あるべき刑事司法とは何か~しくじり体験を踏まえて 講師:前田恒彦氏

2019年1月、大阪地裁で出されたある判決が大きな注目を集めました。強姦罪などで有罪判決を受けて服役中、被害証言が嘘だったことが判明して再審無罪が確定した男性が、国や自治体に賠償を求めて提起した国家賠償請求訴訟で、男性の請求がすべて棄却されたのです。被害証言の嘘を見抜けずえん罪を生み出してしまったこの事件では、その捜査や裁判の過程に数々の重大な問題点が指摘されています。
元検事で、日本の刑事司法の実態や問題点について発信を続けている前田恒彦さんに、この事件を通じて見えてくることについてお話しいただきました。[2019年12月14日(土)@渋谷本校]
※本レポートは2019年12月14日の講演内容に加筆したものです。

ある強姦えん罪事件から

 法律家を目指しておられる方々へ私からお伝えしたいことは三つです。一つ目は、「裁判=勝ち負け」なのかということ。勝ち負けと捉えていると、勝つために無理をして不利な事実を隠そうとするようになります。今日は少し視点を変えて考えていただけるようお話しできればと思います。二つ目は、複眼的な視点をもち、違った角度や異なる立場から物事を見る意義について考えていただきたいということ。三つ目は、法律家として、他人の人生を左右することへの謙虚さを持っていただきたいということです。具体例として、ある強姦えん罪事件を題材にお話ししていきたいと思います。
 2008年、同居していた14歳の養女に対して性的虐待を加えたという容疑で65歳の男性が逮捕・起訴され、翌年有罪判決を受けました。有罪とされた根拠は、女性本人の被害証言と女性の兄の目撃証言でした。男性はえん罪を主張し控訴・上告しましたが、2011年に懲役12年の実刑判決が確定しました。ところが、2013年に女性が男性の弁護人に「被害は嘘でした」と告白。検察の再捜査で兄も嘘をついていたことが判明しました。服役していた男性は2014年に釈放され、2015年に再審で無罪となりました。再審の結論が出る前に検察が被告人を釈放した例はこの事件と足利事件(※)しかありません。検察にとっては足利事件以来のインパクトの大きい事件となりました。
 男性は警察・検察、裁判所の責任を問うため2016年に国家賠償請求訴訟を提起しましたが、2019年1月に大阪地裁は男性の請求をすべて棄却しました。男性は現在控訴中です。

※足利事件…1990年に栃木県足利市で起こった少女誘拐・殺人事件。犯人として逮捕・起訴された男性は無罪を主張するが、最高裁で無期懲役刑が確定。しかしその服役中に、DNA鑑定によってえん罪であることが判明し釈放された。釈放後に再審無罪が確定。

報じられていない事件の背景

 えん罪が生み出された背景の一つに、「女性が嘘の被害申告をした動機」として男性が主張した内容に対し、裁判所が納得しなかったということがあります。前提として、男性は被害を訴えた女性の祖母の再婚相手であり、女性とも、女性の母親とも血縁関係にありません。男性の説明はこうです。
 「被害を訴えた女性の母親(A)が、娘を使って被害をでっち上げ、自分を罪に陥れようとした可能性がある。自分はAが中高生だった時期、Aの母親と男女の関係にありながら、Aとも同意の上で性的関係を持つという、二股関係にあった。しかし最終的にはAの母親を妻として選んだため、Aは自分のことを恨みに思っていた」
 裁判所は「何を言っているんだ」と男性の主張を一蹴しました。一方で、女性が被害を申告した経緯や、女性の兄が目撃証言をした経緯は信憑性に足りると判断され、有罪とされました。
 では、再審で男性が無実と認められた決め手はなんだったのでしょうか。それは女性のカルテです。被害を受けたという当時、女性は二つの産婦人科で診察を受けており、被害直後に行ったはずの一つ目の病院のカルテには「処女膜の裂傷は無い」と書かれていました。ところが、その約1ヵ月後、男性の関与がありえない時期に行った二つ目の病院の診断書には「処女膜の裂傷がある」と書かれていたのです。捜査当局は自分たちにプラスになる「処女膜の裂傷がある」という診断書のみを重視して、もう一つの病院のカルテは無視しました。また、この件で女性はPTSDになり精神科を受診しているのですが、そのときのカルテにも「一審の判決後くらいから『実は被害を受けていない』と言っていた」という記載がありました。
 性的被害を受けた直後なのに処女膜の裂傷が無いというのは客観的証拠です。肉体的な客観的事実を記した産婦人科のカルテと本人の供述を記した精神科のカルテの2つがあったにもかかわらず、男性は有罪となりました。警察や検察は自分たちに不利になる証拠を隠し、裁判所は「14歳の女の子が嘘をつくはずがない」と決めつけてかかったのです。すべての証拠が開示されていればこのようなえん罪は生まれなかったはずです。
 「閻魔大王と煮えたぎる銅汁(どうじゅう)」という話をご存知でしょうか。閻魔大王は自分が裁く罪人たちと同じ苦しみを味わうために、一日三回煮えたぎった銅汁を飲み自分を戒めているのだそうです。果たして警察や検察、裁判所は、ここまでの覚悟を持って日々の職務にあたっているのでしょうか。ルーティンワークとして右から左へと事件を扱った結果、男性は人生を左右されてしまったのです。検事として働いていたころの我が身を省みても、そこまでの覚悟はなかったと思います。未来を担う明日の法律家のみなさんには、覚悟と謙虚さを忘れずにもっていただきたいと思います。

