第4回:8月は原爆(核兵器)と戦争を考えるとき(柴田鉄治)

 8月のメディアは、6日のヒロシマ、9日のナガサキ、そして15日の「終戦の日」と、毎年、原爆や戦争について考えるときだ。
 今年も6日の広島の平和式典、9日の長崎の平和式典と、NHKの生中継をしっかりと見た。昨年も一昨年も広島より長崎のほうがずっと心に訴えるものがあってよかったが、今年もまた、長崎のほうが断然よかった。
 今年は、7月7日に国連本部で「核兵器禁止条約」が122カ国の賛成で採択されてから初めての「原爆の日」だ。両市長による平和宣言が、これにどう触れるか注目していたが、両市とも触れたとはいえ、その姿勢がまったく違った。
 広島の平和宣言では、核禁条約に触れてはいたが、日本も加盟すべきだと政府に迫っていなかったのに対し、長崎の平和宣言では、「被爆者の願いを容れて核禁条約に加盟すべきだ」と鋭く迫っており、厳しい政府批判の言葉が続いている間、安倍首相の顔を映しつづけるというNHKの心にくい演出も見事だった。
 平和宣言に続く安倍首相の「あいさつ」では、核禁条約についてはひと言も触れなかった。長崎では安倍首相のあいさつが終わったとき、「核兵器禁止条約にはひと言も触れませんでした」とNHKがコメントを入れたのもよかった。
 15日の全国戦没者追悼式では、天皇陛下が「深い反省」というお言葉を述べられたのに対して、安倍首相の式辞にはアジア諸国民に対する「加害や反省」の言葉は今年もなかった。1993年の細川護熙首相以来、歴代首相が述べ、第1次安倍政権のときには述べていたのに、第2次政権以来、5年間は反省の言葉なしだ。
 「戦前の日本は悪くなかった」という安倍氏の歴史観の表われだろうが、NHKニュースで「今年も反省の言葉がなかった」というコメントを流さなかったのは、残念だった。
 それはともかく、今年8月のNHKの「戦争を描いた報道特集」などの番組は、どれもとてもよかった。

心に響いたNHKスペシャル「戦後72年」シリーズ

 8月12日から4夜連続で放送されたNHKスペシャル「戦後72年」シリーズはどれも素晴らしく、なかでも13日夜の「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」と15日夜の「戦慄の記録 インパール」は、心にずしんと響くものがあった。捕虜や現地の住民らを人体実験に使うという犯罪行為に携わった日本の医師や研究者が、帰国後、平然と大学の医学部長や学長に就いている姿には慄然とさせられたし、兵の死を何とも思わない旧日本軍の幹部や参謀の無責任さにもあらためて怒りを覚えた。
 一方、民放の報道番組では、過去の戦争より未来への不安を掻き立てるほうが視聴率も稼げるからか、北朝鮮をめぐる緊迫状況ばかり放送している感じだった。北朝鮮のミサイル打ち上げの同じ映像を何度放映したら気が済むのか、と思うほど繰り返し、繰り返し放映していた印象だ。
 また北朝鮮のテレビや労働新聞が、日本のテレビ局を意識して流しているのかと思わせるような、威勢のいい「言葉だけの挑発」を繰り返してくれたことも、日本のテレビ局には幸いだったようだ。
 ただ、ミサイルだけでなく、金正恩委員長の巨躯と高笑いの映像の繰り返しには、いささかうんざりした。核兵器やミサイルの開発に巨額のカネを投じなければ、国民は豊かな生活ができるのに、また北朝鮮と韓国という同じ民族がなぜ武器を持って向き合わなくてはならないのか、「国家って誰のためにあるのか」という疑問があらためて浮かんできた。
 8月25日が北朝鮮の「先軍節」とやらで、また何かやるのではないかと心配されたが、26日に短距離ミサイル3発(うち1発は失敗)にとどまった。次は9月9日の「建国記念日」とか。国内向けに何かやらないと収まらない困った国である。

北朝鮮情勢、日本は過剰反応、米国からまた武器を買わされた!

