第459回:「フェミニスト・ファイト・クラブ」で日米共通の「女子という呪い」を知る。の巻(雨宮処凛)

 「気立てがよくなくてはいけないが(女性はみんなそうだから!)、よすぎてもダメ(人のいいなりになりたくないだろう)。母親らしさは必要だが(人の面倒をみるのは当然だから!)、本当に母親になってしまってはダメ(母親は「ビジネスの場にふさわしくない」とされてしまうから)。信頼されるよう自信は持たなければならないが、持ちすぎてはダメ(高慢な女性は嫌われるから)」

 この一節を読んだ時、既視感に思わず目眩がした。

 努力して成功を目指さなきゃいけないけど、男以上に成功するのはダメ。仕事をしながら子どもを産むなど「生産性の高い」女性が理想とされるけど、女医になるんだったら産むのはダメ。長時間労働ができる体力は当然必要だけど、その上で「女子力」も高くないとダメ――。

 この国で、女性に押し付けられているダブルスタンダードのほんの一部である。

 さて、冒頭の言葉が掲載されているのは、『フェミニスト・ファイト・クラブ 「職場の女性差別」 サバイバルマニュアル』。アメリカで出版された本書は、8月、日本でも出版された。著者はジャーナリストのジェシカ・ベネット。「フェミニスト・ファイト・クラブ」のメンバーで、本書が初の著作だという。

 そう、本書は実在する「フェミニスト・ファイト・クラブ」についての一冊だ。12人で始まったというこのグループ、「メンバーは、20〜30代の売れない作家やクリエイターなど女性ばかりで、大半がバイトをしていた」。

 最初の頃は、だいたい一ヶ月ごとに友人の(というかその両親の)アパートメントに集まり、ワイン片手に愚痴り合ったという。テーマは主に、女性差別。そんなものは母親世代の遺物だと思っていたのに、社会に出て働くとあらゆる「地雷」があることに気づかされた女性たち。昇進というわかりやすいものもあれば、顧客との打ち合わせ中なのに「男性の同僚からコーヒーをいれてくれと頼まれる」という、地味だけどじわじわくるものもある。

 記者経験のある著者からは、週刊誌を率いているのがほぼ完全に白人男性という事実も見えてくる。例えば『ニューズウィーク』の一年間の巻頭特集記事49本のうち、男性が書いていなかったのはたった6本だけ。「女に記事など書かせない」などと言われているわけではない。しかし、現実はそうなっている。あからさまな差別はないけれど、結果には歴然とした差がついている。これはこの国の多くの女性にも身に覚えがあることだろう。

 「フェミニスト・ファイト・クラブ」は、そんなこんなを何年もかけて語り合い、分かち合い、どうすればいいか考え続けてきた。その実績と蓄積の集大成が本書なのだ。

 「日常的に、会議の席で男性は、無意識のうちに女性にメモをとるよう言う。あるいは、実際は女性が仕切っているのに、責任者は男性だと間違えられる。グループ内で何度も話の腰を折られたり、自分のアイデアをほかの男性のものにされたりする。女性は、ありとあらゆるルールに従い、力不足なフリをし、リーダーになっても『気が強すぎる』と思われないよう気を使わなければならない。なにしろ、同僚の男性が女性を『ものすごくやる気がある』と評するときは、褒めているのではなく、けなしているのだから」

 本書の一節だ。すっごいわかるとしか言いようがない。

 フェミニスト・ファイト・クラブのメンバーたちは、彼女たちの「敵」を分類し、彼らへの対策方法を次々と提示していく。本書で紹介される「敵」は、以下のようなものだ。

 女性の話の腰を折って喋り続ける「邪魔男」。その名の通りの「実績横取り男」。秘書でもなんでもないのに女に用事を言いつける「雑用押しつけ男」。「上から目線男」。子どもを持つ女性を役に立たない存在とみなし、まともに取り合おうとしない「母親見下し男」。女性の自信を蝕んでいく「じわじわ骨抜き男」。仕事をしていないのになぜか出世していく「サボり男」。もちろん「セクハラ男」もいる。これらの「敵」に対しての対策がいちいち面白いのだが、彼女たちは女性である自分たちのことも冷静に分析する。

