第461回:玉城デニー知事の誕生と、数々のデマと「愛国ビジネス」の巻(雨宮処凛)

 沖縄県知事選に、玉城デニー氏が当選した。

 翁長氏の後継候補として指名されたと報道されてから一ヶ月と少し。それから怒涛の選挙戦に突入し、デニー氏は「辺野古に新基地を造らせない」という翁長氏の遺志を引き継ぎ、当選した。

 玉城デニー氏とは、一度会ったことがある。安保法制を巡って与野党の激しい攻防が続いていた頃のことだ。自由党の衆院議員だったデニー氏もその渦中にいて、なんとか強行採決を阻止しようとしていた。ピリピリした空気漂う現場だったけれど、デニー氏は終始ニコニコしていて、気さくで明るくてムードメーカー的な人だなーという印象を持ったことを覚えている。そのデニー氏が、今や沖縄県知事だ。熱烈に見守り、応援したいと思っている。

 そんな県知事選は、「デマ」との戦いでもあった。特にネットをはじめとして「玉城デニー氏が知事になると沖縄は中国に乗っ取られる」というようなデマが飛び交った。

 何をどうしてどうやったらそんなことになるのか謎としか言いようがないのだが、どんなに突拍子もないことでも拡散され続ければ真実味を帯びてきたり、一定の市民権を得てくる、というのがこの20年以上、私たちが見てきたことである。「中国の工作員」「沖縄は中国に乗っ取られる」というような言い分に限らず、ネトウヨ的な人々は、外国勢力とか工作員とか、猛威をふるう反日メディアとか弱者利権にまみれた左派とか、そういう話が大好物である。

 玉城デニー氏をめぐるデマを見ていて思い出したのは、今話題の『新潮45』だ。

 「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という特集についてはあちこちで批判されており、私もいろいろ言いたいことはあるがもう引用するのも嫌な文章のオンパレードだから控えていたのだが、特集を一読して気づいたのは、数人の書き手に共通するあるスタンスだった。それは例えば、杉田水脈氏を評する小川榮太郎氏の以下のような文章に如実に現れている。

 「杉田氏は概して弱者の名のもとにおけるマスコミの異常な同調圧力、それらと連動しながら強化されてきた様々な弱者利権、それらがしばしば外国による日本侵食工作と繋がっている事の深刻な害毒と戦ってきた人だ」

 「氏は『弱者』に一言必ず阿らねば発言も許されないようなマスコミの抑圧の危険な裏を暴き続けてきた」

 弱者利権、外国による日本侵食工作。おなじみのフレーズである。

 一方、評論家の八幡和郎氏は「杉田議員を脅威とする『偽リベラル』の反発」という原稿で、杉田氏の原点は公務員時代の義憤であるとし、以下のように書いている。

 「関西では、伝統的に公務員労組が強く、市長自身が保守系であっても、なれあいで左派系の既得権益が守られているし、市民運動と連携して新しい利権が生まれてもいる。しかも、それはしばしば、半島や大陸の国とも結びついている」

 半島、大陸、そして左派の既得権益、市民運動の利権。これだけ短い文章によく詰め込んだものだと感心したくなるほど、やはりおなじみのフレーズが続く。

 また、特集の中には、杉田論文への批判を「ビジネス」と捉える原稿もある。自身もゲイであるかずと氏は、「騒動の火付け役『尾辻かな子』の欺瞞」と題された原稿で、この騒動は尾辻氏らにとっての「ビジネスチャンス」だと指摘するのだ。

 「あなた方が狙っているのはLGBTに関する法案の成立です。LGBTを弱者認定する差別禁止法、または理解増進法が成立すれば学校や自治体でLGBTに関する講習会などが絶えず開かれることになるでしょう。これはあなた方にとってはビジネスチャンス以外の何物でもありません」

 「行政から受託ということは税金があなた方の活動に使われることを見越しているということですよね。議員の職を失っても将来安泰といえるでしょう」

 そして原稿は、杉田氏は、LGBTの中でも「LGB」は社会的弱者ではないとわかっている唯一の国会議員と書き、続く。

 「いや、正確にはもう一人います。当事者である尾辻さん、あなたです。しかしあなたにとってLGBTとは今もこの先もお金を生み出してくれる存在、そのため永遠に弱者でいてもらわなければ困るのです。だからこそ杉田さんが邪魔で仕方ない。そこでデモなどを扇動しひたすら議員辞職を要求している」

 保守系の人などがリベラル派を否定する時の言い分のひとつの定番が、「あいつら金もらってる」である。これまでも、「辺野古に座り込みをする人には日当が出ている」などのデマが拡散されてきた。そんなリベラル派が杉田議員を叩くのは、LGBT問題を利用して金儲けするのを邪魔されたくないからだろう、という言い分である。

 彼ら彼女らがそんなふうに思うのは、金儲け以外の目的で動く人間などいないという価値観だからなのだろうか? それとも、「保守ビジネス」「愛国ビジネス」で金儲けをするような人たちがいるからなのだろうか? ここで、最近読んでメチャクチャ面白かった『歴史修正主義とサブカルチャー 90年代保守言説のメディア文化』(倉橋耕平)からある一節を紹介したい。「保守ビジネス」「愛国ビジネス」についての、毎日新聞編集委員・伊藤智永氏の記事である。