 その間、北朝鮮がらみのニュースで注目すべきものが2つあった。ひとつはミサイルのロケットエンジンにウクライナ製のものが使われていることが分かり、ウクライナとロシアで責任の押し付け合いがなされたこと。
 もう一つは、ロシアに北朝鮮向けの観光客を募集する旅行社が誕生したというニュースである。北朝鮮にはヨーロッパからの観光客が多く、北朝鮮の外貨獲得に寄与しているが、ロシアまでこれから加わろうというのだから驚く。米朝の緊迫状況が「火を噴く」とはまったく思ってもいないのだろう。
 そう言えば、日本政府が韓国向けの旅行者に「注意報」を出したことに、韓国政府が不快感を表明したことがあったが、当の韓国でさえ日本からの旅行客を歓迎しているくらいだから、北朝鮮のミサイルに対して「Jアラート」という警報まで出して避難訓練までやっている日本の対応は、いささか過剰なのではあるまいか。
 それだけではない。ミサイルが米領グアムへ向けて飛ぶとき、上空を通る島根、広島、高知県などに迎撃ミサイルを置こうとか、グアムへ修学旅行を計画していた学校が慌てて中止するなんて、どうかしている。
 安倍政権は、北朝鮮情勢の緊迫を密かに歓迎しているのではなかろうか。トランプ政権の誕生後、初の「日米2+2(外相・防衛相)会談」で、1基800億円もする迎撃ミサイルを米国から何基も買わされることになったことも、来年度予算案でまたまた防衛費を増額しようとしていることも、その表れといっていい。
 緊張感を煽って結局、軍事産業が儲かるだけ、という世界中の図式を何とか改める方法はないものか。平和国家、日本までそれに乗せられているようでは、どうしようもない。
 (この原稿を書き終えた後の8月29日、北朝鮮は北海道越しにミサイルを打ち上げ、太平洋に落下させた。何の警告もなしにそんなことをやる北朝鮮にも困ったものだが、日本政府と各テレビ局の大騒ぎにも驚いた。もう少し冷静に受け止めたいと思うのだが、違うだろうか)

JCJ賞60周年、今年の大賞は森友・加計学園のスクープに

 8月19日、今年60周年を迎えた日本ジャーナリスト会議(JCJ)の「JCJ賞」の贈呈式が、東京・内幸町のプレスセンターで行われた。戦後、二度と戦争のためにペンを取らない、マイクを握らないと宣言して、ジャーナリストが新聞社やテレビ局などの組織とは離れて連携しようと生まれたのがJCJで、優れた活動を顕彰しようと発足直後から続けているのが歴史あるJCJ賞だ。
 今年のJCJ大賞は、朝日新聞の「森友学園をめぐる国有地売却、加計学園獣医学部新設をめぐるスクープと一連の報道」に与えられた。いうまでもなく、安倍首相自身が絡む疑惑事件で、「安倍一強政権」に痛撃を与えた事件である。
 安倍政権は日本を「戦争のできる国」にしようと、特定秘密保護法から始まって違憲の疑いが濃い安保法制、戦前の治安維持法に近い共謀罪法と、強行採決を繰り返してきたのに、北朝鮮情勢などもあって支持率はあまり落ちなかった。それが、森友・加計学園問題で「安倍首相自身が信頼できない」ことを明るみに出し、支持率もガタ落ちにしたのである。
 安倍首相の手口は、人事権をちらつかせて官僚たちに『忖度』させるという方法だ。安倍夫人が名誉校長を務める学校の建設用地に国有地を8億円も値引きして払い下げ、交渉記録も廃棄したと言わせる。腹心の友が理事長を務める加計学園の獣医学部新設に「総理のご意向」といった文書が出てきても、官僚にみな「記憶にない」と言わせる。そのからくりがすべて明るみに出てしまったのだ。
 恐らく安倍首相の3選も、悲願である憲法9条の改憲も、もうできないだろうと言われている。価値のある見事なスクープだった。
 JCJ優秀賞は、沖縄タイムスの「高江・辺野古の新基地強行を問う報道」と、吉田敏浩著『「日米合同委員会」の研究:謎の権力構造の正体に迫る』(創元社)、北日本新聞の「政務活動費不正のスクープと地方議会改革の一連のキャンペーン」、チューリップテレビの「富山市議会の政務活動費の不正を明らかにした調査報道」にそれぞれ授与された。
 沖縄タイムス紙の報道と吉田氏の本は、沖縄県民や日本国民の意向は無視して米国に追随する日本政府の実態を明るみに出したもので、「日本は米国の属国どころかそれ以下である」ことを示したものだといえよう。
 また北日本新聞とチューリップテレビは、富山市議会のドンをはじめ多数の市議会議員を退任に追い込んだ地方メディアの見事な報道活動だった。
 「ジャーナリズムの使命は権力の監視にある」という言葉がある。捜査機関によるのではなく、メディア自身の力で不正や犯罪を暴く活動を「調査報道」と呼んでいるが、今年のJCJ賞の5件は、奇しくもすべて調査報道に与えられた。
 警察官による犯罪を暴いた「菅生事件の報道」に対する第1回受賞以来、日本の調査報道を育ててきたと言っていいJCJ賞の、60周年の受賞が、そろって調査報道だったことは何かの縁だったのかもしれない。
 JCJ賞の贈呈式に参加して、受賞者のあいさつを聴きながら、「日本のメディアもまだまだ捨てたものではない」とあらためて実感した。

