第17回:私の毎朝散歩(渡辺一枝)

 新型コロナウイルスは、私たちの暮らしに様々な影響を及ぼしています。流行を歓迎はしませんが、これによって生活を見直すきっかけにもなりました。私の場合は、体調管理を一層心掛ける様になり、早朝のウォーキングを始めました。もともと私は歩くのが好きで、歩き始めると、どこまでも、いつまでも歩いていたいと思うほどなので、禍転じて好きを為す、とばかりにコロナ禍をきっかけに始めた朝散歩に励んでいます。

早朝ウォーキングの楽しみ

 昨年の5月から、早朝ウォーキングを始めた。新型コロナウイルス大流行第一波で行動に制限がかかり、以前に比べて運動量が落ちたことを感じたからだった。以来毎日続けている。夜は11時前後にベッドに入り、NHKラジオ深夜便のスイッチを入れる。5分も経たないうちに寝入っている。2時頃に一旦目が覚める。2時から3時、3時から4時はどちらも音楽番組で、聴くともなしにトロトロしていたり、聴き入って目覚めたり、その時々でさまざま。で、3時55分の天気予報でシャッキリ目を覚ます。
 天気予報を聞きながら、着替えて顔を洗ってウエストポーチを身につけて支度を整え、靴を履く。時刻は4時10分。これがいつも私の1日の始まり。
 1日のうちで、この朝散歩の時間が一番好きな時間だ。私がただ「私」でしかない時間、役割の衣は何も着けない、ただ「私」で在る時間帯。ついこの間まで降り注いでいた蝉の声は消え、秋の虫たちが草むらで鳴き交わしている。玄関を一歩出た時から、身体中の感覚を全部開いて歩く。感覚器官の中で、意識して閉じることができるのは目だけ、鼻も耳も手で塞がなければ外の刺激は否応なしに入ってくる。とはいえ普段の生活の中では無意識のうちに耳を閉ざして辺りの音に気付かなかったり、不快な臭いから意識を別のものに向けてやり過ごそうとする。でも、朝のこの時間、私は深く呼吸をしながら、目だけではなく耳も鼻も精一杯開いて歩く。
 我が家から神田川の川縁まではほぼ800m、住宅地の中を行く。神田川に行き当たると、ここが中野区と杉並区の境で、「スタート地点」の標識がある。たつみ橋を渡って、ここから左岸を杉並区の方向、上流に向かって行く。環状7号線の信号を渡ると、そこからの川沿いの道は歩行者と自転車しか通らない遊歩道だ。杉並区域内の川の柵には、100m毎にスタート地点からの距離を示す標識がかかっている。歩いた距離数が、たとえ正確でなくてもわかるのだから好もしい。川にかかる橋をいくつも見ながら通り過ぎる。

カラスウリ

花を見つけた

 中井橋から先は工事中で左岸は通行止めになっているので、ここからは右岸を行く。
 6月半ばのある日、スタート地点から1.8km辺りの蔵下橋を過ぎ井の頭線の陸橋を潜り抜けた時、左の集合住宅の立木にカラスウリの花が一つ咲いているのを見つけた。カラスウリは7月の花とばかり思い込んでいたので意外なことに驚き、でも、花に出会えたことが嬉しかった。
 嬉しい気持ちをかかえながら進んで行くと、神田橋の先の民家の生垣にも、蔓を這わせて白い花が咲いていた。カラスウリは夜に咲き昼間は萎んでしまう。もう既に朝だったが、真白に綺麗に咲いていた。白い5弁の花のそれぞれの花びらの先から細く白い糸を縦横に広げて、繊細なレースのような花なのだ。
 この花を初めて見たのは中学生の時だ。私は学校の登山同好会に入っていた。中学では山岳部の活動は認められていず、同好会活動だった。秋の山行でカラスウリを見つけて蔓ごと手折ってザックの背に付けて歩きながら、誰にともなく仲間たちに、カラスウリの花は夜咲くというが、どんな花だか見てみたいと、私は言ったのだった。
 年が明けて2年生になっていた7月のある晩、玄関をノックする音がしたので出てみると1年先輩のNさんが立っていた。「これ、君が見たがっていたカラスウリの花」と言って、Nさんは1本の茎を差し出した。そんな思い出から花期は7月と思い込んでいた私は、6月のいま咲いている花を見て、これも温暖化の影響なのかと思った。
 スタート地点から4kmの鎌倉橋で川岸の道を外れて塚山公園に入る。こんもりと小さな丘状の公園は、縄文人の遺跡が発掘された跡に作られたもので、園内には復元された住居がある。ナラ、カシ、クヌギ、クス、マツ、クリ、シイ、クヌギ、トチなど、樹齢数十年はあるような幾種類もの樹木が生える木立の間の小径を行くとき、私は両手を広げて大きく息を吸いながら歩く。公園のグラウンドの陰からは毎朝、朗々と詩吟を吟じる声が聞こえてくる。耳に心地よい。
 公園を出てまた川岸の道に戻り先を行く。堂ノ下橋を過ぎ乙女橋も過ぎ5kmの標識を通り過ぎ、5.1kmの標識のすぐ先が池袋橋で、この橋を渡って左岸の道を戻る。ずっと戻ってきて往きに神田橋の先でカラスウリの花を見た民家を見やると、川のこちら岸からも生垣の緑の葉の間に、ぽつ、ぽつと白い花が見えた。スタート地点から2.2km辺まで戻ると、川縁の柵に蔓を這わせてカラスウリの花がたくさん咲いていた。カラスウリの蔓は永高橋まで続いていた。
 蔓に葉が茂っていたのに、そんなふうに花が咲くまでカラスウリに気付かずにいたのだが、生えている場所をたくさん見つけて嬉しい朝だった。

