第76回:独裁臭の政治家たち(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

毒を失くした「喜劇」

 みなさんは『独裁者』という映画をご存じだろう。チャップリンの傑作として、知らない人はいないはず。封切りは1940年のニューヨーク。当時、世界を席巻していたドイツの独裁者ヒトラーを徹底的に戯画化し嘲笑した作品で、チャップリン自身、命懸けの勝負だったという。
 当のヒトラーがこの映画を観たかどうかはよく分かっていないようだが、当然のことながら、ドイツやその同盟国(もちろん日本も!)では上映禁止となった。
 喜劇とは、“毒”を持つもの。巨大で強いものへ向けて、強烈な毒を放つ風刺こそが、喜劇の真髄である。チャップリン『独裁者』は、そのもっとも優れた成果だった。
 笑いは権力者に対する庶民のささやかな抵抗だ。ロシアの小噺、日本の落語や川柳などがそれにあたる。
 だが、権力を持つ者はそれを逆手に取ることも多い。例えば、中世ヨーロッパの王侯らは、身近にいつでも“道化”を侍らせていた。自分を笑いの対象にさせて、それを自らが愉しむ余裕を持つというのが、権力者の権力者たるゆえんだと考えていたからである。
 そこでは道化といえども命懸けだ。権力者への風刺がどこまでが許されるのか、どこで一線を踏み越えてしまうのか。踏み越えれば王の怒りを買い、命を落とす。だが、ただ追従(ついしょう)するだけでは王の機嫌を損ねてしまう。そのぎりぎりの“笑いの闘い”が、喜劇の危ない面白さなのだ。
 だが日本では、そんな喜劇とは無縁な“お笑い”が蔓延している。それこそ毒にも薬にもならぬバカ騒ぎが、とうとう首相官邸にまで入り込んだのだ。6月6日のことである。
 「吉本新喜劇ご一行様」が首相官邸を訪問、“乳首ドリル”とかいう“芸”を披露して安倍首相を喜ばせたらしい。ぼくはこの“芸”をよく知らないので、そこにどんな“毒”が込められているかは分からない。だが安倍首相との和気あいあいのやりとりを見ていれば、残念ながらそこには、毒も風刺の欠片もなさそうだった。
 権力に絡め取られ、権力者のご機嫌取りに終始する「喜劇」などというのは、まさに語義矛盾である。そんなものを「喜劇」とは言わない。ただのゴマすりでしかない。
 吉本は「新喜劇」という名称を改めるべきだ。少なくとも「喜劇」は使ってほしくない。「お笑いゴマすり劇場」くらいが関の山だろう。
 そして、お笑い芸人を身近に呼びつけて愉しんでみせるという、独裁者の真似事を始めた安倍首相にも、ぼくは吐き気がする。

しょせん、二流の独裁者

 「戦争の世紀」と呼ばれた20世紀が終わり、21世紀が幕を開けたころ、新しい時代は戦争のない「民主主義の世紀」になるだろうと期待された。だが現実は、あのニューヨーク同時多発テロで新世紀が始まったのだ。日本では、東日本大震災とそれが引き起こした原発爆発という未曾有の事態が新時代の到来だった。
 テロ、災害、核事故……。
 そこからどう立ち直るかが新世紀の課題だったのだが、結果は、世界中に「独裁的政権」が生まれるという皮肉な成り行きになってしまった。人々は、過酷な現実に立ち向かうには「強い指導者」が必要だ、と思い込んだのかもしれない。
 アメリカ・トランプ大統領、ロシア・プーチン大統領、中国・習近平主席、北朝鮮・金正恩委員長、さらには、フィリピン・ドゥテルテ大統領、ブラジル・ボルソナーロ大統領……。
 大から小まで、なぜかいま世界を引っ掻き回しているのは、トランプ氏を筆頭に、独裁臭の漂う政治家ばかり。そして、その独裁臭をこのところ大いに強めているのが、わが安倍晋三首相である。
 トランプ氏とはいつでも差しで話ができる政治家として、安倍本人も取り巻き連中も自慢タラタラだ。だが何のことはない。トランプ氏の言いなりに何でも買うのだから、そりゃトランプ氏だって悪い気はしない。「おう、いつでも会ってやるぜ、次は何を買うんだ?」ってなもんだろう。
 結局、これらのどの国を見ても「自国ファースト」である。自分さえよければ他人はどうなったって構わないというのが唯一の政策。ところが日本だけは違う。「自国セカンド」なのだ。自国のことはさておいて、トランプ氏の要求には何でも従う。「アメリカ・ファースト」の次なのだから「日本セカンド」でしかない。
 その意味からも、安倍は結局「二流の独裁者」である。
 独裁臭の漂う政治家とは気が合うらしい安倍首相だが、プーチン大統領にはコケにされっぱなしだ。「日露平和条約締結」を成し遂げて歴史に名を刻もうと思っていたようだが、プーチン氏には「日米安保条約下では、北方領土に米軍基地を置かない保証もない。領土問題は交渉の議題にはなり得ない」と軽くいなされただけ。
 「プーチン大統領とは、これまで24回も会談している。お互いの気心は十分に知り尽くしている」と語っていたはずの安倍首相が、このところ、まったく日露交渉に言及しなくなってしまった。情けない。
 むろん、北朝鮮との交渉も進展の気配なんかない。
 突然、これまでの圧力一辺倒の北朝鮮外交を「なんの前提条件もなしで、直接、金委員長と話し合う用意がある」とぶち上げたはいいが、金氏には「何をいまさらずうずうしい」と一蹴される始末だ。そう言われるのも分からなかったのなら相当な“外交音痴”だ。外交の安倍? よく言うよ。
 ぼくには、日本国民がなぜ、こんな“屈辱的な安倍外交”に目をつむっているのかがよく分からない。安倍支持者に多いとされる“愛国者たち”が、なぜ安倍支持を続けるのかが理解できない。

