スタッフ発・気になる本と映像作品⑤

編集部に恵投いただいた書籍や、ただいま絶賛「積ん読」中! な本、これから見たいあの映画……などなど、スタッフが「気になる」本や映像作品を時々ご紹介していきます。読書や映画鑑賞の参考に、どうぞ。

〈書籍〉『フェスとデモを進化させる』(大久保青志著/イースト・プレス)
 破天荒な本です。「『音楽に政治を持ち込むな』ってなんだ!?」というサブタイトルが示すように、音楽に寄り添いながら世の中を変えていこう、というメッセージを真正面から訴えた本なのです。帯に「運動にだって、カッコよさが必要だろ?」とあるけれど、まさにその通りの生き方をした著者の足跡が、ビンビン伝わってくる痛快な本。
 なにしろ、著者の略歴がムチャクチャ面白い。これも帯にかかれているのですが、こんな感じです。

〈『ロッキング・オン』創刊、内田裕也マネージャー、ブルーハーツ・尾崎豊・浜田省吾を反核フェスにブッキング、フジロック「アトミックカフェ」主催、「さようなら原発10万人集会」運営。「音楽と世辞の融合」を通じた新たなる音楽史。〉

 しかも、その間には東京都議会議員としての活動もある。読みだしたら止まらない。こんな人生もあるんだぜ、という著者の呟きが聞こえそう。
 津田大介さんや日高正博さんとの対談も収録されています。絶対のお薦め本です!

〈書籍〉『ヘイトスピーチと対抗報道』(角南圭祐著/集英社新書)
 こういうジャーナリストもいるんだな、と思わせられます。テーマを定めて、それをどんどん深堀りしていく。そこから見えてきたものを、きちんと文章に残そうとする。ジャーナリストとしての、極めて真っ当な活動をまとめた本です。
 著者は現在、共同通信広島支局次長。愛媛新聞記者を経て韓国に渡りフリージャーナリストとして活動、共同通信入社、社会部を経て現職に。ここで「共同通信ヘイト問題取材班」の一員として取材・執筆に取り組む。
 タイトルの「対抗報道」という言葉が印象的だ。それは自省も含めての、「中立報道」「両論併記」的記事への強い異議申し立てだ。
 著者は書く。「ヘイトスピーチは表現の範疇に入るものではなく、暴力そのものだ。暴力に対して中立はあり得ない」。まさにそれがジャーナリストとしての矜持であろう。私は差別しない、ではなく、私は差別に反対だ、との姿勢。それがこの本を、ただ現実を取材するだけではなく、そこから「強い反対の意志を持った記事」へとつなげる。
 繰り返すが、こんなジャーナリストがいる、と意を強くする本なのです。

〈書籍〉『コロナ危機と未来の選択』(アジア太平洋資料センター編/コモンズ)
 ぜひ、いま読んでおきたい1冊です。サブタイトルが、端的に内容を語っています。「パンデミック・格差・気候危機への市民社会の提言」。
 気鋭の論者たち10人が、それぞれの章に分かれて提言しています。全3章で、「私たちはどこに立っているのか」、「コロナ禍の世界から」、「未来への提言」に分かれていますが、ひとつひとつが胸に落ちます。例えば、こんな具合。

 災いはどこへ濃縮されていくのか—歴史研究から見た新型ウイルス―藤原辰史
 アフリカ―新型コロナワクチンを「国際公共財」に―稲場雅紀
 ポスト資本主義のビジョン―気候正義と<コモン>の再生を 斎藤幸平
 自由貿易は人びとの健康・食・主権を守れない―内田聖子
 地域という希望―学校給食を核にした都市農村共生社会を 大江正章

 これは、最近惜しくも亡くなった「コモンズ」代表の大江正章さんへのレクイエムとしての想いも籠った一冊です。読みながら、ふっと彼の風貌が浮かびました。ぼく(鈴木耕)のお酒仲間のひとりだったのです……。

〈書籍〉『オリンピックの身代金』(奥田英朗著/角川文庫)
 「同じ国だというのが信じられんぐらい、秋田とはちがう。これならオリンピックさ開いでも、外国の人に恥ずかしくね。何もかもが豊かで、華やかで、生き生きとして、歩いている人もしあわせそうで……。なんて言うが、東京は、祝福を独り占めしでいるようなとごろがありますねえ」。東京オリンピックの開催をあと2カ月に控えた夏の日、東京に出稼ぎに来ていた夫が亡くなったことを知らされ、秋田の小さな村から初めて上京した妻がぼそりとつぶやく。彼女を上野駅で出迎えたのは同郷の島崎国男だ。東京大学の大学院生である国男の兄も、オリンピックという国家の最優先プロジェクトの建築現場で過酷な労働環境の犠牲になった。

 兄が働いていた飯場で働き始めた国男の目的は、底辺の労働者の日常を追体験すること、そして、この理不尽な社会の象徴であるオリンピックの開催を阻止すること。国男を追う刑事たちは、違法な行為も辞さない公安と対立しながらも、地道な捜査を続ける。人も風景をむせかえるような筆致で時代を超えた普遍的なものまでもあぶり出していく圧巻の物語だ。

〈映画〉『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』(2018年スウェーデン・デンマーク・フィンランド/ヤヌス・メッツ監督)
 どんなピンチに直面しても表情ひとつ変えることなくラケットを握り続ける王者、ビヨン・ボルグ、審判の判定に不満をぶちまけ観客からもブーイングを浴びる挑戦者、ジョン・マッケンロー。1980年のウインブルドン大会決勝で2人が相対するまでを追う物語だ。副題では両者を「氷」と「炎」に例えているが、少年時代にさかのぼると、まったくの逆。ボルグは思うようなプレーができないとすぐにキレた。マッケンローは厳格な両親の思いに健気に応えようとしていた。
 ウインブルドン大会中、ボルグは負けたら自分は何者でもなくなるという恐怖心と、マッケンローは自分の行状の悪さをこきおろすメディアと、すでに戦っているのだが、決勝のコートでの壮絶なプレーが2人を解放していく。結果はボルグが勝ち、前人未到のウインブルドン5連覇を果たすものの、翌年の全米オープンでマッケンローに敗れた彼は弱冠26歳で引退を決意する。燃え尽きてしまったボルグ、テニスプレーヤーとしての正当な評価がなされなかったマッケンロー。彼らと現在テニス界の渦中にいるアスリートの姿が何度か重なった。

〈映画〉『ペトルーニャに祝福を』(2019年北マケドニアほか/テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ監督)
 舞台は北マケドニアの小さな街。司祭が橋の上から、木の十字架を川に投げ入れる。裸の男たちが我先に川に飛び込む。その十字架を手にした者には幸せが訪れるとされるからだ。「あった!」ほどなく十字架が高々と掲げられる。手にしているのはペトルーニャ、なんと女性だった。長らく女人禁制だった祭りに突然割り込んだ彼女の振る舞いに、街は大騒ぎ。十字架を取り返そうとする男たち、困惑する警察、教会、ペトルーニャを応援する女性ジャーナリスト、両親らとペトルーニャの攻防が見所だ。
 32歳のペトルーニャはちょっと太めの、美人とは言えないさえない女性。大学を出たもの仕事はなく、就職面接でセクハラされたり、生きづらさを感じている。「私にも幸せの十字架を手にする権利はあるはず、女だからできないの?」というまっすぐな問いは、時代や国を超えて、私たちの胸に響く。