第56回:9月11日に思う。私たちに「やられても、やり返さない」覚悟はあるか(想田和弘)

 今年も「あの日」がやってきた。9月11日である。

 あの日から16年の歳月が経ち、その記憶は薄れてきている。ニューヨークであの日を生きた僕の身体からも、社会からも。

 だからか、SNSには「あの日を忘れてはならない」というメッセージが溢れている。しかし真に肝心なのは、あの日をどのような日として忘れないようにするか、であろう。漠然と「忘れない」だけではダメなのだ。

 僕にとっての911は、いま世界中で制御不能に陥った暴力の起源としての「あの日」である。

 あの日、テレビ中継を見ていたアメリカ人の多くは、国というよりも、「自分自身」が攻撃を受けたと感じた。そして彼らの大半は、「やられたので、やり返す」という選択をした。ブッシュ大統領がアフガニスタンへの報復攻撃を決定した際、約9割のアメリカ人が支持した。「やられたら、やり返す」のは、国としても、人としても、当然の行動だし、やり返すことがテロリズムの撲滅につながると信じたからであろう。

 だが、不思議なほど指摘されないことだが、「やり返した」結果は惨憺たるものである。

 アフガニスタンとイラクの戦争で、少なく見積もって17万人の民間人が殺されたという。そこで殺された人々の家族や友人の中には、米国に対してさらに「やり返す」ことを誓った人も多いだろう。それがISの台頭やシリアの惨状などにつながっていることは、疑いようもない。典型的な暴力の連鎖である。

 客観的に見て、やり返したのは戦略的に大失敗だった。ほとんど言う人がいないので繰り返し申し上げるが、「対テロ戦争」は大・失・敗しているのである。

 問題なのは、「やり返したのは大失敗だった」という認識が、米国社会でも、国際社会でも、ほとんど共有されていないということである。きっと「やられたら、やり返すべき」という脊髄反射が人間の動物としての本能に深く刷り込まれているので、やり返した結果失敗しても、それを失敗として正視することができないのだと思う。だからこそ今でも「やり返した結果」苦しんでいるのに、そこから何も学ぼうとしない。

 その証拠に、8月に米国で行われたCNN世論調査では、北朝鮮の兵器開発を受けた軍事行動について支持する人の割合は50%。軍事行動に反対する43%を上回った。まだ実際に「やられて」もいないのにこの数字なのだから、実際にミサイルがアメリカに飛んできたら、なんの躊躇もなく「やり返す」ことになるだろう。その結果、たとえソウルや東京が、あるいはアメリカ本土が火の海になろうとも、である。究極的な本末転倒である。

 誤解して欲しくないのだが、僕には「テロ」の遂行者や北朝鮮を擁護するつもりは一切ない。彼らの行為はおそろしく卑劣でとても容認できないし、なんらかの対処をしないわけにはいかないだろう。しかしその「なんらかの対処」が、「やられたから、やり返せ」ではあまりに野蛮、かつ逆効果になる公算が高いと申し上げているのである。そしてそれは、すでに911以来の16年間の歴史が、証明しているだろうと申し上げているのである。

 思えば、日本国憲法に書き込まれた平和主義の精神は、「やられても、やり返さない」であった。「やる」のも「やり返す」のも同罪と見立て、暴力の連鎖を主体的に断ち切るものであった。そして、そもそも「やられる」ことがないように、敵を作らず、相互に依存し合う友や仲間を多く作り、「日本を攻撃するのは自分にとっても損だ」と思ってもらうことを目指すものであった。

 しかし対北朝鮮強硬論の隆盛を見るにつけ、そういう日本国憲法を持つ日本人の間にも、残念ながら憲法の非暴力の精神はほとんど根付いていないようにみえる。実際、「護憲派」と呼ばれる人の多くも含め、日本人には「やられても、やり返さない」覚悟はないのではないだろうか。

 例えば、今の日本で「たとえ北朝鮮にミサイルを打ち込まれたとしても、私たちは武力でやり返すべきではない」などとテレビで主張してみたらどうなるか。「お前は北朝鮮のスパイか」と罵られ炎上し、擁護してくれる人もほとんどいないのではないだろうか。やり返せばさらにやり返されて被害が広がることは自明の理なのだが、そんなことはみんな忘れてしまっているようだから。

 安倍晋三は、相変わらず9条の改定を本願としているようである。しかし条文など改定されなくとも、日本はとうの昔から非暴力の国でも、平和主義の国でもなかったのではないか。そういう疑念が僕の中で膨らむばかりの、16年目の911である。

想田和弘
想田和弘(そうだ かずひろ): 映画作家。ニューヨーク在住。東京大学文学部卒。テレビ用ドキュメンタリー番組を手がけた後、台本やナレーションを使わないドキュメンタリーの手法「観察映画シリーズ」を作り始める。『選挙』(観察映画第1弾、07年)で米ピーボディ賞を受賞。『精神』(同第2弾、08年)では釜山国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞を、『Peace』(同番外編、11年)では香港国際映画祭最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞。『演劇1』『演劇2』(同第3弾、第4弾、12年)はナント三大陸映画祭で「若い審査員賞」を受賞した。2013年夏、『選挙2』(同第5弾)を日本全国で劇場公開。最新作『牡蠣工場』(同第6弾)はロカルノ国際映画祭に正式招待された。主な著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 vs.映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房)、『カメラを持て、町へ出よう ──「観察映画」論』(集英社インターナショナル)などがある。