浜田桂子さんに聞いた(その1)日中韓をつなぐ「平和絵本プロジェクト」から見えたこと

2010年から2018年にかけて、日中韓の3カ国で、共通する11冊の絵本が出版されました。3カ国の作家たちがそれぞれの視点から、平和と戦争について、そして命について、子どもたちに伝えようと制作した「日中韓平和絵本プロジェクト」シリーズです。そこにはどんな思いがあったのか。呼びかけ人の一人である絵本作家の浜田桂子さんに、プロジェクトについて、そして今の日本の状況について、お話をお聞きしました。

日中韓の絵本作家による「平和絵本プロジェクト」

──2011年に出版された浜田さんの絵本『へいわってどんなこと?』は、日中韓3カ国の絵本作家による「日中韓平和絵本プロジェクト」の一冊です。作家たちがそれぞれ「平和」をテーマにした絵本を制作し、3カ国で出版する。浜田さんは、このプロジェクト全体の呼びかけ人のお一人でもあるそうですが、その立ち上げの経緯からお聞きできますか。

浜田 2004年に、日本の絵本作家103名で『世界中のこどもたちが 103』という絵本を出版しました。前年に始まったイラク戦争へ日本政府がいち早く支持を表明した際に、それに反対する絵本作家たちが集まったのがきっかけで生まれた本です。
 私は先輩作家の田島征三さん、和歌山静子さんとともにそのプロジェクトの実行委員を務めていたのですが、ひとまず本が出た後、3人で集まったときに「次は何をやろうか」という話になったんですね。ちょうど第一次安倍政権下で進みつつあった教育基本法改定への危機感もあったし、1冊の本で終わらせるのではなく、それをステップに次の何かを作りたい、と考えたんです。
 そこで田島さんが言い出したのが、「アジアの人たちと向き合おう」ということでした。「かつて日本が迷惑をかけた国の人たちと一緒に『平和』の絵本が作れたらすごいことになるよ、やろうよ」と。

──田島さんが発案されたんですね。

浜田 そうです。私は正直なところ「いろいろ考え方の違いもあるし、難しいんじゃないかな」とも思っていたのですが、そう言ったら田島さんが「僕たちは政治家じゃない、表現者だよ。同じように子どもたちに向けて絵本を作っている人たちとだったら、絶対に気持ちが重なるから、大丈夫」とおっしゃって。
 あと、たとえ実際に本ができなかったとしても、一歩踏み出してやってみることに意味があるんじゃないか、という話にもなりました。実現できなかったらできなかったで、何が原因でそうなったのかという経過をたどることが大切だよね、と。それでもう一人の先輩作家、戦争体験がおありで、以前から折に触れて「憲法9条を守ろう」と訴えられていた田畑精一さんにも加わっていただいて、動き始めることにしたんです。それが2005年のことでした。

中国でのミーティング。作り手同士の連帯意識が生まれた

──具体的には、どのように進めていったのですか。

浜田 アジアといっても広いけれど、まずは中国、韓国の作家たちに呼びかけてみようということになりました。中国には田畑さんが以前から交流のある作家がいらしたので、その方へ手紙を送って。韓国の作家は直接面識のある方がいなかったので、ある絵本作家の方がイベントで来日されたときに、人を介して会いに行きました。どちらも、こういう企画をやりたいと考えているから、あなたの国の作家たちに声をかけてもらえませんか、とお願いしたんです。

──反応はどうでしたか。

浜田 中国の作家は、田畑さんをとても尊敬している方だったこともあり、すぐに「意義のあるプロジェクトだ」と協力を約束してくれました。でも、韓国のほうは──お会いしたのは、チョン・スンガクさんという作家だったのですが──最初はかなり厳しい反応でしたね。話を聞いて「皆さんのお気持ちは分かったので、帰ってから仲間に伝えます」とは言ってくださったのですが、「すべての戦争は平和の名の下に起きています。アメリカのブッシュ大統領だって『平和のため』と言いますからね」とおっしゃって。