せめて、責任くらいとれよ!

 たとえ二流であっても、安倍という“独裁者もどき”は国民の言うことになど耳を傾けない。ただ、強権で抑えつけ押し潰すだけだ。沖縄を見ていれば、そのことに疑問の余地はない。

 秋田のイージス・アショア(陸上配備型イージスシステム)配備についてのデタラメさでも、安倍政権の強権体質をさらけ出した。
 これまでのさまざまなデータ捏造・隠蔽・廃棄・虚偽など、“安倍忖度”官僚どもの所業は許しがたいものだが、いくら暴露され批判されても、まるで蛙のツラにションベン(汚い表現で申し訳ないが、連中にはこれくらいの表現でも物足りないくらい)である。
 住宅や学校のすぐそばに危険な基地を造るのに、グーグルアースを資料に、定規と分度器を使って計算した、というのだから常軌(シャレじゃないぞ)を逸している。他の候補地へ直接出向いての実地調査もしていない。最初から「候補地は新屋地区」と決めていたのだから、他地区を実地調査しようなどとは考えもしなかったのだ。
 グーグルアースと定規…。「ふざけるのもいい加減にしろ! こちらは命の問題なんだ!」と、説明会で住民が激怒した気持ちは、ぼくにも痛いほどよく分かる。秋田は、ぼくのふるさとなんだ!
 しかも、これにはひどいオマケまで付いていた。
 なんと、この住民説明会の席上で防衛省の役人が居眠り、その場面をバッチリ絵に撮られていたのだ。最初から丁寧に“真摯に”説明する気なんかなかったのだろう。住民がなにを言ったって、安倍官邸が造ると言ってるんだから、オレたちは粛々とそれに従うだけ。説明はポーズでいい。ということだろうな、きっと。
 安倍がよく言う“真摯に”の見本のような官僚だ。
 さすがに佐竹敬久秋田県知事も「まことに遺憾。話は振出しに戻った」と怒りを隠さない。それでもなお、岩屋毅防衛相は「予定通り秋田に」と言ってはばからない。いったいどういう政府なのか!

 「老後のために2千万円用意しとけ」ってのも、凄まじい言い草だ。10日の国会参院決算委員会で、野党に「百年安心年金はどこへいったんだ」と突っ込まれると、例によって安倍首相、シドロモドロで訳の分からない答弁を長々と繰り返す。呆れた委員長が「速記を止めて」と言ったのにも気づかず、ペラペラと訊かれてもいないことを喋りまくるいつものパターン。
 安倍首相が議長を務める「未来投資会議」という、何やら怪しげな名称の半官半民の会がある。そこで示されている65歳から70歳の仕事の選択肢は次のようなものだ。

 1.定年廃止
 2.70歳までの定年延長
 3.継続雇用制度の導入
 4.他企業(子会社は除く)への再就職
 5.個人のフリーランスとしての契約
 6.個人による起業
 7.個人の社会貢献活動

 へえーっ、そうですか……と言うしかない。だけど、なんでここに、
 8.年金でのんびりと老後を過ごす
 という選択肢が入っていないのだろう? そのための「年金制度」だったはずではないか。
 自らの政策の失敗を、個人の努力=自己責任に押しつけるのは、最低の政府だろう。しかも、その失敗の責任を誰もとろうとしない。
 独裁者もどきの腐臭。上が腐れば下も腐る。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。