第487回:れいわ新選組、怒涛の当事者候補大作戦!! の巻(雨宮処凛)

 参議院選挙が迫っている。そんな中、あらゆるところで「山本太郎現象」なる言葉を聞く。

 そんな山本太郎議員が旗揚げした「れいわ新選組」の候補者に今、大きな注目が集まっている。

 すでに発表された蓮池透さんはご存知だろう。拉致被害者である蓮池薫さんの兄にして、元東電社員。拉致被害者家族でありながら、太郎氏が政治に目覚めるきっかけとなった「原発」に東電社員としてかかわっていたという稀有な立場だ。

 れいわ新選組の候補者として6月末、新たに二人が発表された。

 一人は、安冨歩氏。東大教授であり、女性装でも知られる氏は昨年、埼玉県東松山市の選挙に出馬。馬やちんどんミュージシャンたちと繰り広げたお祭りのような前代未聞の選挙を覚えている人も多いだろう。そんな安冨氏のインタビューなどを私は様々な媒体で読み、「生きづらさ」を体現する人物として、そして「男らしさ」「女らしさ」などの壁をぶち破る存在として、非常にリスペクトしてきた。

 ここで安冨氏の経歴を「なぜ日本の男は苦しいのか? 女性装の東大教授が明かす、この国の『病理の正体』」を参考にしつつ、紹介したい。

 同記事によると、安冨氏の両親は「男の子は大きくなったら戦争に行って、天皇陛下のために死ぬ」という靖国精神を植え付けられたど真ん中の世代。そんな親は安冨氏にエリートになる以外の道を許さず、氏は京大に進学。住友銀行(当時)に就職したのち、京大で修士課程に進み、東大教授にまで上り詰めたという。親が望んだ華々しいエリートコースだが、たびたび沸き起こる自殺衝動に長らく悩まされてきたという。

 「どんなに登り続けてもゴールの見えない断崖絶壁を、一人、延々と登り続ける孤独と不安」。しかし、「挑戦することをやめると気が狂いそうになる」のでやめられない。

 そんな安冨氏が「解放」される大きな転機のひとつが「離婚」。同時に両親とも絶縁すると、自殺衝動は消えたという。また2013年から始めた「女性装」も安冨氏を大きく変えたようだ。男らしさの呪縛から解放され、同時に「“自分でないもの”になろうとするストレス」から解放されたという。記事にて、安冨氏は以下のように語っている。

 「今まで私は男らしく振る舞ったり、男らしい恰好をする事で、私自身を“自分でないもの”にしていた。親によって植え付けられた『男は元気ハツラツとした兵士になって、国のために死ね』という洗脳を、知らずに履行していた。それが、自殺衝動や苦しみの原因」

 トップエリートに上りつめた人が、自らの生き方を見直すことは稀だろう。しかし、安冨氏は自身の気持ちと向き合い、生き方を変えていった。その姿が多くの人に勇気や気づきを与え、著書も多数出版している。

 その安冨氏が、れいわ新選組から立候補するというのである。6月27日の出馬記者会見で、女性装に身を包んだ安冨氏は、もっとも大きな原則は「子どもを守る」こと、それこそが基本原則であることを強調した。

 同時に、すでにこの社会は「政策をどうこうしてなんとかなる段階」を超えていることも指摘。政治の原則を変えるためには、「今まで私たちが知っている政治じゃない」存在こそが必要と、れいわ新選組からの出馬を決意した理由を述べた。現代社会を「豪華な地獄」(見た目は素晴らしいけど、中にいると息が詰まって苦しい社会だから)と表現する安冨氏は、「経済」という言葉を「暮らし」に変えなければならないと述べ、以下のように語った。

