な宮古島では横穴が掘れる場所はとても貴重だ。ほかにも、旧予定地の大福牧場の設計図には実弾射撃場があったから、それもこちらに来るのだろう。司令部や、燃料や武器・弾薬を備蓄する施設なども地下に作ると相場が決まってるというから、ここならあとは横に掘り進むだけ。首里の司令部壕のように縦横無尽な横穴が、この鉱山跡に掘られるさまが頭に浮かんでくらくらした。リアルすぎる悪夢だ。

 「そんなものを造られたら、集落の発展もあり得ない。地域は衰弱・衰亡してしまう」。そう焦りを口にするのは下地博盛さんだけではない。保良を歩いて、住民がいかに困惑しているか、当然だが痛いほどわかった。しかし、小さな地域である。みんなカメラは勘弁してほしいという。選挙前で、めったなことを言えないというピリピリした空気が伝わる。そんな中でようやく協力していただいた男性も吐き捨てるように言った。

 「弾薬庫ができたら、ここの発展性はないです、永遠に。我々は戦争体験者ですからね。ああ、またか、また犠牲になるのかと。結局アメリカの植民地ですよね? 軍事的にはね」

 戦争中、米軍が上陸しなかった宮古島は、さほど大きな被害がなかったかのように思われがちだがとんでもない。宮古島には3つも飛行場が造られていたので、1944年の10・10空襲から徹底的に飛行場が狙われて激しい空爆が繰り返され、平良(ひらら)市街地は壊滅状態になった。耕作地が日本軍に奪われ、労働力も軍にとられて収穫ができなくなり、すぐに島は自給困難に陥った。

 当時、米軍の上陸が想定された宮古島には3万もの日本軍がひしめいていた。今の島の人口がおよそ5万5000人であるから、どれだけ多いかわかるだろう。補給も絶たれた戦時下でたちまち食料が底をつき、餓死者がでて、栄養失調でマラリアが蔓延し、島は地獄と化した。平和の礎に刻まれた戦死者の数はおよそ3300人余だが、実数はとてもそんな数では収まらないといわれている。

 「宮古島があそこまで攻撃を受けたのは、3つも飛行場があったからです。沖縄本島を包囲している米軍の艦隊に後ろから攻撃を受けてはたまらないから」

 上陸しなくても、敵軍は前に進むなら相手の軍施設は徹底的に叩いてから行く。それは戦争の初歩だ。博盛さんは沖縄戦と同じ轍を踏むことだけは避けたいと、言葉をつづけた。

 「慶良間諸島の強制集団死(集団自決)、あれだってそうでしょう。離島の住民は逃げ場を失った。でも捕虜にはなれない。日本軍が捕虜にさせなかった。軍の機密を知ってるからです。子どもまでも。だから結局兵隊と一緒に死ななければならなかった」

 集団自決も、スパイ虐殺も、そしてマラリア地獄も、この沖縄戦の三大悲劇はいずれも軍事情報を持った住民を生きたまま敵の手に渡さないために、軍機保護法を背景に軍が組織としてやったことだ。住民の命よりも軍機保持を優先した結果の「処置」であり、組織犯罪だと私は思う。離島で軍隊とともに生活をする場合、知るつもりなどなくても軍機に通じてしまう。平時はよくても、有事にはまた住民らが「生きていたら不都合な存在」にされる。

 軍隊と同居するリスクは、何も敵からの攻撃を受けることだけではない。味方であるはずの友軍によって生命の危機に陥っていったあの沖縄戦の教訓を、自衛隊組織の拡大を受け入れようとする沖縄県は思い出すべきだという博盛さんの指摘はもっともだ。今こそ宮古島には、彼のように歴史に学ぶ思慮深いリーダーが必要だと心から思った。

 もう一方の、自衛隊の隊舎などを建設予定の赤字経営のゴルフ場、千代田カントリーでは用地取得の契約まで話が進んでしまった。仮に10月末の市議選で反対派の候補が議席に食い込んでいったとしても、覆すのが難しい段階に入っていく。

 ここに陸自の基地ができると、野原(のばる)という集落は、すでにある空自の基地と東西から挟まれてしまう格好になる。集落の東の山には今、恐ろしい数のレーダー施設がそびえたち、電磁波もすさまじい。この上、西に建設される陸自部隊の宿舎そばのグラウンドがオスプレイの着陸場に化けたら、こんな怖いところに住む人はいなくなるだろう。

 野原の平良区長は、ただでさえ人口が減っているのに集落が廃れていくのは目に見えていると肩を落とす。平良区長をはじめ野原集落の人々は、戦後は野原岳の米軍基地で働き、航空自衛隊になってからも何とか共存してきた歴史がある。

