第171回:AでもなくBでもなく……(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 最近よく「プランA」とか「プランB」などという言い方を耳にする。物事の進め方はひとつではなく、「A」がうまく行かなければ「B」を考えるべき、ということなのだろうと思う。
 でも、今回の東京都議会議員選挙の結果を見てみると、「AでもなくBでもなく……」という、何とも中途半端な、隔靴掻痒の感を覚えるのだ。どうにもスッキリしない。

 まず、投票率が低すぎる。42.39%だって?
 都議会議員選挙としては、戦後2番目の低さだという。半分以上の人が、投票をパスしてしまったのだ。いくらコロナ禍の真っ最中だからといって、これではもう選挙の体をなしていない。
 どうしてだろう?
 理由は「入れたい人がいない」「入れたい党がない」が多いらしい。つまり、「AはないけれどBもない」ということ。次に多いのは「投票したってどうせ何も変わりゃしない」という諦め。これなんかは、最初から「A」も「B」も放棄している。
 このためか、自民党も公明党も、都民ファーストも、そして共産党も立憲民主党も、どの党も「ウチが勝った!」とはしゃげないという、不思議な結果に終わってしまった。「A」は最初からなかったし、それに代わる「B」も出てこなかった。

 有権者の半分以上は、「AでもなくBでもなく」、もしくは「そんなことはどうでもいい」という選択をしたのである。それを「選択」と言うならば……だけれど。だから「勝者」なんかいるはずもない。

 自民党は今回、大苦戦した。「歴史的惨敗」とは言わないけれど、「惨敗」であることは間違いない。なにしろ33人という、党としては都議選史上2番目に少ない当選者数なのだ。これでは、来るべき総選挙に勝てそうもないと、自民党幹部連中は頭を抱えているし、うんざりするほどたくさんいる「安倍チルドレン」の“おバカ議員”たちは、色を失って慌てふためいているらしい。
 「安倍チルドレン」とは、“安倍色”でなんとか勝ち上がってきた「魔の3回生」といわれる議員たちだ。それが、頼りの安倍という後ろ盾を失ってしまって、どう選挙に取り組んでいいのか分からない。選挙用のポスターにしたって、暗~い目つきの菅首相とのツーショット・ポスターを掲げるのは、逆にイメージダウン。そうだよねえ、菅首相の目つき、どんよりしすぎていて光がない。いまさら安倍氏とのツーショットにするわけにもいかず、困り切っているのだ。それはよく分かる。
 するとどうなるか?
 安倍晋三流の“ネット右翼頼み”に走るしかない。多分、衆院選ではヘイトまがいの歴史修正主義的言動に走って票を得ようとする「安倍チルドレン」が続出するだろう。やたらと共産党の悪口を言い、とにかく弱者叩きや人種差別を連発する。そんな議員の顔はすぐに浮かぶよね。
 この予想は当たるよ、きっと。

 公明党にしたって、一応、候補者全員(23人)の当選は果たしたものの、とても喜べた結果じゃなかった。
 コロナ禍で、お得意の「全国から創価学会員を動員しての人海戦術が取れなかった」からと言い訳するが、最近のあまりの自民党との癒着ぶりや、オリンピックに関する姿勢の曖昧さに、支持母体である創価学会員の不満が爆発寸前なのだという。
 かつては、開票が始まるや、すぐに続々と「当確」が打たれていた公明党候補者が、今回はズルズルと時間ばかりが過ぎ、最後の当確が出たのは深夜1時を回ってからだった。「勝利」というには、ほど遠い結果だったのだ。

 都民ファーストという「風」の代表のような地域政党が、今回は激減するだろうという予測をよそに、なんとか面目を保ったけれど(31名当選)、これも前回から14も議席を減らしたのだから、やはり敗北である。
 ある程度の「小池マジック」が最終盤にきて小爆発したが、それでも前回の大ブームには遠く及ばなかった。

