第35回:新型コロナウイルスによる肺炎、ついにパンデミック(世界的大流行)に(柴田鉄治)

 新型コロナウイルスによる肺炎騒ぎは、世界保健機関(WHO)が3月11日、パンデミック(世界的な大流行)と宣言するところまで広がった。最初は、中国や韓国など、アジアの患者が圧倒的に多かったが、次第にヨーロッパや中東などにも広がり、むしろイタリアやイランなどの増加スピードのほうが著しくなって、各国とも対応に躍起となっている。
 なにしろ、人と人とが触れ合うのが広がる原因だとあって、人が集まる会合や行事などは次々と中止や延期となり、人の動きが減っただけでなく、経済活動なども急速に下降線を辿っていった。株価も史上最大の落ち込みをみせ、各国政府も、大慌てで緊急支出などの対策を急いでいる。
 日本でも、3月は春の行事が一斉に花開く時期なのに、あれも中止、これも延期と寂しい話題が続く。大相撲春場所は、無観客でテレビ中継だけはやっていたが、力士たちは真剣でも、無観客だと周囲の興奮がないため、稽古のような雰囲気がどうしても消えなかった。
 甲子園の春の選抜高校野球は中止となり、出場校の選手たちの落胆ぶりは、見ていられないほどだった。かき入れ時の遊園地や展覧会なども軒並み休園や延期となった。
 プロ野球やサッカーJリーグは、開幕時期を4月上旬まで遅らせて実施する予定だったが、さらに伸ばし、場合によっては、無観客にする可能性もまだ残っているという。

安倍首相の「プロンプター読みの記者会見」

 日本政府の対策遅れが指摘された安倍晋三首相は、2月末に突如、「全国の小・中・高校を一斉休校にするよう要請する」と発表した。なぜか理由は説明せず、記者会見は丸1日遅れで行われたが、プロンプターを読み上げるような形で、なぜ1日遅れたのか、という質問にも答えず、記者団から大勢手が挙がっているのも無視して立ち去ったのを見て、「首相は何もわかっていないのだな」と思った。
 それなのに、首相の言葉として「私の責任において」とか「断腸の思い」などとわざわざ強調していたのだから、不思議である。翌日の「朝日川柳」は7句中5句が、この記者会見を読んだものだった。
 その5句とは「プロンプターただ読むだけの記者会見」「無観客のように質問受けつけず」「先送りしてたら急に前倒し」「丸投げを断腸と言う能天気」「責任取るモリカケサクラ同じ口」だった。
 これは私の推測だが、朝日川柳の選者が記者会見ものばかりを選んだのではなく、投句者のほうが記者会見ものに集中したのだろう。私もテレビ中継で記者会見を見ていて、「これは、何だ?」と思ったほどだから、時事川柳の筆者たちが見逃すはずがない。
 日本でも中国や韓国からの入国制限を実施したが、国家非常事態宣言を出した米国のトランプ大統領は、ヨーロッパからの入国を禁止し、最大500億ドル(5兆2000億円)の緊急支出をすると発表した。
 入国制限は、最初は英国とアイルランドは除く、としていたのに、すぐに英国とアイルランドも含めると変わる騒ぎである。

東京オリンピック・パラリンピックは延期へ!

 今年は7月から東京オリンピック・パラリンピックが開かれることになっている年だ。ギリシャ・オリンピアでの採火式は、無観客ながら予定通り行われ、聖火は、日本から参加したアテネ・オリンピックの女子マラソンの金メダリスト、野口みずきさんに手渡されたが、ギリシャでの聖火リレーは中止され、聖火だけ日本に空輸された。
 日本での聖火リレーは、なるべく離れて見るように、という条件付きで行われる予定だが、本番のオリンピック・パラリンピックが予定通り開けるかどうか。安倍首相や小池百合子東京都知事は「予定通り実施する」と言っていたが、各国の選手選考大会などが次々と中止されたりしているので、直前までどうなるか分からない(※)。
 カナダは、予定通り行われても選手の派遣をしないと通知してきており、トランプ米大統領なども「1年延期したらどうか」と言っている。
 最終的には国際オリンピック委員会(IOC)がWHOなどと協議して決めることになろうが、3月22日に開かれたIOCの理事会で延期を検討することになり、「とりあえず4週間以内に結論を出す」と決めた。ただ、延期といっても競技場などに別の予約が入っていたりして、そう簡単なことではない。
 今年の夏に体力のピークを持ってくるよう、調整していた選手たちの苦労も吹っ飛んでしまうのだから、大変なことである。