カラスウリ探し隊

 それからの朝散歩は、カラスウリのある場所を探す日々になった。数日後の朝、折り返し地点から戻って来て永高橋に差し掛かる辺りで朝散歩仲間のSさんに会った。朝散歩で会う人たちとは「おはようございます」の挨拶や会釈を交わし合うけれど、Sさんとはいつもちょっとした話をする仲だった。Sさんはちょうど、柵に絡まるカラスウリの白いレースの花や、しぼんで閉じた花に見入っていた。カラスウリの花は夜開き、秋には朱い実が生るのだと伝えるととても興味を持ったようで、「じゃぁ、ここには朱い実がたくさん生るんですね」と言うSさんだった。私は、神田橋の先にも花の咲く場所があることを伝えた。
 その日から後のSさんと私の会話はもっぱらカラスウリで、新たな場所を発見すれば報告しあい、またSさんは夜も歩いて、撮った写真を送ってくれたりした。
 7月に入ると神田橋でも永高橋でもカラスウリの蔓はどんどん伸びて、花はますますたくさん咲くようになった。これが全部実になるのだろうかと、ふと気になって『牧野新日本植物図鑑』を開いてみた。北隆館から昭和36年に初版発行された、植物学者の牧野富太郎博士による図鑑で、私が高校生の時にアルバイト代を貯めて買ったものだ。当時3,500円で、高校生の私には思い切った買い物だった。発行部数も限られていたのだろうか、頒布番号が記されていた。610ページのカラスウリの項を開くと「雌雄異株」と書かれていた。この本は写真ではなく図版で色も付いていない。雌花と雄花の違いを知りたくて、googleで検索した。画面の写真で見れば、はっきりと違いが判った。
 翌日に確かめると、神田橋の先の花も永高橋の花も、どちらも雄花だった。最初に見つけた井の頭線の陸橋を潜った先のカラスウリは、それが蔓を絡ませていた樹ごと伐採されてしまったが、私が撮っていた写真で見ると雌花だった。Sさんにも伝えた。Sさんと私は、まるで「カラスウリ探し隊」のように新たに花が咲く場所を探し、それが雌株か雄株か花を見て特定していった。

カラスウリの雄花。写真はSさん提供

こちらはカラスウリの雌花

実を見っけ!

 堂ノ下橋を過ぎて次の乙女橋との間には左に折れる小径があり、そこにはアーチの門がある。その門にはノウゼンカズラなど蔓性の植物が、小山のようにこんもりもっさり茂っていた。ある朝そこにもカラスウリの花を見つけた。花を見つけるまで気がつかなかったが、こんもり茂った葉の間を見れば小さな球形の緑の実が下がっていた。黄カラスウリだった。
 乙女橋を過ぎると左側は日本郵政の「高井戸レクリエーションセンター」の敷地だ。高いフェンスに囲まれた細長い敷地で、朝散歩の折り返し地点の近くまで500mほどグラウンドの高いフェンスが続く。嬉しいことに、そこには雌株があった。花も咲いていたが、既に小さな瓜坊のような実もあった。Sさんと私は、ここのカラスウリをすぐ先の橋の名に因んで「池袋橋のカラスウリ」と呼び、黄カラスウリを「アーチの門のカラスウリ」と呼んだ。
 カラスウリの実は紡錘形で初めは緑と薄緑の縞で、瓜坊のようだ。少しずつ実が大きくなり、先の方から縞が薄れて黄味がかってきて、やがてすっかり朱くなる。池袋橋のカラスウリの中に一際成長の早いものがあって、私はその実が朱くなるのを楽しみに写真を撮っていた。

黄色くなり始めたカラスウリの「瓜坊」

カラスウリ、消えた!

