『残像』(2016ポーランド/アンジェイ・ワイダ監督)

 年若い頃、縁があってポーランドでの現代美術の国際展(Construction in Process)に参加したことがあった。冷戦が終結してからまだ4年しか経っていない1993年ポーランドの、ちょっと寂れてはいるが幸運にもファストフードの店なんてまだ一軒もない、ウッチという産業都市に10日間ほど滞在した。現地で調達した素材を使って、その場(展示会場)で作品を制作するというプロジェクトには、世界から100名近いアーティストが参加していた。アレン・ギンズバーグのような大御所もやってきて詩の朗読会があったり、毎夜、アーティストたちがさまざまな会場でパフォーマンスを行ったりして、お祭りのような日々が続いた。

 文学であれ、芸術であれ、その頃の日本では、既にロシア・アヴァンギャルドに関する著作は多く出版されていたし、大規模な展覧会なども開催されていた。しかし中欧のそれ、特に20世紀アヴァンギャルド芸術に関するものとなると、ほとんどなかったと思う。それゆえ滞在時においても、僕はこのウッチという都市が、ポーランドにおけるアヴァンギャルドの拠点だったことを知る由もなかったし、この映画の主人公のモデルとなった実在の芸術家ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキ(1893~1952)の絵画作品を知るのも、帰国してから数年後のことになる。既に廃刊になった美術雑誌『みづゑ』を古本屋で入手したのだが、そのなかにストゥシェミンスキの特集が組まれていた号があって、僕はその作品にすっかり魅了された。1910年代にマレーヴィチの知己を得て作家活動を開始したその作品はしかし、同時代のロシア・アヴァンギャルドやデ・スティル、あるいはバウハウスのどの作家たちとも異なる作風だった。ユニズムという自ら提唱した芸術理論に基づいて描かれた自立的な抽象絵画は、絵画特有の平面性と均質性を強調する点において、ジョゼフ・アルバースやハンス・ホフマンからのちのアメリカ現代美術の作品群に連なる先駆的な作品に見えた。

 それから20年余り。アンジェイ・ワイダの遺作だというので、前知識なしに『残像』を観た。ストゥシェミンスキの最晩年を描いた映画だったことに心底驚いた。同じポーランドの作家なのに、ワイダとストゥシェミンスキが僕の頭のなかでは結びついていなかった。しかも映画の舞台はあのウッチではないか。彼がウッチに暮らし、映画に描かれたような政治的弾圧によって、侮辱的な死(抹殺といっていいだろう)を迎えねばならなかったことに関しても、僕はまったく無知だった。もちろんロシア・アヴァンギャルドの芸術家たちがそうだったように、中欧の作家たちも、全体主義国家の下で同じように弾圧されたのだろうと想像することはできたけれど。

 『残像』は、1949年からストゥシェミンスキが亡くなる1952年までの、もっとも厳しい社会統制を敷いた時期のポーランドを描いている。ストゥシェミンスキはこの頃には既に芸術家としての名声を獲得しており、ウッチ造形大学の教授(現ウッチ・ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキ美術アカデミー)となって学生の指導にもあたっていた。しかし、戦後冷戦になると国家公認の社会主義リアリズムが強制され、抽象美術は否定されてしまう。むろん彼も例外ではなかった。その作品や理論が社会主義リアリズムに反するという理由で叛逆の疑いをかけられて公職を追われ、造形芸術家協会からも除名されて絵具を買うことも許可されなくなる。学生たちと共同で開催するはずだった展覧会は開催前に何者かによって破壊され、手がけたカフェの壁面装飾も取り壊され、生きるために看板を描く仕事に就くも、密告によって解雇されてしまう。やがて無職となり、食料を買うこともできず、ついには病に倒れる。一人娘ニカが病室に駆けつけるが、そこにはもう遺体さえない…。カメラはこの過程を克明に描いていく。

 ワイダがこの映画の題名をストゥシェミンスキの晩年の作品名からとって『Powidoki(残像)』としたのは、全体主義国家による弾圧の経験が、眼に焼きつくほど強烈に残っていたためだと思う。そのような経験をストゥシェミンスキの悲惨な晩年を描くことで際立たせたかったのだ(同じ時期に青年のワイダはウッチの映画学校に通っていたという)。人々の生活が制限され、芸術が弾圧され、自由が蹂躙された時代。その光景が残像のように彼の精神にはつねに存在していた。ワイダは云う。「これらは過去の問題と思われていましたが、今もゆっくりと私たちを苦しめ始めています。どのような答えを出すべきか、私たちは既に知っている。そのことを忘れてはならないのです」。もちろん、その答えのひとつがストゥシェミンスキの芸術であり、生き様であることはいうまでもない。

 この映画を理解するにあたり、ストゥシェミンスキの芸術を知る必要はないという考え方もあるようだが、それはおかしい。なぜなら、権力への抵抗は、抽象絵画の可能性に最期まで挑んだという事実と切り離すことはできないからだ。彼は「転向」しなかった。芸術への確たる信念ゆえに。映画では作品や理論について詳しく描かれることはない。けれども、それを知ることは必要であると僕は思う。

 ひとつの残像がひとつの残像を呼び、またもうひとつの残像をさらに呼びこむ。いつの時代のどの国に生まれようと、そのようにして芸術家たちは会話し、問題を継承し、挑むものだ。いかなる権力もこの営みをやめさせることはできない。

(北川裕二)

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