※原稿入稿後の3月24日(火)、オリンピック・パラリンピックの「1年程度の延期」が正式に発表され、3月26日スタート予定だった聖火リレーも中止となった。

森友学園事件、自殺した財務省職員の遺書から新事実

 安倍首相夫人が名誉校長を務めていた学校の用地に、国有地を格安で払い下げたことが国会で追及され、首相が「私や妻が関係していれば首相も国会議員もやめる」と国会で大見得をきった森友学園事件。その首相の恫喝を受けて公文書の改ざんをやらされた近畿財務局の職員、赤木俊夫氏が自ら命を絶ってから2年あまりが経つ。その遺書に、改ざんは財務省の佐川宣寿元理財局長の指示だったと書かれていたことが、週刊文春の報道で明らかになった。
 赤木氏の妻が3月18日、国と佐川氏に1億2000万円の損害賠償を求める訴えを大阪地裁に起こしたことで、真相を究明する場が裁判所に移るが、遺書によると、公文書の改ざんは、安倍首相の国会発言を受けて佐川氏が発案し、近畿財務局に指示してきたものだったという。
 裁判所に出された訴状によると、赤木氏は国有地の売買担当部署に所属していたが、2017年2月、上司に呼び出され、国有地を森友学園に売却した取引の経緯を記した公文書から、学園側を優遇した記載を削除するよう、改ざんを指示された。赤木氏は強く抵抗したが、何回も強要されたという。
 同年11月、大阪地検から任意の取り調べを打診されてから、自殺願望を口にするようになり、翌18年3月、公文書の改ざんが報じられた5日後に自殺した。
 大阪地検特捜部は、赤木氏の遺書の内容などもすべて知っていたのに、背任や公文書改ざんの佐川氏や財務省の官僚らは全員不起訴とし、格安で払下げを受けた森友学園側だけ、前理事長の籠池泰典夫妻らを詐欺罪などで起訴して捜査を終えた。
 かつて検事総長が言った「巨悪は眠らせない」という言葉をもじれば、「巨悪を眠らせ、小悪だけを摘発した」となろうか。籠池被告の勾留は約300日にも及んだのだから、検察庁の「不公正さ」は、社会正義に反することは明らかだろう。
 背任や公文書改ざんなどの犯罪の実行者は財務省の官僚たちだろうが、それをやらせたのは安倍首相や麻生太郎財務相だ。それなのに、いや、それだからこそ、2人とも「森友学園事件の再調査はやらない」と言明している。
 本来なら「巨悪は眠らせない」はずの検察庁が、首相や財務相を背任や公文書改ざんの「主犯格」として逮捕・起訴したらよいのだが、安倍首相らはそれを恐れて、安倍氏に近い東京高検検事長の定年を延長して検事総長にしようとしているのだ。
 社会正義に忠実であるべき検察庁の人事にまで介入するのだから、日本もひどい国になったものである。

大きな裁判2つに、2つの判決

 3月に、2つの大きな裁判があり、2つの判決が注目された。1つは、相模原市の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で、入所者19人を殺害した植松聖被告に対する判決であり、もう1つは、千葉県野田市で小学4年の栗原心愛(みあ)さん(当時10歳)を虐待して死亡させた父親に対する判決だった。
 やまゆり園事件の植松被告は、19人もの殺人を犯したのだから、「責任能力あり」と認められれば、最高刑の死刑判決が出たのは当然と言ってもいいであろう。
 問題は、死刑を廃止した国も多い中、死刑制度そのものをどう考えるか、という問題だ。日産自動車のゴーン前会長が海外に逃亡した際にも、日本は、米国と韓国の2国しか犯人引渡条約がない国で、その理由が死刑制度にあるということが報じられた。
 よく考えてみれば、植松被告は「障害者なんて社会には要らない」と考えて殺したわけで、その植松被告に対する死刑判決は、「そんなことをする人間は、日本社会には要らない」と今度は国が判断したことになる、という矛盾を抱えている。
 死刑制度の是非を考えるためには重要な判決だといえようか。
 もう1つの、心愛さんを虐待して死亡させた父親への懲役16年の判決は、この種の犯罪に対するものとしては極めて重い。心愛さんが学校や児童相談所などに何度も助けを求めたのに助けられなかったという人々の思いが、判決に加味されたのだろう。父親の陰湿な虐待ぶりに対する人々の怒りも加味されたのかもしれない。

今月のシバテツ事件簿
原爆と原発は1字違い

 3・11の東日本大震災からまる9年が経った。2万人の命を奪った津波の被害も、ほとんど復興し、最後の仕上げのような形で、不通になっていた常磐線が9年ぶりに開通した。鉄道幹線の常磐線が9年間も不通だったとは信じられないことだが、それは津波の被害ではなく、福島第一原発事故による放射能被害のせいだったのだ。
 東日本大震災が起こったとき、津波による死者に比べて、原発事故による死者の数は驚くほど少ないと言った原子力関係者がいたが、とんでもない。原発に近い病院などからの避難のために、どれほどの人たちが亡くなったか、知らずに言っていたのだろう。
 日本で戦後、原子力開発を進めるかどうか、学術会議で学者たちが議論を始めたとき、中曽根康弘議員が突然、2億3500万円の初の原子力予算を国会に提出し、「学者の頬を札束でひっぱたいた」と言われたことがあった。1954年3月、それが、日本の原子力開発のスタートだった。
 ちょうどそのころ、南太平洋のビキニ環礁の近くで操業していた静岡県の漁船、第五福竜丸が米国の水爆実験の死の灰を浴び、ヒロシマ・ナガサキに次ぐ「第3の核被害」といわれた。それに対して東京・杉並の主婦たちが「原水爆禁止」の署名運動に立ち上がったのが、原水禁運動の始まりだった。
 核エネルギーに対する肯定と否定。当時は、「平和利用は善、軍事利用は悪」と割り切って考えられていたため、矛盾はほとんど指摘されていなかった。「原子力」という言葉には、もともと平和利用という意味が込められており、期待だけがあったからだ。原子力という言葉にどれほど明るく力強いイメージがあったか、それは55年の新聞週間の標語に「新聞は世界平和の原子力」というのが選ばれていたことでも分かるだろう。
 その後、原子力開発にも反対運動が起こり、「トイレなきマンション」とか、次第に欠点も見え出した。そして2011年の福島の原発事故で「原発と原爆は、1字違いだが、結局、同じものだった」となったのである。
 これほどの被害を出した福島の原発事故に対して、検察庁は東電元幹部らを不起訴にし、検察審査会の意見で強制起訴された後も裁判所が無罪判決を出した。日本の司法においては、誰一人刑事責任を問われていないのである。

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柴田鉄治
しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。