 朝から雨が降っていても、カラスウリを見るのが楽しみで傘をさして出かけた。大きくなった実の先端の縞が消えて朱色っぽくなり、でもまだ頭の方は縞が残っていてすっかり朱くなるのもあと2、3日だなと思って、その日も写真を撮った。9月4日のことだ。
 翌日もまた朝は雨だった。少し疲れてもいたので、朝歩きは休んだ。
 その次の日は晴れていた。こんもり緑が茂っているアーチの門は、遠目にも存在が判るのだが、その日は堂ノ下橋を過ぎても、こんもりした緑が見えなかった。あれ? と思いながらアーチの門に差し掛かって、思わず「え〜っ」と声を上げてしまった。ノウゼンカズラもカラスウリも、蔓はすっかり刈り払われて、まるで坊主のようになってしまったアーチの門だった。根ごと刈り取られたわけではなかったので、申し訳のように黄カラスウリの葉と実がわずか3つ4つ残っていた。とても残念だったが、根が残っていたのをせめてもの慰めだと気持ちを鎮め、先へ進んだ。
 乙女橋を過ぎてから顔をずっと左に向けて、日本郵政のレクリエーションセンターのフェンスを見ながら歩く。瓜坊のカラスウリの幾つかを確かめて進み、最初に見つけた一番大きな実の生っているところに着いた。するとどうだろう! 朱くなるのを楽しみに写真を撮り続けてきた、あのカラスウリが消えていた。茂った葉をめくってみたり何度も確かめて見たが、消えていた。がっかりしながら、他の実がちゃんと残っているかが気になった。その先のまだこれから朱くなっていく瓜坊の小さな実は、みんな無事に残っていた。
 翌日、アーチの門のところにちょうど近所の人が立っていたので、声をかけた。アーチの門も植生も区が管理しているもので、個人のものではないという。それで、住民には断りなく伐採されたという。無粋だなぁ、と思う。その人は、「昨日、何か音がするので出てみたら伐採しているところでした。来年は区が伐採する前に、私が茂った葉は伐採しようと思います。カラスウリ、せっかく黄色くなってきていたのに。残っている実、黄色くなったら誰にも断らなくて大丈夫ですから、切って持って行ってください」と言った。
 池袋橋の消えたカラスウリのあったところを、この日ももう一度丹念に見てみたがやっぱりあの実は無かった。誰かが採っていったのだろう。

9月7日──野に在るものは野に在ってこそ

 門扉を開けて出る。新月で雲ひとつ無い消炭色の空に、星が光っている。漆黒の闇は望めない東京の夜空だ。
 まだ夜の空。途中の熊野神社の石段を上って社殿の前で参拝をして階段を降りる頃、東の空、ビルが林立して地平は見えないけれど、都庁などが在る西新宿の辺りに朱金の光が射す。そして空は薄緋、洗朱、桜貝、藍白とグラデーションに色を変えていく。西の空も紺色、群青色、藍色とグラデーションで、途中の永福橋から先は右岸を行き、スタート地点から2.8kmの大空公園で頭上を見上げれば、勿忘草(わすれなぐさ)色の空が広がっている。家を出た時はまだ夜だったが、歩いている間に夜と朝の「隙間の時間」を過ぎて、もうすっかり朝になっている。私は、この「隙間の時間」が好きだ。この時間を外で、空の下で過ごしたくて歩く。夕暮れ時の「逢魔が刻」も夕と夜の隙間の時間だ。この時間もまた大好きだ。
 乙女橋を過ぎて折り返し地点の池袋橋までの500mほど、日本郵政のレクリエーションセンターのフェンスは続く。左に顔を向けて、瓜坊のカラスウリを確かめながら行く。消えてしまったカラスウリのあった場所を、名残惜しく眺めながら過ぎる。
 5.1kmの標識を過ぎて池袋橋を渡り、帰りは左岸を戻る。毎日同じコースを歩くのだが、折々に目に入る草木はかわり、今朝は数珠玉を見つけた。白水引草もあった。仙人草は数日前よりずっと花が増えている。もう、とうに花の終わったキツネノカミソリの1本が、今朝は結実していることに気付いた。彼岸花の花芽も土の中から顔を出してきた。
 あと2.5kmでスタート地点に戻る蔵下橋の手前の辺りには、ムラサキシキブがあったのだが、3日前には見えなくなっていた。花の咲いた時からずっと楽しみに見てきて、小さな実がもうすっかり薄紫になっていたのだ。昨日は朝歩きを休んだものの、一昨日もその前の日もしっかり探したのだが、やっぱり見つからなかった。でも昨日までずっと雨だったから、私にはよく見えてなかったのかもしれないと思った。それで晴れて明るい今朝、仔細に見たら直径3cmほどの切り株が、無惨に残っていた。剪定鋏のような鋭利な刃物でなければ、このようには断ち切れない。手折ったのではなく刃物でということは、ちょうど綺麗な頃を見計らって計画してのことだったのだろう。
 カラスウリ、ムラサキシキブ、どれも誰かの庭で誰かが育てていたものではなく、いわば無主物だ。誰かが損害を被ったわけではない。私は悲しく思っているけれど、それは私の勝手な感情だろう。でも、でも私は思う。こんもりと茂っているムクゲの花枝を1本、2本手折ったり、群れ咲いているキバナコスモスを1輪、2輪手折るのとは違う身勝手を思う。
 野に在るものは野に在ってこそ、ではないだろうか。人もまた、野に在る数多のものの内のたった一つの族でしかないのだ、と私は思う。よく晴れて秋を感じさせる気持ちの良い空だったけれど、少し悲しくなって家に戻った今朝だった。時刻は6時55分。

