第12回:森友・加計事件で安倍政権は退陣目前の窮地に(柴田鉄治)

 3月初めの朝日新聞のスクープから「財務省ぐるみの公文書改ざん事件」が明るみに出たうえ、4月初めのNHKのスクープ「財務省が森友学園側に口裏合わせを要請した」によってダメ押しの形となり、さらに加計学園事件では首相秘書官が「本件は首相案件」と発言したとの文書が出てくるなど、森友・加計事件はすべて安倍首相が関与した事件であることが明白になって、安倍首相は公約通り退陣するほかない窮地に陥った。
 ちょっと問題を整理してみよう。財務省が公文書の改ざんを14件公表し、佐川・国税庁長官を更迭して懲戒処分も発表して、責任をすべて佐川氏に押しつけようとした。佐川氏も、証人喚問ですべて財務省がやったことだと認めながら、「官邸や政治家からの指示は一切なかった」とそこだけはいやにはっきりと否定した。
 しかし、「なぜやったのか」という質問には証言を拒否し、しかも、財務省の次官や官房長らにも相談しなかったというのだから「そんなことがあり得るのか」と驚いた。たとえ、佐川氏がひとりでやったにしても、公文書の改ざんは犯罪行為であり、財務省のトップの責任は免れないのに、麻生財務相は、居座ったままだ。

3年前に「首相案件」の文書、安倍首相のウソが明白に

 加計学園事件の「首相案件」文書は、3年前の2015年4月に愛媛県や今治市の職員が首相官邸を訪れたとき、柳瀬唯夫・首相秘書官がそう発言したという記録文書が愛媛県に残っていたもので、同じ文書が農水省からも出てきた。
 それに対して柳瀬氏(現在は経産省審議官)は、「記憶によれば、愛媛県や今治市の職員と会ったこともない」と全否定しているが、記憶と記録文書とどちらが信用できるか、自ずと明らかだろう。
 不思議なことに、加計学園事件では、文科省に残されていた「総理のご意向」などと記された文書について、そう発言したといわれる首相秘書官らは全員そろって「記憶にありません」の大合唱になっている。そこにまたまた「記憶によれば、会ったこともない」が加わった形である。
 3年前の時点で、首相秘書官が「本件は首相案件」と言ったという文書が出てきたことによって、安倍首相が国会答弁で度々断言した「加計学園が候補になっていることは、昨年1月まで知らなかった」という言葉は、やはりウソであったことか明らかになったようだ。
 首相のウソに合わせるかのように、秘書官らが「記憶にありません」の大合唱をしている図式といい、「私や妻が少しでもかかわっていることが分かったら、総理大臣も議員も辞める」と宣言した首相の言葉を忖度して、昭恵夫人の発言などを次々と消し去った財務省の公文書改ざんの図式といい、忠誠心にあふれた部下を持つ安倍首相の「しあわせ」を思うと同時に、「罪作りな人だ」と思わないではいられない。
 財務省ではもう一つ、福田・事務次官の「セクハラ問題」がある。週刊新潮が報じた事件で、女性記者とのやり取りを記録した音声まで公表している。これには与党内からも「辞任やむなし」の声があがり、読売新聞まで一面トップで「福田次官、辞任へ」と報じたほどだが、福田次官は4月16日になって一転、「そんな事実はない」と全面否定に転じた。
 財務省の顧問弁護士らによる調査が始まったが、結果はどう出るか。日本のトップ官庁と言われる財務省も、いまやガタガタ、崩壊寸前だと言っても過言ではない。

防衛省では「日報隠し」、イラク派遣では「戦闘」「銃撃戦」と

 さらに、防衛省の「日報隠蔽」の問題もある。南スーダンPKОの日報問題で稲田・防衛相が辞任したあと、続々と出てきた日報を岸田防衛相にも報告せず、1年近くも放置してきたというのだから、シビリアン・コントロールはどうなっているのか、抜本的な疑問まで浮上してきた。
 それだけではない。2003年のイラク戦争に、当時の小泉政権が米国からの要請に応じて自衛隊を派遣したが、このたき政権は「あくまで戦後復興のためで、戦闘地域には派遣しない」と答弁していた。そのイラク派遣についての日報は、破棄されて存在しないとされてきたが、10年以上も経って出てきたと、防衛省は4月16日、2004年1月20日から06年9月6日までの435日分の日報を発表したのである。
 日報によると、自衛隊が派遣されたサマワは「非戦闘地域」どころか、「戦闘」「爆発」「銃撃戦」といった言葉が乱れ飛ぶような状況で、政府の答弁とは乖離し、憲法違反の疑いが極めて濃いことが、あらためて明確になったのだ。
 イラク派遣では、航空自衛隊が米兵をイラクに運んだ行為は「明らかに憲法違反だ」と名古屋高裁で判決も出ており、そのうえさらに、陸上自衛隊の派遣も憲法違反の疑いが濃いことが浮かび上がったわけである。
 イラク戦争と言えば、米国と英国が国連の決議もなしに始めたもので、大義名分にした「大量破壊兵器」も存在せず、「間違った戦争」であったことが明らかになっている。英国やオランダでは第三者委員会が検証した結果を発表しているが、日本は、イラク戦争については何の検証もしていない。
 いまからでも遅くないから、出てきた日報をもとにイラク戦争の検証をすべきではなかろうか。そうすれば、安倍首相が戦後一貫して憲法違反とされてきた集団的自衛権の行使を閣議決定で引っくり返し、次々と強行採決で成立された安保法制がいかに危険なものか、あらためて浮かび上がってくるに違いないからだ。
 財務省も防衛省も、安倍政権を支える官僚機構はいまやガタガタであり、各社の世論調査による内閣支持率は下記の通りである。安倍首相も静かに退陣すべきときではあるまいか。

