第433回:サンタクロースがこないクリスマス 〜生活保護基準、またしても引き下げ〜の巻(雨宮処凛)

 今年のクリスマス、あなたはどんなふうに過ごしただろうか。

 恋人と素敵なディナーをした人もいるかもしれないし、家族とゆっくり過ごした人もいるだろう。イブもクリスマスもずーっと仕事だった人もいるだろうし、毎年恒例・革命的非モテ同盟の「クリスマス粉砕デモ」に参加し、「カップルは自己批判しろ!」「セックスなんていくらしたって無駄だ!」という魂の叫びを渋谷に響かせた猛者もいるかもしれない。

 私はと言えば、特に予定もないので仕事をしつつ、夜には猫たちに「普段はあげない刺身」をあげるなどしてちょっとした特別感を味わった。まあ一言で言えば、クリスマス感ゼロだったというわけである。
 
 が、そんなクリスマスも、子どもの頃は特別なものだった。特に私などは小学6年生までガチでサンタクロースの存在を信じていたという「気づくのが遅すぎた」系。3人姉弟の一番上で、私が小6の時、一番下の弟はまだ幼稚園児だったため、我が家ではそっち系の情報開示がどうしても遅れがちだったのだ。同級生みんなが「サンタクロースなんていない、あれは親だ」と当たり前の顔で言うのに衝撃を受け、母に「いるんだよね?本当にサンタさんはいるんだよね?」と泣きなからとりすがった小6の冬、母もさすがにヤバいと思ったのだろう、「いるわけない、あれは自分たちだ」と至極冷静に告白したのだった。私が大人の階段を上った瞬間だった。

 さて、そんなふうに子どもにとって特別なクリスマスだが、最近、衝撃的な数字を発見した。それは、シングルマザーの3人に一人が「クリスマスなんてなければいい」と考えたことがある、という調査結果(東京新聞2017年12月16日夕刊)。お金、時間の余裕がないことなどが原因で、10人に一人は子どもに「うちにサンタは来ない」と伝えたことがある、と回答したのだという。

 この記事を読み、胸が痛んだ。なぜなら、自分自身、クリスマスが近くなると親や周りの大人たちに「いい子にしてないとサンタさん来ないよ」などと言われていたからである。大人たちにとっては、普段の「勉強しなさい」系の説教に、季節モノとしてクリスマスアレンジを取り入れてみただけのことなのだろう。が、もう物心ついた時から「いい子にしていればサンタクロースは来る」=「悪い子にはサンタクロースは来ない」という図式は私の中に刷り込まれていた。別に周りの大人から言われなくとも、テレビや絵本なんかでもその手の話は多くあった。いい子にしていればサンタクロースは来てくれるけれど、悪い子のもとには来ない。そんな「常識」の中で生きる子どもが、「自分の家にはサンタは来ない」と言われたら、どんな気持ちになるだろうか。

 そんな報道に接する前日、ある記者会見で、やはりクリスマスというキーワードを耳にした。子育て中だという30代の女性は言ったのだ。

 「クリスマスどころではないというのが、正直なところです」
 
 彼女は複数の子どもを育てながら生活保護を受ける身。化粧品も持っていないというすっぴんの女性は、午後2時から始まった会見で、クリスマスどころか「今日も朝食も昼食も食べていない」ことを話した。顔は水で洗うだけで、下着もつけていないという。子どもが初潮を迎え、胸が大きくなるのをみれば、子どもに女性用の下着が必要になってくる。そうすれば、自分の分は我慢するしかない。

 多感な時期の子どもに、「お金がない」という理由で、将来の夢を諦めさせたくない。「勉強すれば自分はやれる」という自信を持ってほしい。しかし、高校生の子どもはすでに「大学は無理だってわかってるから」と口にするという。でも、子どもが「これをやりたい」ということは叶えてあげたい。例えば、出展料が数百円かかる書き初め展や絵画展への出展。学校の先生に出ることを推薦された大会があれば、それも参加させてあげたい。交通費が2000円、参加料が数千円かかっても、親として後押ししたい。