今月のシバテツ事件簿
 8月12日は、524人を乗せた日航ジャンボ機が群馬県の御巣鷹山に墜落して32年。仏教の三十三回忌にあたるというわけで、今年は慰霊のために登山した人も少なくなかった。
 私がまだ現役の記者だった1985年午後7時過ぎ、手のすいた記者たち何人かに声をかけて夕食を取りに出かけようとしたとき、社会部のデスク席から「ちょっと待て」と大声があがった。「羽田発大阪行きの日航123便がレーダーから消えた」という時事通信の緊急速報が入ってきたのだ。
 私は夕食どころではなく、社会部員全員を呼び出し、取材先や仕事の分担を決めて、それぞれ配置に就いてもらった。夏休みで旅行中の記者まで呼び戻した。社会部だけではなく、編集局の各部の記者たちも続々と応援にきてくれた。いや、編集局だけでなく、販売局も広告局も制作局も印刷局も、さらに東京本社だけでなく、大阪本社も名古屋本社も西部本社も、新聞社あげての非常態勢がそれから何日間も続いたのである。
 なにしろ巡航中のジャンボ機が「突然、操縦不能になった」と墜落したのは世界で初めてのことなのだ。乗客乗員524人というのも一機の事故では最大だ。ジャンボ機は、最も安全性の高い旅客機といわれていただけに、大きな驚きだったのである。
 いまから振り返ってみると、不思議なことがいくつかあった。あの巨大なジャンボ機が墜落したというのに、どこに落ちたのか翌日の未明まで分からなかったことがその一つ。翌朝の新聞の主見出しも「群馬県の山中に」「長野県の山中に」「群馬・長野の県境に」と3回も変わるという異常さだった。
 したがって、各新聞社やテレビ局の取材班も前夜からそれぞれ「見当をつけて」山登りにかかったが、翌朝、御巣鷹山の墜落現場に真っ先にたどり着いたのはフジテレビだった。
 また意外だったのは、4人の生存者がいたことである。前夜から「全員、絶望」と思い込んでいただけに、「生存者発見」の報に驚いたことを思い出す。
 最後に各メディアの報道合戦の結果を記すと、犠牲者の「顔写真集め」では読売新聞が圧勝した。朝日新聞は、500人の顔写真は最初から諦め、「なぜ、この便に乗ったのか」を乗客一人ひとりについて取材して紙面に載せた。夏休みで子どもをディズニーランドへ連れて行った帰りといった話などは、読者の反響も大きかった。
 墜落原因については、なかなか判明せず、最後にボーイング社による隔壁の修理ミスをスクープしたのは毎日新聞だった。あれから32年とは。月日の経つのは速いものだ。
柴田鉄治
しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。