第570回:「自宅療養」と言われても〜路上の人がコロナ陽性になったあるケース。の巻(雨宮処凛)

 その診断書には、発熱があること、味覚障害があること、血中酸素飽和度は93であること、そして肺に影があることが書かれていた。

 診断書の当事者は、路上で暮らしていた男性だ。「第5波」が猛威を振るっていた8月、路上生活者などを支援する「あじいる」の健康相談会に訪れたのだ。

 路上生活をする男性のコロナ陽性から発覚したのは、保健所、東京都の発熱相談センター、医療機関の連携がなされていないこと。そして原則「自宅療養」と言われる中、自宅がない人がコロナ陽性になった場合のことが何ひとつ想定されていない現実だった。

 今回お話を聞いたのは、「あじいる」の中村光男さん。長年、東京・山谷を拠点として路上生活者支援をしてきた人だ。

 公園での健康相談会は2001年から毎月一回、20年続いてきたもので、コロナ禍でも感染対策をしながら開催されてきた。

 そんな相談会に発熱している男性一一仮にAさんとする一一が訪れたのは8月22日のこと。熱があるということで、用意していた発熱者用のテントに案内した。健康相談会には医師もいるので診てもらい判断をあおぐと、救急車を要請するしかないということに。

 そうして救急車を呼ぶものの、その間にも熱は上がっていく。しかし、救急車に乗れたとしても安心ではない。第5波真っ盛りの中、受け入れてくれる病院がなかなか見つからないのだ。

 ちなみに「あじいる」では、路上の人が救急搬送される際、支援者が一人同乗するようにしているそうだが、救急車の狭い空間では感染のおそれがある。結局、ワクチン接種をすでに2回終えている支援者が同乗。一方、入院はできないものの、検査だけしてくれる病院が見つかったため墨田区の病院に行くことになった。

 検査を受けると、すぐに陽性が判明。その時点で保健所に連絡が行く。住まいがないこと、保険証もないことなどを病院に伝えるものの、連絡が来るはずの保健所はパンク状態なのか一向に連絡はない。連絡を待つ間、Aさんは病院の片隅で、貸し出された車椅子の上でずーっと待機している状態。

 自宅がある人であれば、これから不安な自宅療養が始まるわけだが、Aさんには家がない。入院、もしくは療養施設への入所はその日は難しいと判断し、中村さんはAさんを迎えに行った。たまたまその日は協力団体のシェルターが一部屋空いていたため、その晩はそこに宿泊するしかないということになったのだ。

 中村さんは車を急遽「コロナ仕様」に改装。ビニールシートを貼るなど万全な感染対策をして、Aさんを車に乗せた。

 この日だけでもかなりの支援者がリスク承知でAさんの支援をしているが、強調したいのは、彼らはボランティアで相談会をやっている人々だということだ。

 さて、Aさんは生活保護申請をしたいということだったので、その夜、福祉事務所にFAXで生活保護を申請(申請はFAXでもできる)。

 なんとかこの日は路上ではなく屋根のある部屋で寝ることができたが、そこはトイレも洗面台も共同の場所。他の人に感染が広がってもおかしくない。ということで翌朝、この日からの滞在場所を確保すべく、Aさんと支援者は区役所へ(Aさんは役所内に用意された待機場所で待機)。前日夜の生活保護申請については問題なかったものの、コロナ陽性で住まいのないAさんが今日からどこで療養すべきか、行き先は決まらない。区役所は救急車を呼んだが、やはり受け入れ先は見つからず、Aさんはずっと救急車で待機の状態だったという。そうしてAさんが「入院できた」と連絡があったのは、その翌朝のこと。

 8月22日に相談会に来てから、実に3日目のことだった。

 一連の経緯から中村さんが痛感したのは、「東京都の発熱相談センターと保健所、病院の連携がまったくとれていないこと」だという。

 「発熱相談センターは、病院で検査を受けるまでを手配するだけのところ。入院できるかどうかは、保健所が決める。医師の診断書には入院がベターだと書いてあるけど、保健所から連絡がないとどうにもならない。第5波の一番ひどい時期で自宅療養の人もどんどん亡くなっていたし、入院先はなかなか見つからないだろうとは思ってたけど、行政の連携がまったく機能していないことがはっきりしました」

 本来であれば、家があろうと路上生活であろうと、「コロナかも」と思ったらワンストップで対応される仕組みがあるべきなのだ。それがたらい回しのような状態の上、Aさんのように住まいも保険証もない場合の想定すらされていない。ちなみに、住まいのない人が生活保護申請した場合、都内であれば1ヶ月ほど東京都が協議しているホテルに滞在できるが(交渉の必要あり)、こちらもコロナ陽性であれば難しいだろう。そのような場合のことを、誰も想定も準備もしていなかったというお粗末さ。

