『花のあとさき ムツばあさんの歩いた道』(2020年日本/百崎満晴監督)

 NHKドキュメンタリー取材班が秩父市吉田太田部楢尾に住む人々に18年にわたって寄り添った記録である。
 秩父山地の斜面にぽつんとある集落・楢尾では明治時代に養蚕業や林業が行われ、多い時には100人が住んでいた。その後も住民が炭焼きや紙漉きを主な生業として、自分たちの畑も耕しながら暮らしてきた。ところが、1969年に下久保ダムが完成。町につながる道路が敷かれたことで、山を下りる人が増えていく。
 スタッフが取材を始めた2001年の戸数は5戸、住人は9人、平均年齢は73歳。必然的に集落がなくなるまでの過程を撮ることになった、その中心にいたのが小林ムツさんである。楢尾の小林家に嫁いで約60年が経つ。
 ムツさんと夫の公一さんはこれまでのような専業農家を続けるのが難しくなっていた。そこで始めたのが花を植えることである。
 「花を咲かせ畑を山に還せば、安気できる。のんびりできる。いつか人が山に戻ってきた時、花が咲いていたらどんなに嬉しかろう」
 それはやがて誰もいなくなる自分たちの集落の仕舞い方でもあった。
 ムツさんをはじめ住人はみな働き者だ。新井武さんはこんにゃく栽培の傍ら、山に入って杉に絡まるつたを切り、新しい品種の苗を植える。大変な山仕事だが、「ここは水源だから山を大事に守ってあげなくてはいけない。国の財産だから」
 2006年に公一さん、2009年にムツさんが亡くなった後、武さんが2人の植えた花の手入れを引き継いだ。そのおかげで2017年に武さんがこの世を去り、人がいなくなった楢尾だが、いまでも春になれば福寿草やレンギョウなど色とりどりの花が一面を明るくする。
 「限界集落」という言葉はいま生きている人だけに向けた言葉に過ぎない。楢尾から山を下りたかつての住人たちが、むかしの祭りを復活させようと集落の神社に集まってくる。その土地に対する人の記憶や歴史の痕跡は残っているのである。
 「限界」の先には何があるか。ある僧侶が、全国各地で増えている、参る人がいないお墓=無縁墓について、こんなことを言っていた。
 「それはもう仕方がありません。お墓は『古墳』になると考えるのです。石に苔が生すといい感じになるではないですか」
 ムツさんたち楢尾の住人の暮らしは、目先のことにとらわれる私たちのそれとは時間軸が違う。
 「人生なんてほんとあっけなえもんだが」
 こうつぶやくムツさんだが、自分が亡くなった後の自然のことも気にかける。彼女にとって、死ぬことは「人生の通過点」なのかもしれない。
 この作品は5月から全国で順次公開予定。ゆったりとした時間の流れに身を任せながら観てほしい。

(芳地隆之)

『花のあとさき ムツばあさんの歩いた道』

※公式サイト  https://hana-ato.jp/