伊勢弘志さんに聞いた:近現代史を学ぶことは、生きやすい未来の社会をつくること

私たちが暮らす社会は、近年、生きづらい空気が流れています。私たちが自分の意見を主張したり、「権利」を主張したりすると、「わがままだ」とみなされます。社会全体で同調圧力が高まり、学校でも職場でも、周囲と協調することが求められます。また、政治家の不祥事や疑惑、問題発言も後を絶たないのに、大半の人は選挙に行かず、ふだんの暮らしの中で政治の話をするのは避けられています。今のこのような日本の社会はいつから、どのようにしてつくられたのでしょうか? その源流を知るために、近現代史の研究者である伊勢弘志さんにお話を伺いました。

近代国家の形成期にこの国の形がつくられた

――今の私たちの社会の成り立ちを学べるのが近現代史です。近現代史を研究されている伊勢さんは、大学や市民講座などで戦前から戦後、現在へとつながる社会や政治の動きをわかりやすく教えています。最初に、伊勢さんが近現代史を専門に選んだきっかけを教えてください。

伊勢 歴史は子どもの頃から好きといえば好きという程度でした。乗馬と剣道を習っていたこともあって、戦国時代には興味があったんです。それが中高生のときに中国や韓国など近隣諸国との歴史問題がニュースになったり、大学受験で歴史の勉強をしている中で第二次世界大戦の戦死者のことを知ったことなどから、だんだんと近現代史を重視するようになりました。
 それと私の世代は祖父母が戦争を体験している世代なので、祖父母から戦争の話を直接聞く機会もありました。まだ今の子どもたちよりも戦争が身近に感じられたと思います。後から考えれば、歴史とか戦争というものに問題意識をもつ環境があったのだと思います。近現代史を研究の対象に選んだのは受験勉強の過程でした。勉強するうちに、いつか海外へ向けて日本の歴史を発信したいと思うようになりました。

――近現代史の中でも、近代日本の陸軍の研究を専門分野とされています。陸軍の研究を深めようと思ったのはなぜですか。

伊勢 陸軍を研究したのは大学院の博士課程からです。現在の社会的な基盤が様々なところで形づくられた明治期に、陸軍が多大な影響力をもっていたことを勉強しました。
 なぜ陸軍がそんなに力をもち得たのかというと、陸軍軍人である山縣有朋が日本最初の内閣・伊藤博文内閣に内務大臣として入閣したことと関わります。当時の内務省は、地方自治や警察を管掌する省庁で、現在で言うところの総務省、自治省、厚労省、国交省、そして警視庁を全部合わせた絶大な権力を有するキング・オブ・省庁でした。その内務省の大臣に陸軍を建設した山縣が就いたことで、陸軍の要請が行政全般にわたって反映されるルートがつくられていったのです。
 戦後、内務省はあまりにも権力が集中しているということでGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって解体させられますが、戦前には地方自治や学校教育にも影響をおよぼしました。地方自治と学校教育、この二つを押さえることによって国民生活のすみずみに内務省と軍部の意向が堆積していき、その価値に基づく社会通念がつくられていった。この国の政治や国民の体質を見るときに、かつての陸軍と社会の生い立ちも同時に見る必要があると思っています。

中央集権型の「地方自治」は今も変わらない

――地方行政に関しては、戦後、日本国憲法の第8章に明治憲法にはなかった「地方自治」が規定されました。にもかかわらず、地方分権といいながら、中央集権型の仕組みは現在も変わっていないところもあるような気がします。

伊勢 戦前はあまりにも地方に権限がなかったから、日本国憲法では新たに地方自治の条文を設けたわけですね。地方自治と陸軍の関係でいうと、徴兵制度をつくった山縣は、その中で全国の町村長が責任をもって徴兵検査を受けさせるルールを組み込みました。本来、陸軍は地方自治には介入できないはずなのに、徴兵検査を受けさせることが地方の役所の日常業務となって、軍が地方行政に食い込んでいった。それをきっかけに陸軍の影響力が全国的に拡大していくわけです。それは陸軍のトップであった山縣が内務省のトップに立っていたからこそできたことです。
 また中央集権型の明治政府は、内務省の管轄下にあった地方の首長も官僚化していきました。地域の住民の代表者であるはずの知事や市町村長は、内務省と地元をつなぐ橋渡し役になってしまった。地方議会も中央の出先機関のようになり、国からの上意下達の官僚組織になっていったところがあったのです。