 「東京タワー建てて、新幹線走らせて、オリンピックやって、大阪万博やったから経済成長したので、スカイツリー建てて、リニアモーターカーひいて、東京オリンピックやって、大阪万博やったらもういっぺん経済成長すると思ってんじゃないかと思いますけど、雨乞いです、こんなの。私たちはその雨乞いのために何十兆円も使ってるんですね。狂気です、こんなの。
 一人ひとりの暮らしが立つってことはどういうことかを、考えなければいけない。私たちの社会の立て付け、法律とかイデオロギーとか思考とか価値観すべて、私たちが、経済と呼んでるものに応じて出来上がっているので、それが続かないと死ぬと思っているけど、それはただの勘違いです。私たちは勇気をもって、自分たちの暮らしを立て子どもを守り、育てるってことをどうやったら実現できるかを考えないといけないし、それには助け合いが必要です。お金では解決できない。だから人と人との関係をとり結ぶ手段が必要なんです。でも、私たちはそういう能力を失ってきた。なぜなら、そういう能力を持つ人間は資本制生産システムにとっては不便なんです。友だちのこと考えて会社に来ないような奴はダメなんですね。だから友達が一人もいなくてお金が頼りの人間がいなくては、私たちの経済は持たない。私たちは友だちを作る力、助け合いをする力を失ってしまったので暮らしは成り立たなくなり、お金を稼がなくては死んでしまうと思うようになったわけです。
 それを改める以外に、繁栄の中の貧困という意味のわからない世界から抜け出すことはないと思います」

 安冨氏の話を聞きながら、胸が高鳴るのを抑えられなかった。なんだか、今までの「政治を語る言葉」では到底語り得ない選挙が始まりそうではないか。これまでの政治の方程式なんか、まったく通用しない世界。この安冨氏の大きな視点と、山本太郎氏の経済政策が合致したら、と思うだけでワクワクしてくる。安冨氏も、太郎氏の経済政策について、「一部の人が儲けるものではなく、みんなが豊かになる政策だと思っている」と語った。会見のこの日はさらに、時空が歪むような質問が記者の口から飛び出した。

 「新撰組には、安富才助っていう馬術師範がいたと思いますが、安冨さんは子孫ですか?」

 安富って苗字で馬術師範で新撰組って、もう安冨氏の先祖確定だし生まれ変わりに決まってるのでは?

 この質問に安冨氏は、祖父が岡山出身で、安富才助も岡山、ポピュラーな苗字でもないのでもしかしたら遠縁かもとしつつ、「安富才助は土方の遺言を受け取った人なので、太郎さんが倒れる時は、私が遺言を引き受けたい」と述べたのだった。ああ、こんなに時代劇マニアとかが喜びそうな話なのに、いまいち知識が足りなくて悶絶できないことに悶絶する!!

 このように、安冨氏の会見は、終始「隣にいる山本太郎が常識人に見える」という、これまた初めての感覚に襲われながらも無事に終了。これから起きるとんでもない「祭り」に期待値が振り切れそうに高まったのだった。

 そうしてその翌日に発表されたれいわ新選組の候補者は、重い障害がある木村英子さんだった。

 彼女は車椅子に乗り、横に介助者をつけた状態で出馬会見にのぞんだ。

 木村さんは生後8ヶ月の時に保育器ごと玄関に落ちて首の骨を損傷。以来、話すことはできるものの、全身をほぼ動かせない状態だという。19歳まで施設で暮らし、その後、自立生活をしてきたという54歳の彼女のことを、私は本で知っていた。それは相模原の障害者施設で19人が殺害された事件のあとに出版された『生きている! 殺すな やまゆり園事件の起きる時代に生きる障害者たち』。自身の半生を綴った彼女の原稿は、涙なしにはとても読めないものだった。

 19歳で施設を出て、早や35年。現在54歳の彼女が様々な人の手を借りながら地域で暮らしてきた今日までの日々は、そのすべてが「戦い」だったはずだ。その上、障害者施策を学び、声を上げ、自分たちのニーズを政治に伝える運動をしてきた。いわば、自分自身が身体を張って、命がけで道なき道を切り開いてきた人だ。

 会見で、彼女は現在の障害者施策の問題点に触れつつ、「自分の身体をもって、政策を変えてもらいたい」と語った。また、その後の太郎氏の発言も印象的だった。

 木村さんは、自身が出馬することによって、太郎氏が「障害者を利用してる」というバッシングに遭うのではないかと心配していたのだという。これに対して、太郎氏は一言、言った。

