第556回:恐怖のインパール五輪〜家が火事なのに「祭りがしたい!」と駄々をこねる成人男性が支配する国~の巻(雨宮処凛)

 第4波。とうとう4都府県に三度目の緊急事態宣言が出た。対象は東京、大阪、京都、兵庫。

 大阪では連日の感染者が1000人を超え続け、重症病床使用率がとうとう100%を超えた。

 東京でも感染者は増え続け、その多くが変異株と言われている。

 そんな3度目の緊急事態宣言を受けて、いたるところで大混乱が起きている。

 何しろ発令されたのが4月23日。始まったのが25日。宣言期間はゴールデンウィークとまるかぶりだ。大型連休は、多くの業種にとって「この一年間の損失を取り戻す稼ぎ時」のはずだった。それがなんと、酒を出す店には休業要請がなされ、それ以外の店は午後8時まで。イベントなどは原則無観客で、百貨店、テーマパークなどにも休業要請がなされた。

 「今まで頑張ってきたけど、今回で完全に心が折れた……」

 そんな言葉を飲食店の人たちから耳にする。それだけではない。ゴールデンウィークに企画されていたライヴやイベントはどうなるのだろう。多くのライヴハウスや劇場、そしてスタッフが確保され、観客の中にはホテルや飛行機、新幹線のチケットを取っている人もいるだろう。それが突然の無観客。数日前に言われても、いきなり配信に切り替えるのは至難の技だ。それだけではない。チケットの払い戻しや振替公演の設定もしなければならない。そんな「お金にならない後始末」があらゆるところで発生している。結局、アーティストやイベントを支える業種の人々が、莫大な損害を抱えることになるのだろうか?  そう思うと、「本当に勘弁してくれ」と叫びたくなる。文化、芸術に関わる人たちはどうしてここまで軽んじられるのか。「不要不急でない」と言ったところで、それで生活している人たちにとっては大問題なのに。

 そんな中、小池百合子都知事は午後8時以降の「消灯」も命じている。店のネオンやイルミネーションなどを消せというのだ。

 これを受け、「灯火管制か?」という声もあちこちから上がっている。灯火管制。敵の空襲などを逃れるために電気を消すこと。日本でも戦時中にやっていたことだが、私は1990年代末の北朝鮮で経験したことがある。あの時も午後8時だった。その時間になると人々が一斉に電気を消して街が真っ暗になるのだ。なぜそのようなことをするかと聞くと、「アメリカの人工衛星に我々の団結力を見せつけるためさ!」という返事が返ってきたが、当時の北朝鮮は慢性的な電力不足。灯火管制などせずとも、「一斉に電気が消える」=停電が1日に何度も起きていた。「なんの意味が?」。当時はそう思ったのだが、今、私は北朝鮮の灯火管制を笑えない。なぜなら今のこの国の状況こそ、「しょっちゅう停電してるのに気合で灯火管制して何かやってる感を出していた」あの頃の北朝鮮と大差ないように思えるからだ。

 そんな「午後8時以降、消灯」が人々にどんな作用をもたらすかといえば、それは「相互監視」に他ならない。

 「あの店は8時以降に灯りをつけていた。非国民だ」というような「灯火管制警察」は、すでにあちこちに現れているのではないだろうか。

 そんなふうにして、いろいろなことを取り締まり、多くの業種の人々を振り回しまくっている一方、日本のワクチン接種率は先進国で最下位という「どうした?」的な状況だ。世界でもっともワクチン接種が進むイスラエルでは、4月なかばの時点で屋外でのマスク着用は必要ないと政府が宣言。「コロナ以前の生活」を取り戻しつつあるのに、そしてそれ以外の国、例えば台湾では1日の感染者数は数人で、ニュージーランドではほぼ終息していて日常を取り戻しているというのに、この国では中途半端な対応をダラダラダラダラ続けていることでついに第4波が押し寄せ、そして人々は経済的にも追い詰められている。

 私も属する「新型コロナ災害緊急アクション」に寄せられるSOSはこの1ヶ月ほど内容が格段に深刻になり、その数も増えている。「5日間、何も食べていない」という声もあれば、野宿の人も多く、また自殺に直接言及する人もいる。都内を歩いていても、ホームレス状態と思われる人々の姿は増え、一方で多くの飲食店が潰れている。