――今の地方行政もその流れは続いているように見えます。自治体の首長も与党とつながりのある人が選挙で当選して、国の政策にそって行政を行っていることが多い。地方のお金がいったん国に吸い上げられ、それが分配されて補助金として交付される制度になっていますし、地方分権がちゃんと機能しているとはいえないのではないでしょうか。

伊勢 そこが問題ですね。明治時代から、政府は地方のインフラ整備などは選別して行っていました。言うことをきく地方には手厚くお金を配ったわけです。
 現在は憲法に地方自治が明記されているのに、地方が中央と結び付いて、なかば自由意思に基づいて自治の権利を放棄しています。近代の政党は、軍国主義に傾くまでは、基本的には軍部に対抗して自由や権利を拡大しようとしていました。ところが、戦後の政権与党は、国民の自由や権利を制限していくような、かつての陸軍の役割をやっている。そんな与党に地方が従っているのはおかしな話だと思います。

「学校教育」の中に生き続ける軍隊の論理

――内務省は地方自治のほか学校教育にも影響をおよぼしたということですが、戦前の教育も、今もまだどこかに根強く残っているように感じます。

伊勢 明治から大正、昭和の敗戦まで、学校では個人より国家に価値を置く教育を行っています。国家に尽くすことが美徳であり、権利を主張する前にまず義務を遂行しなさい、という教え方をしていました。権利を主張するなんてみっともない、図々しい、国家のために黙って働くのが日本人としてあるべき姿だと教えていたわけです。教育は内務省が管掌していたわけではなく、文部省は独立した省庁でしたが、教育行政も内務省の方針を受けて行われていました。

――国民が権利を主張しなければ、国は支配しやすくなりますね。

伊勢 山縣ら明治政府の為政者層はほとんど武士階級の出身だったので、彼ら自身が道徳心とか倫理観を重んじる儒教的な教えを受けています。だから彼らは国民を支配するためだけではなく、そういう教育が正しいと本気で思っていたところがあります。たしかに道徳心や倫理観が高いことは悪いことではないし、正しさも含まれています。それ自体は間違っていないので、日本人は戦後もずっと「戦前の教育はいいことも言っている」という意識をどこかにもっているのではないかと思います。
 しかし、その儒教的な武士的訓戒とは、権利とか人権という概念がない江戸時代の価値観の産物でもあります。現在、道徳は学校での筆頭科目とされていますが、権利なんて言葉のなかった時代の価値観を何ら考察することなくもってきて、「我慢が大切です」「遠慮は美徳です」と子どもに教えるのであれば、ますます権利主張をしない国民がつくられていくでしょう。

――戦後は民主的な教育になったはずなのに、学校ではいろいろな形で集団行動が求められています。たとえば運動会も日本の学校だけと聞きますが。

伊勢 海外の学校には競技会はありますが、全員が参加する学校行事としてやっているのはおそらく日本だけでしょうね。運動会は日本特有のものだと誇る声まであります。
 運動会は明治期から、富国強兵政策のもと小学校や中学校などで行われてきました。そこには軍隊の一斉行動が取り入れられて、一糸乱れぬ行動を訓練する行事になります。行進をしたり、駆け足をしたり、みんなで同じ動作をするのは訓練をしないとできない。それは学校だけではありません。日本は電車の時刻が正確だといわれますが、労働の現場でも軍隊の論理が行き渡っていました。訓練をして、秒単位の行動ができるから、電車も秒単位で正確に動く。みんなで規則正しく、時間通りに行動するという規範は陸軍がつくったもので、これが国民生活に浸透し、いまだに続いているわけです。
 近現代史をたどっていくと、今、私たちが生活の中で体験していることの源泉は近代にあったんだなと気づきます。日本は戦後に民主国家に生まれ変わって、内務省も陸軍もなくなったのに同じことをやっている。地方自治でも、学校でも、職場でも、あらゆる場で、近代の延長上に現代があることがわかります。

戦前回帰へ、揺り戻しはなぜ起きたのか

――戦前の日本は、戦争に向かう中で人々の権利や自由が奪われました。今も、異なる立場の人や弱い立場の人を排除したり、差別したり、一方で国を美化したり、生きづらい空気が社会に流れています。人々がいつの間にか戦争に巻き込まれていった過ちを繰り返さないためにも、近現代史から学ぶことは大切ですね。