──厳しい言葉ですね。

浜田 後で聞いたら、最終的に参加してくれた韓国の作家たちもみんな、周りに相談したら「どうせ利用されるだけなんだからやめておけ」と言われたそうです。
 ただ、その翌年、日本の作家4人で韓国のソウルを訪ねたときには、様子が一変していました。チョン・スンガクさんもとてもにこやかな笑顔で迎えてくれて「私が窓口になって進めます」とまで言ってくれた。今後の進め方などについてもみんな積極的に提案してくれて、プロジェクトを成功させたいという思いを強く感じました。
 やはり、私たちが4人そろって出かけていったことで、「あ、これは本気だな」と感じてもらえたことが大きかったのではないかと思います。あと、4人の絵本は韓国でも翻訳・出版されています。とりわけ田島さんや田畑さんの作品は人気なので、その作品の力を信じてくれたということもあったのではないでしょうか。
 参加してくれた韓国の作家たちは、みんな当時40代の後半、民主化闘争を経験している世代です。それだけに、「どうして絵本を描くのか」ということを、常に意識されているんですね。軍事独裁政権下で表現の自由が奪われた後、ようやく民主化を迎えて、子どもたちに何を一番伝えるべきなのかということを、とても深く考えられている。そういう姿勢にも、大きな刺激を受けました。

──その後、中国にも行かれたそうですね。

浜田 ソウルでのミーティングのときに、やはり中国の作家も含めて全員で顔を合わせたいという話になったんですが、その当時は中国の人が海外に出るのは今よりもっと大変で。それならこちらから出かけていこうということで、韓国に行った翌年に、日中韓の作家全員が中国の南京に集まる機会を設けたんです。そこで、みんなで一冊を作るのでなく一人一冊ずつ自分の世界を表現する絵本を作る、それを3カ国共同刊行するなど、プロジェクトの大枠を決めることができました。

──実りのあるミーティングだったんですね。

浜田 広い会議室に作家たちがずらりと集まっているのを見た瞬間、「夢じゃないか」と思いました。もちろん、まだまだ先に困難はあるかもしれないけれど、ともかく「絵本作り」という大きな山の登山口にみんなが集合できた。当初はそれすら難しいのではないかと思っていたので、感激は大きかったですね。
 多分、そういう思いは皆さんにあったのでしょう。互いに言葉もよく分からないのに、夜はどんちゃん騒ぎで、朝まで一緒にお酒を飲みました(笑)。5日間ほどの会議を終えて別れるときは、つらくて抱き合って泣いて。国境とか歴史認識の違いとか、そういうものってあっさり吹き飛んでしまうんだな、と実感しました。
 その後の制作過程では、互いに厳しい批判をすることもあったのですが、どんなことがあっても「もうやってられない」ということにならなかったのは、あの南京での時間があったからだと思います。作り手同士の強い連帯意識を感じました。

他国の作家からの指摘──「平和観」が広がった

──互いに厳しい批判を……ということですが、制作の際には、互いの作品を見て、感想や意見を言い合われたのですか。

浜田 それぞれ、自分のアイデアを形にしたダミー本を作って、それをデータで作家たちに回覧し、メールでやりとりをしながら進めたのですが、感想どころの話ではなかったですね(笑)。指摘を受けて書き直すことも何度もあったし、ほとんどの作家がダミー本を10冊くらいは作ったのではないかと思います。

──浜田さんの『へいわってどんなこと?』には、どんな指摘があったのでしょう。

浜田 韓国の作家たちから受けた指摘が、とても印象に残っています。あの絵本では、子どもの視点から「平和とはこういうことだ」という内容を箇条書きのように挙げているのですが、当初は「せんそうするひこうきがとんでこないこと」「そらからばくだんがおちてこないこと」「いえやまちがはかいされないこと」というふうに、ほとんどが「〜されないこと」という受け身の表現だったのです。
 それに対して韓国の作家たちが言ったのは、「これは日本の中でしか通用しない、少なくともアジアでは通用しないと思う」ということでした。つまり、原爆を落とされたり、空襲を受けたり、そういうことが起こってほしくないから平和が大事だ、という発想であって、「二度と他の国の人を苦しめない」ために平和を守らなくてはならないんだ、という発想がない。それは日本人独特の平和観であって、「浜田さんも無意識のうちにそう考えているから、受け身の文章になるんだ」と言われたんです。