9月13日──消炭色の夜の空

 靴を履いて玄関から出ると、金木犀が香っている。いつもの年よりも早いように思う。
 たつみ橋を渡り左岸に出て環七を越え、方南第一橋を過ぎる。橋の右手の団子屋さんの2階の窓に明かりが点いている。いつもは暗いのに、今日は早起きだこと。私がここを通るのはまだ朝が明けない時刻なので、店が開いているのを見たことはない。「大福・はんどら・団子」の看板を見るだけだ。
 弁天橋、和泉橋、一本橋を過ぎる。一本橋の脇の家は、八重のクチナシ、ノウゼンカズラ、紅色芯の白いムクゲの3種の樹木が家の壁をすっかり隠してしまっている。クチナシはもうとっくに花の季節は終わったが、ノウゼンカズラとムクゲはまだ咲いている。この家のおじさんは綺麗好きで、外が明るくなるといつも竹箒を持って、道に散った枯葉や花を掃き集めている。
 番屋橋を過ぎて中井橋から先は工事中で、川岸の道は通れない。工事は最初の予定では8月26日に終わるはずだったが、工期は11月1日まで延期になった。中井橋で右に折れて川から外れて行くと、熊野神社だ。今朝は西新宿の方角は、ポチッとも明るくならず消炭色の夜の空だ。熊野神社を参拝した後は栄泉橋を渡ってまた川岸の道に戻る。時々振り返って東の方角を見るのだが、今朝は5時過ぎても空は朱色も薄紅色も全く見られない。出かける前のラジオの天気予報は「東京は晴れ、予想最高気温30度」と言っていた。そして降りそうな気配は全くないけれど、なぜだか明るくなるのが遅く感じる。それでも消炭色が石板色になり、銀鼠色になり、だんだん白々と明けてきて、スタートから4km地点の塚山公園に差し掛かった頃は、頭上の空は灰白色だった。
 堂ノ下橋を越えて左の小道に入るアーチの門の黄カラスウリは、最初の一つはもうすっかり黄色くなっている。黄カラスウリは赤い実のカラスウリと違って若い実の時に瓜坊のような縞を帯びずに緑色で、ほぼ球形をしている。そして実の肌が少しざらついた感じだ。
 乙女橋を過ぎてからの私はいつも、カラスウリの実を見定めるのにずっと左を向いて歩くので、首が凝ってくるほどだ。この間消えてしまった実の他に、まだ瓜坊の実を8つ確認している。他に小さい実だが、既に赤くなっているのが3つある。これは高い所になっているので、傘の柄でも引っかけない限り採られることはないだろう。

黄カラスウリ。これはまだ緑色のもの

牧野富太郎博士にも間違いが

 Sさんと私の「カラスウリ探し隊」で見つけた花の咲く場所は十数ヵ所あったが、雌株は二ヵ所だけだった。カラスウリは雌雄異株だと知ったのは、『牧野新日本植物図鑑』でのことだ。そこには雄株は花付きが少ないと書かれていたが、そんなことはない。カラスウリ探し隊の私たちが見てきたところでは雄株の方が断然花を多く付けるし、第一蔓を伸ばしていく勢いが「凄まじい」とさえ思えるほどで、その蔓に、次々と花が咲いていくのだった。牧野博士の植物図鑑にある、「雄花は少数つき」という記述は誤りだと思う。

