第33回:人生の、断捨離(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

さびしい知らせがふたつ

 ぼくの売れない本を2冊も出版してくれた「リベルタ出版」が店仕舞いするという。社長の田悟恒雄(でんごつねお)さんの30年間にわたる健闘と苦闘を讃えて、仲間が集まって「田悟さんの出版界からの卒業式」を開催することになった。その「卒業式」が5月30日に開かれる。
 ぼくはみんなに薦められて、田悟さんの「卒業証書」の文面を書くことになった。さびしいから、思いっきりカッコいい卒業証書を書いてやる。

 もうひとつは、元国立市長・上原公子さんの送別会。
 上原さんは、この「マガジン9」の産みの親のおひとり。マガ9が2005年に産声を上げたときの事実上のお母さんだった。だから、ぼくとはもう15年ほどのつきあいになる。上原さんが参院議員選挙に立候補しちゃったときには、なんとぼくが後援会会長までさせられた、という仲なのだ。
 その上原さん、ふるさとの宮崎へお帰りになるという。もう90歳近い母上の介護のためだそうだ。
 東京で頑張り、その後も原発廃止や改憲阻止のために全国を駆け回ってきた活動に、一旦、終止符を打つという上原さん。だからやはり、親しい人たちが集まって、さよならをしたいというわけだ。その会が31日。
 というわけで、ぼくは連日、さびしいサヨナラをしなければならない。
 つくづく、自分の身に引きつけて考え込まざるを得ない。
 上原さんのメールには、こんなことが書いてあった。(私信だけど、書いちゃうよ、ゴメンね!)

 本当に、考えたら淋しくて、引っ越しできなくなりますので、人生の断捨離! エイヤッです。考えてみれば、私の人生はいつも想定外でしたので、新しい試みもありかなと、天の思し召しに従ってみます。

 ああ、人生の断捨離か。
 入ってくるものを断ち、不要なものは捨て、執着心から離れる。
 ぼくもそろそろ、人生の断捨離を考えなければならないところへ差しかかっているような気がする。だけど、なかなか踏み切れない…。
 親しい友人が亡くなる。むかし取材などで知り合った人が、ぽつぽつと消えていく。死の間際に、何を思ったのかなあ…と、このごろよく思うのだ。

 ぼくの身内が3年続けて逝ってしまった。3年続けての「喪中はがき」だ。でも、もう今年は出すのをやめようと思う。なんとなく音沙汰がなくなって、気づいたら居なくなっていた。そんな感じがいちばんいいんじゃないか。

そろそろ、身辺整理…

 カミさんがこのごろ、やけにうるさい。
 「アレは捨てていい? コレはまだとっとくの?」
 「また本を買ってきて。要らない本は捨てるか売るか、どっちかにして下さい」
 「この服、もう何年も着てないから捨てるわよ」
 などと、身辺整理に余念がない。
 ぼうーっとしているぼくに、「そろそろ人生の断捨離時期よ」と手厳しい。小さなシュレッダーを買い込んできて、不要になった書類や、取っときたくない手紙なんかを、ザーザーと始末している。
 「むかし、あなたからもらった手紙。シュレッダー行きにします」
 げっ、学生時代の恥ずかしい形見じゃないか。まだそんなもん、取ってあったのか。それだけはさっさと切り刻んでくれぃ! ダンシャリダンシャリ!
 まったく、なにが出てくるやら…。

 身の周りを見わたしてみる。確かに、不要なものが溢れているな。それでも捨てようとすると、なぜかそれらにまつわる思い出みたいなもんが浮かび上がってきて、考え込んでしまうのだ。人生って、なかなか断捨離できないな。上原さんのように、エイヤッ、というわけにはいかないのだ。
 会社を辞めて、ぼくは「平和ボケ老人」になろうとした。平和のうちにボケることができたら、こんな幸せなことはあるまい。でも、なかなかそれは実現が難しい。
 年金は減らされそうだし、高齢者医療負担は否応なく増やされる、介護保険料はどんどん上がっていく。
 その上に、なんだかキナ臭い連中が政権に居座って、軍隊がどうの海外派兵がこうの安全保障がああのと、危なっかしくて仕方ない。おまけに、危なっかしいものの権化のような原発を、どんどん再稼働させようとしている。
 おちおちボケてもいられない。

 それでも、少しずつ捨てていく。少しずつ身を退いていく。少しずつ隠れ住むようにする。少しずつ人前から消えていく。そうしたい。
 たまには、こんな人の役にはまったく立たない駄文を書いて、一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べて……暮らしていければそれでいいかな、と思うのだ。いや、食べ物だけはもう少しイロをつけたいなあ。当たり前だけれど、なかなか賢治の域には達しない。煩悩の人生である。
 でも、そんなふうに生きていても大丈夫な世の中が早く来てくれればいいと、心から思っている毎日…。

ボケさせてくれない安倍首相

 新聞やTVニュースは、トップで「愛媛文書」の中身を伝えている。安倍首相が加計孝太郎氏と2015年2月に面談していた、という内容だ。安倍氏が「加計学院の獣医学部の話を初めて知ったのは、2017年1月20日」と言い続けてきたことと、まったく相反する内容だ。
 お約束の如く、安倍氏が否定。
 「その日に加計氏に会ったことはない。官邸の記録を調べたが、確認できなかった」と言明。ところが同じ口で、「入廷記録は業務終了後、速やかに破棄されるので残っていない」とも述べた。聞き流せば、ああそうか、とも思えるが、よく考えるとこんなおかしいことはない。「破棄された記録を、どうやって調べたの?」である。
 「会っていない」と「確認できなかった」を、同時にしゃべるというのも相当ヘンだ。だって「確認できない」なら、なぜ「会っていない」と断言できるの?
 百歩譲って「確認できなかったのですが、会っていないのではないかと思います」ならまだしも、「確認できないが会っていない」は、日本語としてまことにおかしい。でも、安倍氏に日本語の講義をしたところで虚しい。

 安倍氏、なかなかぼくを平和ボケ老人にはならせてくれないらしい。

こんな静かな道を散歩しながら、ゆっくり老いていきたいと……

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。