 「そういう時に何を切り詰めるかと言いますと、食費、光熱費、そして私自身の健康を削るしかないんです」
 
 女性はそう言うと、続けた。

 「子どもが力を最大限発揮して、自分みたいに生活保護を受けるようにならないように、生活保護を受ける子どもの権利を守ってほしいんです。どうかみなさん、これから将来、子どもたちが夢を持って自分の希望を叶えていく力を持てるような、そういう保護制度の運用にしてほしいんです。どうか子どもたちを失望させるような、生活保護の引き下げはやめて頂きたいんです」
 
 この日行われたのは、生活保護の引き下げに反対する記者会見。

 生活保護基準は5年に一度見直しが行われ、まさに今がその時期に該当するのだが、年の瀬も押し迫った12月なかば、厚労省は突然、生活保護基準を最大で14%近く引き下げる方針を打ち出したのだ。そうして12月15日、私も共同代表の一人である「いのちのとりで裁判全国アクション」のメンバーたちで厚労省に申し入れ。「生活保護制度の充実を求める緊急署名」1万7471筆を提出し、その後、記者会見をしたのである。女性の発言は、その席でのものだ。

 生活保護基準の引き下げについては、この連載で何度も何度も触れてきた。なぜ、そんなに触れてきたかというと、この数年引き下げが続いており、当事者からの悲鳴が上がり続けているからである。

 事の発端は、第二次安倍政権発足まで遡る。2012年、野党だった自民党は「生活保護基準10%引き下げ」を公約のひとつにして政権に復帰。そうして13年1月、厚労省は「最大10%引き下げ」方針を打ち出し、この年から段階的に生活保護基準は引き下げられていったのだ。

 「『死ね』と言われている気がする」「自分が生きていることが迷惑と言われているようだ」。この当時から、多くの当事者からこんな声が寄せられていた。政権交代前の12年春には、芸能人の母親の生活保護受給報道を発端とした「生活保護バッシング」があり、嵐のような非難の中、自殺に追い込まれた人もいた。そこにトドメのように来た生活保護基準最大10%引き下げ。実際に保護を利用している人たちからは「食事の回数を減らした」「お葬式や結婚式、親族のお見舞いにも行けない」という声も相次いだ。これは「文化的で健康な最低限度の生活」に反するということで、現在、全国29都道府県で955人が原告となって「生活保護引き下げは違憲」として裁判をしている。この裁判は「いのちのとりで」裁判と呼ばれ、私も「いのちのとりで裁判全国アクション」の共同代表として応援している。

 そんなふうに、現在の状況が「違憲」だとして多くの人が声を上げている中で打ち出された引き下げ。しかも、引き下げの根拠となっているのは、下から10%の所得の人たちと比較して、その消費水準と合わせて引き下げる、というものだ。

 が、日本の生活保護の捕捉率(受けられるべき人がとれだけ受けられているか)は2割ほどと言われている。自らが生活保護の対象になることを知らず、あるいは申請したのに追い返されたりして生活保護を受けずにカツカツの暮らしをしている人たちと比較して生活保護を引き下げるのではなく、国がすべきはその人たちもまた制度に捕捉され、貧困ライン以下の生活から脱却できるように務めることではないのか。っていうか、「アベノミクスで経済が回復」なんて言ってる一方で、低所得者の生活がより厳しくなっていることについて、国はどう説明するのだろう。

 さて、そんな生活保護基準は他の様々な低所得者向けの施策の基準にもなっている。例えば、経済的に厳しい家庭の子どもの学用品代などとして支給される就学援助も生活保護を基準としている。13年からの引き下げによって、実に38もの低所得者向け施策が影響を受け、支援から漏れる人も多く出てしまった。このことについては丁寧な検証が必要だが、この検証自体、まだできていない。制度があまりにも広範囲にわたるため、一体どういう影響が出ているのか、誰も把握できていない状況なのだ。よって、「生活保護基準を引き下げる」ための前提は、まったく整っていないどころか崩壊している。

