第151回:「東京五輪」ができない七つの理由(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 東京オリンピックをめぐって、ダンマリを決め込んでいたマスメディアも、さすがにさまざまな意見を取り上げるようになった。まだはっきりと「東京オリンピックは中止したほうがいい」という態度を表明したところはないけれど、言葉の端々に「無理なんじゃないかなあ……」というニュアンスが漂う。
 どうも、開催を強行して何かとんでもないことが起きた場合に責任を取りたくない、という思惑が見え隠れしての「懐疑論」のようで、隔靴掻痒の感はぬぐえないが。
 ぼくは、もう「東京五輪中止」以外の選択肢はないと思っている。以下、思いつく理由を述べてみよう。

1. 参加国の激減

 もし東京オリンピックが開催されたとしても、参加国は当初の予定の半分にも届かないことになるだろう。
 WHO(世界保健機関)のテドロス事務局長は1月22日、ようやく「2月から途上国にもワクチンを供給」と発表した。だが、すんなりと実現するとはとても思えない。なにしろ、現時点で途上国でのワクチン接種はわずか25例に過ぎないというのだから、これからいくら増やしてもオリンピックに間に合うわけがない。大手製薬会社のワクチン供給先は、ほとんどが先進国との契約で縛られているからだ。
 もしオリンピックが開催されたとしても、途上国ではワクチン接種はできない。したがって参加国は激減する。今回のオリンピックは「世界の平和の祭典」とはならず「先進国だけの祭り」と化してしまうのだ。それは「オリンピック憲章」そのものに違反する。
 憲章の「オリンピズムの根本原則」(2020年)には次のような記述がある。

 3.(略)活動は5大陸にまたがり、偉大なスポーツの祭典、オリンピック競技大会に世界中の選手を集めるとき、頂点に達する。そのシンボルは5つの結び合う輪である。

 4.スポーツをすることは人権の一つである。すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない。オリンピック精神においては友情、連帯、フェアプレーの精神とともに相互理解が求められる。

 もし開催を強行すれば、この「憲章」の文言にある「5大陸」から零れ落ちる国々を除いた、いびつな大会にならざるを得ない。そんなオリンピックはあり得ない。
 これが、今回のオリンピックは開催してはならないとぼくが考える、最大の理由である。「いかなる種類の差別も受けることなく」とされているのに、参加することさえ差別されるのでは、とうてい「オリンピック」の名に値しない。

2. 医療体制の徹底的な不備

 東京オリンピック開催には「5千人超の医療関係者の協力が必要」とされている。選手や観客への対応として、医療体制は絶対に必要なものだ。これはむろん、コロナ蔓延以前の計画だ。コロナが完全終息した場合ならこれも可能だろうが、現状ではまったく無理な話だ。しかも、そのほとんどは無料奉仕だというのだから驚く。
 いまやコロナ禍での医療従事者たちの疲労はピークに達しており、医療体制は崩壊寸前だとまで言われている。あと半年を切ったオリンピックについて考える余裕など、医療現場にはない。現場の医師のほとんどが「少なくとも今年いっぱいでコロナが収まる可能性はない」と言っている。
 とすれば、このまま7月にオリンピックを開催するとしても、医師や看護師などを5千人以上も動員できることなど、絶望的である。それでも強行するというなら「特攻五輪」とか「神風五輪」などと批判されることになるだろう。
 競技場などで何か突発的な事故や症状が出たとき、組織委員会はどう対処しようというのだろう。医療のバックアップなしで競技をやるなどというのは、それこそ「特攻五輪」であろう。
 政府や組織委は「ワクチンさえあれば」と考えているようだが、それはあの戦争で「神風」に期待せざるを得なくなったことと同じだ。

