新しい労災認定基準で、過労死を防ぐことができるのか(ウネリ・牧内昇平)

マガジン9にて連載「映画から考える3・11」を書いてくださったウネリ(牧内昇平)さん。新聞社で記者を務めていたときから、過労死の問題をテーマに取材を続けており、著書『過労死 その仕事、命より大切ですか』(2019年/ポプラ社)も出されています。ウネリさんより、現在、政府内で行われている労災認定基準の見直しについてのインタビュー記事を寄せていただきました。

 いま、厚生労働省では約20年ぶりとなる脳・心臓疾患の労災認定基準の見直しが行われています。そのなかでも、大きなポイントとなっていたのが「過労死ライン」です。これは「月80時間の時間外労働(≒残業)」のこと。このラインを超えて働いていた人が、クモ膜下出血や心筋梗塞などの脳や心臓の病気を発症すると、高い確率で「労災」が認められます。過労死ラインは、すでに倒れてしまった人が労災かどうかを決める目安です。同時に、いま働きすぎの人が倒れるのを防ぐためにも重要です。このラインを超えている人が周囲にいたら、すぐに「危ないよ」と声をかけることができるからです。

 今月、厚労省が会議を開き、「脳・心臓疾患の労災認定の基準に関する専門検討会報告書」をまとめました。見直しにあたっては過労死ラインの時間引き下げを求める声があがっていましたが、結論としては、新しい認定基準においても「月80時間」は変わらない見通しです。その一方で、「労働時間一辺倒」だった認定基準に変化も見られます。早ければ来月にも運用が開始される新しい認定基準は、労災認定の拡大や過労死防止に効果があるのでしょうか。

 長年にわたって過労死問題に取り組み、認定基準見直しの議論にも意見を表明している「過労死弁護団全国連絡会議」の中心メンバーの一人、岩城穣弁護士に話を聞きました。

過労死ラインは、なぜ月80時間なのか

「過労死弁護団全国連絡会議」の中心メンバーである岩城穣弁護士(撮影:牧内昇平)

ウネリ 現在の脳・心臓疾患の労災認定基準となる「過労死ライン」を細かく説明すると、「病気の発症前1か月で100時間、2~6か月の平均で80時間を超える時間外労働(≒残業)」となります。この過労死ラインを引き下げるかどうかが、今回の認定基準見直しの最大のポイントでした。岩城さんも加わっている過労死弁護団は「月65時間」への引き下げを求めてきました。ところが、厚労省専門検討会の結論は、「現在の過労死ラインを維持する」というものでした。

岩城 はい。まず言いたいのは、現在の過労死ラインは実態に合っていないということです。「100時間」「80時間」という数字は、健康リスクを考慮したときに人間には1日6時間の睡眠確保が必要だという前提のもとで出されています。食事など生活に必要とされる平均時間を総務省の「社会生活基本調査」などから算出して、1日の睡眠が6時間を下回るのが月80時間の時間外労働をした場合、5時間を下回るのが月100時間の時間外労働をした場合、というふうに逆算して出したものです。
 しかし、たとえば通勤時間がとても短く、家事をする必要もない人は、仕事以外に使う時間が少ないので月に100時間の時間外労働をしても8時間眠れるかもしれません。逆に、遠距離通勤の人とか、家では介護の担い手であったり、共働きで一定の家事負担があるという人は、時間外労働がもっと短くても睡眠時間は削られます。労働時間と睡眠時間だけを結びつけ、それ以外のことを考慮しないのは無理がある話です。
 今の過労死ラインは、昔の家庭、“夫”が企業に勤めて“妻”が主婦かパート勤務だというモデルを念頭に置いたものです。“夫”は労働時間以外は休めるはずだという前提があります。家族の一種の犠牲の上に成り立つ考え方です。

ウネリ では、どのように現状に合わせた過労死ラインを決めればいいですか。

岩城 もっと直接的に、「これだけ長時間労働したら、これだけ脳・心臓疾患のリスクが高まる」という医学的知見に基づいて認定基準をつくるべきです。今の過労死ラインができた2001年当時は、あまり医学的な知見がなかったんです。ところが、この20年間で関連する知見がたくさん発表されました。その最たるものが、今年5月にリリースされたWHO(世界保健機関)の発表です。

ウネリ 〈週55時間以上働くと、週35~40時間働く場合に比べて、脳卒中のリスクが約35%、心臓疾患で死亡するリスクが約17%高くなる〉という内容でしたね。WHOの見解に基づいて過労死ラインを決めるとすると……。

岩城 「週55時間労働」ということは、法律で定めた労働時間は週40時間なので、1週間につき15時間の時間外労働があることになります。1か月にすると60~65時間です。ですから、「時間外労働が80時間」という今の過労死ラインは「65時間」に下げるべきだということを、私たち過労死弁護団はずっと言ってきました。厚生労働省へ5月に提出した緊急意見書でも、その点を強調しました。