 それなのに、またしても打ち出された引き下げ。
 
 結局、引き下げ額は最大5%となったが、約14%が5%になってよかった、などという話でない。その前にすでに最大10%がカットされた上での5%なのである。

 記者会見の日は、先の子育て中の女性以外にも、当事者が発言してくれた。

 精神疾患で働けず、保護を利用する女性は、ガス代がかかることから夏以外はシャワーも毎日は浴びず、食費なども限界まで切り詰めていることを話した。そういう中で突然冷蔵庫などが壊れたらどうなるか。生活保護制度は急な出費にはなかなか対応してくれない。

 また、昨年まで生活保護の現場で働いていた元ケースワーカーの男性は、前回の引き下げの際、窓口で生活保護利用者に「なんで下がるんですか」と問われて答えに窮した経験を話した。

 「『いや、それは国が決めたことです』と言うと、『どうしろというんですか。死ねというんですか』とまで言われるんですよ、現場のワーカーは。それはきついですよ。それで今回また下げる。香典が出せないから友達付き合いができないとか、様々な実例があるんですよ。それをぜひ聞いて頂かないと」

 この日、精神障害があり生活保護を受ける男性は、「私たちのことを私たち抜きで決めないで」と訴えた。まさにこの一言に尽きるだろう。なぜ、当事者の声をまったく聞かずに勝手に決めてしまうのか。
 
 今回の引き下げで懸念されるのは、過度な節約から命や健康が脅かされることだ。

 例えば私が取材した実感では、多くの人が電気代の節約のため、夏の猛暑の中でもエアコンをつけることを我慢している。少し前に話を聞いた、生活保護を受ける86歳の男性は、部屋にエアコンがあるもののほとんど使わず、扇風機で凌いでいることを話してくれた。理由はやはり、電気代だ。が、16年夏、熱中症で救急搬送されたのは5万人以上。死者は621人。亡くなるのは圧倒的にお年寄りが多い。今でさえ、ギリギリの節約をしているのに、そんな中での生活保護引き下げが何をもたらすのか。死者が出てからでは遅いのだ。

 一方で、生活保護基準以下で暮らす低所得層への対応も重要だ。

 10年、さいたま市では76歳の男性が熱中症で死亡している。十数年前に生活保護を申請したものの認められず、10年間、電気やガスのない生活をしていたという。男性は48歳の長男と同居していたが、長男は腰痛などで働けず、二人は2ヶ月で十数万円程度の男性の年金で生活していた。

 また、07年には北九州で生活保護を打ち切られた男性が「おにぎり食べたい」というメモを残して餓死した事件が注目された。
 
 そのように大きく報道される餓死事件がある一方で、この国で行き倒れ状態で亡くなる「行旅死亡人」の数は、毎年500から800人にのぼる。

 餓死したり凍死したり行き倒れたり熱中症で亡くなったり、そういう時だけ同情の声が上がり、「自己責任」という言葉が一瞬後退する。だけど、少ししたらまた「自己責任」「お前より大変な人はいる」「社会のせいにするな」「努力が足りない」などの言葉が復権する。そういうことを繰り返しているうちに、生活保護という「権利」はどんどん後退し、地盤沈下していった。今、起きているのはそういうことだと思うのだ。だけど、餓死しなきゃ貧困と認められない社会なんて、もう何もかも手遅れだ。

 「いのちのとりで裁判全国アクション」では、2018年1月末まで「生活保護制度の充実を求める緊急署名」を集めている。

 賛同して頂けたら、ぜひ、署名してほしい。

第433回:サンタクロースがこないクリスマス 〜生活保護基準、またしても引き下げ〜の巻

東洋学園大学のシンポジウムで

雨宮処凛
あまみや・かりん:1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)、『自己責任社会の歩き方 生きるに値する世界のために』(七つ森書館)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。