 共産党は19名(1議席増)、立憲民主党は15名(7議席増)と、勝つには勝ったが大勝利とはとても言えない。
 しかしそれでも「共闘」すれば、少なくとも議席増にはつながるという図式は作れた。あくまで「共闘」を邪魔していた連合の面目は丸潰れだ。というより、連合にはもう集票マシーンとしての力量はないのではないかと、多くの立憲の議員たちは思い知ったようだ。衆院選では、少なくない数の立憲候補者たちの「連合離れ」が起きる可能性が出てきたということだ。
 いわゆる「無党派層」は、もはや連合などなんの頼りにもならないということを、身に染みて知っているのだし。

 いまから20年ほど前、無党派層といわれる人たちについて、「選挙の際には寝ていてほしい」と、あたかも投票率低下を推奨するような発言をした大バカ政治家がいた。そう、「失言王」と呼ばれたあの森喜朗元首相である。
 この男、今回は五輪組織委会長として女性蔑視の大妄言で、渋々ながらの退場。20年前とちっとも変わっていなかった。
 「寝ていてほしい」発言の真意はこうだ。
 自民党や公明党は岩盤支持層といわれる強固な組織票を抱えているから、その時々の風に支配される無党派層の投票は、邪魔にこそなれ期待できない。投票率が下がれば、岩盤組織票が生きてくる。自民公明の癒着馴れ合い票が、絶対の強みを発揮する。今回も、自民公明の連立与党はそう思ったわけだ。
 だが、それはすでに単なる思い込みでしかなかった。

 自民党票は世の高年齢化に伴い、実質的に半減している。いや、半減どころでは済まないのだ。1991年には546万人を誇った自民党の党員数は、昨年には108万人にまで落ち込んでいる。辞めていくというより、高齢化によって党員登録を更新しないまま消えていく人数が、新加入数を大幅に上回っている。
 選挙の際に、足腰になって働く党員がいなくなれば、当然のように獲得票は減る。このところの自民党の獲得票は、選挙の度ごとに減っている。2019年の参院選比例区では、自民は1771万票で、2016年の同選挙での2011万票を大きく下回った。
 同じことは公明党にもいえる。2019年には約759万票だったものが、19年には約654万票と激減しているのだ。投票率が下がっているとはいえ、この傾向は深刻なはずだ。山口那津男公明党代表の演説が、回を追うごとに他党への罵倒になっていくのもその焦りなのだろう。それにしても、山口代表の最近の演説はえげつないな。

 今回の都議選では、森元首相以上の「暴言王」といわれる麻生 “マフィア気どり” 太郎の小池百合子都知事へ向けた一言「自分の蒔いたタネだろう」も、そうとうに効いた。過労入院の小池百合子都知事への皮肉だが、「あれで数万票は失った」と吐き捨てた自民党幹部もいたほどだ。おかげで都民ファーストはかなり息を吹き返した。
 敵にごっそりと塩を送る。まことに、自民党には素晴らしい人材が、掃いて捨てるほどいるのである。

 前述したように、足腰の弱り始めている自民党。
 支持母体の創価学会員離れが目立ち始めた公明党。
 野党でも同じだ。足を引っ張るだけの連合。
 支持組織におんぶにだっこの選挙戦術は、すでに行き詰っているのだ。

 「AでもなくBでもなく……」が、今回の東京都議会議員選挙の結果だった。ここからどう、新しい「A」や「B」、もしくは「C」を創出していくか。
 ぼくは、既成の支持組織とは違う、新しい形の「地域連帯」を各地に創り出し、その集合体が政党を動かしていくという、下からの(草の根の)動きこそが必要だと思っている。それによって「そんなことは知らない」という、50%以上の有権者たちを、眠りから覚ますしか方法はない。
 いつまでも、支持組織に頼っていては「AでもなくBでもない」中途半端な状況が続くばかりだ。

 オリンピックだって、最初は「中止か延期」という「プランB」が圧倒的だったのに、いつの間にか「プランAでもなくプランBでもない、鵺のようなもの ⇒ 無観客開催」が闇夜から姿を現した。もはや、菅政権も東京五輪組織委も、さらにはIOCだって、多分どうしていいか分からない状態なのだと思う。

 とにかく開催、にしがみつくのは思考停止である。
 ダメなんだよ、きちんとプランを示さなくては。
 無観客開催は「プランC」でさえないのだから。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。