 Aさんは健康相談会に来たことで入院につながれたものの、もし、相談会がなかったらと思うとゾッとする。そのまま放置され、最悪の場合、路上で命を落としていたかもしれない。何しろすでに肺に影ができている状態だったのだ。

 一方、やはり第5波の8月、路上ではないがドヤで命を落とした人がいる。ドヤとは料金の安い簡易宿泊所のことで、日雇い労働者や元野宿者、生活保護を利用する人などが多く住んでいる傾向がある。東京の山谷や大阪の釜ヶ崎、横浜の寿町などは「日本三大ドヤ街」と呼ばれている。この夏、台東区のドヤで遺体となって発見された男性は、コロナ陽性だった。

 「デルタ株になってから、ドヤでもぽつぽつと感染者が出たという話は聞きますね。ドヤはトイレも風呂も共用だから、一人感染者が出たらヤバいんです」

 トイレが共用ということで言えば、ネットカフェなどもそうだろう。そのような場所から感染が疑われる人が出た時点で、完全に個室に隔離されるような仕組みがあるかと言えば、やはり、ない。そういうシステムがあればクラスターの発生を未然に防げると思うのだが、どこまで行ってもコロナ対応は後手後手だ。

 それにしても、コロナ禍が始まってから一年半も経っているのに、家がない人がコロナに感染することを予想していなかった行政には驚くばかりだ。そう言うと、中村さんは言った。

 「想定してなかったというより、路上とかの人はハナから入ってなかったというか、対象外だったんじゃないですか」

 確かに、最初から、感染症から守るべき市民、住民の中に入っていなかったとしか思えない。そういえば、そんな人たちの中には、リーマンショックの時の1万2000円の給付金も、昨年の10万円の特別定額給付金も受け取れなかった人が少なくない。最初から「みんな」の中に含まれていないという、圧倒的な差別。

 さて、コロナ禍の今、中村さんが思い出すのは2008〜09年にかけて、路上生活の人の間で結核が流行り、多くの人が亡くなったこと。中村さんの知人だけでも10人近くが命を落としたという。確かにこの頃、ネットカフェで結核が流行していたが、路上で多くの人が亡くなっていたことを、私はこの日、初めて知った。

 「あの時は台東区の保健所も動いて、レントゲン車を定期的に出して検査をしたんです。でも、その場ですぐに結果が出ず、後日貼り出す方式だった。その場で結果がわかって、感染してる人をすぐ入院させればよかったんだけどそうじゃなかった」

 結果、入院できないまま、遺体で発見された人もいたという。

 「社会的に、被差別空間だったり政策が行き届かないところでは、検査も行き届かない」

 ワクチンもだ。そもそも路上生活の人にはワクチンの接種券が届かない。

 そんな状況を受け、この夏から、全国の「寄せ場」などで集団接種が始まった。東京都・台東区でも路上生活者向けの集団接種が始まり、現在までに89人が接種している。

 しかし、もしワクチンで重い副反応が出たとしても、滞在できる宿泊場所などは今のところ用意されていない。現在、ワクチン接種を受ける際には多くの人が副反応を心配して翌日休みを取ったり、食料や水を準備したりと万端の準備を整えているが、住まいがない場合、路上で副反応に耐えなければならないのだ。副反応が重かった場合だけでも、1日とか2日だけでも、なんとかならないものだろうか。

 さて、路上生活者支援歴の長い中村さんは、バブル崩壊もリーマンショックも体験している。そのたびに路上に人が増えるわけだが、過去のふたつと比較しても、コロナ禍は過酷だと指摘する。

 「感染症と、その対策の不備。それとコロナで失業して生活困窮する人たちがたくさん出たということがセットで起きたことで、これまでとは様相が違いますね」

 そもそも、今のコロナ対策は家がある人だって安心とは言えない状態だ。

 「今、東京都では原則、自宅療養ということになっていて、自宅でどんどん亡くなっている。その上、自宅療養のせいで、家庭内感染が一番多い。これは政策によって引き起こされているわけですよね」

 自宅療養と言うわりには、自宅がない人のことは想定もされていない。「ステイホーム」もそうだが、住まいがない人の命は常に切り捨てられている。

 中村さんに話を聞いたのは、Aさんが訪れてから初めて健康相談会が開催された9月19日。この日、弁当配布には130人以上が訪れ、薬を貰いに来た人は60人以上にのぼったが、発熱した人が来ることはなかった。

 しかし、中村さんは今、第6波の心配をしている。

 今後、もし発熱した人が増えていったら、支援団体ができることには限りがある。その時のことを行政はどう考えているのだろう? 8月には、都内の他の炊き出しにも、発熱した人が来たと聞いている。今のところ、路上の人が発熱した際のための窓口や連絡先はない。

 民間の支援団体が「命がけ」で奮闘する中、テレビは自民党総裁選一色だ。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。