──自分が加害者の側になるかもしれない、という意識が希薄だということですね。

浜田 「イラクやパレスチナの子どもが言うならまだ納得するけれど、たとえばアメリカのブッシュ大統領が、『平和とは戦争する飛行機が飛んでこないことだ』と言ったら、浜田さんは腹が立ちませんか」とも言われました。
 日本の出版社の編集者は、「これは戦争の被害を受ける子どもの立場で書いた文章なんだからおかしくない」と言ってくれたし、私自身も最初は、「どうして分かってくれないんだろう」と苛立ちのような思いがありました。すでにプロジェクトが始まって数年経っていましたし、私たち日本の作家が「加害者としての日本」という意識も前提にしてこのプロジェクトを立ち上げたことは、みんなも知っているはずじゃないか、と思ったんですね。
 でも、いろいろと考えているうちに、思い当たることがありました。私が「平和」を考えるとき、やっぱり最初に思い浮かぶのは広島・長崎の原爆、あるいは東京大空襲などの被害者のイメージ。一方で、たとえばそれより前に日本軍がやった重慶爆撃などのときに、爆弾の下で逃げまどっているはずの子どもたちの姿は、ほとんど思い浮かばないんです。結局、「自分たちが加害者になるかもしれない」ということを、「知っている」つもりではいても、感覚的に受け止められてはいなかったんじゃないか、と思いました。

──そして、その部分の文章を変更された。

浜田 といっても、作家というのは、ただ「こう言われたから変える」ということは絶対にできません。「これしかない」というわき上がるような思いがなければ、絵も文章も描けないんです。
 そのときに考えたのは、私自身の「子ども」観のあり方でした。私はそれまで、子どもというのは、戦争が起きたときに真っ先に犠牲になる、弱い存在としてだけとらえていました。もちろんそれは間違いではありませんが、それだけではないんじゃないか。子どもたちは、大人よりもずっと「命」に共感する力を持っていて、理屈抜きでそのかけがえのなさを知っている。そして、戦争を起こすのはいつも子どもではなく大人たち。だったら、子どもから大人に向けて「戦争なんてやめてよ」「僕たちは戦争を起こすような大人にはならない」と宣言するような、そんな立ち位置からの言葉を紡ぐこともできるんじゃないか、と考えたのです。
 そう思い至ったとき、「これなら描ける」と思いました。それで、「ばくだんがおちてこない」は「ばくだんなんか、おとさない」に、「いえやまちがはかいされない」は「いえやまちをはかいしない」にと、それぞれ能動的な言葉に代えていったんです。
 結果的に、そのことによって『へいわってどんなこと?』という絵本は、とても力強いものになったと思います。同時に、自分が平和というものを考えるときの視座を、少し広げることができたような気もしましたね。

戦争は「ひとりぼっちにしてくれない」

──ほかには、どんな指摘がありましたか。

浜田 当初、平和とは「ひとりぼっちにしないこと」という場面を描いたんですね。「誰も仲間はずれにしない」という意図だったんですが、それをご覧になった田畑さんがおっしゃったことも印象に残っています。「浜田さん、ひとりぼっちって、実はとても大事なことなんだよ」というんですね。

──どういうことでしょう?

浜田 「戦争が始まるときって、ひとりぼっちにしてくれないんだよ」。その言葉を聞いて、はっとしました。何もかもが同じ色に染められ、ひとりぼっちになりたいと思ってもさせてくれない。一人でいるということ、他と違うということが「自分勝手」とされ、やがて「非国民」と呼ばれるようになる。そうして個人というものが徹底的に潰されていくのが、戦争が準備される時代なんだ、と。田畑さんは「僕はそれを嫌というほど体験したよ」ともおっしゃっていました。

──戦争を体験された方だからこその指摘ですね。

浜田 そのとおりです。他にも、たくさんの子どもたちが一つのテーブルを囲んでいる場面については、中国の作家たちから「顔立ちや服装も多彩な、世界中の子どもたちが集まっているような絵になったらもっといいんじゃないか」というアドバイスがあって、そうしました。厳しい指摘だけではなくて、そういう素敵なアイデアもたくさんいただいたんです。
 本当に一人では作りきれなかった、みんなに励まされ、背中を押してもらったからこそできた絵本だと思っています。

(その2)につづきます

(構成/仲藤里美、写真/マガジン9編集部)

はまだ・けいこ 1947年埼玉県生まれ。桑沢デザイン研究所卒業。田中一光デザイン室勤務の後、子どもの本の仕事を始める。主な作品に『あやちゃんのうまれたひ』『てとてとてとて』(ともに福音館書店)、『ぼくのかわいくないいもうと』(ポプラ社)、『あめふりあっくん』(佼成出版社)、『まよなかかいぎ』(理論社)など。

●浜田桂子さん出演のテレビ番組が放映されます
1月17日(金)8:15~ NHK総合テレビ「あさイチ」プレミアムトーク
浜田さんの絵本『へいわってどんなこと?』についても詳しく取り上げられるそうですので、ぜひご視聴ください!

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