失敗に学べ

 この事件にかかわった刑事や検事、裁判官に責任を取らせて終わりで良いのかというとそうではありません。もちろん個人の責任を追及することは重要ですが、それだけでは時と場所を変えて同じことが繰り返されます。
 まず、取調べの可視化はもっと拡大していった方がよいと思います。今は逮捕された被疑者でかつ裁判員裁判になるような事件や特捜部が取り扱う事件、被疑者の精神状態が問題になるような事件などに対象が限られているのですが、そうではなく全面的に可視化した方がよい。もっというと、参考人の取調べだって可視化したらいいのではないかと思います。
 もう一つは、証拠の全面開示です。ただ、現場の捜査員なら分かると思いますが、現在は捜査したすべての事項を捜査報告書にまとめない、あるいは記録に残さないことが少なくありません。そうなると、そもそも「証拠がない」状態です。ないものを開示する事はできません。全面開示ということになると、どういう事実を証拠として残すかについてかなり慎重に判断することになると思うので、そこが抜け道にならないように記録を義務づける必要があると思います。
 捜査の結果判明した事実は、必ず何らかの形で証拠として残すべきです。共同捜査という形をとっている場合、担当者がやるべきことをやっていなければ、他の人が告発しなければいけません。海外には司法妨害罪というものがありますが、日本でも刑罰によって捜査機関を縛れる仕組みを作る必要があります。
 強姦えん罪事件と同じような事件がフランスで起きたことがあります。虚言癖のあるお母さんが10歳の息子に「両親だけでなく近隣住民16名からも性被害を受けた」と嘘を言わせ裁判手続きになりました。結果、近隣住民の中には十数年の実刑判決を受けた人がいて、将来を悲観し自殺する人も出てしまいました。「10歳の男の子が嘘をつくはずがないだろう」と予審判事が思い込んでしまったのです。
 フランスではこの事件が大問題となり、大統領が謝罪したり、国会内の調査委員会の調査の状況がテレビで放映されたりして、えん罪防止のための抜本的な改革につながりました。翻って、日本でえん罪事件が起きたときには、担当検事や裁判官の名前さえ報道されず、国家賠償請求ですら棄却されてしまいます。この事件も、この先高裁や最高裁でも棄却されたら、何も変わらぬまま終わってしまいます。それでいいのでしょうか。
 なぜ今回性犯罪を題材にしてお話ししたかというと、性犯罪こそ熱くなりやすいからです。私自身、性犯罪の厳罰化には大賛成なのですが、「絶対に許さない!」と思っていると、見るべき証拠を見逃す可能性があります。熱くなったときこそ冷静に議論すべきです。

まとめ

 ここで再び、冒頭で挙げた三つの点を振り返っておきましょう。
 まず一つ目ですが、もちろん、だれがどう考えても裁判は勝ち負けにほかなりません。とりわけ、当事者本人が勝った負けたと考えるのは当然のことです。しかし、勝ち負けと捉えているからこそ、勝ちたい、負けたくないと思うわけだし、勝つために無理をします。負けたくないから不利な証拠を隠そうとします。不利な事実を探すことを怠ります。法律家までもがそうした考えに取り憑かれ、のめり込みすぎると、どうしても視野狭窄に陥ります。心に余裕がなくなり、勝てると思う証拠ばかりに目が行き、負ける証拠への検討が疎かになってしまい、気づいたら手遅れという事態になりかねません。プロの法律家である以上、証拠や事実の細部だけでなく、一歩引いて俯瞰的にその全体を見るクセをつけておく必要があるのではないでしょうか。
 二つ目の複眼的な視点、違った角度、異なる立場から見る意義というのは、これを具体的に表したものです。自分にとって都合のよい証拠や事実は輝いて見えるわけですが、一面的な見方をしていると足もとをすくわれます。客観証拠であっても、どのような視点、角度、立場から見るかで、指し示す事実が変わることがあります。検察官ならどう考えるか、弁護人なら、裁判官ならと、必ず真逆の立場からその証拠や事実を徹底的に検討し、複眼的な視点を持つことが重要ではないでしょうか。
 三つ目の他人の人生を左右することへの謙虚さは、法律家にとって絶対になくしてはならないものだと思っています。「閻魔大王の覚悟」という寓話のことを忘れないでいてください。
 「あるべき刑事司法とは何か」というテーマは古くて新しい問題ですが、皆さんにはこれを常に意識し、是非深く考えていただきたい。また、こうした講演に参加する志のある皆さんのような方たちこそ、検事になり、内側から検察を変えていってもらえたらと願っています。
 ただ、一点だけ注意申し上げると、検事になっても、絶対に私のようにはならないでください。また、もし仕事と家族を天秤にかけなければならない事態に直面したら、迷うことなく家族の方を選んでください。

広島大学大学院社会科学研究科修了(法学修士)。1993年、旧司法試験に合格。1996年、検事任官。カナダ司法省留学。約15年間の現職中、大阪・東京地検特捜部に合計約9年間在籍。ハンナン事件や福島県知事汚職、陸山会事件などで主要な被疑者の取調べを担当したほか、NOVA積立金横領事件、小室哲哉詐欺事件などで主任検事を務める。2010年、郵便不正から派生した厚労省虚偽証明書事件において証拠改ざんに及んだことで一転して被疑者、被告人及び受刑者の身となり、602日間の身柄拘束を経て、2012年5月に満期出所、社会復帰。現在はヤフーニュースやフェイスブックなどのネット媒体を使い、刑事司法の実態や問題点を独自の視点で発信中。