太田啓子さん×山田裕子さん(その1)経験ゼロからのスタート!育児をしながら挑戦した、初めての選挙

7月に行われる都議会選挙。マスメディアが小池旋風を取り上げ、いつになく注目されています。私たちの暮らしに身近なことを決めている地方議会。沖縄問題、原発再稼働から保育園問題まで、地方行政の重要性を感じる機会は増えています。しかし、国会に比べて地方議会への関心は薄いのも事実。女性や若者を代表する議員も多くはありません。全国の都道府県・市町村議会での女性議員での割合は約12%、町村議会の3割以上で女性議員はゼロという状況です(2015年統一地方選時)。暮らしを変えるには、まずは地方議会を身近なものにして、私たちの声を届ける議員を増やすことが必要です。
そこで今回は、選挙や市議会議員の活動について、マガジン9でもおなじみの弁護士・太田啓子さんに聞き手となっていただき、埼玉県越谷市議会議員を務める山田裕子さんにお話をうかがいました。

「まさか選挙に出るなんて」

太田 埼玉県越谷市の市議会議員(市議)として1期目の山田さんですが、市議になる前の2014年9月に、越谷市での憲法カフェに呼んでいただいたことがあります。それから、2014年11月に初めて東京でマガジン9と一緒に開催した「怒れる女子会 もういい加減にして『オッサン政治!』」にも、参加者のお一人として会場にいらしていたんですよね。あの時のイベントは、2015年春に行われる統一地方選挙に向けてのキックオフ集会として企画したもので、参加者の中から実際に議員になられた方が何人か出たのが嬉しくて。そのお一人が山田さんでした。

山田 憲法カフェを開いたのは、女性誌の『VERY』(2014年2月号)に掲載された憲法特集を読んで、太田さんのことを知ったのがきっかけでした。いまは私が呼びかけ人になって「怒れる女子会@越谷」をやっているんですよ。これは、私の大好きな活動のひとつです。

太田 わあ、それは嬉しいです。山田さんは2人のお子さんを育てながら、選挙のことをほとんど知らないまま立候補されたとうかがいました。今日は、選挙のことや市議になってからのお話をうかがいたいのですが、まず簡単な自己紹介からお願いできますか?

山田 生まれは神奈川県ですが、小学校から高校を卒業するまで宮崎県にいて、自然いっぱいの中で育ちました。農業高校の出身なんです。2003年から、埼玉県越谷市に住むようになりました。さいたま市のリラクゼーションサロンでセラピストとして働くようになって、その後に店を任され10年ほど経営していました。でも、その店が入っていた駅ビルを出なくてはいけなくなって閉店したんです。それが、ちょうど統一地方選挙の前年、2014年3月でした。

太田 それが転機になったのですか?

山田 そのときは、まさか自分が選挙に出るなんて思いもしませんでした。ただ、仕事と並行して、2011年後半から、子どもを放射能から守る「5年後10年後子どもたちが健やかに育つ会」という越谷での活動に参加していたんです。隣の吉川市や三郷市が汚染状況重点調査地域(※)だったこともあり、越谷市ではお母さんたちが活発に活動していました。私が参加する前の2011年6月には、全国でもいち早く、議会に給食食材の測定や学校など公共施設での放射線量測定など、子ども達への被ばく対策についての請願を出していたんです。

(※)平均的な放射線量が毎時0.23マイクロシーベルト以上の地域を含む市町村で、福島第一原発事故由来の放射性物質による汚染状況についての重点的な調査測定が必要だとして市町村によって指定された地域。

太田 その請願の効果はどうでしたか。

山田 仲間のお母さんたちがすごい頑張って、議会では趣旨採択となり、その後政策として測定や放射能理由による牛乳不飲、お弁当や水筒の持参許可が実現しました。

太田 すご〜い! 給食の測定って、自治体によって対応が全然違うんですよね。「自分が住んでいるところの自治体によって、こんなに違うんだ」と、あのとき私も、自治体の個性と仕事を初めて実感しました。その当時、お子さんは何歳だったんですか?

山田 いま小学校3年生と年長組ですが、震災当時はちょうど妊娠中でした。7月に生まれたので、赤ちゃんを背負っていろいろな活動に参加していた感じでしたね。

女性の立候補を阻む、家族の反対。
先入観がないから出来たこと

太田 私の子どもたちと全く同じ年齢です。新生児もいて毎日忙しい時期でしたよね。いつから選挙に出ようと意識し始めたのですか?

