第214回:これ、ヘンだなあ?(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

言論の自由は独裁者の胸ひとつ

 近頃、どうも「これ、ヘンだなあ?」と感じることが多すぎるような気がする。新聞を開くとそういう“ヘンだな記事”が、まず目に入る。テレビ・ニュースも、引き付けられるのは同じようなもの。

 例えばこんなニュース。
 イーロン・マスク氏といえば、電気自動車企業テスラの共同創業者であり宇宙企業のスペースXの創業者CEOも兼ね、世界屈指の大富豪だ。その彼が、約6兆円規模の資金を準備して「米ツイッター社」の買収を仕掛けたことは大きなニュースになった。その時、彼が言ったのは「言論の自由を守るため」ということだった。
 だが、時事通信の記事(6月18日配信)によると、どうもヘンだ。

 米実業家イーロン・マスク氏が率いる宇宙企業スペースXが、マスク氏を批判する書簡の作成に関わったとして複数の従業員を解雇したことが17日、明らかになった。米メディアが報じた。書簡は奔放な言動を繰り返すマスク氏に対し、ガバナンス(企業統治)上の懸念を示し改善を求める内容だった。
 報道によると、書簡は「公の場でのマスク氏の言動は、恥ずかしく、動揺を招くものだ」と指摘。「スペースXをマスク氏のブランドから分離すること」なども求めた。マスク氏は最近、ツイッター買収やセクハラ疑惑などで世間を騒がせていた。(略)

 ツイッター社のトランプ米前大統領のアカウント停止などの措置に対し、マスク氏は「トランプ氏への措置は言論の自由に反する。私は、以前は民主党支持だったが、今はトランプ氏支持だ」などとも述べて、ツイッター社の方向性を批判していた。
 それなら、今回の自社社員たちの解雇はどういうことなのか。彼が強く主張する「言論の自由」は、他社には要求しても自社には適用しないということか。独裁者になれば、自分の許容範囲内では言論の自由も認めるが、自分を批判するような「言論の自由」には厳しい罰を下すわけだ。
 ヘンだなあ、と思う。

 独裁者の許容範囲内での言論の自由、それはプーチン大統領のロシアを見ればよく分かる。ロシア国内での「言論の自由」は圧殺された。
 同じことは、北朝鮮でも顕著だ。人民が飢えに苦しんでも、ミサイルや核開発には膨大な金をつぎ込む。むろん、批判など許さない。
 ミャンマーの軍事政権も同じだ。抵抗する者は銃で撃ち殺す。
 中国の習近平政権の圧倒的な強権政治もかなりひどいようだ。ウイグル自治区の人権侵害や香港人の民主化運動の圧殺は、動画でも明らかだ。
 ある統計によれば、いわゆる強権国家、「閉鎖型独裁」「権威主義的独裁」などに分類される国家は、データ取得可能な国家199カ国のうち、実に109の国家と地域だという。人口比で見ても、昨年(2021年)の世界人口78.6億人のうち、実に55.6億人(71%)が独裁国家の圧政に喘いでいることになる。
 世界は、そして人類はまるで進歩していない。ヘンだなあ、と思う。

納得いかない最高裁判断

 他国のことばかり言ってはいられない。日本だって、ヘンだなあ、に溢れている。最高裁で、ヘンだなあ、と思う判断が下された。

 6月17日に最高裁第二小法廷(菅野博之裁判長)が示した「原発事故の国の責任」に関する判決は、ヘンだなあ、を飛び越えて「ふざけんな」の領域だった。
 津波は「想定外の大きさ」だったから国は責任を負う必要はない、というのだ。津波の大きさの想定に関しては「事故以前の常識に照らせば、国が回避できたと判断するには無理がある」とのこと。これはいくらなんでもあんまりだ。
 判決要旨(毎日新聞18日付)をじっくり読んでみた。