 「これまでずっと我慢もしてきた。それなのに、なんでまた集落の反対側に作るのか」

 既視感がある。これまでずっとキャンプ・シュワブと共存してきたのに、海まで埋めるのか。そう唇をかんで座り込みを始めた辺野古のお年寄りの皆さんの言葉が重なる。

 「基地はがん細胞と同じ。一つできたら、転移していく」。そう言った先輩の言葉を思い出す。

 四つの班に分かれている野原集落は、少人数ながら結束も固く、古い民俗行事がいくつもある文化的にとても豊かな地域だ。国の重要無形民俗文化財にも指定されている「サティパロウ(里払い)」という虫払いの行事には、あのパーントゥの面も登場する。そして十五夜に行われる「マストリャー」、どちらも毎回沖縄県内ではテレビ取材が必ず来るほど有名な祭りで、宮古島市無形民俗文化財である。一つの集落に二つも民俗文化財があるのだから、土地と人の和を保ちながら丁寧に生きてきた野原の歴史が偲ばれる。

 今年のマストリャーは、基地建設で騒がしくなる前の、最後のおごそかな祭りになるかもしれないと思い、記録しに行った。「マストリャー」とは「桝をとる家」、つまり桝を使って年貢の穀物を検分する場所を指す。宮古・八重山の島々を苦しめた悪税・人頭税を収め終わった農民たちはこの日、重責から解放され、その場所で気が狂ったように夜通し踊ったことから、農民がお互いの労をねぎらい、また来る年の豊作を祈る行事として定着したという。

 徹夜で踊った名残からか、9時からという集合時間になってもなかなか始まらない。各班ですでに飲んだり踊ったりしている男性陣は、すぐには集まらない。区長の再三のアナウンスの後、勿体つけるように4つの踊りの集団が鐘の音とともにセンターの庭に入場してきた。

 男性陣は、棒を使った勇壮な踊りで、時に奇声を発し、何かを威嚇するような所作が目を引く。この型は「南ヌ島(フェーヌシマ)」という類型で、南方から漂着した原始的な人々の呪術的な踊りを再現したのがルーツといわれている。棒術は5人一組で息の合ったところを披露する。豪快で雄々しい野原の男たちは、この日はいつにもまして男前だ。

 続く女性陣の巻踊りは、揃って扇を揺らす手がなまめかしい。また竹を鳴らす手が月夜に映えて美しい。男性の後ろから進んでいき、最後は輪になって宮古島独特の「クイチャー(雨ごい)」スタイルになって一体感を増していく。

 野原生まれの上里清美さんは、このコラムでも紹介したことがあるが、真っ先に自衛隊ミサイル部隊が来ることに反対の声を上げた女性の一人である。ほかの集落に嫁いではいるが、年に一度、十五夜には故郷のマストリャーに参加している。前日のリハーサルにお邪魔すると、反対運動の現場にいる清美さんとはまるで違って、穏やかな表情で踊る清美さんがいた。祭りでは、厳かな気持ちになると話してくれた。

 「月が私たちを照らしているねえ。先祖からずっと、私に連なる人たちも、ここでこうして踊っていたはずねえ、と思うと、厳かな気持ちになるわけ」。少女のように高揚した表情だ。

 「野原は変わらない。変えてはいけない。賛成とか反対とか、分断されても一つの大事なものをみんなで守ってきたから。こうして自分たちをつないでいるものに、誇りを感じているから」。現場で眩しいほどのきらきらした目で語ってくれた清美さん。

 でも、私はこの場面を編集していて顔がくしゃくしゃになってしまった。数日前に、千代田カントリーの工事が始まってしまったこと。結局、止めきれなかったこと。この笑顔を守ってあげられなかったんだ。野原の誇りを、先祖から丁寧に紡いできた営みを、国防の二文字で握りつぶしていくあの暴力から救えなかったんだ。そんな思いがあふれ出てきた。

 二年前の春。私にとって大事な大事な宮古島の文化を、軍靴で踏み荒らすような真似は絶対にさせない。そう決心して宮古に通い、撮影して映画にして全国行脚もしてきた。これまで私は、沖縄本島で基地建設の予定地とされた場所が、どう頑張り、どう苦しみ、どう分断され、そして自然が壊されていくかを見てきた。1995年からずっと最前線で見て、記録し、警鐘を鳴らしてきた。なのに、高江も守れなかった。辺野古も工事が加速度的に進む。そして今度は野原の人たちの笑顔さえ、目の前で壊されていくというのか。そんなの、もう耐えられない。