【内閣支持率に関する各社世論調査】

・読売新聞(3月31日、4月1日)   支持42%、不支持50%
・JNN(TBS)(4月8、9日)   支持40%、不支持58%
・NHK(4月6~8日)         支持38%、不支持45%
・NNN(日本テレビ)(4月13~15日) 支持27%、不支持54%
・共同通信(4月14、15日)       支持37%、不支持53%
・朝日新聞(14、15日)       支持31%、不支持52%

米・英・仏がシリアをミサイル攻撃、ロシアはどう出る?

 今月のニュースでもう一つ見逃せないのは、米・英・仏3か国が協力してシリアのアサド政権側にミサイル攻撃を仕掛けたことだ。アサド政権側がサリンや塩素ガスなどの化学兵器を使用したことに対する報復というか警告というか、ミサイル105発を撃ち込んだのである。
 国連安保理に米国が提案したシリアの化学兵器使用を非難する決議案が、ロシアの拒否権によって否決されたため、米・英・仏3か国によるミサイル攻撃が実行に移されたわけだが、もう少し待って国連の調査団が化学兵器の使用を確認するまで待つべきだったのではあるまいか。シリアやロシアは、3か国のミサイル攻撃を「武力侵略だ」と非難しており、一歩間違えば戦争に発展しかねない武力攻撃だけに、慎重さが欲しかった。
 北朝鮮の金正恩委員長の中国訪問から、4月27日の南北首脳会談、5月か6月に予定されている米朝首脳会談と融和ムードが広がっているときだけに、突然の武力行使にひやりとさせられるものがあった。
 安倍首相は、いち早く米国のミサイル攻撃を支持する意向を表明したが、それよりむしろ、中東の武力行使がアジアに飛び火しないよう、米国を説得する側に立つべきではないか、と思われてならない。
 シリアと北朝鮮、それにトランプ大統領の米国と、当分の間、世界平和にとって目が離せない状況が続くと言えよう。

今月のシバテツ事件簿
「地震の常識」をことごとく覆した熊本地震

 熊本地震からまる2年が経った。震度7という最大級の揺れが続いて2回も起こったことや、「本震と余震」ではなく、あとのほうが本震だったことなど、「地震の常識」をことごとく覆した地震だと言われた。
 しかし、大学で地震学を専攻した私に言わせれば、地震に常識なんてものはなく、地震はすべて常識破りなものだといっても過言ではない。というのは、地震は地中の岩石の破壊によって起こるもので、もともと予測ができないものなのだ。
 地震学の教授は、私たちに「なぜ地震の予知ができないか」こんな説明をしてくれた。割り箸を両手に持ってしだいに力を入れていくと、いつかは折れる。しかし、次の力で折れるのか、それとも次の次の力で折れるのか、それは分からない。地中の岩石の場合、その間の時間が、10年とか20年とかになるのだ、と。
 私が学んだときの地震学は、地震に直下型とプレート型(海溝型)の2種類あることがまだ分かっていなかった。その後、プレートテクトニクスという新しい分野が開けて、プレート型地震には100年~200年の周期があることが分かってきた。
 そして、東大地震研の若い研究者が、プレート型の「東海地震」が江戸時代から百数十年起こっていないので、「いつ起こってもおかしくない」と警鐘を鳴らし、それを受けて静岡県選出の政治家が1978年に「大規模地震対策特別措置法」(大震法)を制定した。
 東海地震の震源地に観測器を集中し、異常をキャッチしたら気象庁の判定会議が首相に進言して「警戒宣言」を発するという仕組みである。
 この大震法によって、「次の大地震は東海地震だ」「それも予知できるかもしれない」という誤った認識が世間に広まってしまった。その予想に反して、1995年の阪神大震災も、2011年の東日本大震災も、「ある日突然」起こって、多数の死者を出してしまったのである。
 そして、熊本地震によって、ようやく大震法が改訂され、「次の大地震は東海地震とは限らない」「予知はできない」となったのである。地震国、日本では、予知に頼るのではなく、いつ起こるか分からないとして、地震対策をしっかりやっておくことである。

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柴田鉄治
しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。