 「『保守ビジネス』を起業した男性二人に取材した。話を総合すると――。
 『セミナー屋だね。会費三千円で一回二十五人も集まれば成り立つ。あとはネット塾。私は月千円で約千四百人に歴史や時事問題で面白い言論を配信している。毎月定期的に百四十万。売れっ子のKさんは月五千円、Mさんは月三千円で常時千人以上。やめられないよ。運動なんかしない、商売だもの。自己啓発とか異業種交流とか似たモデルは他にもあった。一九九〇年代末から保守が売り物として成立するようになった」

 私が右翼団体にいた90年代後半、右翼ということで「食えて」いる人など周りに一人もおらず、逆にみんなバイトしたお金を団体に入れていたのだが、どうやら90年代末からは「ビジネス」として成立するようになったようなのである。右翼が「食える」時代になる前に右翼を辞めていて、本当によかったと今、つくづく思う。それで「食えて」しまっていたら、辞められなくなっていたかもしれないからだ。それほどに、私は当時のバイト生活が辛かった。

 そんな「愛国ビジネス」の実態については、古谷経衡氏の小説『愛国奴』にも詳しい。ここまで書いちゃって大丈夫なのか、と心配になるほど詳細が書かれている。ちなみに内容を少し紹介すると、主人公は「ちょっと右寄り」のオタク青年・照一。懸賞論文での入選を機に保守系論客として活動を始めるのだが、講演会に来る「ネトウヨ」たちの「あまりの馬鹿さ加減」に絶望するシーンも印象的だ。ネトウヨたちは「大東亜戦争」についての陰謀論を主張し、「在日特権」についてありもしない利権を並べ立てる。呆れて照一が「本読めよ」と言うと、出版社、テレビ局、新聞社には反日工作員が入り込んで偏向報道がされているから真実はネットの中にしかないと頑なに主張するネトウヨ。しかも照一に「もっとネットを見て勉強して出直してこいよっ!」と叫ぶのだ。

 笑えないのは、今やそんな言葉を「ネトウヨ」に限らず老若男女が口にすることだ。フェイクを信じ、無自覚にヘイトに加担してしまう可能性は誰にでもある。時にネット情報は、「自分だけが真実を知っている」という優越感も与えてくれる。以前、この連載の451回『フェイクと憎悪』を紹介したが、嘘のニュースは真実のニュースより70%高い確率でリツイートされたという研究があるそうだ。「つまらない真実」よりも、「面白い嘘」に魅力を感じるという、誰の中にもある心性がフェイクを拡散させていく。「ネットの中にこそ真実がある」という盲信もそれに拍車をかける。

 『フェイクと憎悪』では、沖縄の運動を巡っても非常に興味深いエピソードが綴られている。沖縄の基地反対運動の現場を取材したテレビ製作者に、視聴者から「ネットを見ろ」「ネットで調べろ」という意見が寄せられたというものだ。プロの取材者に対して、「現場へ行って調べろ」ではなく、ネットの動画にこそ「真実」があるからそれを見ろと意見する。そこに列挙された動画では、基地に反対する人々が「暴力的」に見えるような編集がされていたという。

 見たいものしか見たくない。知りたいことしか知りたくない。「真実」なんかどうでもいい――。そう思う人が多数派になってしまったら、丹念な調査報道など成立しなくなるかもしれない。そうしてメディアが「忖度」すれば、真実は「みんなが望むもの」に歪められていく。「ニュース女子」などを見ればわかる通り、それはすでに始まっているし、それが「金になる」とわかれば『新潮45』だって「愛国ビジネス」に乗り出してしまう時代だ。結局、その代償は「休刊」だったのだが。

 玉城デニー氏を巡るデマや歴史修正主義、また『新潮45』や多くのヘイト言説を見て改めて思うのは、この国には言葉が通じないくらいに「別の物語」を生きている人たちがいるということだ。その人たちの中では、この国は弱者利権にまみれ、反日メディアが猛威をふるい、外国勢力に乗っ取られたさまざまな左派系の運動が幅をきかせ、日当をもらいつつ杉田議員など「国を憂える」人々を攻撃している、という構図になっている。一体どこから話をすればいいのか、どうすれば対話の糸口を見つけられるのか、そこからわからなくて、ただただ戸惑っている。そんな状態がもうずーっと続いているというのがこの国の現状ではないだろうか。

 玉城デニー氏の選挙や『新潮45』の騒動から、そんなことを思った。

 楽観はできない状況だけど、とにかく、沖縄には玉城デニー知事が誕生した。沖縄が、そしてこの国が、いい方向に変わっていくことを願っている。

地震の前に帰省した北海道にて。大通り公園

雨宮処凛
あまみや・かりん:1975年北海道生まれ。作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。若者の「生きづらさ」などについての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。現在は新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題に取り組み、取材、執筆、運動中。『反撃カルチャープレカリアートの豊かな世界』(角川文芸出版)、『雨宮処凛の「生存革命」日記』(集英社)、『プレカリアートの憂鬱』(講談社)、『自己責任社会の歩き方 生きるに値する世界のために』(七つ森書館)など、著書多数。2007年に『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。「反貧困ネットワーク」副代表、「週刊金曜日」編集委員、、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、09年末より厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員。