伊勢 かつての日本の社会はなぜ軍国主義一色に染まってしまったのか。それは戦争に突き進んでいく過程でいくつも段階があって、複合的な理由があります。いつからとはいい難く、軍国主義の極みに達するまでにだんだんと社会全体がそういう体質に変わっていった。そして、戦後は内務省も陸軍もGHQに解体させられたのになお影響力は潜んで残っている。今も似た空気が社会の中に流れているのは、体質化してしまうとそこからなかなか抜け出せないからだと思います。
 戦後の政治を見ると、過去の戦争の反省や戦前の否定に対する揺り戻しが何度も起きています。教育でいえば、1950年代に岸信介内閣が文教政策として道徳教育の義務化をはかろうとしました。その後、60〜70年代の佐藤栄作内閣のときには近代化を成し遂げた明治維新がいかにすばらしかったか、サクセスストーリーとして近代史がとらえ直されました。「明治百年記念式典」が国家行事として行われます。司馬遼太郎の『坂の上の雲』はその顕彰事業の代表作ですね。
 歴史の解釈にはそれぞれの世代によって強く影響を受けた言説がありますが、現在の政財界の指導者層は記念式典の影響を受けた世代です。その価値観を無批判に、あるいは無意識に継承してしまっている。近代化としての発展と同時に、近代がいかに人権や個々人を圧殺した時代であったのかというところに考えが至らない。明治の日本人は偉大だという見方が主流になって、そうした空気が連綿と続いているのではないかと思います。

――無批判に、無意識に引き継いでいるのが問題ですね。政治家による戦前の価値観そのままの発言がたびたびニュースになって、オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗・前会長の女性蔑視発言などもそうですが、あの世代の人たちは自分の言ったことがなぜあれほど批判されるのか、よくわかっていないのかもしれません。

伊勢 ですから、みんなの権利が尊重される生きやすい社会をつくっていくには、どの世代にどのように伝えていくべきなのか考えなければいけないと思います。たとえばジェンダー平等というような考え方を今の70代、80代に「理解しろ」というのは、やはり無理がある。また、若い世代にいきなり「もっと主権者意識をもちなさい」と言っても伝わらない。各世代が互いに「若いやつはだめだ」とか「上がしっかりしろ」と言い合っていても、うまくいきません。私は、これからの社会を担う世代に、自分の権利を意識してもらう必要があると思っています。そうでなければ上の世代の思考のまま、社会的な意見は将来も変わっていかないからです。

近現代史の授業で学生たちに伝えていること

――今は18歳から選挙権がありますし、若い世代に伝えることは大事ですね。伊勢さんは、大学で近代史と現代史を教えていらっしゃいますが、学生の反応はどうですか。

伊勢 自分たちが主張したり行動したことで何かを得た成功体験をもたないうちから主権者意識をもてというのは難しいですよね。大半の若者は政治に関心がないように見えますし、実際の選挙にも行かない。しかし「主権者意識をもって、選挙に行け」と言い放つだけでは解決しないし、言われた方にしてみても「この候補者の中から選べと言われても困るよ」と思うのが実態でしょう。
 本来、選挙での投票は市民が受け身で候補者を選ぶのではなく、主権者が主体的に意思を表明した政治家・政党として育てていくためのものです。すでにある政党の中から消去法で仕方なくベターな候補を選ぶのではなく、市民が自分たちで育てていくべきものです。だから、現代史の授業では学生たちが自分の答えを見つけて、社会と向き合えるような課題を取り上げています。

――たしかに「若者は政治に関心がない」というのはよく言われていますが、社会のために何かをしたいとか、そういう意識はあるのではないでしょうか。

伊勢 そうなんです、本当はあるんです。だけど、どうしたらいいのかわからないし、社会の問題が自分の身に降りかかってこないと動かない。ニュースを見て、「こういう問題が起きていて、こんなに困っている人たちがいる」ということを知っても、自分が困っているわけではないから何もできないし、どうしても他人事になってしまう。
 だから、社会の問題を他人事にしないということを教えるのが教育です。みんなで共有すべき問題を他人事にしている社会が、みんなが幸せに暮らせる豊かな社会になるわけがない。そういうことを学べるのも近現代史なのです。