 「困り者」として登場するのは、オフィスの家事を率先して引き受けてしまう「オフィスママ」。自らの功績に対して、「運が良かった」「他の人が助けてくれた」などと思わず言ってしまう「功績辞退者」。名前の通りの「永遠のアシスタント」などなど。その中でも特にやっかいなのが、「ともに戦う女性を、仲間ではなく敵とみなし、女性に刃を向けてくる」という「味方殺し」だ。

 男性にすり寄り、取り入り、自分の立場を得る。このタイプは時に、「男性が思っていても言えないようなこと(大抵は男女平等に反するようなこと)を女性の立場から口にする」ことで男社会の中で居場所を得て、名誉男性的な立場になっていく傾向もある。なんとなく、自民党の女性議員たちの顔が浮かんでこないだろうか。

 本書では、女性たちが分断を乗り越えて「ともに戦う」ためにはどのようなやり方が有効なのか、それはもう懇切丁寧に書かれている。

 それにしても、読みながら、日本とあまりにも似たアメリカの状況描写に共感が止まらなかった。

 例えば女性上司について。

 「彼ら(や彼女)は、なんであれ女性上司にはかなり批判的だ(し、厳しい)。なぜなら、彼女が女性だから。それだけじゃない。彼らは、女性の上司には母親の役割も求め、同時に親友であることも望み、権威があって、『なおかつ』優しさを持ってものごとを仕切ることを要求する。そのうえ、温かく包み込みつつ自分たちを指導し、サポートしてくれることも(おまけに、つねに美しくあることも!)」

 また、女性と権力についてのこんな名言もある。

 「女性が成功するには好かれなければならず、好かれるにはあまり成功してはならない」

 あぁ…、「頑張れ、でも男以上には成功するな」って、日米共通の呪いなのか…。

 そうして本書では、男性が仕事で怒るなど感情をあらわにすると「熱心だ」「情熱的」と評価されるのに対し、女性が同じことをすると「生理中?」「ヒステリー?」などと「ヤバい人」扱いされることへの違和感についても強調されている。

 もちろん、最近では男女問わず「パワハラ」に対して厳しい目が向けられるようになってきた。が、豊田真由子議員を思い出すまでもなく、女性が感情を剥き出しにする方が、男性よりもずっと悪目立ちするという構図は確実にあると思うのだ。

 さて、本書では何かと槍玉に上げられる男性だが、最後に「男性たちへのサービス情報」として、「イヤな男にならずにすむ方法」という章がある。フェミニスト・ファイト・クラブが男性たちに求めることはシンプルだ。

 「私たちを信用して」「『邪魔男』を邪魔して」「私たちに話をさせて」「女性のすぐれた発言には賛同して」「あなたの権力をプラスの方向に使って」「皿洗いをして」などなど。

 一冊通して読むと、「なんだ、このもやもやって日本だけじゃないんだ」と不思議と力が湧いてくる。いろんな悩みを抱えるアメリカの女性たちと、盛大な「女子会」を開いて「あるある話」を山ほどした気分だ。

 もちろん、彼女たちが編み出した「対策」は、すべてが日本で使えるわけではない。特に私としては、「自信たっぷりに話そう」「堂々とプレゼンしよう」「強くて自信に満ちたとびきりカッコいい女性であろう」などの「ザ・アメリカ」っぽいアッパー系のアドバイスにはどうしたって尻込みしてしまう。私にとってのフェミニズムは、「ダメな女がダメをこじらせないためのもの」「ダメな女がダメなままで生きられるもの」であってほしいからだ(昔、栗田隆子さんがそんなことを言っていてその言葉にえらく感銘を受けた)。

 堂々とできなくても、カッコ悪くても、まずは自分で自分を肯定できること。そんな第一歩から始めたい。

 「#MeToo」や、東京医大の女子一律減点問題やセクハラなど、その辺りのことをもっとよく知りたいと思っている人、また、私の『「女子」という呪い』が気になっている人、そして何よりも、すべての男性にオススメしたい一冊である。

今年のメーデーのスローガンはこれでした。正しい!

雨宮処凛
あまみや・かりん:1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)、『自己責任社会の歩き方 生きるに値する世界のために』(七つ森書館)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。