第144回:改憲勢力が直面する、“三重苦”(南部義典)

改憲勢力の定義は何ですか?

 メディアは、「改憲勢力」という用語を、ろくに定義付けもしないで、無稽に使い続けています。その当てはめの対象は、およそ一致して自民党、公明党、日本維新の会の3党であり、これらの別称のごとく「改憲勢力」と簡単に一括りにしています。7月の参院選では、参院側で憲法改正の発議に必要な賛成議員数(164名=245名の3分の2以上)を、改選・非改選合わせて「自公維の3党で超えるかどうかが焦点」とする報道が相次ぎました。選挙の結果、自公維で164名を超えれば発議へと至り、164名を超えなければ、少なくとも次回参院選までの3年間、発議が行われることはないとする(そのような誤解を与えかねない)ニュース解説も、ちらほらと目に付いたところです。

 しかし、改めて冷静に考えていただきたいのですが、選挙の結果が示すものは、「自公維3党合わせても160名であり、これらの勢力だけで憲法改正の発議をすることはできない」ということにすぎません。それ以上でもなく、それ以下でもありません。まず、「改憲勢力」とは何なのかが問われなければならないはずです。

 「改憲勢力」の定義付けをどう考えるかですが、憲法改正に関する議論に前向きな政党はもちろん、前向きとまではいえないものの、議論を行うことを否定しない勢力も広く含めるのであれば、立憲民主党、国民民主党も「改憲勢力」にあてはまります。つまり、選挙が公示される前から「改憲勢力」は164名を優に超えていたわけで、選挙の焦点でも何でもなかったことになります。他方、「改憲勢力」の定義の中で、「前向き」というレベルを超えて、「早期の発議をめざし、国会で具体的な憲法改正案の審議に入るべきだ」とする積極姿勢を重視するならば、公明党は外れ、自維2党だけになります。思うに、政治の実態により近いのは後者の定義であって、公明党は現状「改憲勢力」ではないと私は理解しています。

 以上のとおり、参院選後の憲法改正論議の風向きを判断するに当たって、「改憲勢力」の定義も何もないまま、自公維の「単純な足し算の和」だけを固定的に見つめて「進む」「進まない」を論じても、全くと言っていいほど意味がありません。こういう雑な言説は、いい加減止めてほしいと願うばかりです。

改憲勢力が直面する“三重苦”

 本題に入りましょう。「改憲勢力」をどのように定義するにせよ、そしてその当てはめの結果、どの政党会派が含まれることになるにせよ、憲法改正論議を進め、発議に至らしめることができない、あるいは国民投票を実施することができない困難が3つ、巨石のごとく進路を立ち塞いでいます。私は最近、皮肉を込めて“三重苦”という表現を使っています。すなわち、①「改憲勢力」内の方向性不一致、②憲法審査会の不正常な運営、③国民投票制度上の不備の放置、です。

【苦難その1】「改憲勢力」内の方向性不一致

 どの政党会派が「改憲勢力」に該当することになろうとも、憲法改正の具体的な内容に関して何の一致点も見出していないということが、まず指摘できます。最近は、「現行の9条をそのまま維持し、自衛隊を明記する」という案が有力に語られているようですが、この案でさえ、自民党内部で完全に意見が一致していないばかりか(石破茂議員らは一貫して反対しています)、公明党はこの案を事実上支持しない立場であることを参院選の公約で明言しています。言わずもがな、自公維で一致している改正項目は一つもありません。

 突然おかしな例を出すようですが、女性50名、男性50名が参加する婚活パーティーを想像してみてください。このパーティーに参加する100名は、メディア的には「結婚願望勢力」ということになるのでしょうが、ただちに50組のカップルが誕生(成立)すると考えるのは早計です。個々人において、理想の相手像が異なることは当然のことであって、「結婚願望」だけでは何も成就しないのです。憲法改正も同様、内容の方向性について一致をみないと、議論のテーブルにさえ着けません。「2020年に新しい憲法を施行するという目標を、諦めたわけではありません」と自民党総裁が時々吼えたとしても、しょせん「願望」にすぎず、他党にとっては関係のない話です。1人では結婚できません。

【苦難その2】憲法審査会の不正常な運営

 憲法審査会は、衆参に置かれている常設の機関です。憲法改正案の原案や、国民投票法の改正案などを審査します。
 この憲法審査会ですが、最近1年間、衆院ではたった「2時間」、参院では「実績ゼロ」であったことが報じられています。誰の目から見ても、不正常な運営が続いています。とくに、衆院憲法審査会では、2018年6月に付託されてずっと継続審査になっている国民投票法の改正案(選挙レベルに投票環境を向上させる内容)を処理しようと、2019年の春以降、与野党間で協議が続けられていたにもかかわらず、議論は一向に進まず、2日前(8月5日)に閉会となった臨時国会で4度目の継続審議となっています。実質的な法案審議に入れないまま、1年以上が経過しているのです。参院側は、そんな衆院側の様子を横目に「フリーズ状態」が続いてきました。

