第29回:福島原発事故、全員無罪判決とは、日本の司法は壊滅か?(柴田鉄治)

 世界最悪のレベル7の福島原発事故を起こしたのに、検察庁は誰一人その刑事責任を問おうとしなかった。検察審査会の議決で強制起訴された東電の旧経営陣3人に対しても、東京地裁は9月19日、全員に無罪を言い渡した。日本の司法は、検察庁も裁判所も、これでは壊滅状態だといわざるを得ない。
 判決は、「長期評価に基づく津波の予測はあったが、信頼性を欠き、事故対策が義務づけられるほどのものではなかった」として無罪としているが、それでいいのだろうか。原発は社会生活や経済活動を支える重要なインフラであり、旧経営陣に運転を止める義務はなかったというのでは、事故があろうがなかろうが、原発の運転は止めるべきではないことになってしまうだろう。
 高さ15.7メートルの津波の予測が信頼性を欠くものだったとしても、たとえば10年前の2001年の米多発テロ事件で、米国政府から「全電源喪失への対応策を検討しておくように」という警告が発せられていたのに、東電も当時の原子力安全・保安院も、何一つやっていなかったのである。
 15.7メートルの津波を防ぐ防潮堤を造るというのなら手間も費用も大変だが、「非常用電源」をもう少し高いところに移すとか、電源車を備えておくとか、おカネも手間もかからない方法はいろいろとある。そんなことまでやってこなかったのに、全員無罪とは!
 また、仮に今回の判決で東電の旧経営陣に有罪判決が出ていたとしても、原発の監視役であるはずの保安院の刑事責任は全く問われていないのだから、日本の司法の落第点は変わらないだろう。その点、チェック役の検察審査会の議決も甘かったといわざるを得ない。
 つまり、工場でボヤが出ても刑事責任は問われるのに、あれだけの事故を起こしながら、事業者も、監督官庁も誰一人刑事責任を問われないという不思議な現象が、日本で起こったということだ。

福島原発事故には、メディアも最初から甘かった?!

 検察審査会は一般市民から抽選で選ばれるのだから、検察審査会のチェックまで甘かったとすれば、メディアも甘かったといわざるを得ない。
 東日本大震災の地震も津波も、極めて大きかったことは事実だが、地震国、日本にとっては決して「想定外」のものではなかった。
 太平洋プレートが北米プレートとぶつかって下にもぐりこむ、その歪みから起こる大津波は、明治以降でも、明治三陸津波、昭和三陸津波、東日本大震災と続いている。そして「15.7メートルの津波予想」が経営陣の前に出ていたのだから、想定外なんてとんでもない話だ。
 福島原発事故の大きさに対して保安院が最初に下したレベルは「4」で、極めて過小評価していたし、津波被害の大きさに目を奪われてか、想定外の事故だったかのような印象が広がったきらいがあった。
 しかし政府の事故調査委員会をはじめ国会、民間、東電とあわせて4つもの事故調が分析をした結果、国会事故調は「人災だ」と断定、民間事故調も津波が来てからの対応に失敗があったと指摘するなど、厳しい結論が出ていたのに、刑事責任の追及には繋がらなかった。

刑事責任の追及はまだ終わっていない、無罪判決には控訴を!

 もちろん、今回の判決で刑事責任の追及が終わったわけではない。東電の旧経営陣3人に対する無罪判決に対しても控訴すべきだろうし、メディアもそう主張すべきだろう。ところが、今度の無罪判決に対してもメディアの反応は、極めて鈍いのだ。
 これまで原発についてのメディアの姿勢は二極分化していたが、無罪判決に対する読売新聞の社説は「ゼロリスク求めなかった判決」と判決を評価するかのようなものだったうえ、朝日新聞の社説まで「釈然としない無罪判決」という穏やかなものだった。私がいま論説委員だったら「日本の司法は壊滅だ」と書くだろう。
 強制起訴の裁判を取り仕切る弁護士の仕事量は大変なもので、控訴するかどうかの迷いもあろうが、日本の司法の存立がかかっているものだけに、控訴するよう期待したい。

内閣改造、小泉進次郎氏が環境相兼原子力防災担当に

 刑事責任の問題だけでなく、これから原発をどうするか、政府の原発政策が注目されるが、第4次安倍第2次改造内閣で、人気抜群の小泉進次郎氏が環境相兼原子力防災担当に任命された。
 父親の小泉純一郎氏が脱原発運動に邁進していることはよく知られており、父親とぶつかることはないか、ちょっと心配だ。あるいは、安倍首相が、息子を「人質」にとって、父親の脱原発運動をやめさせようと狙ったのかもしれない。
 いずれにせよ、日本の原子力政策を決めるキーマンになったのだから、世界最悪の原発事故を起こした日本でこれからどんな原発政策を進めていくのか、安倍氏の次の首相候補とも言われている人だけに、世界中から注目されよう。

どうなる香港と中国、イランと米国、目が離せない

 一方、海外に目を転じると、香港ではデモがまだ続いているだけでなく、中国が介入する恐れがないかの心配がある。また、サウジアラビアの石油施設をドローンが攻撃した背後にイランがいるのかどうか、という問題が浮上してきた。北朝鮮情勢は、金正恩氏とトランプ米大統領の気が合って緊張感が緩んでいるのに対して、新たな危機の登場だ。
 香港は9月が新学期。授業始めの早々から、学生たちは授業をボイコットし「香港に自由を」と訴えている。集会のテーマは〈未来がないなら、学ぶ必要もない〉で、香港返還の条件だった「一国二制度」が骨抜きにされ、中国にのみ込まれようとしている不安から、自分たちのためにも抗議をあきらめないというのである。
 もちろん、その様子を近くで中国軍がじっと眺めていることに変わりはない。その中で、香港政府はデモの禁止ではなく「デモ隊の『覆面禁止』を打ち出そうとしている」というのだから、驚く。中国軍が手を出すことはないと思うが、香港情勢も当分、目が離せないといえよう。
 サウジアラビアの石油施設への攻撃は、サウジ政府はイランがやったといっているが、イラン政府は否定している。問題はイランとの関係が前からよくない米国だが、背後にイランがいることは認めながらも、トランプ大統領は「イランとは戦いたくない」と言っているところが救いである。
 ところが、英・独・仏の3か国の首相が、「イランがかかわっている」という共同声明を発したことで、またまた「中東の危機」が心配になったが、ここは「戦争はしたくない」というトランプ氏の意向に期待しよう。

今月のシバテツ事件簿
世界中から戦争をなくすには、南極方式とコスタリカ方式と

 ジャーナリズムの使命は戦争をなくすことだが、平和には「武力を持たない」という『真の平和』と、軍事力のバランス(抑止力)で保たれる『仮の平和』と2種類ある。日本は、憲法9条で『真の平和』を目指したが、米ソ対決の冷戦によって自衛隊を持ち、米国の「核の傘」による『仮の平和』を目指す方向に舵を切った。
 ところが、中米の小国、コスタリカは1949年の新憲法で常備軍の撤廃を決め、軍備費をすべて教育費に転じて平和を保っている。戦争をなくすには、南極条約による南極方式(地球を一つの国家にして軍備をなくす方法)と、世界中の国がそれぞれコスタリカを目指す方式と、二つの方法があることが分かったといえる。
 どちらも簡単にできることではないが、人類が核戦争を起こして全滅するよりは、ましだろう。「仮の平和」では、核兵器を持ちたがる国が増え、軍拡競争となって、いつ戦争が起こるかもしれないからだ。
 南極方式でもコスタリカ方式でもいい。とにかく世界中から戦争をなくすことだ。

柴田鉄治
しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。