山田 お店を閉店したあと、私は目標が無くなってしまった状態でした。その頃ちょうど「越谷市民ネットワーク」(市民ネット)(※)が、2015年の市議選に向けて新しい候補者を探してたんです。越谷市民ネットは、議員は3期で交代ということが決まっていて、当時2期目の方がいましたが、ローテーションするために次の候補者を探しているところでした。
先ほど話した会の請願が通ったのは、お母さんたちの熱意ももちろんですが、当時の市民ネットの議員が仲介役をしてくれていたこともあった。議会の中に、私たちの主張に理解のある議員さんがいたことが大きかったんです。私も会の活動を通して、以前は興味がなかった行政や議会が身近になってきていたので、放射能のこと以外にもワクチンや大気汚染など知りたいことが増えていて、市民ネットの事務所に通うようになっていました。

(※)市民の政治参加を進めようと、越谷市民によってつくられた地域政党。①議員は最長3期でローテーション、②議員報酬の一部は政治活動資金として活用し、お金の流れを公開する、③選挙活動をカンパとボランティアで行う、などのルールを設けている。

太田 それで、山田さんに声がかかったのですか?

山田 私の前にも、候補にあがっていた方は何人かいらっしゃったと思います。皆さんやる気があって、私よりも能力のある方たちでした。ただ、女性が議員になるには経済的、社会的に壁が高く、候補者選びは毎回難航するようです。ある方はシングルマザーでしたが、選挙期間中には収入が全くないことが壁になって断念されたそうです。ご家族からの理解が得られなくて挑戦できなかった方もいるといいます。そんな感じで候補者選びに難航しているところに、やることがなくなっちゃった私が出てきた(笑)。選挙に出ないかと言われて、2014年の7月には、もう出ようと決めていました。

太田 ご家族の反応はいかがでした?

山田 お誘いをうけた時は、すぐに「やってみたい」と思ったんです。先ほどお話しした「5年後10年後の子どもたちが健やかに育つ会・越谷」の活動にもかかわっていましたし、「いのちと暮らしを考える会」でも食や予防接種など、暮らしにかかわる勉強会もしていたので、自分たちの暮らしと政治のかかわりに興味がありました。
ただ、最初に候補に挙がっていた方たちは、PTAとか地域活動の経験も豊富だったので、「私なんかじゃできないかも」と迷いもありました。正直に言うと、夫に相談したときは「止めて欲しい」という気持ちもあったんです。だって、選挙に出るなんて、大変なことじゃないですか。でも、「選挙に出ないかと言われているけど、どう思う?」と夫に相談したら、「新しい目標が見つかってよかったね」って。

太田 むしろ背中を押されちゃった?

山田 はい。私は、止めて欲しかったんですけど……。

太田 そのときお子さんは、6歳と3歳くらいですよね。義理のご両親とか、ご自身のご両親の反応はどうだったんですか?

山田 私の両親は宮崎に住んでますから事後報告でした。夫の両親も「政治家なんて信用できねえな」とは言いながらも、私のやることを否定はしなかったですね。

太田 最初候補に挙がっていた方々のように、環境が許さなくて立候補を断念するというのは、女性からはすごくよく聞く話なんです。まずは、やはり配偶者の反対。それから、配偶者の親に反対されるのも結構聞きます。「子育てはちゃんとできるの?」とか「『お嫁さんが議員なんですって?』みたいに言われるのが嫌」とか。でも、それが山田さんの場合はなかったんですね。

山田 そういう事情を知らなかったんです。それまで選挙や政治にかかわったことがなかったので。よくも悪く先入観や予備知識がなかった。もし知ってたら、やらなかったなということは、いっぱいあります(笑)

抱っこしながらチラシ配布
お母さん仲間での選挙活動

太田 選挙運動は、市民ネットがサポートしてくれたのですか?

山田 はい。越谷の市民ネットは、26年の歴史があるんです。その間一回も議員のローテーションを途切らせたことがないので、ある程度選挙のノウハウの蓄積はありました。実際の活動は、同世代のママたちで勝手連を作ってやりました。子どもを保育園に迎えに行って、抱っこしながら合流して、17時くらいからチラシを配ったり……。ただ、やっぱり子どもも小さいし、普通の選挙活動は出来なかったですね。

太田 「普通」というのは?