 自民党の安倍総裁は、参院選に入る前から、「憲法改正を一歩も進めたくない野党の抵抗にあって、憲法審査会が開けない状態が続いている。責任を持って議論を進める政党か、そうでない政党を選ぶかの選挙だ」と、繰り返し訴えてきました。
 しかし、ファクトチェックとしてまず、指摘しておかなければならないのは、2011年10月(当時は野田内閣)から運営が始まった憲法審査会は、民主党政権時代の方が運営に混乱を来すことなく、ある意味淡々と議論を進めた経緯があり、開催そのものが危うくなったのは、むしろ第4次安倍内閣に入ってからという点です。憲法改正に並々ならぬ熱意を示す総理・総裁の下、憲法審査会の不正常が常態化したという事実を、皮肉を抜きに受け止めることができるでしょうか。

 国民投票法の改正は、単なる法律改正に過ぎないと考えれば、自民党だけで憲法審査会の開催を決め、法案審議を終わらせ、採決(成立)させることができます。本気になれば、いわゆる「数の力」を通用させることができるのです。
 しかし、それが出来ないのが、まさに2つ目の困難につながるわけですが、自民党が憲法審査会の運営を、自民党の方針だけを通そうとして無理筋に進めると、その不正常さに拍車をかけてしまうのです。憲法改正の発議は自民党会派だけでは不可能であることからすれば(衆院で285名、参院で113名しかいません)、強引さがにじみ出た瞬間、公明党その他の政党会派が離反し、何も動けなくなってしまうのです。まさに、政治的に大きなジレンマを抱えているわけです。

【苦難その3】国民投票制度上の不備の放置

 3つ目の困難は、国民投票の制度上の不備が放置されていることです。法律上の問題点というと、CM規制の厳格化や絶対得票率規定の採用を思い浮かべる方も多いでしょうが、そういった「任意」の問題点ではなく(これらの制度改正をしなかったからといって、国民投票が執行できないわけではない)、国民投票を正常に執行するために「必須」の問題点がいまだに放置されていることです。先に触れた、選挙レベルに投票環境を向上させる内容の国民投票法の改正はもちろん、主要テーマとしては以下の2点が残されています。

 第一に、憲法改正の発議の後、国会に設置されることになっている「国民投票広報協議会」の運営、事務について、具体どころか、そのイメージさえ出来上がっていないという点です。協議会は法律上、国民投票の投票日までの間、有権者向けに憲法改正案の広報の放送(選挙でいう政見放送、候補者経歴放送の“国民投票版”)、広報の広告、公報の発行などを行うことになっていますが、その時間・頁の枠、回数などまったく決まっていないのです。選挙とパラレルに考えれば、有権者は協議会が放送ないし発行する広報などの内容を以て、賛成・反対の考えを深めていくわけですが、その判断材料をどうやって提供するかという点について合意形成の模索がない中で、憲法改正の具体的な中身だけ先行させられるはずがないのです。

 第二に、国民投票の投開票事務を行うのは、国ではなく自治体(都道府県、市区町村)ですが、その自治体に支払うべき執行経費(実費と手間賃)の額が、定められていないという点です。選挙と同じく国民投票でも、投票所の開設、投票用紙の印刷、投票所入場券の発送、公報の印刷と配布、開票事務などはすべて自治体が行うことになっていますが、やる「義務」だけ定められていて、実費と手間賃の額が定められておらず、国からは1円たりとも交付できないという「立派な不備」が残っているのです。この点、国政選挙執行経費基準法という1950年制定の古い法律があり、国政選挙、最高裁判所裁判官国民審査、地方自治特別法の住民投票の3つについては、自治体に支払うべき実費と手間賃の額を経費項目ごとに「○○円」と細かく定めていますが(7月の参院選で私は地元の開票立会人を務めたので、この法律に基づく額を受け取る予定です。原資は「国庫」です)、憲法改正の国民投票に関しては何も定めていないのです。この状態で国会が憲法改正の発議をすると、全国の自治体は自腹を切って国民投票の投開票事務を担わなければならなくなってしまいます。それで現場が動くはずがありません。

 ここまで説明しただけでも、「○×年までに憲法改正を実現する」とか、具体的なシミュレーションを語ることじたい無意味であり、いかにリアリティのない話が飛び交い続けているか、十分ご理解いただけるのではないでしょうか。

多人多脚走の枠組みがなければ、何も進まない!