 「上等です。障害者を利用して、障害者施策を進めようじゃないか」

 障害者運動の有名なスローガンに、「私たち抜きに私たちのことを決めないで」というものがある。が、700人以上いる国会に、車椅子の人はいないし彼女のような重度の障害がある人はいない。障害者がいない場所で、障害者施策が決められているということの異常さ。そう、私たちはこれを異常と思わなければならないのだ。木村さんが国会に行くかもしれない。そんなことを想像しただけで、どれほどの異常な空間で障害者の法律が、政策が作られているか、改めて意識したのだった。

 そしてこの日の会見でひとつ、気付かされたことがある。それは記者との質疑応答の場でのこと。いくつかの質問をまとめて木村さんにぶつけた記者に、彼女はゆっくりと言ったのだ。

 「私、メモとることができないので、ひとつずつ答える形でいいですか?」

 ハッとした。バリアフリーとかよりずっと以前に、こういうことなんだ、と思った。全身がほとんど動かない彼女は、ペンなどでメモをとっておくことができないので質問をいくつもされても記憶できない。だからひとつずつ質問をする。いくら「合理的配慮」と言われても、こういった一つひとつのことは言ってもらわなければわからない。そして障害は、障害者ごとに一人ひとり違う。メモがとれる人もいれば、話すことができない人もいる。100人いれば100通りのニーズがあるのだ。

 太郎氏は、木村氏について「究極、国会に存在してるだけでいい」と言った。

 その通りだと思う。国会の本会議場で投票する際には、一人ひとり階段に登って投票しなければならない。そんな時、車椅子の彼女はどうするのか。「一人では水も飲めない」という彼女の介助者は、果たして本会議場に入れるのか。想像してみるだけで、あらゆる場所が「健常者向け」にのみ、設計されていることを突きつけられる。「障害者差別解消法」はできたけれど、それをより進め、よりよいものにして、みんなが住み良い、生きやすい社会にしていくことができるのは、やはり障害がある人なのだ。その人たちが政策立案に関わることなのだ。今は元気な人でも、いつか病み、老いる。人間、老いればなんらかの障害を持つ。障害者は、だからこそ高齢化社会を生きるモデルを作るフロントランナーなのである。

 と、れいわ新選組のことばかり書いていたら「偏ってる」とか言われそうだが、私自身、この6年間、ブレーンの一人として山本太郎氏を「育ててきた」という思いがある(上から目線で申し訳ないが)。そしてそんなふうに思っている人は、本当にたくさんいる。レクチャーをはじめ、多くの専門家を紹介したり、質問の原案を作ったり、「こういうことをしてくれ」と持ちかけたり、自分の、周りの困りごとを訴えたり。木村英子さんだってその一人だ。多くの障害者施策について太郎氏に教え、そして「力を貸してくれ」と頼んできた。そんなふうに「みんなで育てた議員」こそが山本太郎氏だと思うのだ。そしてこれこそが、ひとつの民主主義の実践ではないだろうか。

 山本太郎氏について、私は常々言っていることがある。

 それは「世界を変えるのは、いつの時代も”空気を読まないバカ”である」ということだ。

 そして今、太郎氏以上に空気を読まない、空気なんか読んでいられない候補者が集まった。もう、今までの政治の知識とか政局云々とかこれまでの方程式とかそういうものがまったく役に立たない前人未到のチャレンジが始まった。

 とりあえず、私はこのビックウェーブに乗る。面白いから。だって太郎氏とこの6年間かかわってきたのも、ただひとつ、「面白い」からだ。それが二次被害的に「世の中をマシにする」ことに役立ったら、これほど嬉しいことはない。政治にかかわったり社会を変えようとすることは、苦行ではなく「楽しい」ことなのだ。それがもっと、広まればいい。そしてみんながもっと、投票だけでなく、選挙にかかわっていけばいいと思うのだ。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。