『教誨師』(2018年日本/佐向 大監督)

 2018年2月に急逝した俳優・大杉漣の、初プロデュース作品にして最後の主演作となった映画『教誨師』。教誨師とは、受刑者と向き合い説教するなかで、彼らが罪を悔い改め、償いを全うできるよう教え導く宗教者を指す。
 大杉演じる佐伯保はプロテスタントの牧師で、教誨師として6人の死刑囚と面会を重ねている。映画は殺風景な面会室の中で、机を挟んで向き合う佐伯と死刑囚の会話劇が主体。死刑囚の経歴も、どんな犯罪を犯したのかの説明もないのだが、一人強烈な既視感を抱かせる若者が登場する。「ただ生きているだけの役に立たないやつら」を多数殺害したとされる、クールでニヒルな高宮だ。言うまでもなく、2016年に起きた相模原障害者施設殺傷事件の被告がモデルであろう。以下は、佐伯と高宮の会話の一部概要である。

高宮 ただ生きているだけの奴らを世話するために、どんだけの税金が使われていると思う?
佐伯 弱い立場の人を助けるのが社会というものでは……
高宮 理想はね、でも現実はどうよ、弱い人間を見て見ぬふりをして、強い奴らがのさばっているのが社会ってもんじゃないの。でしょ? あんた現場にいないからわからないだろうけど、自分が誰だかわからない子の親とか職員とかの疲れ切った顔、見てごらんよ。地獄だって。
佐伯 確かに苦労は多いかも知れませんが、それでも幸せに暮らしていた人もいるはずです。
高宮 幸せも何もないって。こんないびつな世の中じゃ、何の役にも立たないあいつらが幸せに生きるなんて、不可能なんだ。俺はすべての人に感謝されて当然だね。
佐伯 私が言いたいのはどんな命だって、生きる権利があるということです。
高宮 (唐突に)牧師さん、ベジタリアン?
佐伯 えっ? いいえ……
高宮 牛とか豚、食べてんでしょ、どんな命も生きる権利があるとかいって。
佐伯 それはそうかもしれませんが……
高宮 じゃあ、なんでイルカはだめなの?
佐伯 (口ごもって)イルカは知能が高いって言いますし……。
高宮 ほら、牧師さんも僕と同じ考えだ。知能の低い牛や豚は殺してよくて、知能の高いイルカはだめなんでしょ。俺もそう思ったから、やつらを選んで殺したんだ。
佐伯 それは屁理屈です。動物と人間は違いますよ、どんな命でも奪われていい命なんてないんです。
高宮 じゃあ死刑はどうなの?
(絶句する佐伯)

 佐伯と高宮の会話は、社会の建て前と人間の本音のやりとりのようにも見える。ときに佐伯の言葉は陳腐な正論で、高宮のほうが人間の本心を言い当てているような気にもなる。「世の中しょせん弱肉強食、自己責任」という高宮の声が、私の心の中でこだまする。やはり優生思想は人間の業なのだろうか……。そんな暗然とした気持ちになるが、映画は希望の光を暗示して終わる。

 「死刑は命を選別することではないか」という高宮の問いに答えられないまま、佐伯は高宮の刑の執行に立ち会う。遺書も遺言も拒否し、黙する高宮は、不意に佐伯に抱きつく。すぐさま引き離され、刑場に引いて行かれる高宮。呆然と見送る佐伯。
 徹頭徹尾孤高を気取っていた高宮が最後に求めたのは何だったのか。魂の救済? 人のぬくもり? 絆? 「牧師さん、やっぱり人は一人では生きていけないんだね、あんたの言うとおりだよ」。高宮は、そう言い残したかったのかもしれない。新自由主義、排外主義の風潮が世界中に吹き荒れているけれど、「社会はいろいろな人が助け合い、共生してこそ成り立つ」という希望を、あきらめたくはない。

(田端 薫)