第6回:自民圧勝、国民は安倍政権の継続を選んだ(柴田鉄治)

 10月22日の総選挙は自民党の圧勝に終わった。「大義なき解散」は結局、安倍政権にとってプラスになり、安倍政権は継続と決まった。継続どころか、首相が密かに狙っていた「3選」も実現の可能性が高まったといえよう。
 事前の世論調査では、安倍政権の継続を望まない国民のほうが多かったのに、なぜ、こんな結果に終わったのか。民進党の突然の「身売り」といった野党陣営の混乱があったり、投票日に台風が近づいて投票率が予想より伸びなかったり、とすべてが安倍政権にとって有利に働き、安倍首相が「漁夫の利」を得た形になったのだ。
 そこで、この選挙に至る経過を振り返り、選挙の結果をざっとたどってみたい。

安倍首相による、安倍首相のための解散だった!

 それにしても今回の選挙は、安倍首相による、安倍首相のための、大義なき解散・総選挙だった。議員の4分の1が要求すれば国会を開かなければならないという憲法の定めを無視し続け、ようやく開くことになった臨時国会の冒頭、何の審議もせずに解散とは、「安倍1強」政治、いや、日本はいつの間にか安倍独裁政権になっていたのである。
 安倍首相が国会開会を嫌ったのは、いうまでもなく安倍首相夫人や腹心の友に便宜をはかった森友学園・加計学園疑惑を追及されたくないと考えたためだろう。「国民に対して丁寧に説明をしたい」と言っていたのは言葉だけで、「森友・加計疑惑隠し」が解散に踏み切った第1の理由だった。
 第2の理由は、野党が解散になるとはまったく予想せず、選挙態勢が整っていないタイミングを狙ったものだろう。自民党の議席が多少減っても、安倍政権が退陣に追い込まれるほどのことはあるまいと考えたに違いない。
 第3に北朝鮮の挑発、米朝関係の緊迫が安倍政権に有利に働くと見たこと、第4に株価が高値を続けていることなど、「一石二鳥、いや三鳥、四鳥」を狙った解散だった。しかし、どれも「大義」とはいえず、安倍首相は苦し紛れに2019年から消費税を10%に上げる増税分の使途を一部子ども手当などに回す、その使途変更の是非を国民に問うのだと言い出した。
 そんなことは国会で論議すればいいことだといわれて、さらに北朝鮮まで持ち出して、「国難突破選挙」だとまで言い出したのである。北朝鮮の脅威を持ち出すなら、政治空白をもたらす総選挙など自己矛盾というべきだろう。
 というわけで、安倍政権の主張する解散の大義はことごとく消え去り、この選挙は結局、安倍政権の存続を問う選挙ということになったのである。
 安倍政権の存続を問う選挙となれば、先にも触れたように、国民は継続を望んでいなかったのだから厳しい結果が出てもよさそうなものだが、そうはならなかった。「予想外」の現象が次々と起こり、それらがすべて安倍首相に有利に働いてしまったからだ。

安倍政権を「救った」のは民進党の解体だった

 安倍政権がその存続に危機感を抱いたきっかけは、7月の都議選だった。自民党が惨敗し、安倍政権の支持率も「危険水域」といわれる30%を切るまでに落ち込み、大騒ぎとなったのだ。
 小池百合子都知事を支持する「都民ファーストの会」が圧勝したこともあって、小池氏が新党をつくって国政に打って出ようと考えたところまでは、分からないでもない。分からないのは、その小池新党「希望の党」に、野党第一党の民進党が「まるごと身売り」をして、事実上解体してしまったことである。
 都議選で自民と同じく敗退した民進党は、蓮舫代表が辞任して代表戦が行われ、前原誠司氏が代表になったが、その前原代表が小池百合子氏と会談して「民進党を解体し希望の党に合流すること」、つまり「身売り」することに決めたのである。不思議だったのはこの合流案を民進党の議員総会が満場一致で認めたことだ。
 ところが、小池・希望の党代表が「合流ではない。憲法改正や安保法制に反対する人は排除する」と言い出したことで事態は目茶目茶になった。民進党が分裂しただけでなく、希望の党の支持者まで減ってしまったのだ。
 合流の目的が「安倍政権を倒すために」だったはずなのに、安倍政権がこれからやりたい憲法改正やこれまでにやってきた安保法制に反対の人は排除するというのでは、そもそも話が違う。安倍政権が継続してほしくないと思っている人たちは、安保法制によって「日本を戦争のできる国」にしようとする安倍政権の思想・信条に危機感を抱いている人が多かったからだ。