3. ボランティアたちの離反

 選手のケアや観客の誘導、更には会場の設営などに関して、ボランティアはどうしても必要である。一昨年、すでに18万人の応募者の中から8万人のボランティアが選ばれている。その活動を楽しみにしていた人たちも多かった。
 若者から年配者まで、外国からのお客さんとふれあう機会を心待ちにしていたのだ。だがそれは、コロナ禍での話ではない。「三密を回避」「不要不急の外出自粛」という状況の中で、そんな夢は吹き飛んだ。
 当然のことながら、延期が決まった昨年3月30日以降、ボランティア辞退が相次いでいる。ところが、組織委員会はどれだけの辞退者が出たかについては一切明らかにしていない。膨大な数に、ただ慌てふためいているということらしい。
 今大会に関する限り、すでに医療体制は崩壊しボランティアも激減。もはや、大会そのものの実行が、人的資源の面からも不可能になりつつあるのだ。

4. 真夏の高温

 新型コロナウイルス対応で、すっかり影が薄くなった感のある「酷暑対策」はどうなっているのか。あれだけ騒がれて、マラソンなどは札幌へ強引に会場を移してしまったほどだったが、今やそんなことに誰も言及しない。組織委員会にしたところで、そんな余裕はかけらもない。
 連日35度以上を記録しているような最近の東京の夏。異臭騒ぎが起きたトライアスロンの水泳会場の問題なども、どこかへ吹っ飛んだままだ。
 酷暑下での競技には、医療体制は不要不可欠のはずだが、前述したようにその手当てはまったくできていない。強行すれば、人命にかかわるような事故だって起こりかねないことは、コロナ以前から指摘されていたことだ。
 コロナに目を奪われるあまり、高温対策がすっかりおろそかになっていると言わなければならない。

5. アスリートからも疑問の声

 女子1万メートルでオリンピック代表が決定している新谷仁美選手は、オリンピックに関して「アスリートとしてはもちろんオリンピックは賛成ですが、一国民としては反対です」とかなりはっきりと語っている(23日NHKニュース)。国民の期待を背負う立場として、国民が応援できる状況でなければモチベーションが上がらない、ということなのだろう。政治の道具として振り回されることへの怒りもあるのかもしれない。
 朝日新聞(24日付け)も、そんな選手たちの葛藤を記事にしている。
 五輪代表内定選手たちへのアンケートを基にした記事だ。

(略)11競技の41人から回答を得た。(略)
 2021年中の五輪開催についてたずねたところ、回答者の半数を超える21人が「不安を感じている」、または「少し不安を感じている」と答えた。「あまり不安は感じていない」「不安は感じていない」を選んだ選手は7人。「どちらとも言えない」は13人だった。(略)
 五輪出場にあたっての不安をたずねる設問(複数回答可)では「大会によって感染症が広まってしまうかもしれないこと」を最も多い25人が挙げており、葛藤がうかがえる。「新型コロナへの感染リスク」が18人で続き、「世間の機運が盛り上がらず、出場しても応援や支持を得られないかもしれない」を選んだ選手も15人いた。(略)
 五輪の開催に欠かせないと思うものを複数回答可で聞いたところ、半数を超える22人が「国際オリンピック委員会に加盟するすべての国・地域の選手の参加」と「会場の観客」を選んだ。(略)

 どうだろう。選手たちの方が、じいさんたちの組織委員会や菅政権より、よっぽどまともではないか。「不安」を抱え、国民の「応援や支持」を必要とし、さらに「すべての国や地域の参加が欠かせない」とする気持ちは痛いほどわかる。参加国が激減することを見越した上で、なお大会を強行しようとする連中への強い不信感も垣間見える。
 また、諸外国のアスリートたちからもさまざまな声が聞こえてくる。早々と大会不参加を表明した選手もいるし、大会の順送り(各大会を4年ずつずらして、東京は2024年とする)という提案をしたイギリスの選手もいる。
 「会場の観客」が必要不可欠だと意識している選手たちの気持ちとは裏腹に、IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長らは「無観客開催も視野に」などと言いだしたし、支持率浮揚のためにどうしても開催したい菅首相もまた「無観客開催」を検討し始めたらしい。これを「スポーツの政治利用」と言わずしてなんというか。
 オリンピックは、あくまでアスリート・ファーストであり、国民ファーストでなければならないはず。汚い政治の道具にするな! と言いたい。

