第218回:「#安倍晋三氏の国葬に反対します」の理由(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

 

#安倍晋三氏の国葬に反対します

 このハッシュタグをつけた一文が、大きな反響を呼んでいるようだ。むろん、ぼくが始めたわけじゃない。ぼくも賛同したが、世間にはぼくと同じような感じ方をする人が、それなりに多いらしい。
 すると「またアベガーが騒いでいる」「サヨが人の死にケチをつけている」「許せない人でなしだ」などという批判が殺到した。別に「人の死」にケチをつけているわけじゃない。「国葬」という国家行事を、時の政権が国会にも諮らずに決めてしまうことに異議を唱えているだけだ。彼らは、その区別も分からないらしい。
 では、ぼくなりの「#安倍晋三氏の国葬に反対します」の理由を説明しよう。

1. なぜ1週間も経たずに決めたのか

 安倍氏が銃撃されて亡くなったのが7月8日。それからまだ1週間も経たない14日の記者会見で、岸田首相が「この秋に安倍晋三氏の『国葬』を実施する方針」と発表した。これがまず、第一の不審点だ。決めるにしても時間をかけて、安倍氏の「功罪」をよく検討してから決めるのが普通のやり方だろう。その検討もせずに「国葬」を決めてしまう。何かが裏にあると思うのが当然だろう。

2. 「国葬」の政治利用」

 先週のこのコラムで、ぼくは「人の死を利用するようなことを、岸田氏がやるとは思えないが…」と書いた。残念ながら、ぼくは岸田氏の人間性を見誤っていたようだ。「国葬」を、岸田氏が安倍氏を悼む気持ちのみで決めたとはとても思えない。
 これは安倍氏の「遺志を継ぐ」と声高に叫ぶ党内極右派への政治的配慮に過ぎないとみるのが妥当だ。
 党内第4派閥の勢力しかない岸田派だから、極右派に目配りせざるを得ないのだろう。そのため早々と「安倍国葬」を言い出したのが岸田氏の本音に違いない。つまり、政治基盤が強くない岸田首相の「安倍国葬」の政治利用である。人の死を政治に利用してはいけない。

3. 国民の分断をより深める

 安倍氏ほど、国民の中に「分断」を持ち込んだ首相も珍しい。彼が選挙演説中に、批判の声を挙げた人たちへ向けて「こんな人たちに負けるわけにはいかない!」と叫んだのは、2017年7月1日のことだった。この叫びこそ「国民の分断」の象徴そのものだ。
 安倍氏は「あちら」と「こちら」に国民を分裂させ、あちらの連中の声など聞く必要はないとばかり、強引な政治を押し進めた。その「安倍氏の国葬」は、より一層の分断を国民に強いることになる。融和の政治を岸田氏は目指したはずだが、それは「安倍国葬」によって一挙に吹っ飛んでしまう。

4. 戦後最長政権だからというリクツ

 岸田首相は「国葬」の理由のひとつに「憲政史上最長の政権を維持したこと」を挙げている。では、戦前はどうだったか。
 戦前の最長政権を率いたのは桂太郎だった。桂は、西園寺公望と交代で3回の首相職を務め、首相在職期間は通算で8年弱に及んだ。しかし、桂の「国葬」は行われなかった。だから「長期間の首相在職」が「国葬」の理由になど、なりはしないのだ。岸田首相の苦し紛れのヘリクツに過ぎない。
 いったい誰が、こんな浅知恵をつけたのか?

5. 「国葬関連法」はない

 吉田茂元首相の「国葬」は、1967年10月31日に行われた。吉田が首相職を辞したのは1954年のこと。これが戦後初の「国葬」であった。吉田の「国葬」は、首相辞任の13年後だった。したがって、吉田首相在任中の「功罪」は、その13年の間にかなり綿密に検証されていた。それでも、国民の間には「なぜ国葬なのか」という批判が非常に強かった。
 葬儀担当者たちは「国葬の根拠」となるべき関連法律を苦労して探したが、結局、どんな法律も見つからなかった。
 戦前は「国葬令」という法律があって、それに基づいて国葬は行われたのだが、戦後は「国葬令」は廃止された。したがって現在も、国葬関連法は存在しない。だからといって、首相(内閣)の一存で決めてしまっていいものではない。せめて、国会の議決でもあれば話は別だが、そんな気配もない。法律に基づかない行事に国民の税金を支出することは許されない。だから吉田茂氏以降、「国葬」は行われてこなかったのだ。