小池氏も前原氏も、都民の票を読み間違ったのでは

 小池氏も前原氏も、都議選の自民惨敗、都民ファーストの会の圧勝を見て、東京都民の票を読み間違ったのではあるまいか。東京都民の票は「気まぐれ」というか、「あまのじゃく」というか、予想外の結果を生み出すことがしばしばある。美濃部都知事という革新都政を生んだのも、青島幸男という芸能界出身の知事を生んだのも東京都民の票だった。
 7月の都議選も小池人気というより、森友・加計学園問題で誠意ある対応を見せない安倍首相に「お灸を据えよう」と都民の票が動いたのではないか。それを小池氏も前原氏も「小池人気はものすごいものがある」と錯覚したのではあるまいか。
 そうでなくては、都議選で「都民ファーストの会」があれほど圧勝したのに、今度の総選挙では、東京都内の小選挙区で「希望の党」の候補が1勝22敗という惨敗に終わった理由の説明ができないだろう。
 また、「排除された」民進党の人たちでつくった「立憲民主党」が、候補者の人数では「希望の党」の半数しかいなかったのに、堂々と野党第一党に躍り出たことも、そう考えれば説明がつく。

北朝鮮情勢まで安倍首相に加担するとは!

 また、北朝鮮情勢まで安倍政権に加担したのには驚いた。世界の主要国の首脳は「対話と圧力」と言っているのに、安倍首相は「対話でなく圧力を」と主張しつづけてきたのだから、米朝の緊張緩和に安倍首相がひと役買うような期待はまったくない。
 それなのに北朝鮮情勢の緊迫化が、安倍政権の支持率の回復につながったことは間違いない。恐らくNHKも民放も、日本のテレビ局が北朝鮮のミサイルの打ち上げや軍事パレードを「これでもか」と言わんばかりに繰り返し、さらに、ミサイルの発射に「Jアラート」という緊急警報まで発令して国民の不安をかきたてたからだろう。
 強硬一点張りの安倍首相が頼もしく見えたというより、ここで政権が交代したり、政局が混乱したりしたら、日本にとって良くないと国民が考えたのではなかろうか。北朝鮮のおかげで選挙にまで勝たせてもらったのだから、安倍首相も北朝鮮に「足を向けては寝られない」に違いない。
 さらにいえば、投票日に超大型台風23号が日本に接近し、悪天候のため投票率が戦後2番目の低さになったことも、固定票の多い自民党に有利に働いたといえよう。安倍首相はどこまで「ついている」のだろう。

驕るな! 自民、3割の票で6割の議員を得たのだから…

 しかし、安倍首相も自民党も、この選挙結果に驕ってはならない。自民党への投票数は、全投票者の3割しかなかったのに、議席の6割を得たのである。それが小選挙区制度の特色というか、特異なところというか。
 また、全野党が一本化して対抗すれば、自民党に勝っていたところが60以上もあったのだ。得票数を子細に見ていけば、国民の圧倒的な支持を得たとは決して言えない状況が浮かび上がってくる。
 もう一度言おう。驕るな! 自民党、驕るな! 安倍政権。
 それはともかく、今度の選挙で当選した議員のうち、憲法改正に賛成の意見をもつ人が与野党合わせて8割に達する、と報じられている。憲法改正の発議ができる3分の2は悠々と超えているわけだ。いよいよ安倍首相の悲願の憲法改正が動き出すのかどうか。
 ただ、憲法改正といってもいろいろあって、反対のない改正案もあろう。問題は「9条の改定」である。9条の改定には、これまでどの世論調査でも反対意見のほうが多かった。その「国民投票の壁」をどう乗り越えようとするのか。
 安倍首相は、9条の1項2項を残して、3項を追加する案を提案しているが、1項2項を残したままでは論理矛盾は解消しない。そこをどうごまかそうとするのか、国民はしっかりと監視する必要がある。
 今回の選挙で国民が安倍政権に全権委任したわけではないので、今後の国会の動きを、メディアもしっかりと見つめ、国民に分かりやすく報じてもらいたい。9条の改定は「国のかたち」が変わることなのだから。

今月のシバテツ事件簿
74年前の10月21日

 1943年10月21日、東京の神宮外苑の競技場で、学徒出陣の壮行会が雨の中で行われた。それから74年後の今年の10月21日も神宮球場は同じような雨だった。
 41年12月8日の真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争…。初戦の戦果も空しく、42年のミッドウエー海戦の敗北、43年5月のアッツ島の玉砕と、日本は敗色濃厚となって、それまで徴兵を猶予されていた大学や高校の文系の学生たちまで戦地に送り出されることになって、学徒出陣の壮行会が文部省の主催で行われたわけである。
 この壮行会で、東条英機首相が甲高い声で「一切を捧げて皇国興隆の礎石たらんことを」と演説し、学生たちはその言葉通り、特攻隊員として、あるいは戦地に送られて、若い命を「国に捧げて」散っていったのである。
 学徒出陣で散った学生たちの手記や戦地からの手紙などは、『きけ、わだつみのこえ』といった形でたくさん残っている。いまの若い人たちにぜひ読んでもらいたい。
 今度の選挙は18、19歳の投票が認められた初めての衆院選だったが、18、19歳の投票率は低く、投票した人は出口調査によると自民党支持が多かったという。雨中の行進をした出陣学徒の心境やあの時代の歴史を学んでほしいといっそう思った。

柴田鉄治
しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。