 自衛隊が本当に島を守る役割で宮古島に入ってくるのか。個々の隊員がそのつもりでも、このままでは米軍の戦略の駒として日本の若者の命も、沖縄の土地も無益な戦争に差し出してしまいかねない。日本を初めて公式訪問するというのに、トランプ大統領は空軍が着るボンバージャケットで基地からやってきた。そして「北朝鮮のミサイルを打ち落とすべきだった。どうした、サムライ」と安倍首相をスカシて武器をじゃんじゃん買えと言った。

 武器をもって、アメリカの二軍としてアメリカの防波堤となれ。そうあからさまに言っているではないか。北朝鮮も中国も厄介だが、第一列島線の中でことを収めろ。韓国と日本はちゃんと役割を果たせ。こんな構図に取り込まれて日本のトップはどうやって日本国民を守れるというのだろう。少なくとも、今の政権がアメリカの言いなりで南西諸島に配置するミサイル部隊など、県民にとってろくなことにならないのは自明のことだ。

 しかし、自明ではなかった。宮古島市議選では、自衛隊問題で先頭を切って市長に切り込み、政府に乗り込んで、新人議員らしからぬ活躍をした石嶺香織さん、そして保良の運命をかけて選挙戦に臨んだ下地博盛さん、ともに議席を確保できなかった。島の安全を守るために自衛隊賛成、経済活性化のために自衛隊歓迎、という議員に票を入れた人の方が多いという現状は、自衛隊配備の本質が全く理解されていないというしかない。

 しかし、全体で見れば議員数が26人から24人に減ったのに対し、自衛隊反対の議員の議席は増えている。反対する議員の割合は1割から2割に、倍に増えているのだ。議席はとれなかったが、香織さんたちのこの2年間の活動が掘り起こした票も、全国に広げた波紋も小さくない。

 選挙後、千代田カントリーでは「基礎工事」「調査」の名のもとに建設工事が始まってしまったが、早速、旗をもって駆け付けた彼女たちの顔は、元通りの笑顔だった。

 「議員になるためではなくて、島の水を守るため。ミサイル基地を止めるために、私たちは活動してるんです」。楚南有香子さんはさわやかに笑う。そうか、今年1月までの彼女たちに戻っただけなんだ。しかも、かなりパワーアップして。編集機の前で泣いてる私なんかよりも、現場で躍動する彼女たちの方が数倍、困難を乗り越える才能を持っているようだ。

三上智恵監督・継続した取材を行うために製作協力金カンパのお願い

 皆さまのご支援により『標的の島 風かたか』を製作することが出来ました。三上智恵監督をはじめ製作者一同、心より御礼申し上げます。
 『標的の島 風かたか』の完成につき、エンドロール及びHPへの掲載での製作協力金カンパの募集は終了させていただきます。ただ、今後も沖縄・先島諸島の継続した取材を行うために、製作協力金については、引き続きご協力をお願いします。取材費確保のため、皆様のお力を貸してください。
 次回作については、すでに撮影を継続しつつ準備に入っています。引き続きみなさまからの応援を得ながら制作にあたり、今回と同様に次回作のエンドロールへの掲載などを行うようにしていきたいと考えております。しかし完成時期の目処につきましても詳細はまだ決まっておりませんので、お名前掲載の確約は今の時点では出来ないことをあらかじめご了承下さい。

■振込先
郵便振替口座:00190-4-673027
加入者名:沖縄記録映画製作を応援する会

◎銀行からの振込の場合は、
銀行名:ゆうちょ銀行
金融機関コード:9900
店番 :019
預金種目:当座
店名:〇一九 店(ゼロイチキユウ店)
口座番号:0673027
加入者名:沖縄記録映画製作を応援する会

◎詳しくは、こちらをご確認下さい。

三上 智恵
三上智恵(みかみ・ちえ): ジャーナリスト、映画監督/東京生まれ。大学卒業後の1987年、毎日放送にアナウンサーとして入社。95年、琉球朝日放送(QAB)の開局と共に沖縄に移り住む。夕方のローカルワイドニュース「ステーションQ」のメインキャスターを務めながら、「海にすわる〜沖縄・辺野古 反基地600日の闘い」「1945〜島は戦場だった オキナワ365日」「英霊か犬死か〜沖縄から問う靖国裁判」など多数の番組を制作。2010年には、女性放送者懇談会 放送ウーマン賞を受賞。初監督映画『標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~』は、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、キネマ旬報文化映画部門1位、山形国際ドキュメンタリー映画祭監督協会賞・市民賞ダブル受賞など17の賞を獲得。現在も全国での自主上映会が続く。15年には辺野古新基地建設に反対する人々の闘いを追った映画『戦場ぬ止み』を公開。ジャーナリスト、映画監督として活動するほか、沖縄国際大学で非常勤講師として沖縄民俗学を講じる。『戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り』(大月書店)を上梓。 (プロフィール写真/吉崎貴幸)