 それなのに、オリンピックは開催するというのだから、空いた口が塞がらない。この状況を戦争にたとえる人は多いが、やはり頭に浮かぶのは「インパール作戦」だ。

 インパール作戦。太平洋戦争で、もっとも無謀と言われる作戦のこと。具体的には「気合い一発」みたいな感じで10万人の兵士をインド北西部の都市インパールに向かわせ(その間に幅600メートルの川を渡ったり、ジャングルみたいな山を越えたりする)、その後も食料などを補給せずに2万人以上を餓死・病死させたというメチャクチャな作戦である。

 その作戦の責任者が、牟田口司令官。

 2017年、私はこの連載で「精神論系パワハラオッサンに殺されないために〜インパール作戦と現代~」という原稿を書いているのだが、2017年に放送された「NHKスペシャル 戦慄の記録 インパール」と1993年に放映された「ドキュメント太平洋戦争 責任なき戦場」を参考にしつつ、振り返りたい。

 ふたつの番組とも、インパール作戦について、最初は反対意見が多かったことを指摘しつつ、「なぜ、インパール作戦は強行されたのか」を追っていくのだが、そこに浮かび上がるのがこの牟田口司令官の脈略のない強引さである。

 食料などの補給ができないからやめた方がいいという者がいれば、「卑怯者! 大和魂がないのか!」と怒鳴りつけ、「日本人はもともと草食だからジャングルの野草を食べる研究をすればいい」などと言い出し、現地で牛や羊を1万頭以上調達し、荷物運びと食料にするという「ジンギスカン作戦」を思いつき、4月29日の「天長節」(天皇誕生日)までにはインパールを攻略するのだ、と勝手に意気込み、1944年3月に10万人の兵士をインパールに向かわせたのだ。

 が、食料はすぐに底を尽き、牛は600メートル幅の川を渡る際に半分が溺れ死に、生き残った牛も崖などから谷底に落ちて途中で全滅。牟田口司令官が「攻略目標」の日とした天皇誕生日の頃には兵士は飢え始め、現場から食料の補給を求める声が届いても「飲まず食わず、弾がなくても戦うのが皇軍。それなのに泣き言を言うとは」などとキレて放置。その間にも兵士は弱り果て、次々と飢えやマラリア、赤痢、そして手榴弾による自決などで命を落とし、インパールに続く道は「白骨街道」と呼ばれるほどになる。

 そんな状況に耐えきれずにある師団は師団長の独断で撤退(戦時中、初めてのことだったらしい)。その後、他ふたつの師団長も解任されるのだが、まだ作戦は中止されずに続くのだ。

 結局、死者を膨大に生み出しただけのインパール作戦は7月にやっと中止されるのだが、その後、牟田口司令官はトンデモないことを言っている。彼自身、4月終わり頃には作戦の失敗がわかっていたというのだ。しかし、どうしても「やめる」と言えなかった。自分がゴリ押しして始めた作戦。それを「途中でやめる」だなんて、「男の沽券」に関わるとでも思ったのだろうか。そのことについて、牟田口司令官は「顔色で察してほしかった」と甘え腐ったことを抜かしている。「忖度しろ」ってことか? 4月の時点で中止を決めてさえいれば、救われた命はどれほどあっただろう。

 さて、何かに似ていないだろうか。コロナ禍でゴリ押しされようとしている東京オリンピックである。やめた方がいいとわかっているのに、誰もやめると言い出せない。決断できない。世論調査でも8割の人が中止、再延期を求めているのに。だからこそ今、「やめる」という決断をすることこそがリーダーのすべきことなのに、その決断ができない。緊急事態宣言でいろんなことを制限しながら「オリンピックはやります」ではなんの説得力もないのに。まさに狂気の沙汰、インパール五輪と言いたくなってくる。一言でいうと、もうついていけない。

 飲食店もアーティストも、「もう疲れた」と言っている。私も疲れてきて、最近はニュースを見るのも嫌になってきた。

 一方で、役所の閉まる大型連休は困窮者が続出する時でもある。

 ということで、ゴールデンウィーク中に「大人食堂」を開催する。

 概要は以下だ。

「大人食堂」

【日時】5月3日(15〜18時)/5月5日(12〜18時)
【場所】聖イグナチオ教会(東京都千代田区麹町6-5-1)
無料・予約不要で生活相談、医療相談、法律相談を実施し、お弁当や生活物資(おむつ、生理用品含む)を提供。

 今、食事に事欠くほどではないけれど、半年先、一年先を考えると不安、という方もぜひ、参加してみてほしい。

 というか、オリンピックの費用を困窮者支援に回してくれたらどんなに助かるか……。そう思っても、もう「言っても無駄」とすら、思い始めている。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。