 憲法改正の動きを一般的に語る上で、「安倍内閣」「自民党」を主語に置くことは論外であり、今まで同様、法的にも政治的にもまったく意味がありません。自民党は参院選後もなお、衆参を通じて「第1会派」の勢力を維持していますが、先に述べたように、単独で憲法改正の発議を可能にする議員数を有していないので、多人多脚走(2人3脚、3人4脚、4人5脚…)の枠組みで動かざるを得ないのです。この点のハードルの高さは、法律の制定・改正とは格段に違います。

 多人多脚走である以上、まず複数の走者が横一線に並ぶことが必要です。「自分は足が速いので、遅い奴と走るのは嫌だ」という態度を取り続けていれば、スタートラインに立つことさえ出来ません。そして、スタートラインに立っても、すぐに走り始めることはできず、まず左・右どちらの足を先に出すかを決めなければ、第一歩でいきなりズッコケてしまいます。走るスピードについても、走りに自信のない人のペース・歩幅に合わせざるを得ません。足の速い者が周りをひきずるような格好でゴールインはできず、誰かが主導(リード)するといった類のものではありません。能力に差があっても、全員が同じスピードで走り続けるのが多人多脚走です。

 実に、憲法改正も誰かの主導で始められるものではなく、「主語」「主体」を誤った瞬間、現場の議論は容赦なく止まります。ちなみに安倍晋三という人物は、政治家を何年続けようとも、伊藤博文や岩倉具視のような「偉業」を成し遂げることはできません。一政治家として、憲法改正に関して何の権限も有していないからです。国会において多人多脚走の枠組みが成り立ち、“三重苦”を乗り越えるには、人の生涯を基準に語ることができないような、相当な年月を要すると思います。

会期制の壁

 “三重苦”を乗り越えることが容易ではないことは、もう一つ、日本の国会が会期制度を採用している点が壁になっています。2019年は参院選が行われた関係で例年より不規則ですが、通常国会(1月28日~6月26日)、臨時国会(8月1日~5日)、二度目の臨時国会(10月上旬召集?1か月半程度?)と、限られた会期の中で活動が行われます。第2次安倍内閣(2012年12月)以降ずっと、会期のスケジュールは「開いたり、閉じたり」の連続です。その開会のタイミングを狙って、国民投票法の改正や憲法改正案の原案の審議を行うことになるわけですが、憲法改正の議論を加速させたいのであれば、会期制の壁を乗り越えるべく、閉会中の期間を限りなく「ゼロ」にするしかありません。しかし、「2020年に新しい憲法を施行するという目標を、諦めたわけではありません」と公言している人物が、臨時国会の早期召集を忌避したり、国会閉会中に頻繁にゴルフに勤しんだりというのは明らかに矛盾であり、あまりにも滑稽なことと言わざるをえません。次の臨時国会が10月上旬召集だとすると、ここに2か月間の「政治空白」が生じるのです。憲法上、国会の召集権限を持っているのは他ならぬ「内閣」ですが、実のところ主体的に「議論を先送り」し続けているのです。

 最近、憲法論議の進め方に関して威勢のいい発言をした議員がいましたが(7/25玉木・国民民主党代表「憲法改正に関して、安倍総裁と党首会談をしたい」、7/26萩生田・自民党幹事長代行「議論を進めるために、大島衆院議長の交替も必要」)、大型花火の打ち上げとまではいかず、線香花火程度の一過性の話題づくりに終わりました。両名ともあっさりと発言を撤回しています。誰かが何かを発言することで、多人多脚走の成立を妨げる現象が生じうることを、個々に経験則として学ぶべきです。繰り返しになりますが、「改憲勢力」は現状でさえ、単純な足し算の和で成り立っているわけではないのです。

 平成末期から悪化の一途をたどっている“三重苦”は、決して魔法がけで解消されるものではなく、さらにその苦しみを増していくでしょう。憲法関係のニュースを読み解くカギとして、一人でも多くの方に状況を知っていただければ幸いです。

南部義典
なんぶ よしのり:1971年岐阜県生まれ。衆議院議員政策担当秘書、慶應義塾大学大学院法学研究科講師(非常勤)を歴任。現在、シンクタンク「国民投票広報機構」代表。主な著書に『図解 超早わかり18歳成人と法律』、『図解 超早わかり国民投票法入門』(以上、C&R研究所)、『Q&A解説 憲法改正国民投票法』(現代人文社)、『9条改正論でいま考えておくべきこと(別冊法学セミナー No.255)』(共著、日本評論社)、『広告が憲法を殺す日』(共著、集英社新書)、『18歳成人社会ハンドブック』(共著、明石書店)、『18歳選挙権と市民教育ハンドブック[補訂版]』(共著、開発教育協会)、などがある。(2019年1月現在)