 両方の花の違いは、雌蕊(めしべ)と雄蕊(おしべ)の形状にある。雌花の雌蕊は柱頭が3本の突起のような形状で、雄花の雄蕊は黄色く平らな円形だから、すぐ見分けはつく。それに雌花は花筒の付け根が少し膨らんでいて、これが子房で実になる部分だ。「カラスウリ探し隊」として観察を続ける間に私は、仔細に見なくても、遠くから見ただけで雄株か雌株か見分けられるようになった。雄花の方がレースの広げ方が広いので花が大きく見えるし、花のつき方が密だ。雌花はレース部分が雄花に比べ狭いので、遠目にも花は小さく見える。
 動物でも鳥でも雄の方が派手で雌の方が地味で目立たない。花でもそうなんだと知った時、命を伝えていく不思議を思った。咲いた雌花の数に比べたら、実になった数はずっと少ない。山歩きで、1本の蔓に房のようにたくさんの朱い実がぶら下がっているのを見たことがあるが、私の朝の散歩道では雌株に付く実はわずかしかない。花の形状から受粉がしにくいからなのか、それとも東京の住宅地では花粉を媒介するスズメガが少ないためなのだろうか。何にせよ、いま生っている瓜坊の実がとても大切に思えてくる。
 朝歩きで最初にカラスウリの花を見つけた頃、秋に朱い実がなったら蔓ごと採って部屋に飾ろうと思っていた。でも、今はもう採ろうとは思わない。だんだん朱くなるのを楽しみに見てきたあの消えてしまったカラスウリ、誰かの部屋で灯したランタンのように飾られているだろうか。どうかその人が、飾った後で捨ててしまわずに、割って種を蒔いて欲しいと願っている。

9月17日──イモムシと銀木犀

 日の出の時刻は日毎に遅くなっていて、今朝は5時25分だ。朝散歩に出かける4時10分は、まだ夜の帷が開けない。歩き始めて背後南東の上空を見れば、オリオン座が見えた。見間違いでは無いだろうかと何度も確かめたのだが、どう見てもやっぱりオリオン座だった。冬の星座だと思っていたが、この季節でも見えることを知った。
 帰り道の神田橋を過ぎてからのことだ。道に這っている芋虫がいた。10cmほどの棒切れが落ちているかと思ったら、もこもこ動いて這っていた。茶色で節がありそれぞれの節に目の様な模様がある芋虫だった。帰宅してから調べてみたら、成虫になるとカラスウリの受粉を助ける、あのスズメガの幼虫なのだった。
 朝散歩の間中、金木犀の香りに包まれ、そこここに彼岸花を見て歩いた帰り道、熊野神社を過ぎていつもの様に川岸の道を行かずに、住宅地を抜ける道をとった。広い屋敷庭のある旧家、当麻さんの家の前を通る道だ。当麻さんの庭には、銀木犀の白い花が香っていた。その木からふと目を上げると、その奥にはもっとずっと大木の、こんもり小山の様な銀木犀が雪を被った様に白い花をつけていた。樹高7、8mはある大木の銀木犀だった。いつか叶うことなら、お庭に入らせてもらいたいと思った。
 家に帰り着く時間は、その日によって多少違う。途中で道草をたくさんする日もあれば、ひたすら歩く日もあるからだ。でも大体6時40分から7時までの間に帰り着く。門扉を開けて郵便受けから新聞を出し、靴を脱いで部屋に入る。そして手を洗って、すぐに朝食の支度にかかる。役割を着た私の朝の始まりだ。

一枝

       

渡辺一枝
わたなべ・いちえ:1945年1月、ハルピン生まれ。1987年3月まで東京近郊の保育園で保育士として働き、退職後は旧満洲各地に残留邦人を訪ね、またチベット、モンゴルへの旅を重ね作家活動に入る。2011年8月から毎月福島に通い、被災現地と被災者を訪ねている。著書に『自転車いっぱい花かごにして』『時計のない保育園』『王様の耳はロバの耳』『桜を恋う人』『ハルビン回帰行』『チベットを馬で行く』『私と同じ黒い目のひと』『消されゆくチベット』『聞き書き南相馬』『ふくしま 人のものがたり』他多数。写真集『風の馬』『ツァンパで朝食を』『チベット 祈りの色相、暮らしの色彩』、絵本『こぶたがずんずん』(長新太との共著)など。