公務員による規制権限の不行使は、権限を定めた法令の趣旨、目的などに照らし、不行使が許容される限度を超えて著しく合理性を欠くとみとめられるとき、国家賠償法上の違法となる。国が国家賠償責任を負うというためには、公務員が規制権限を行使していれば被害者が被害を受けることがなかったであろうという関係が認められなければならない。
(略)長期評価が今後発生する可能性があるとした地震の規模はマグニチュード(M)8.2前後だったのに対し、現実に発生した東日本大震災の規模は9.1で、想定される地震よりもはるかに規模が大きかった。試算津波による主要建屋付近の浸水深は約2.6メートルまたはそれ以下とされたが、現実の津波による浸水深は最大約5.5メートルに及んでいる。(略)
これらの事情に照らすと、試算津波と同じ規模の津波による浸水を防ぐことができるとして設計される防潮堤は、大津波の原発事故を防ぐための措置を講じるよう東電に義務付け、東電が履行したとしても、大量の海水の侵入は避けられなかった可能性が高く、今回と同様の原発事故が発生した可能性が相当に高いと言わざるを得ない。国が国家賠償責任を負うということはできない。(略)

 例によって、分かりにくくくどい文章ではあるけれど、要するに「(公表されている地震予測の)長期評価を前提にした場合、その評価の想定をはるかに超えた大地震が起きたのだから、これを国が予測するのは不可能であった。したがって、国に賠償責任はない」というに尽きる。
 ちょ、ちょっと待ってくれよ。では、地震規模が想定外の大きさであるなら、東京電力という会社にだって賠償責任はない、ということにならないか?
 だいたい、原発というのは、国が率先して進めてきた“国家事業”ではなかったか。国の進めてきた事業が起こした大事故に、なぜ「責任はない」といえるのか。
 百歩、いや千歩譲って、このリクツが通るとするなら、もはや日本全国の原発はすべて即座に停止しなければならないことになる。
 なぜなら、想定外の大地震がいつ起こるか予測できないと言っているのだから、現在の原発の大地震対策(津波対策)は、“想定外の大地震”に見舞われるかもしれないということだ。つまり、どんなに素晴らしい対策をしたとしたって、その想定を超える地震が来たらお手上げです、と告白しているのと同じことなのだ。それなら、全原発停止のほかに防ぐ手立てはない。
 これ、ものすごく、ヘンでしょ?

ブラック校則でも「適法」?

 もうひとつ、同じく最高裁の、ヘンですね判断。
 東京新聞(19日付)から。

黒髪染め指導「適法」が確定
元生徒側上告退ける

大阪府立懐風館高(羽曳野市)の元生徒の女性が、生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう指導されて不登校になったとして、府に慰謝料などを求めた訴訟で、最高裁第二小法廷(菅野博之裁判長)は女性側の上告を退ける決定をした。頭髪指導の違法性を認めない判断が確定した。15日付。(略)
確定判決によると、15年春に入学した女性は、教員らに髪を黒くするよう複数回指導され従った。2年生の夏休みに明るい茶色に染め、指導を受けて始業式に染め直して登校したが、教員から「不十分」と繰り返し指摘され、16年9月から不登校になった。(略)

 うふぁっ! この判断も前出の「原発事故の国の賠償責任」裁判と同じ裁判長か。この裁判長、許しがたい!
 大阪の府立高校なのだから、大阪の維新の教育方針に沿ったものだろう。とにかく生徒を校則に従わせ、がんじがらめに縛りつける。
 式典で、教員たちが「君が代」をほんとうに歌っているかどうかを、口元に耳を近づけてチェックするのが教育だとするような維新のお膝元、大阪府立高校なのだ。頭髪検査や制服チェックなど朝飯前ってことだろう。
 「マガジン9」や「デモクラシータイムス・著者に訊く」での斉加尚代さん(毎日放送ディレクター)のインタビューを見てくれれば、維新の教育方針の陰湿さがよく分かる。
 ぼくはツイッターで「生まれつきの髪の色を変えろという指導は違法ではない、という判断?」と書いた。すると、「判決文は、生まれつきの地毛の色を変えろとは言っていない。元の黒色に戻せという指導だ。判決文をよく読め」というような批判が来た。
 つまり、「元は黒髪だったのだから、茶髪を黒に戻せという指導は何らおかしくない」ということらしい。だが、判決文を読むと、原告(女性側)の「元から茶色だった」という訴えにも触れている。被告側(府)は、「いや、元は黒だったから、それに戻せと指導した」と、主張は真っ向から対立していた。最高裁は、原告の訴えを認めず被告の主張を採用したということだ。
 これをどう受け取るか。ぼくは原告側に立ち、ぼくを批判してきた人は被告側の主張に同意したということでしかない。
 しかし、裁判所の言い分をそのまま認めるなら、世の中に「冤罪」などというものはなくなる。裁判所がいつも正しいなら、冤罪など起きようがない。
 なによりも、この本気でバカらしい「頭髪検査などという校則」に、最高裁が違法ではないというお墨付きを与えたことが、ぼくには許しがたい。こんなアホなことが行われている学校なんて、世界中のどこを探したってそうあるものじゃないだろう。あるとすれば、タリバン支配のアフガニスタンの女性教育禁止くらいのものではないか。
 いまや、日本の教育現場はそこまで堕ちているし、最高裁がそのあと押しをしているのだから何をいわんやだ。ものすごく「ヘンだなあ!」である。