――具体的にはどんな授業をされているのでしょう。

伊勢 たとえば「オメラスから歩み去る人々」という寓話を取り上げることがあります。これは『ゲド戦記』を書いたアーシュラ・K・ル=グィンという作家の『風の十二方位』という短編集に収録されている作品です。
 オメラスというのは、豊かで平和な理想的な都市の名前です。ここでは誰もが何不自由なく暮らしているのですが、その暮らしは一人の子どもが人柱になって監禁されていることで保たれています。子どもを救い出してしまうと災厄が起こり、理想的な都市はたちどころに崩壊してしまう。オメラスの人々はそのことを知っていて、子どもを助けると崩壊を招くので助けない。しかし、一人の子どもを犠牲にして幸せな生活を享受することを後ろめたく感じてオメラスから去って行く人たちもいる、という話です。
 授業では「自分だったらどうするか」と学生に問います。この数年、多いのは「黙って去る」という答えです。「子どもを犠牲にして住み続ける」のでもなく、「理想の都市が崩壊しても子どもを助ける」のでもなく、「黙って去る」を選ぶ学生が多いわけです。

100年後の未来のために何ができるのか

――難しいですけれど、子どもを助けて、なおかつ都市が崩壊しないためにはどうすればいいかを考えるしかないですよね。

伊勢 「一人の子どもの犠牲の上に成り立っている幸せな社会」という構造を変えないといけないんです。功利主義で考えたら、「たった一人の犠牲で多数の幸福が得られるのだからいいじゃないか」という意見もあるかもしれません。この100年、200年、近代国家はこういう構造を内包していて、植民地の資源を収奪したり、地球上のほかの地域の環境を破壊したりしてきました。
 しかし問題は、そのような構造の上に未来はあるのか、ということです。オメラスから「黙って去る」のは、誰かを犠牲にしたくはないけれど、どうしていいかわからないから「関わりたくない、何もしたくない」と言っているのと同じです。少数者の不幸を他人事にせず、ここにある構造、制度、仕組みを変えるために自分は何ができるのか、どんな行動を起こせるのか。多数の人々がそこに思い至らないと、100年後、200年後も何も変わりません。
 授業でこういう話をすると、学生からは「社会の問題に関心がなかったけれど、それではだめだと思った」とか「選挙にもちゃんと行こうと思った」とか「他人事にしてはいけない理由がわかりました」といったリアクションが返ってきます。

――歴史を学ぶことは、現在と未来の社会を変えることにつながりますね。貧困・格差、女性差別、排外主義、労働問題など、さまざまな現在の社会問題は日本の固有の歴史が影響している。それを理解した上で、私たちはどうすればいいのかを考えることが大切なのではないかなと思います。

伊勢 近現代史を学ぶと、社会の構造を根本から変えるには100年はかかるのがわかります。歴史研究を進める中で、「社会に貢献したい」という気持ちになりました。しかし、日本社会の本当の変化は「自分が生きている間は達成されないだろうな」とも思います。
 正直にいうと、失望したり、やりがいをなくしそうになることもたくさんあります。たとえばテレビや新聞を見れば、首相や閣僚の発言に「これで政治家なのか」と呆れることがいっぱいある。選挙の投票率も上がらない。日本のここがおかしい、これが問題なのは「見ればわかるだろう」と思っても、そういう当たり前のことすら議論にできない。いったい何をやってきたんだと愕然としてしまいます。
 だけど、いかに時間がかかろうと、今、私たちが何もしなければいつまでたっても前進しません。私にできるのは、大学の授業や市民講座などで学生や市民の方に伝えていくことです。それは100年後の生きやすい社会をつくるための下準備のひとつでしかなくて、もしかしらたら下準備だけで終わってしまうかもしれないけど、それでもやるしかありません。今の社会のどこに問題があるのか、その問題は歴史の中でどのように生じたのか、これからも発信していきたいと思っています。

(聞き手/塚田ひさこ、構成/海部京子、写真/マガジン9)

いせ・ひろし●1977年生まれ。明治大学大学院文学研究科博士後期課程修了。国際関係学修士/博士(史学)。現在は、明治大学兼任講師、成蹊大学非常勤講師。戦前の日本がどのように軍国主義になっていったのかを研究する中で、当時の地方自治や学校教育(修身教育=道徳教育)がいかにつくられたのかを解き明かす。主な著書は『明日のための近代史 世界史と日本史が織りなす史実』(芙蓉書房出版)、『石原莞爾の変節と満州事変の錯誤』(芙蓉書房出版)、『はじめての日本現代史』(共著・芙蓉書房出版)、『近代日本の陸軍と国民統制‐山縣有朋の人脈と宇垣一成』(校倉書房)ほか。