第36回:米朝首脳会談と日本外交(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 はっきり言えば、ぼくはトランプ大統領も金委員長も苦手だ。いや、むしろ「嫌い」と言ったほうがいい。
 もしあんな人が会社の上司だったら、とても耐えられないだろうし、ご近所さんだったら、なるべくその人の家の前は通らないようにするだろう。だって、どんな難癖をつけられるか分かったもんじゃないし、一度約束したことだって、あっさり反故にされて、ひどい目にあわされるかもしれない。そうでしょ?
 それはそうなんだけれど、でも、今回の米朝首脳会談、ふたりがにこやかに握手する場面を見て、なんだかホッとしたのも事実だ。うまくいけばいいなあ、ぼくは本気でそう思ったのだ。

米朝合意の中身とは…

 マスメディアが大騒ぎするのは、この会談に関しては当然だろう。
 数十年間にわたってキナ臭い煙が漂っていた半島(いや、日本を含めたアジア全域)に、かすかではあるが陽が差し始めたのだから。ほんとうに、なんとかその陽光を遮らないようにしてほしい。
 米朝共同合意文の内容は、おおよそ次のようなものだった。

1.米国と朝鮮民主主義人民共和国は、両国民の要望に基づき、世界平和と繁栄に寄与するために信頼関係を構築することを約束する。
2.米国と朝鮮民主主義人民共和国は朝鮮半島における持続的、安定的な平和体制を構築する努力をともにする。
3.朝鮮民主主義人民共和国は、朝鮮半島の完全なる非核化のための努力をすることを約束する。
4.朝鮮戦争時の米国兵の発見された遺骸の米国への送還、及び戦闘時の行方不明者の発掘を約束する。

 多くのマスメディアや識者たちが指摘しているように、具体的な内容には乏しいといわざるを得ない文章である。しかし、この合意文の末尾には、以下のような文章が付記されていた。

 両国は、今回の米朝首脳会談の成果を実行していくために、米国のポンペオ国務長官と朝鮮民主主義人民共和国の高級関係者による後続の協議を、可能な限り早い時期に開催することを約束する。
 米国のトランプ大統領と朝鮮民主主義人民共和国の金正恩委員長は、新しい米朝関係の発展と、朝鮮半島と世界平和の保障の増進ために協力することを約束する。

 簡単に言えば、この短い会談では具体的な話までは詰められなかったから、後は実務者同士で話し合い、それを着々と実現していく、ということに尽きる。
 「甘い」という批判が出るのは当然だけれど、とにかく一歩前進したことは間違いない。ここに何度も書かれている「約束」という言葉(英文では〈commits to〉と書かれている)が重要なのだとぼくは思うのだ。
 とにかく両首脳は「約束」したのだ。

「約束」という言葉

 むろん「これまで何度、北朝鮮が約束を破ったことか」と疑問視するむきがあるのは当然だ。だが今回は、やや様相が違うと思う。それは、トランプ大統領は大向こうをうならせる芝居役者なのだから支持者への「成果誇示」が第一だし、金委員長も疲弊している国民への「お土産」がぜひとも必要なのだ。その部分では利害が一致している。
 とくに金氏にとっては「体制保証」がもっとも重要な点なのだが、そのためには膨大な金が必要なのだ。とすれば、核やミサイル開発にかける金に限界が来た、と見るのが妥当だろう。しかも、この会談による成果として、日韓両国からの資金援助が必ず表面化するはずだ。トランプ大統領は「カネは出さん!」と前々から広言している。「朝鮮半島の平和のもっとも恩恵を受ける日韓両国が資金負担するのは当然」というのがトランプ氏の言い分なわけだ。
 韓国は同一民族なのだから、応分の負担はするだろう。問題になるのは、日本の出方である。実は、トランプ大統領から安倍首相が「支援負担」については、以前から釘を刺されていたという情報は、どうやら事実らしい。
 しかし、安倍首相はそれをなかなか明らかにはできない。なぜなら、安倍首相の支持者は、ネット右翼といわれる人たちが多数を占めている。この人たちが「なんで北朝鮮になんかカネを出すんだ!」と猛反発するのは目に見えている。今秋の自民党総裁選や来年の参院選を控えている安倍首相にとって、この層の反発は自身の総裁選での命取りになりかねないのだ。
 安倍首相がトランプ大統領に、必死に「米朝首脳会談で拉致問題を取り上げてほしい」と懇願したのは、北朝鮮への支援資金を「拉致問題解決のため」という名目にすり替えたいからなのだ。それならば、ネット右翼諸士も非難はしにくい。
 だがこれも、そうとうにハードルが高い。北朝鮮が、すんなりとその交渉に乗ってくるとは思えないからだ。なにせこれまで、安倍首相はトランプ大統領の言いなりになって「最大限の圧力」路線を強硬に突っ走って来たのだから、北側からすれば「何をいまさら」というわけだ。
 トランプ大統領の「手のひら返し外交」に、ひたすら揉み手の「隷属外交」で過ごしてきた安倍外交のツケが、ここに来て暴発しそうになっているのだ。

 では、それをなんとか修復する手段はないのか?
 ある。たったひとつあるのだ。
 それは、安倍首相が辞任して、まったく別の政治家に対北朝鮮外交を担ってもらうことである。これまでとは違う外交方針をとる、と内外にはっきりと示すことが、北朝鮮と交渉できるただひとつの方策である。
 日本は、米国追従外交から脱して、独自の外交を歩き直さなければ、拉致問題の解決も難しいと思えてならない。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。