ウネリ 「65時間」という主張の根拠はWHOの見解だけですか。

岩城 いいえ。厚労省の専門検討会自体が、医学的知見をたくさん集めています。私たちも集めました。それらを読むと、心臓疾患については多くの論文に、「週55時間以上働いた場合、業務と発症との関連が強い」と書いてあります。脳疾患については、心疾患に比べて論文の数が少ないですが、それでもやはり「週55時間以上の労働で関連あり」と読める論文が多いです。ただし、脳疾患については関連性を否定する論文も1本だけありました。だから専門検討会の結論としては「まだ医学的に確定していない」ということになったのだと思います。
 しかし、少なくとも心臓疾患は、圧倒的に「週55時間以上の労働で関連あり」説が支配的であって、脳疾患に関する論文が少ないからと言って、そのことが基準見直しの足を引っ張るのはおかしい話です。脳疾患のほうも数が少ないとは言え、「週55時間以上の労働で関連あり」という説が有力なわけだから、これを機に過労死ラインを引き下げようというのは、十分に説得力がある意見だったと思います。

ウネリ それでも、採用されませんでしたね。

岩城 だいたい、「月65時間の時間外労働」、もしくは「週55時間労働」というのは、大変なものですよ。土日も休まず毎日8時間働いたとして、週56時間労働ですよね。土日は休むとすれば、平日11時間働いてちょうど週55時間です。毎日3時間の残業ですよ。大変な時間だと思うんです。週55時間労働の実質的な意味、そこをもうちょっと理解すべきだと思います。それにプラスして、睡眠時間が多いか少ないかを補充的に考慮すべきだと思います。

新しい基準では「労働時間以外の負荷」も考慮

ウネリ 一方、専門検討会は報告書にこのように書きました。
〈労働時間のみで関連性が強いと認められる水準には至らないが、これに近い時間外労働が認められ、加えて一定の労働時間以外の負荷が認められるときには、業務と病気との関連性が強いと評価できる〉
 この部分の評価はいかがでしょうか。

岩城 今までは労働時間至上主義というか、時間外労働が78時間だったとしても、「80時間を下回っているから労災認定はダメだ」という世界でした。
 例を出します。大阪の国立循環器病センターで2001年、村上優子さんという看護師が25歳の若さでクモ膜下出血を発症し、亡くなりました。極めて不規則な交代制勤務で、2008年の大阪高裁判決の認定によれば、発症前6か月間で1か月あたり約38~65時間 、平均54時間30分に及ぶ時間外労働をしていました。でも、村上さんの公務災害は、行政手続き段階では認められませんでした。国を相手取った行政訴訟を起こし、ようやく認められました。

ウネリ 村上さんの勤務先は国立の医療機関なので、公務員の労災にあたる「公務災害」の対象になりますね。行政は公務災害として認めなかったけれども、その決定を不服として遺族が訴訟を起こした結果、司法段階でようやく認定された、ということですね。

岩城 行政段階では、「80時間には足りない」ということで切られていたのです。しかし、交代制勤務で月65時間の時間外労働と言ったら、大変なことなんですよね。たとえ時間外労働がなかったとしても、早朝出勤や夜勤がある交代制勤務は、体のリズムが乱れてしまいます。
 この例に象徴されるように、勤務の不規則性だとか、すごく緊張する責任の重い業務とか、そういった負荷はきちんと考慮されず、労働時間一辺倒だったわけです。今回の基準見直しでは、労働時間だけで判断してはだめだ、ということになります。

パワハラ、退職強要などの「心理的負荷」も項目に

ウネリ 労働時間以外の負荷として考慮すべきものの中に、「心理的負荷」という項目が入りましたね。

岩城 今の基準にも、労働時間に加えて「精神的緊張を伴う業務」があるのですが、用語が「心理的負荷」に変わります。精神障害(心の病)の労災認定基準に合わせて、パワハラなども脳・心臓疾患による労災認定基準として考慮すべき項目に加えるということです。今の「精神的緊張」の項目でも、仕事のきつさ、密度、プレッシャーとかノルマとかは考慮されていたけれども、パワハラとか退職強要とかは入ってこなかったんです。「精神的緊張を伴う業務」というのは、たとえば患者さんの命を預かるお医者さんとか危険物を取り扱うといった、非常に狭いものを対象に想定していました。

表)精神障害(心の病)の労災認定にかかわる「心理的負荷」の例

会社で起きた事故、事件について、責任を問われた
達成困難なノルマが課された
新規事業の担当になった、会社の建て直しの担当になった
顧客や取引先からクレームを受けた
退職を強要された
配置転換があった、転勤をした
複数名で担当していた業務を1人で担当するようになった
セクハラ、パワハラを受けた