6. 国民総動員の不気味

 67年の「吉田国葬」の際には、大きなイベントは中止となり、テレビは音楽やバラエティ番組などを自粛した。まさに「国家総動員」である。
 「安倍国葬」をもし強行するとなれば、多分、前例踏襲、同じようなことが起きるのではないか。すでに見られるように、各地に献花台や記帳所などが設けられ、テレビや新聞は悼む人々の姿や声をこれでもかというほどに伝えることになる。反対派のデモなど機動隊の黒い列で覆い隠され「#安倍晋三氏の国葬に反対します」の声は押しつぶされてしまうに違いない。
 「こんな人たちに負けるわけにはいかない」との安倍氏の声が甦る。国民がある方向へ一色に染められるとき、それは安倍氏が唱えた「戦後レジームの解体」から「戦前の復活」へと誘導されることになる。

7. モリカケサクラは終わらない

 国家を挙げての「国葬」の裏で、安倍晋三氏の疑惑はいつの間にか隠されてしまうだろう。「森友学園」「加計学園」「桜を見る会」の、いわゆる安倍疑惑三点セットは、そのどれ一つをとっても解明されていない。あの赤木俊夫さんの自死にしても、結局は佐川宣寿元財務省理財局長に責任を押しつけて終えようとしている。
 安倍氏は国会で、「もし私や私の妻や事務所が関係していたならば、総理大臣はおろか議員だって辞めますよ」と大見得を切ったけれど、何の責任も取らなかった。自分の言葉が赤木さんを死に追いやったことへの自責の念は露ほども感じられない。そんな人に「国葬」は果たしてふさわしいだろうか?

8. 旧統一教会との関連

 それでもなお「安倍国葬」を強行するというのなら、最低限、安倍氏と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関連を、徹底的に調査すべきだろう。
 自民党には関係のない弁護士等による第三者委員会を設けて、安倍氏は統一教会にどれほどコミットしていたかを、国民の前に明らかにする必要がある。それは義務でもある。いまさら「安倍氏は関連団体に感謝のメッセージを送ったに過ぎない」などと言うのは通らない。あれだけ何度も繰り返して、統一教会や関連団体の集会や大会にメッセージを送り、それらの団体の機関紙や雑誌の表紙を飾っていたではないか。それを無関係だとは言わせない。

9. 狙撃犯の心情

 実母の統一教会への1億円を超すという献金による家庭崩壊。兄妹とともに食事にも事欠いて叔父に援けを求めるという辛酸をなめた少年時代。そして兄の自死や本人の自殺未遂。それでも家庭を顧みなかった母。それを思えば、ただ犯人を一方的に断罪するだけですませてはならない。
 そのような事態を招いてもなお献金を要求し続けるという非情で強欲な組織と、岸信介元首相(安倍晋三氏の母方の祖父)の古くからの、そして緊密な付き合い。そして安倍氏にも引き継がれたとされる統一教会との関係にもメスを入れる必要がある。「国葬」をどうしてもやるというなら、そこを割愛してはならない。

10. 政治家たちの統一教会依存

 報道機関にぜひとも調査してほしいこと、新聞紙面やテレビ画面、そして週刊誌誌面で伝えてほしいこと。それが、政治家たちの「統一教会依存」の体質だ。
 とくに危ないのは、議員の私設秘書として多くの教会信者が入り込んでいることだ。議員たちは骨身を惜しまず働いてくれる秘書として、彼らの存在をありがたがっているというが、少なくとも50人を超える信者秘書が実際に働いているといわれている。
 国会議員も高位の役職に就けば国家機密に触れられるようになる。それが「信者秘書」を通じて統一教会へ漏洩するなどということがあってはならない。実際にその恐れは十分にある。
 「安倍国葬」の陰で、統一教会の勢力が国会内にますます根を張ることを憂える。「安倍氏が関係しているのだから自分も」と考えた安倍チルドレンが多かったと聞く。そこも考え合わせると、とても「安倍国葬」を認めるわけにはいかないのだ。

付録・「国葬」をネット右翼の祭りにしてはならない

 実は、狙撃犯はかつて熱心なネット右翼だったらしい。彼のものらしいアカウントのツイート(@333_hill)を調べていけば、その跡が辿れる。映画評論家の町山智浩さんが詳しくツイートしてくれていたから、ぼくはそこで知った(だがこのアカウントは、すでにツイッター社によって凍結された)。
 それを見ると、山上徹也は憎むべき敵「統一教会」を調べていく中で、教会と安倍氏のただならぬ関係に気づく。そこから安倍批判へと舵を切り、殺害に至る。
 安倍支持者たちは、いわゆるネット右翼とかなり親和性が高い。彼らがヘイトの対象とする韓国由来の統一教会が、安倍政権のかなりの部分とつながっていた。嫌韓を標榜するネット右翼の人たちが、その矛盾に気づかないのか、気づかないふりをしているのか?
 もし「安倍国葬」が強行されれば、彼らが〈安倍さん追悼〉で盛り上がるのは目に見えている。
 ヘイトを助長するようなお祭り。それだけは勘弁してほしいとぼくは思う。

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。