6. 警備体制にも綻び

 会場警備や観客対応の警備などに、警察官の動員は欠かせない。多くは民間警備会社が請け負うとしても、警備馴れした警察の協力は組織委にとっても必要不可欠である。しかし、そこにも黄信号が灯っている。
 大会が実施されれば、むろん警視庁だけでは人手が足りず、各県警からの大量の応援動員を要請しなければならない。ところが1月21日現在で、全国の警察官や警察職員の新型コロナウイルス感染者は、実に1,167人にも上るという(朝日新聞1月25日付)。
 警察官は、他人との「濃厚接触」が絶対的に必要とされる職業だ。どれほど市中に感染が拡大しようとも、他人との接触なしでは職務遂行ができない。したがって、これからも警察官は普通の市民よりも高い感染の危険を冒さなければならないし、感染者は増えることはあっても減ることはない。
 かくして、警備体制にも穴が開く。

7. 政策の決定的な欠陥

 菅義偉首相の右往左往ぶりは、いまさらここに記すまでもない。やっと始まった国会審議の、とくに予算委員会での答弁は、見ていて気の毒になるほどである。支持率が調査の度に激減しているのもうなずける。
 なんとか起死回生を狙って、河野太郎氏をワクチン担当大臣に指名したのはいいが、さっそく坂井学官房副長官と、ワクチン接種時期を巡って大ゲンカである。坂井氏が「6月までに接種対象となるすべての国民に必要な数量の確保を見込んでいる」と説明したのに対し、河野大臣は「それは決定ではない。修正させていただく」と一蹴。だが坂井官房副長官も譲らず「修正はしません」と応酬、ほとんど泥仕合だ。なんとか「6月確保を目指すということで合意した」とあやふやな結論でごまかしたが、それでも坂井氏は「確保と供給は違う」とブツブツ言い続けている。閣内不一致の典型なのに、菅首相はそれに対して何もコメントしない(できない)。「ワクチン接種が感染対策の決め手である」と強調する菅首相だが、その肝心の担当者たちの意見がバラバラなのだ。
 昨年の首相就任直後には「今年中には接種を始める」と言っていたはずだが、いつの間にか「2021年2月には……」となり、更には「6月には……」、とうとう「今年中」とズルズルの後退戦。言う度に違ってくる始末で、とても信じられたものじゃない。
 だいたい、7月に始める予定のオリンピックに「6月には接種が……」で間に合うはずもない。「いや、選手たちには特別に前倒しで接種する」などとの意見もあるけれど、(5)でも指摘したように、それでは選手たちの心が晴れるわけがない。国民から「接種の順番に序列をつけるのか」と批判が上がるのも目に見えている。
 無観客大会との声が、ここにきて一気に強まって来たし、IOCバッハ会長もそう言いだした。だけど、そこまでして大会開催強行の意味があるのか。
 これからかかる費用の問題もある。
 かの田崎史郎氏は「ここで中止にすると違約金で、もっと多額のカネが必要になる」などと発言して誤りを指摘され、謝罪するという不様な御用評論家のアホさ加減をさらけ出す始末。
 ほんとうに、もう中止をIOCに通告したほうがいい。
 「このコロナ・パンデミックの最中の開催は無理です」と説明すれば、いくらIOCだって、どうしてもやれ!などと無理を言うはずがない。無理を通せば世界中から非難を浴びて「オリンピック」そのものに傷がつく。さすがにそれは避けたいに違いない。

 菅首相よ、なるべく早く「東京五輪は涙をのんで中止させていただく。その分をコロナ対策に“全集中”する」と言うがいい。
 それが、支持率回復への最後の切り札じゃないのかな。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。