 ずいぶん前に『真昼の暗黒』(今井正監督 1956年)という映画があった。八海(やかい)事件という実際の殺人事件を題材に冤罪の恐ろしさを訴えた映画だが、その最後のシーンで、牢獄に捕らわれた冤罪者が「まだ最高裁がある!」と叫ぶシーンが話題となった。それは「まだ最高裁で無罪となる可能性がある」という未来の希望への祈りなのか、それとも「ここまで闘っても勝てなかった、まだ最高裁で闘わなければならないのか」という絶望の叫びだったのか…との解釈を巡っての話題だった。
 上記のふたつの最高裁判決を見ていると、“絶望の叫び”という解釈が正しかったような気がする。

「多様性」はどこへ行った?

 裁判の判決、もう1件。これは最高裁ではなく大阪地裁(土井文美裁判長)の判決。朝日新聞(21日付)の記事。

同性婚認めぬ法律「合憲」
大阪地裁 札幌と判断割れる

同性どうしの結婚を認めていない民法や戸籍法の規定は憲法に違反するとして、京都府や香川県などの同性カップル3組が国に損害賠償を求めた訴訟の判決で、大阪地裁(土井文美裁判長)は20日、「憲法に違反しない」と判断し、原告側の訴えを棄却した。同種訴訟は全国5地裁で起こされ、規定を「違憲」とした昨年3月の札幌地裁判決と判断が分かれた。(略)

 憲法14条1項の「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立」という条文を盾に取り「結婚は異性間でするものであることが当然の前提」だったのだから「同性婚を認めないのは憲法違反ではない」と結論付けたわけだ。
 「ダイバーシティ」だとか「多様性」だとかの概念からこれほど遠い人たちが、人間の生き方を裁く裁判官として君臨していることに肌寒くなる。
 裁判所に、同性婚や夫婦別姓を裁く資格があるのかどうかにも疑問がわく。原告たちの訴えは、誰にも迷惑をかけないし誰の不利益にもならない。なぜ、それを拒否するのか?
 学校現場でのブラック校則の容認や、裁判所の人間の生き方の多様性を否定するような判断が、自民党や右派の人たちの大声に惑わされているのでなければいいのだが。ぼくは、ほんとうに「ヘンだなあ」と思う。

東京都杉並区長選挙の快挙!

 世の中ヘンなことばかり。でも「素晴らしいこと」ってことだって起きるんだ。
 19日に投票が行われた東京都杉並区長選挙で、「マガジン9」の連載執筆者でもある岸本聡子さんが、現職区長を僅差で破って初当選した。「マガ9仲間」として、こんな嬉しいことはない。市民が主導し、立憲共産社民れいわネットなどが一丸となって岸本さんを押し上げた。まとまれば勝てるということを端的に表した勝利だと思う。
 昨年の衆院選挙で、東京8区(杉並の大部分)の吉田晴美さん(立憲民主)が、盤石といわれた同選挙区の自民の大物・石原伸晃氏を破って当選したのに続く。市民たちの粘り強い闘いが5%の投票率増を掘り起こしての勝利。
 どうすれば勝てるのかの方程式をきちんと示してくれた選挙だった。
 ぼくは久々の祝杯を、カミさんとカンパ~イしたのであった。
 

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。