山田 ほかの候補者は、選挙が近くなると会社員の方たちが通勤する朝と夜に駅頭に立つんです。だけど、それって家事が一番忙しい時間帯なわけで、全く同じことはできませんよね。その代わり、土日の昼間に公園に行って、公園で子どもと遊んでる人にチラシを配りました。まさか公園で選挙に関わるチラシが配られるとは思ってないから、意外と聞いてくれるんですよね。チラシには料理のレシピとか、自分の得意なアロマの話なども入れるなど、いろいろ工夫はしました。

太田 ご自分なりのアイデアを考えて実行したんですね。何人くらいのお母さんたちが選挙活動を手伝ってくれたんですか?

山田 15〜20人くらいですね。みんな選挙にかかわるのは初めてでしたけど、すごい楽しかったです。みんなで「辻立ち」(街頭演説)をするのですが、マイクをまわして話しました。最初はみんな緊張していたのに、慣れてくると話したいことがどんどん出てくる。学校のこと、ワクチンの副作用の話、安全な給食のこととか、最後にはみんなのほうが話しているくらい。そうやって自分の思いを話す機会ってないんですよね。

太田 どれも生活に身近な話ばかりですよね。週に何日くらい駅頭に立っていたのですか?

山田 選挙が近づいたときは、週3日くらい立ちました。それでも少ない方です。普通は毎日やりますから。朝よりは夕方のほうが動きやすかったので、立っていたのは17〜18時くらい。週末は、子どもがそばにいることもありました。そうするしかなかったんですが、子どもは選挙活動をしてはいけないというルールがあるからか、抱っこしながらマイクを握っていることに対して、周りからいろいろ言われたこともあります。忙しくなってくると、友だちが夕飯のおかずを持ってきてくれたり、市民ネットの先輩たちが子どもをみてくれたりして、すごく助けられていました。

「選挙カーでの連呼」はしない
自分のスタイルで思いを伝える

太田 実際の選挙は一週間ですが、その前から大変なんですよね?

山田 半年間は、まず私のことを知って欲しいと、ほぼ毎日のように市民ネットのレポートを持って、約半年間でのべ5000軒くらいの「対面活動」をしました。一日60軒を目標にしてまわるんです。選挙期間中は選挙カーを使わないで自転車に乗っていました。車も公費で助成されますけど、もったいない。車で名前を連呼するのは、自分たちの思う選挙のスタイルと違うなっていう気持ちもありました。そうやって対面活動をやりつつ、駅立ちもして、あとはSNSでの発信や集会を開くとかですね。

太田 車に乗って「山田裕子、山田裕子でございます」と連呼するのはやらなかった?

山田 やりたくなかったんです。自転車にスピーカーを乗せて、立ち止まっては喋ってました。対面活動をしても、日中に在宅している方は限られているので、話をちゃんと聞いてくださる方は多くありません。それでも、100軒に1軒でも、政策に掲げた放射能対策や子育てのことについて共感してくれる人がいると嬉しい。けっこう楽しみながらやりました。

太田 そうした活動が、向いていらっしゃるんでしょうね。それで結局、32議席中5位という上位で当選されたんですよね。市民ネットがついていたにしても、すごいことだと思います。ご自身では手応えはありましたか?

山田 フタを開けるまでは分かりませんでした。新聞記者からも、私は当落線上だと言われていたんです。地縁や血縁のようなものもありませんし。でも、やっぱり市民派というか、同じ感覚を持っている人に入れたいと思う人が多くいたのかなと思います。

太田 本当にそうですね。それで2015年5月に市議としてデビューされるわけですが、その年の議会でいきなり大変な思いをされたんですよね。

山田 そうなんです。謝罪を迫られて、あのときは本当に泣きました……。

(その2へ続く)

山田裕子(やまだ・ゆうこ)埼玉県越谷市議会議員。2003〜2013年、武蔵浦和でリラクゼーションサロンを経営。3・11から「5年後10年後子どもたちが健やかに育つ会・越谷」の活動にかかわる。食、予防接種、自然な暮らしの勉強会などを行う「いのちと暮らしを考える会」で共同代表を務める。2015年越谷市議選挙で初当選。二児の母親。

太田啓子(おおた・けいこ)弁護士。2002年に弁護士登録(神奈川県弁護士会)。安倍政権による「憲法改正」に強い危機感を持ち、カジュアルな雰囲気で憲法を学べる学習会「憲法カフェ」を、地元の仲間とともに企画・開催してきた。「怒れる女子会」呼びかけ人。「明日の自由を守る若手弁護士の会」のメンバーでもある。二児の母親。