※こうした「心の病」の労災認定基準にはあった「心理的負荷」の内容が、脳・心臓疾患による労災認定の基準にも取り入れられる見通しに

ウネリ ここは大きいですね。

岩城 会社からのハラスメントは、うつ病などになった場合には労災認定の基準として考慮されていましたが、これまで脳・心臓疾患の場合には考慮されていませんでした。新しい基準になり、一定の労働時間、たとえば時間外労働が65時間くらいあって、そのうえ強い心理的負荷があったら、「合わせ技」的に認定してもらえる可能性が出てくるんじゃないかと思います。脳・心臓疾患の労災認定は1~2割くらい増えるのではないでしょうか。

ウネリ 今回の認定基準見直しは、評価できる部分もあるんですね。

岩城 非科学的な睡眠逆算論による過労死ラインは維持されてしまう見通しですが、新基準の積極面をなるべく活用して、認定につなげていきたいというのが私の気持ちです。

過労死をなくしていくために

ウネリ 話が変わりますが、「働き方改革」という言葉が一時的にブームになったりしましたが、世のなかは「過労死ゼロ」に向けて進んでいるのでしょうか。

岩城 国民の意識はだいぶ変わってきたと思います。「働き方改革」が叫ばれていることもあって、働き方の問い直しはある程度進んできたと思います。ただ、ブラック企業はもちろん大企業でも、旧態依然として長時間労働が蔓延しているところも多いし、特に研究開発部門とか管理職とか、そういうところは仕事量が減らないで、かつ残業の上限枠だけはめられて、みんな、大変な状況です。「オフィスの明かりが消されちゃって、廊下の非常灯の下で働いています」とか、そういう話を聞きます。
 仕事の量が減らないのに、「とにかく早く帰れ」ということをやっても、そういう形で潜っていくだけです。全体としてみれば、年休の取得率も上がりましたし、前進している面はあると思いますが、過労死はまだまだ減ってないし、ゼロにするには程遠い状態だと思います。

ウネリ 最後になりますが、過労死で家族を亡くした人や、いま現在過労状態になっている人へアドバイスをお願いします。

岩城 ご遺族に対してですが、まずは泣き寝入りしないで、過労死弁護団なり、「過労死を考える家族の会」なり、過労死問題に取り組む団体に相談してほしいです。そこから、まずは心のケアをしてもらって、場合によっては労災申請につながっていくと思います。過労状態を強いられている人にも、やはり「相談してください」ということになると思います。まずは一日一日の労働時間を記録し、自分の労働時間を把握しましょう。過労死ラインを超えている場合、これは危険だということです。うつ病などの精神障害についても、労災認定基準が役に立ちます。そこに、いろんな心理的負荷のある出来事が列挙されていて、自分の状況がどれに当てはまるかが分かります。パワハラを受ける、顧客からクレームを受けるなど辛い出来事があったら、その都度記録しておいてほしいです。
 まわりの人もぜひ、ご本人にアドバイスしてあげてください。脳・心臓疾患の場合、自分が倒れるとは思っていないですよね。昨日まで大丈夫だったから今日も大丈夫だろうと思っています。でもある日突然、心筋梗塞、もしくはクモ膜下出血を起こすわけです。誰も今日起こるとは思っていない。突然の発症です。精神障害にしても、本人は自分がうつ病にかかったということが分からない人も多いです。周囲の人が変化を見逃さず、医療機関への受診をすすめたりすることが大事です。会社では平穏を装っていても、家に帰ったらひどくぐったりしているとか、顔が沈んでいるとか、家庭では明らかに様子が変わっているというケースが多いので、ご家族の方、友人の方が、「あなたは今、危険な状態だよ」って教えてあげてほしいなと思います。

(インタビュー・構成/ウネリ・牧内昇平)

いわき・ゆたか 1988年に弁護士登録して以来、30年以上にわたって過労死問題に取り組んでいる。現在は「過労死弁護団全国連絡会議」の事務局次長や、厚生労働省の「過労死等防止対策推進協議会」の委員を務めている。

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ウネリウネラさんのサイトで、このインタビューのロングバーションを掲載。労災認定基準の見直し問題について、さらに詳しく解説しています。こちらもあわせてご覧ください。

●【解説】「過労死ラインは変わるのか」①~③
https://uneriunera.com/2021/07/06/karoushiline1/

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ウネリウネラ
元朝日新聞記者の牧内昇平(まきうち・しょうへい=ウネリ)と、パートナーで元同新聞記者の竹田/牧内麻衣(たけだ/まきうち・まい=ウネラ)による、物書きユニット。ウネリは1981年東京都生まれ。2006年から朝日新聞記者として主に労働・経済・社会保障の取材を行う。2020年6月に同社を退職し、現在は福島市を拠点に取材活動中。著書に『過労死』、『「れいわ現象」の正体』(共にポプラ社)。ウネラは1983年山形県生まれ。現在は福島市で主に編集者として活動。著書にエッセイ集『らくがき』(ウネリと共著、2021年)、ZINE『通信UNERIUNERA』(2021年~)、担当書籍に櫻井淳司著『非暴力非まじめ 包んで問わぬあたたかさ vol.1』(2022年)など(いずれもウネリウネラBOOKS)。個人サイト「ウネリウネラ」。【イラスト/ウネラ】